熊に出会った
街を出てしばらく歩くと、ルーイの案内通り森を見つけた。この森を抜けると次の街にたどり着くという。
私たちは森の中に歩みを進めながら、話を続けた。ルーイとの話の中で必要なことは徐々に覚えていくしかない。
「ここはさ、たいした獣も出てこないんだ。せいぜい大型の犬ぐらいのことだ。稀に熊が出るらしいけど、俺は出会ったことがない。熊に遭ったら諦めるしかないんだってよ」
「そしたら、熊に出会ったら逃げるのか?」
「いや、逃げられないらしい。追いつかれるんだ」
「そしたら……」
「あぁ。喰われるしかないな」
「ふむ。倒すしかないということか」
「おい! やる気かよ」
「出会えば喰われるのだろう? そしたら、倒しにいって、喰われてもいいではないか」
どちらにしても喰われるのだ。倒すことができる可能性に賭けたい。
「あー。そうなればもう、アイシュタルトに任せるわ。俺じゃ手も足も出ない」
「任せろ。敵わなければ、共に腹の中だ」
「ははっ。アイシュタルトと一緒でも嬉しくない」
「悪かったな。誰ならいいのだ」
「そりゃ、綺麗な女」
「はぁああ……ああ、まぁなぁ」
ルーイの言葉にため息をついたものの、『綺麗な女』と聞いて、思わず姫の鮮やかな金髪を思い描いてしまった。風になびき、私の頬をくすぐるあの滑らかな絹のような髪の肌触りを、忘れることなんてできない。
「おお? アイシュタルトにもそういう女がいるのか?!」
「おらぬ。男よりはマシだと思っただけだ」
「なぁんだ。つまんねぇ」
姫との思い出は全て私だけのものだ。誰にも話してなどやるものか。誰にも言えぬこの想いと共に、私がこの世から消え去るときまで、私の中にしまい込んだままにしておく。
「ククッ。悪いな。そのような話とは無縁だ」
「騎士様は恋愛とかしないのか?」
「いや。していた者もいる。そうでなければ見合いでしか結婚できないではないか」
「アイシュタルトは?」
「……していないだけだ」
「ふぅん」
ルーイには何かを勘ぐられた様だが、姫の話ができるわけもない。
ガサッ。その時だ。私たちがたてた音ではない物音が前方から聞こえた。
「後ろへ」
私はルーイには声をかけると、腰に下げた剣に手をかける。ルーイが私の後ろに身を隠したのを横目に確認した。額から首筋へと汗が流れたのがわかる。
ガサァァ! 獣だ。私より少し低いぐらいの背に、後ろ足で立ち、前足を上に伸ばし、聞いたこともない様な唸り声をあげて威嚇してきた。
どのような獣が出ようと、私に逃げるといった選択肢はやはり考えつかない。剣を構え、どう倒すかを考える。獣から距離を取ろうとジリジリと後ろに下がっていくと、背中に大木が当たった。これ以上は後ろには下がれない。
ルーイはその大木を避けて、さらに後ろへ下がっている。逃げ足が速いというのは、真実らしい。
私がこれ以上後退りをできないとわかったのか、獣は前足を下ろし、四つ足で一気にこちらへ駆けてきた。
私は自分がまとっていたマントを脱ぎ、敵に向かって投げつけた。一瞬だけでも目隠しにさえなればよかった。突然顔にかかった布を必死に剥がそうと、獣は足を止めて前足を自分の顔の前で動かした。
今だ! 私はマントの引っかかっている獣の鼻先に向けて剣を振り下ろした。
ゴツッ! 獣の頭に剣が当たる音がした。マントが剥がれ落ち、獣の首筋が見える。そこを目がけてもう一太刀あびせる。いくら獣とはいえ、首筋を切られて平気なものはいないらしい。獣はその場で倒れこんだ。