自宅
俺は静かにアパートのドアを開け、部屋の中を覗いた。暗い。誰もいないようだ。
俺はホッとして、部屋に上がった。が、洗面台に続く扉が開き、キラッと光る包丁が、俺の喉に向けられる。
「い、いたのか」
「いるわよ、だって、ここがあなたとの愛の巣ですもの」
「あ、愛の巣だ?」
「それより、まず、帰ってきたら、ただいまでしょ、あなた」
「あ、ああ、た、だいま・・・」
「おかえり・・・、あなた」
彼女は包丁を引き、にっこり微笑んだ。
「夕飯の準備はできてるけど、先にお風呂にする、ご飯にする、それとも、あたし?」
彼女はかわい子ぶったポーズをする。
「うふ、こういうフレーズ、言ってみたかったんだ」
「おい、やめろよ」
「なに、あなた?」
「俺とお前は夫婦じゃない、ただの高校時代の知り合いだろ、いきなり、押しかけてきて居座って、いつの間にか合鍵まで手に入れて」
「夫婦が合鍵持つのは普通でしょ、それに結婚式はまだだけど、婚姻届けはあたしがチャンと出しておいたから」
「な、なんだと、そんなこと…」
「できるわよ、判子の置き場所は知ってるし、役所で筆跡鑑定なんてしないしね」
「お前、知り合いだと思ってこっちがおとなしくしてたら」
「どうするつもり、力付くで追い出すの?」
すると彼女は、自分のあごの下あたりに包丁を向けた。
「追い出そうとしたら、ここで自殺してやる」
「やりたきゃやれよ、お前も、俺ももう死んでるんだからな」
「なに言ってるの?」
「この部屋、よく家具を見てみろよ、以前と違うだろ、もう誰か他の奴が住んでるんだ」
「なに、言ってるの」
「二年ほど前、お前がそうやって自殺すると俺を脅し、俺が止めようともみ合いになり、二人とも大けがして出血死したんだ」
「なに、言ってるの、血の跡なんてないじゃない」
「不動産屋さんが綺麗にしたんだ。警察は、お前の婚姻届けを信じて、夫婦で無理心中を図ったんじゃないかと結論して、この部屋は、事故物件の格安家賃に釣られた新しい住民がいるんだ」
「そんな話信じろと」
「ほら、そこのカレンダー見てみろ。西暦何年になってる」
「そ、そんな、うそよ、うそよ、ここはあたしたちの愛の巣なのよ」
「そうやって、お前が認めないから、俺たちは、毎年、命日にこんなことを繰り返してるんだろ」