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10 充恋

 フラーウムという、中華っぽい国にミチルが転移したのは昨夜。
 次の日の朝には、超絶イケメンおじさん、ジン・グルースへの弟子入りが決定。
 ミチルの身の上は相変わらずジェットコースター・ロマンスだ。

 そして昼過ぎ。

「ぎゃあああああ!」

 非常に汚い雄叫びが、ジンの居室に通じる中庭から聞こえていた。

「なんて固い体だ、貴様それでも十代か」

 股裂きに加えて背中を押されたミチルは、ギリギリまで曲げられた腰と内腿が悲鳴を上げている。
 押す、と言っても手ではなく、ジンが直接ミチルの背中に座って重圧をかけているのだから、ミチルはもう死にそう。

「死ぬっ! 死ぬぅ! ギブギブッ!」

「何がブヒブヒだ、貴様がメスブタになるにはまだ時間が早い」

「ブヒブヒじゃねえ! ギブアップ! ていうか、お下劣な下ネタ言わないでっ!」

 何なの、この人!
 数分おきに下ネタを吐きまくる、とんでもねえ先生!
 ミチルがそんな事を頭の中で毒づいていると、体が軽くなった。ジンが背中から退いたのだ。

「ああー……もう、だめえ……」

 ミチルはすぐさま横に倒れた。芝生が頬にグサグサ刺さるけど、そんな事を気にする余裕はない。

「……」

「先生?」

 急に黙って突っ立っているジンを、ミチルが不審に思っていると、毒舌エロ師範はふるふると拳を震わせながら言った。

「貴様、そんな艶かしい声で儂を煽るな。冷静に直るまでしばし待て」

 おい。
 どこを直す……って?

「バッカじゃないの!? オメーの頭は常にそんなことばっか考えてんの!? キモい! キモ過ぎる!!」

 激しい柔軟の末、酷使された体は動かないはずなのに、そのジンの言葉でミチルはマッハで中庭の端まで逃げた。

 ガサガサッ!

「ヒイィ!」

 逃げた先の垣根が、強く揺れる。
 人の気配を感じて、ミチルは結局ジンの側へ逆戻りする。

「どうした」

 ジンの影に隠れたミチルにではなく、揺れた垣根に向かってジンがそう言うと、ゆっくりと垣根の向こう側から少年達の頭が出てきた。
 朝見かけた少年ではない。また別の少年が数人。なんだかジンを恨めしそうに見つめている。

「あの、先生……午後のお稽古は……」

「済まないが、儂の稽古はしばらく休みだ。後で師範代達に指示しておくから、今日は各自でやっていろ」

「でも、もうすぐ大会があるんですよ!?」

 少年達は口々に不満を述べる。だが、ジンはどこ吹く風で冷たく言い放った。

「お前達の実力は既に水準に達している。そのまま自主練を続ければ大会などどうと言うことはない」

 え? それってなんか、すごく無責任じゃない? そんなんでいいの?
 ミチルが眉をひそめながらジンの対応を見ていると、垣根の向こうの少年達は一斉にミチルを睨んだ。

「──!」

 その視線は尋常ではなかった。
 教師が落ちこぼれに補習をするから授業が進まない、と言うような学生的な不満の眼差しではない。
 例えるなら、恋人を誰かに取られた嫉妬のような、情念の怒りが少年達の瞳に芽生えていた。

 深読みしたくないジェラシーを向けられたミチルは、慌てて少年達から目を逸らす。

「わかったら道場へ戻れ。やる気のないヤツは出て行っても構わん」

「わかりました……」

 そうして少年達はすごすごと中庭を後にした。
 ジンの態度はまるで独裁者かハーレムの王だ。
 ちょっと待って、今のなし! 独裁者! 独裁者一択で!

 ミチルは怖気に身震いするのをなんとか堪えて、ジンに恐る恐る聞く。

「あのぅ、オレも他のお弟子さんと一緒に道場で稽古を受ければいいのでは……?」

 大勢の中に紛れれば、稽古の厳しさが和らぐかもしれない。
 ミチルがそう言うと、ジンはえげつない目線でミチルを睨む。

「ああ!?」

「うひぃ!」

「シウレン、貴様の能力は特別なんだぞ。他の者と同一の稽古では、儂のメソッドは完成しない!」

「ふわわ……」

 シウレン、というのはジンがミチルにつけた「弟子ネーム」だ。
 その名で呼ばれる度に、ミチルはなんだか体中をくすぐられるような感覚がして、ジンの言うことに逆らえなくなってしまう。

「まったく、貴様と言うヤツは──」

「うわっ!」

 ジンが乱暴にミチルの腕を引く。両手首を掴み、ミチルを逆に背負うと、そのままジンは己の体を前に曲げた。

「ふぎゃああああ!」

 無理矢理の上体反らしに、ミチルはまたも汚い雄叫びを上げる。

「固い! 十代の少年ならもっと柔らかい肢体を目指せ! ××の××すら、柔らかくほぐすんだ!」

「やめろお! ど下ネタクソ師範がぁあ!」

 そうしてジンの中庭では午後いっぱい、汚い雄叫びと、耳が腐りそうなど下ネタの応酬が響き続けた。





「はあ、はあ……」

 日がたっぷり暮れてしまった。ミチルはヘトヘトだった。

「まったく、柔軟だけで今日が終わってしまうとは。たるんでいるぞ、シウレン。いや、結局弛まなかったな、××の××まで」

「だ、だからァ……下ネタはよせぇ……」

 ツッコむ気力も、今のミチルにはもうない。

「あの、先生……お食事の用意が出来ました」

 部屋の方から、遠慮がちに少年の声が聞こえた。朝食を持ってきた少年であった。
 そう言えば今日は昼食がなかった。朝が遅かったからか?
 だがミチルにはそんなことはどうでも良かった。疲れた上に、腹も究極に減っていたのだ。

「仕方ない、今日はここまでだ。飯にするぞ」

「はひぃ」

 部屋へ向かうジンの背中を、ミチルはヘロヘロの足腰を引きずってついて行った。




「きゃあああ! 白米ィイ! そんでもって、これ、生姜焼きィイ!?」

 なんて懐かしい食卓。そんな光景がミチルの目の前にある。
 陶器の茶碗に燦然と輝く白き米。茶色いおかずのスーパースター、豚肉の生姜焼き。
 あとは味噌汁があったら完璧だったが、実際は卵のスープだった。

「はっ! もしかして、このおかずはボクが朝言ったからですか!?」

「む……まあ、ぐ、偶然だ」

 照れながら視線を逸らすイケメン! ちょっと待って、色々吹っ飛んじゃう!
 だが、とりあえずミチルはドキドキを置いておいて、目の前の夕食に飛びついた。

「いただきまあす! ふわあああ! うめえええ!」

 白米と豚肉を交互に口に運ぶミチルに、ジンは静かに言った。

「食べ終わったら風呂に入って汗を流してこい」

「……ふが?」

「その後は、第二の汗を流させてやる。一晩中……な」

「ブヒー!!」

 その危機、まだあったの!?

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