彼女の正体
通話専用の画面が出て、相手が大きく表示されようとしたが、咄嗟に航汰は通話相手の映像を表示させずに応対する。
「あ、出た。おつ~、こうたくぅん。オレらの呼び出しはシカトすんのに、彼女からの電話は出るんだねぇ~」
予感は的中した。相手は今まで散々航汰を苦しめてきたグループのリーダー的存在である男だった。『呼び出し』という単語に放課後すぐに来た連絡のことだと分かった航汰だが、そんなことより何故、こいつが芽衣奈の端末で電話してくるんだと思っていると、あっさりとその答えは提示された。
「なに――」
「で、オレら考えた訳よ。こうたくんがちゃんと自分の立場分かるようにするには、どうすればいいのかなぁって」
その時、その男の近くで聞き覚えのある声がした。数人相手に捕まっているのか、「放してぇっ!」と悲痛な声が上がる。前日会ったばかりの人物の声だった。
「芽衣奈!?」
「おっ、反応した。いやぁ、ごめんね~? 最近、おんなじようなことしかしてないから、シゲキが無かったよねぇ。だからさ、こうたくんの代わりに芽衣奈ちゃんに相手してもらおうと思って。ほら、芽衣奈ちゃんって顔も可愛いし、余裕でヤれるじゃん? だから、オレらも良い思いさせてもらおうかなって。ねぇ? こうたくん」
ここで電話口の向こうから「やだぁ、鈴原さんかわいそぉ~」とどう聞いてもふざけ半分で言っている女子の声がする。取り巻きの女だ。自分だけでは飽き足らず、とうとう芽衣奈にまで手を出そうという腐った根性に溢れた言い分を聞いて、航汰は瞬時に頭に血が上るのを感じた。
「どこに……」
「あ?」
「今どこにいるっ!!? 芽衣奈に手を出したら、ただじゃおかないぞっ!!!!」
航汰は自分でも驚く程の大声で問いただす。その声に相手は「おお、こわ」と嘲笑していたかと思うと、ふざけた口調で「じゃあ、ヒントで~す」と続ける。
「オレらとこうたくんがいつも『仲良く』してるとこでぇ、待って――」
言葉は最後まで言えなかった。突如、電話口の向こうでボッ、という鈍い音に遮られ、無言になる。電話は切れていない。唐突に相手の音声だけが途切れ、次の瞬間には誰かの悲鳴が聞こえてきた。
「うわぁああああああっ!!?」
「何よこれ!?」
「化け物だ! 逃げろぉっ!!」
端末が地面に投げられたのか、軽い衝撃音とばたばたと数人の走って行く足音。男女の悲鳴が聞こえてくる中、やがてぶつっと電話が切れた。ただならぬ気配に航汰は堪らず、家を飛び出した。
目指すは学校。本能的にただ芽衣奈が危ないと感じるままに、彼は走り出した。いつも彼女に守られている自分が行ってどうするのかとか、彼女を助けられるのかとか、航汰らしくもなくそんなことは欠片も思わなかったし、考えなかった。ただ芽衣奈を失いたくない。その一心で彼は学校へ全速力で向かって行った。
夜の学校は男女の悲鳴が響いていた。元々烏合の衆も同然の『ストレスを発散したい』という薄い感情だけで集まっていた連中だ。不測の事態が起きた際には、男女関係無く、自分の身代わりにできる奴は積極的に身代わりにした。追ってくる者から必死に逃げようと、男子生徒が一緒に逃げていた女子生徒を突き飛ばす。転んだ女子生徒が犠牲になっている間にトイレに逃げ込み、一番奥の個室に入る。しかし、そいつも同じ末路を辿るにはそう時間は掛からなかった。
航汰が学校へ辿り着いた時には、既に廊下には数人の死体が転がっていた。首を無理矢理引き千切ろうとしたのか変にひしゃげて中途半端に肉が繋がっている者、胴を引き千切られた者、体をバラバラにされた者。どれが誰のパーツなのか、最早よく分からない状態のそれらを下駄箱の陰から見付けた航汰は、すぐに目を逸らし、漂ってくる濃い血の匂いで込み上げる吐き気を必死に抑えた。でも、と航汰は決心する。あの中に芽衣奈がいないという保証は無い。他の奴らはどうでも良くても、彼女だけは別だ。その為にはまず、あの死体達を改めなければならない。
耳を澄まして、何の音もしないことを確かめてから、航汰はなるべく音を立てないように靴を脱ぎ、廊下へ出た。すぐそこに大量の死体がある。辛うじてそれが誰なのか分かるのは、一つ転がっている男の首からこれが航汰をいじめていた奴らのうちの一人だと分かる。今まで内心、死んで欲しいと何度も思っていた連中だが、いざこうして目の前に死体が転がっていると、内臓の匂いに衝動的な吐き気を催すと同時に後味が悪いなと口を押さえつつ、航汰は思った。
それからもぱっと見た感じでは、この中に芽衣奈はいないように思える。しかし、それはこの死体を作った『何か』がまだどこかにいるということで、彼女もこうなる危険性があるということだ。だったら、こんなところでぐずぐずしていられない。何か違和感を持ちながらも、すぐに目の前の死体から意識を芽衣奈へ戻し、航汰は床に向けていた顔を上げた。
廊下の突き当たりに有り得ないものの影を見た。そこは曲がり角になっていて、角の先は裏口のドアがある筈だ。裏口から降り注ぐ月光に形作られたそれは、まるで天井に張り付いている蜘蛛のように見えた。両の手足を折り曲げ、そこにじっと縮こまっているように見える。影越しに航汰をじっと見つめているような気がした。
「ひっ……!?」
恐怖の余り出そうになった声を、慌てて口を手でもっと強く塞ぐことで押し止める。幸い、彼の声は影の主には聞こえていなかったのか、それともその声に反応したのか、影の主は天井に張り付いたまま手足を広げ、そのまま外に這いずるようにして出て行った。静かすぎる校舎の中でべたべたと足音らしい音だけが響いていく。壁を登っているようなその音を聞きながら、航汰はある考えに至った。もし、あの影の主が巨大な蜘蛛のような生き物なら、何をするのか。生き物が移動する主な理由は水分補給と餌の捕食の為だ。
「芽衣奈……っ!」
あの影は屋上へ向かっている。もし、そこにまだ芽衣奈がいるとしたら。そう考えると同時に航汰は屋上へ向かい、また走り出した。
ここまでぶっ続けで走ったことの無いひ弱な体に鞭打って、航汰ははち切れんばかりの心臓を押さえつつ、屋上へと続くドアを開けた。途中、何度か転びそうになって膝を擦り剥いたりしたが、そんなことに構っていられない彼はぜえぜえと息を切らしながらも、ドアを体全体で開けた。
開けた先では丁度、芽衣奈がこちらに向かって走ってくるところだった。彼女の背後に何か巨大な異形が追って来ていると分かった。
「芽衣奈! 早くこっちへ!」
芽衣奈へ向かって手を伸ばす航汰。そこで彼の存在に気付いた様子の彼女は、何故か彼に背中を向け、「逃げて! 航汰!」と右腕を構える。どうしてと彼が口に出すよりも早く芽依奈は何か呪文のような言葉を叫んだ。
「コーリング、
芽衣奈が後ろへ向き直ったことで、彼女を追っていたものの姿が見える。それはやはり、蜘蛛のような異形だった。六本の足でざかざかと動き回り、逃げる芽衣奈に噛み付かんと有り得ない程大きく口を開けて迫る。芽衣奈の右腕が光ったと思った瞬間、航汰は化け物の顔を見た。
「え?」
それは副担任の来間の顔をしていた。顔の下半分は大きく裂けており、巨大な牙が生えてはいるが、残った上半分は正しく来間直子の顔だ。その巨躯を成している足は人間の手足を出鱈目に付けたもので、巨大な蜘蛛のようにも見える。先程、覚えた違和感に航汰は思い至る。あの人数の死体にしては、パーツが足りていなかったのだと。
「う、うぁ……ぁああああ……っ!」
目の前の現実をただ認めたくない航汰は、放課後の来間を思い出す。「ごめんね」と言いながら逃げ場所を作ってくれていたこと、「内緒」と言いながら飴をくれたこと。そのもらった飴は、まだポケットの中にあること。しかし、それら全てをぶち壊してその異形の無感動な表情が入り込んでくる。それをどうしても、認めたくない、認められない航汰は、ただひたすら自分の頭を叩いて「これは夢だ」と言い聞かせるのだった。