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出陣前の壱


「うぅ……」


 朝霞みで和らぐお日様の光が窓から差し込み、と思ったらその光がわずか数分でギラギラ輝く真夏の日差しに変わる。
 強い日差しがまぶたを通して脳髄を刺激し、わしはもぞもぞと動きながら目覚めた。

「むにゃむにゃ……うーん……おいしょ」

 場所は一軒家城の2階に設けられた6畳部屋。その部屋の隅に設置されたベッドの上で体を起こし、とりあえずは背伸びじゃ。
 次いでわしはカーテンを勢いよくシャーって開き、今日のお日様のご機嫌を伺うことにした。

「ふあぁー……今日のお天気は……?」

 お日様の機嫌は上々。雲々の姿形も輪郭くっきりの積乱雲じゃ。
 でも綿飴のような積乱雲の皆々は遥か遠くにあり、近年頻発する苛烈なゲリラ豪雨もすぐ起きそうにない。
 さすれば――今日は暑くなりそうじゃな。

「うー……あっつい……」

 いや、日の出の頃からお日様の光が激しく差し込んでおるこの部屋、すでに結構暑いんだけどな。
 昨夜国営放送のおねえさんがそろそろ梅雨明けだって言っておったけど、この青々とした空の高さからすると今日がその日なのかも知れん。
 まぁよい。
 梅雨明けに備え、今年の夏からわしの部屋には新兵器が配備されておる。

 ザッ! 扇風機じゃ!

 ふっふっふ。
 これはつい先日父上と電気屋さんをうろちょろしていた時にわしが一目惚れしてしまい、店内で土下座をしながら父上に頼み込んだという珠玉の逸品じゃ。
 公共の場で自分の息子に土下座をされるあの時の父上の心境は容易に無視できるものではないけど、この扇風機にはそれだけの価値がある。

 漆黒輝くおしゃれな配色。その雰囲気を壊すどころか、土台と支柱の黒さをさらに際立たせるカラフルなボタンの数々。
 従来は白物家電と認識しておった扇風機が、黒物家電業界に殴り込みをかけたと言っても過言ではない。
 黒物家電派のわしにとって、それだけの衝撃を与えた扇風機なんじゃ。
 しかも色合いが黒いだけに、くるくる回る羽根の動きがわしの大好きなホイールの雰囲気と似ておる。
 わしの心が躍動したのも無理はないのじゃ。

 まぁ、これを買ってもらうかわりに、5回分の肩叩き券の作成と、その券を父上へ譲渡するよう約束させられたけどな。
 我が家の分国法では、5回の肩叩き券は5時間の労働を意味する。
 けどそんな労力はこの扇風機の価値に比べれば、大した問題ではない。
 わしが父上の肩を叩くという親孝行的な状況に、父上がまだ価値を見出してくれておるということでもあるし、その点はわしとしてもちょっと嬉しい。
 さすれば肘関節がいかれるぐらいに肩叩きをせねばなるまい。
 なにはともあれ、そのような経緯で手に入れたのがこの扇風機なのじゃ。

 でも……うーむ。

 ここ数日はこの扇風機を起動するほどの暑い日々ではなかった。
 昨日までは曇天広がる重い空と、冷やかな雨が断続的に降り注ぐ日々が続いておったのじゃ。
 けど昨夜の国営放送のおねえさんの言。あと今のこの晴天具合。
 おそらく今日からは30度を優に超える日々が続くじゃろう。
 それはつまり、これからこの扇風機の本当の価値が試されることになるということじゃ。
 さすればその手始めに、こやつの実力を試しておかねばなるまいて。

 どれ、ポチっと。

 わしが扇風機の電源を入れると、漆黒煌くスタイリッシュな扇風機に命が灯る。
 わずかな唸り声をあげながら、そやつが首を振り始めた。

 ひゃっひゃっひゃ!
 首振り機能じゃ!
 こやつには首振り機能まで備わっておるのじゃ!
 しかもなかなかに優雅な動き!
 間違いない! これは扇風機職人のたゆまぬ努力の結晶なのじゃ!

 ふーう、ふーう。

 いやはや。扇風機というこのからくり道具。
 我が一軒家城には以前から2台の扇風機が居間や中級武士の鎮座する寝室に配備されておったけど、2つとも白を基調とした色柄で、それほど心奪われるものでもなかった。

 あぁ、このからくり道具。涼しいのは素晴らしいけど、くるくる回っておる動きがホイールっぽいな……。
 と、その程度の印象だったんじゃ。

 でもわし個人が自由に操ることのできる個体が手に入り、しかもその姿が黒光りしておるというだけで、これほどまでに心躍るとは。
 この夏のMVPの座に輝くからくり道具は、この扇風機で間違いなかろう。

 まぁ、本当に暑くて寝苦しい夜は1階で眠る父上たちの部屋に避難し、家族そろってエアコンの冷房機能に身を守られながら寝たりすることになるじゃろう。
 母上から電気代の節約を申しつけられておるゆえ、複数の部屋で一晩中エアコンを稼働させるのはご法度なのじゃ。
 でもそういう熱帯夜以外は、この扇風機がわしの体を存分に冷やしてくれるはずじゃ。
 インターネットという裏の世界に潜む名もなき仲間たちが、扇風機の風を浴びながら寝るのは危険とおっしゃっておったが、そんなもん無視じゃ無視。
 梅雨が明けたからといって、すぐに極限の暑さが襲ってくるとも限らんし、おそらく数日はこの扇風機だけで暑さをしのげようぞ!
 わしは今、猛烈にこの扇風機と仲良うなりたいんじゃ!

 あとは……そうじゃな。
 4つある羽根の部分が今はまだ透明なのじゃ。
 この部分をホイールっぽく見えるように、後で装飾を施してみよう。
 文房具屋さんに行ってダークグレー系の油性マジックを購入して――それを羽根の中心部から外縁部まで2~3センチの太さで一線すれば、スポークっぽくなるはずじゃ。
 ついでに羽根の外縁部を黒く縁取れば、羽根が回転するときにタイヤっぽく見えるんじゃなかろうか。
 いっひっひ! わし、天才じゃな!
 10歳の体に宿る知識量の多さとしてはまちがいなく世界一だろうけど、こういう画期的なアイデアをぽんぽん生み出すあたり、わしは本当に天才なんじゃなかろうか!

「ひゃっひゃっひゃっひゃ! ふえぇーへっへっへ!」

 朝っぱらから部屋で1人、高笑うわし。
 でも今はまだ午前5時を過ぎたあたりじゃ。
 現世におけるこの体も徐々に大きくなり、日常生活による疲労を回復するための睡眠時間も少しずつ短くなってきた。
 なので今のわしは9時寝、5時起きじゃ。

 だけど家族はまだ下の階で静かに寝ておる。
 窓も開けっぱなしだから、あまり騒ぐとご近所さんにも迷惑がかかる。
 この時代の時間概念にも慣れ、時計の表示時刻を頭の中で干支に換算しなくても時間の把握をできるようになった。
 この点はわしの成長だと胸を張って言えるけど、そういう近所付き合いに関する配慮もしっかりと出来るようにならねばならんのじゃ。

 少し黙ろう。
 というか、そろそろ座禅の時間じゃ。

 ……

 しばしの間、わしは無言で扇風機の首振りを観察する。
 でも、いつまでも首振り機能を堪能している場合ではない。
 家族が起きるまでのこの時間を利用して、わしは日々座禅をし心の鍛錬に勤しむことにしておる。
 少し早目の起床の理由じゃ。

 なのでわしは首振り機能をオフにし、扇風機の風向きを部屋の一角に定める。
 その風の行き先には座布団が1つ置いてあるのだが、座布団に座った時にそよ風が心地よいと感じるぐらいの風量と距離に調整した。
 そして、わしは風の行き先となる座布団の上におもむろに座り込んだ。

「ふーう……ふーう……はぁー……」

 あの戦いから5年が過ぎた。
 わしは今10歳。
 卯月――じゃなくて4月生まれだから、3ヶ月ほど前に誕生日を迎えておる。
 今は小学校に通い始めてすでに4年目となり、それどころかもうすぐ1学期も終わろうかというところじゃ。

 んでんで。
 小学校に参陣し始めた頃に、わしは一軒家城の2階にある6畳の部屋を譲り受けることとなった。
 先も言ったように、熱帯夜や寒波の激しい夜は一階に眠る家族の部屋――32インチの中級武士がおるあの部屋に避難し、エアコンの冷暖房機能や石油ヒーターの愛情に身を包まれながら寝る日もある。
 でも基本的に気候の寒暖が甘い季節は、この部屋に寝泊りするようにしておるのじゃ。

 1人部屋。
 わしのような訳ありの事情を持っておる者には、こうやって静かに考え込むことのできる空間の存在が非常にありがたい。
 とはいっても夕食後にそそくさとこの部屋に来てしまうと、家族との関係が希薄になってしまう気もするので、とくに何もない夜は居間で家族と過ごすようにしておる。
 その代わり朝早くにこのような座禅タイムを設けて、いろいろと思案しながら心を鍛えておるのじゃ。
 まぁ、座禅してるといっても暑くて扇風機回すぐらいじゃから、それほど真剣な座禅でもないんだけどな。


 ただし、どうせ座禅するならそれっぽい雰囲気作りというのも重要じゃ。
 座禅は空間芸術と時間芸術が織り成す小さな宇宙。
 それを表現するためにわしが掛けた設備投資は生半可なものではない。
 本来この部屋は板張りの洋室だったのじゃが、その部屋の一角に簡易的な床の間を作ったのじゃ。
 その床の間に近所の100円ショップさんで購入した趣深い大皿と、去年温度センサーの負傷により泣く泣く現役を引退した電気ポットの亡骸。わし直筆の掛け軸。あと、少年野球のチームで使わなくなったぼろぼろのキャッチャー防具一式を譲り受け、鎧兜っぽく固定して飾っておる。

 知らん者もおると思うが少年野球のキャッチャー防具って一式そろえると2万は超えるし、それをちょっといいものにしようとすると3万も軽く超える。
 軟式の少年野球でそれだから、高校野球で使われておるものになるとそのさらに2~3倍はいったりもするのじゃ。
 つまり目の前に飾っておるキャッチャー防具は、今はもうぼろぼろだけどそれだけの価値があったということ。
 わびさびというやつじゃな。
 まぁ、大皿に関しては同じものを母上も持っておるので、サラダを食卓に並べる時とかにその皿が使われておると、若干複雑な気持ちになるけど……。

 んで、その下にはすのこじゃ。
 床の間というぐらいだから床より一段高くなるように土台を設けておきたかったのじゃが、ホームセンターで売っておる木材は意外と高く、月500円のわしの小遣いでは何年ローンになるかわからんぐらいの高級品じゃった。
 なので押し入れのお布団の下に入れる湿気避けのすのこ板の中古を母上から貰い受け、それを仕込むことで一段高くしておる。

 あと今は朝だから明かりを照らす必要はないけど、ナイター照明の設備も十分じゃ。
 これに関しては華殿に指示を仰ぎ、温かみのある色調のLED電球を上から間接的に照らすように設定しておる。
 夜天井に設置された部屋の明かりを消してみると、間接照明に照らされるキャッチャー道具がたいそうかっこいいのじゃ。

 んでもう1つ。
 わしが一番手間を費やした、掛け軸について。
 文字は思案に思案を重ねた結果、“日々是スタッドレス”の一文にした。
 人生、何があっても地に足を付けよ。みたいな意味じゃな。

 でもこの一文を書くにも問題がなかったわけではない。
 去年から小学校でお習字を習っておるけど、わしがこの床の間エリアを手掛けたのは1年生の頃なのじゃ。
 普通のわっぱは漢字もまともに習っておらん時期だったから、父上や母上の前でわしが堂々と字を書くことなどできようもない。
 なのでわしは近所の文房具店で紙を購入し、父上の書斎にあった筆ペンをこっそり拝借することで装備を整え、深夜にこっそり字を書くことにした。
 後日部屋に入ってきた父上や母上がわしの達筆を見て首を傾げておったけど、“三原コーチに貰った”と誤魔化しておいた。
 もちろん三原にも口裏合わせをお願いしておるし、父上たちもそれ以上は何も追及せんかった。

 でも……うん……。

 さっきキャッチャー防具の件もさらーっと流しておいたけど、わしは今三原が指揮する少年野球のチームに所属しておる。
 わしとしては入団を1日でも遅くしたかったからいろいろと頑張ったけど、結局1年生の時に無理矢理入部させられたわ。
 この春に4年目のシーズンに突入しておるので、今チームにおる6年生のわっぱたちより古株じゃ。
 でもわしの友人も何人か入っておるし、平日2回の練習と土曜日の半日練習、あとたまに日曜日に練習試合が入ったり、数ヵ月に1度大会がある程度なので別に辛くはない。
 いや……その件は後で述べようぞ。今は掛け軸の話じゃ。

 んでんで。
 そんな感じで父上たちに隠れてこっそり字を書き、それとは別にそれっぽいカラフルな和紙をお小遣いで購入。
 その和紙にわしが字を書いた紙を工作用ののりで張り付けた。
 さらにはサランラップを使いきった後の芯を母上から頂戴し、それを上下にのりで装着することで巻物っぽく仕上げておる。
 単に掛け軸といっても本来は多くの材料から成り立っておるのじゃが今は資金も少ないし、これで仕方ないのじゃ。
 ということで、そろそろ座禅に集中しよう!

 ……

 薄目を開けて床の間エリアの品々を見つめたり、瞳を閉じて物思いにふけったり。
 この座禅は“悟りの境地”に達するのを目的としておらんから、わしはちょいちょい気を紛らわしたりしながら心の在り方を探る。

 転生者という特殊なわし。
 頭の中で思考する言と、現実に声で放つ言が違う。
 その事実がわしの全てを表しておると言っても過言ではないが、つまるところわしは日々の生活の何気ない一言にも細心の注意を払わねばいけない人間なのじゃ。
 でもついついそのことを忘れ、周囲の人間に違和感を感じさせる言動をしてしまうこともある。
 そういうのを反省したり、または“今日こんなことをする予定だから、こういうふうに振舞おう”といった、おおざっぱに未来の言動をシミュレーションしたりな。

 特に注意すべきは、勇殿や華殿を始めとする現世のわしの友人たちじゃ。
 彼らはすくすくと成長しておる。
 だけど5歳の頃の彼らと違い、わしがちょっとした違和感を見せてしまうと誤魔化しきれない年齢になっておるのじゃ。
 そうなると、さすがにわしの努力もなかなかしんどくなってきた。
 あいかわらず2人はいい子だし、今後5年や10年といった近い将来にわしの事情を打ち明けたいという気もする。

 でも今はまだダメじゃ。
 勇殿も華殿も、まだわしの事情を受け切れる年齢ではないのじゃ。
 なのでこの件はしばらく秘密に。
 こんな感じで前世と現世。現世におけるこれまでの人生とこれからの未来。
 それらを思案しながら、この座禅タイムを楽しむのじゃ。


 でも……


 とんとんとんとん……


 座禅を始めて30分ぐらい経ったじゃろうか。
 下の階から階段を上がる軽やかな足取りが聞こえてきた。
 あぁ、もう起きたか。
 さすれば、座禅はひとまず中断じゃ。
 もちろんこの足音は、我が一軒家城に不法侵入したならず者の足音ではない。

 そうじゃ。
 家族が増えたのじゃ。

「お兄ちゃん? 起きた?」
「うん。起きてるよ」
「入っていい?」
「うん。いいよ」

 部屋の扉を挟んで少しだけ会話をやり取りした後、わしの弟が部屋に入ってきた。


しおり