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極刑を望む

俺は死刑を望んでいた。それだけ非道な強姦と殺人を犯したという自覚があり、どこかの姑息な凶悪犯のように見苦しく無罪を主張せず、きっぱり罪を認めた。が、人道的とかいう理由で、死刑反対論が横行し、俺の裁判にまで、自称人道主義者が死刑反対と叫び、強盗強姦十数件、殺人八件、犠牲者十名以上の凶悪犯の俺に死刑の求刑は出ず、無期懲役になった。
被害者家族の中には、俺の刑が軽すぎると検察に控訴を希望していた者もいたが、死刑反対論者とマスコミが、死刑廃止は世界的な流れだと騒ぐ中での控訴は難しく、俺が刑務所に収監された一年後、幾度の国会審議を経て、死刑が完全に廃止された。そうして、俺は刑務所の住人となった。無期懲役とはいえ、一定期間が経過したら、行政庁の判断により、受刑者を釈放することができるので、一生、塀の中と決まった訳ではない。だが、刑務所の暮らしというものは楽ではなく、一年もいれば、うんざりしてくる。
なぜ、死刑にしてくれなかったかと、恨み言をつづった手紙を新聞社などに送り、死刑反対論者へ訴え続けた。死を待った。それ以外、刑務所の中では希望はない。例え釈放されても、外の世界は俺を待たずにどんどん変わっていくはずである。俺はおっさんであり、ビデオテープがDVDに、携帯がスマートフォンに変化していくのを見ている。もし、最短で釈放されても、俺が重犯罪者だったという記録は消えないだろうし、人道的に生かされても、素晴らしい未来が待っているとは思えない。
そして、俺は三十数年後、ほとんど老人になった頃、外に出たが、知人もいない街の変わりようについていけず、挙句、被害者の亡霊に悩まされて自殺した。

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