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大往生

その老人は毎日家族のアルバムを眺めていた。
だが、家族が見舞いに来るとそのアルバムを隠し、笑顔で家族の見舞を受けていた。だが、その老人ホームの職員も、その老人も気づいていた。見舞いに来る家族の顔ぶれが、定期的に変わっていることを。金で雇われたらしい子供や孫の振りをした他人であることを老人は十分に承知していた。
痴呆症と診断されて、この老人ホームに入居した当初は、見舞いの顔ぶれが時々変わることに気づかなかった。だが、痴呆症を抑制する新薬の被験者に志願して、痴呆が回復すると、それに気がつき、見舞いのないときはアルバムを見て、本当の家族の顔を思い出していた。
遺産目当てで、老人ホームに放り込んで死ぬまで放置していたと言われないように世間体を気にして、どこかの便利屋に依頼して劇団員らしいひとたちに見舞いの家族役を任せて、来てもらっているらしいと、定期的に顔触れが変わるのはスケジュールの都合だろうと老人は気づいたから、見舞いのないときは家族のアルバムを見て、本物の家族の思い出に浸っていたのだ。
老人は、不快には感じていなかった。他人任せでも、見舞いに他人を派遣しているということは、自分のことを忘れてはいないということだからだ。しかも、彼が、最期危篤になったとき、その病室には、それまで家族の振りして見舞いに来ていた人たちが、心配してこぞって集まり、自分たちが偽家族で見舞いに来ていたと正直に打ち明けて謝罪し、その病室の賑やかさに危篤状態の老人は涙を流して笑顔であの世に逝った。その最期を看取りに来た人たちの中に本物の家族がいたかは、老人のみが知ることで、人生の最期を独り寂しく迎えなかったというのが老人にとって一番大切なことだった。最近流行りの老人の孤独死ではない、みなに看取られての大往生というやつである。

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