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目が合った。

春先、桜咲く卒業式などが似合う季節、いつもの通勤途中の交差点で信号待ちをしていたとき、近くの電柱の根元に大量のお菓子や花がおかれているのに気付いた。手向けの品々であることはすぐに分かった。そして、そのそばに立つ、制服姿の女子校生と目が合ってしまった。その次の瞬間には両肩にズンと重みがかかった。
観測し認識する者がいなければ、それは存在していないのも同じである。その代表例が、幽霊だろう。そこに幽霊がいると見えていなければ、存在しないのと変わらない。
つまり、俺が、その子を見なければ、その子はいないも同然だったが、俺には見えてしまうし、他の人には見えない、いつものことだ。霊につかれると肩が重くなるというが、それも当然で、幽霊は人の肩に肩車のように勝手に乗るのである。どうも、目が合う、認識するというのが引き金で、俺は幽霊を引き寄せてしまう体質らしい。だから、俺は、女子校生を肩車したまま、会社に向かった。肩が重い。幽霊だから肉体はないので重さはないはずなのだが、それがいると認識することで重さも意識してしまうようだ。
だが、今回は、まだいい。肥満体の中年おばちゃんと目が合うこともあるし、老人やおっさんなど、幽霊は様々だ。
ま、しばらくすれば離れるだろう。幽霊にとって、自分の死んだ場所が一番居心地がいいらしく、すぐにそこに戻っていくのである。肩がこるのを我慢して、仕事だ、仕事。社会人である以上、幽霊につかれたくらいで仕事を休むなどということはできない。
俺の肩に乗った女子校生は、物珍しそうに俺の職場を眺めていた。死んで日が浅く、あの場から動けず退屈していたのだろう。たまに、俺と同じように霊の見える人が、ギョッとするときがあるが、たまに親切に幽霊につかれていると教えてくれる人もいるが、大抵は、無用のトラブルを避けて黙っている場合が多い。もし目が合って、それを自分に引き寄せかねないからだ。
そうして、一日が終わり、俺は女子校生を肩車したまま帰宅しようとしていた。あの交差点を再び通った時、彼女がもとの場所に戻るのを期待したが、無駄だった。が、桜の街路樹のそばを通ったとき、肩の女子校生は手を伸ばして、その桜の枝に触れようとしたが、幽霊なので触れられず落胆の表情を見せた瞬間、スッと肩から消えた。
桜の花に触れられなくて、自分の死を認識し、成仏したかと俺は思った。
そして、翌朝、あの交差点で、あの子とまた目が合ってしまった。
その子のこの世の未練を断ち切り、成仏させるまで、しばらく俺は彼女と目を合わせるループを繰り返していた。

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