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第1話

 学校から帰宅した少年は、普段着に着替えてキッチンで温かい紅茶を入れて部屋に籠もった。ノート・パソコンが起動するまでほんの少し時間があるので、床に座り、紅茶を味わいながら、ベッドの縁にもたれかかって待つことにした。
 ティーカップをテーブルの上の皿に置いて、少年は天井を見上げた。なんの変哲もないありふれた天井だった。その天井と記憶に新しい病室の天井とが、重ね合わさるように二重に(だぶって)見えていた。
 友人と交わした言葉のやり取り、頭にこびりついて離れなかったのは「正夢」という単語だった。夢で見たり起こったりしたことが、現実世界の中で多少の違いはあるとしても、同じような経緯をたどるという認識で間違いはないだろう。事故に遭った夢がこの先起こり得ると考えると、さすがにぞっとしなかった。
 父の実家に行くのは毎年のお盆休みの頃だ。今日は七月に入ったばかりなので、その仮定が正しいとすれば、一月(ひとつき)後に起こることになる。それを回避するためになにかできないだろうかと少年は考えていた。
 ノート・パソコンの起動音が鳴った。LANケーブルを繋ぎ、ブラウザを起動して、少年はキーボードを弾いた。検索した文字列は「旧中仙道」「事故」の二つの単語だった。
 検索一覧が表示されたが多重事故の見出しはなかった。それ自体は予想通りだった。当然といえば当然だ。少年は事故に巻き込まれていないので、その事故が検索に引っかかるわけがない。それに時期も異なる。
 次に「正夢」で検索してみたが、少年の認識とほとんど違いはなく、気になる項目はなかった。
 少年は思い出していた。その夢と同じ行動をしなければ、夢もまた違ったものになるかもしれんぞと語った友人の言葉を。
 ベッドの縁に背中を預けて少年は、ふたたび天井を見上げた。
 この、今見ている景色が夢なのか現実なのか、明確に判断することは可能だろうか。少年の意識は晴れ渡った空のように明瞭で、目に映る様々なモノは、色や形、その手触りまではっきりと認識できている。自分がここにいることもはっきりと自覚できている。事故の記憶は夢だと訝しむこともできている。自分自身の存在を疑うこともできていて、それは取りも直さず、自分がここにいるたしかな証拠(あかし)といえるのではないか。
 ひるがえって事故に遭った自分は、家族が亡くなったことも、腕や脚が切除されていることも、祖母や看護師や刑事との会話もすべて覚えていて、そこが現実なのを微塵も疑ってはいなかった。自分自身の存在も疑ってはおらず、なにもかもを事実(ファクト)として受け入れていた。学校で友人と交わした話を覚えていなかったが、自分自身の存在を疑ってはいないので、それこそが、そこが現実だというたしかな証拠といえるのではないか。
 どちらの自分も自己の存在を認めている、しかも自覚的に。それだけを単純化して考えると、どちらの自分もそこは現実だと認識できているので、両方とも事実という結論となってしまう。この二つの相反する現実を両立させる方法はあるのだろうか、少年は顎に手を当てて考え込んだ。
 三〇分ほど考えていたが、どうにもうまく考えがまとまらなかったので、少し頭を冷やそうと少年は思った。

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