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第18話 屋上騒乱節。

 ――校舎の屋上は、モブ谷の狂乱の舞台と化していた。彼は大きな三角定規を武器のように振りかざし、支離滅裂な言葉を吐き続けている。
「モブ谷先生、お願いです! そこから離れてください!」
 数人の先生たちが、パニック状態になりながらも制止を試みていた。しかし、モブ谷は彼らの声を無視し、(さく)に向かって一歩ずつ近づいていく。その姿は、まるでこの世界からの脱出を図っているかのようだ。
 そんな一触即発の状況に、玻璃が遅れて到着した。玻璃の目に映ったのは、最悪の事態が現実になりつつある光景だった。
 〔三角定規て……悪目立ちやん〕
 玻璃が対応を考える間もなく、モブ谷の体が(さく)を跳び越え、虚空へと身を投げ出した。
「やめろー!」
 教職員たちの悲鳴が屋上に鳴り響く。

 ――その瞬間、世界が(ひず)んだ。
 空間が真っ黒な闇に覆われ、時の流れが重く、粘り気を帯びたようになる。周囲の教職員たちは、時間が凍結したかのように静止した。
 この異様な状況下で、玻璃だけが自由に動ける。玻璃は落ち着きを保ちながら、静止した教師たちの間をすり抜け、静かに屋上の端へと向かった。(さく)に寄りかかり、深い闇の底へと目を凝らす。
 漆黒の地面の上に、モブ谷の体がうつ伏せで宙に浮いているかのように見える。しかし、よく見ると、実際にはモブ谷が落下し、うつ伏せの姿勢で地面に激突したことがわかる。その衝撃で、周囲の地面が波紋を(えが)くように(ゆが)んでいる。
 玻璃は無言のまま、この現実離れした光景をじっと見つめ続けた。
 不意に、風のような、あるいは機械のような不快な音が辺りに響き渡った。その轟音(ごうおん)は、思わず手で耳を塞ぎたくなるほどの激しさだった。
 やがて、玻璃の目の前で信じがたい光景が展開し始めた。
 轟音(ごうおん)に呼応して処理されるかのように、モブ谷の体がデジタル映像のように変容していく。その姿が徐々に小さな立方体に分割されていき、まるでモザイク処理されたかのように見えた。各立方体はサイコロのように整然と並び、かろうじてモブ谷の輪郭を保っている。
 しかし、奇妙な状態も長くは続かなかった。次々と立方体が空間から消失していく。まるで見えない手によって一つずつ摘み取られていくかのようだ。玻璃は息を()んで、この超現実的な光景を見守った。
 ついに、最後の一片が消え去り、モブ谷の痕跡は完全に消え去った。
 耳をつんざく轟音(ごうおん)は、まだ鳴り()まなかった。まるで、巨大な装置が黙々と処理を続けているかのようだ。冷たく無機質でありながら、どこか達成感に満ちた響きを持っている。
 白衣のポケットに手を伸ばした玻璃は、電子タバコのケースをそっと取り出した。慣れた手つきでカートリッジを装着し、口元へ運ぶ。その動作には、日々の習慣が刻み込まれている。
 玻璃はモブ谷先生のことを思い出していた。
 モブ谷は苦手な男だった。玻璃が既婚で子持ちだと告げても、おかまいなしにセクハラじみた言動を繰り返してきた。
 用もないのに保健室に居座り、こちらが興味を示さないことを無視して車の自慢話を繰り広げる。その自己中心的な態度には辟易(へきえき)していた。
 過剰なまでに自身の男性性を誇示する姿は、滑稽なほどだった。
 最悪なことに、朝から酒の匂いを漂わせていることもあった。玻璃は、そんな彼の存在に常に緊張感を強いられていた。
 モブ谷が()()したのは、ほんの数日前のことだった。職員室で取り乱す彼の姿を目撃したことがあった。その狼狽(うろた)える様子は、今でも鮮明に脳裏に焼き付いている。
「壊れるの早過ぎやろ」
 玻璃は煙を吐きながら、冷ややかに(つぶや)いた。
 そして、少し皮肉めいた口調で付け加えた。
「大人は頼りないなあ」
 すると、背後から予測しない声が聞こえた。
「校内は禁煙ですよ」
 玻璃が振り返ると、校長の夜澄(よすみ)さんがそこに立っていた。彼女の(まな)差しには厳格さと同時に、どこか寛容さも宿っていた。
「私は許可をいただいてるはずですが」
 玻璃は冷静に、しかし僅かに挑戦的なニュアンスを込めて返答した。

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