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第3話

 なにか引っかかるものがあった。違和感があった。いつもの朝の情景に間違いはないのだが、なにかおかしな感じがしていた。先程制服に着替えてから少年は、部屋の鏡で自分の姿を確認したのだが、そこに映っていたのはまぎれもなく自分の姿だった。
 夜中に目を覚ました際に家族旅行をしていた記憶があり、不思議に思いながら眠りについた。しかし、ふたたび目を覚ました時にもあの悲惨な記憶は厳然と少年の中に存在していて、奇妙なほどの現実感を伴っていた。それでもその記憶を夢だと片づけた。もしあれが現実だとすれば、今自分が見ている光景が現実ではなくなってしまう。そんなことがあり得るのだろうか。
 こちらが夢ということはありえないだろうかと少年は疑ってみた。事故の惨状は少年の精神(こころ)に暗く影を落としている。あの光景を受け入れるのはとてもできそうになかった。そのために、いつもの和やかで平和そのもの情景を自分自身が作り上げて、見ているのではないだろうか。多くの人たちは、見たいと欲する現実しか見ていない、という言葉を昔の誰かが言っていたのをなにかの本で読んだ記憶あった。それに、この光景を疑いの目を持って見ている。この疑っているのも自分自身だった。その意識はたしかに存在しており、疑いを差し挟む余地がない。だとしたら、やはりこちらが現実ではないのか。
 記憶の断片は迷路のように複雑に絡み合っていて、容易に結論を下せなかった。しかし、こちらを現実として、事故の記憶を夢だろうと片づけるほうが受け入れやすかった。
 少年は結論を下した。
 今自分の意識はたしかにここにある。あるのならば、この光景を偽りのモノだとするのは自然ではない。事故現場の記憶もたしかにある。しかしそれは、あまりにも衝撃的でとても受け入れられないからこそ鮮明に思い出せるのだ、と。あれは夢に間違いない。そう考えたほうが精神的な負担もなくなり、疲弊もしない。
 大丈夫、それでいい、あれは夢だったんだ、少年は大きく頷いた。
 席に戻った少年は、トーストを食べ、紅茶を飲むと、歯を磨くために洗面所に向かった。鏡には自分の姿が映っている。顔を洗い終えふたたび鏡を覗き込んだ。やはり同じく自分の姿が映っていた。
 少年は歯を磨き終えると弁当を鞄に入れ、ダイニングにいる大切な三人の家族に声をかけた。行ってきます、と。
 玄関まで歩いて行って、そこに置いてある姿見の中の自分を少年はしっかりと見つめた。やはりいつもと変わらない自分がそこにいた。両腕と両脚も問題なくある。どこかを怪我したりしていないか確認してみたが、切り傷どころが擦り傷一つなかった。
 自分はなんて疑り深いのか。先刻(さっき)これは現実だと決めたばかりじゃないか。
 少年はやれやれとでも言いたげに顔を振った。鏡の中の自分も顔を振っていた。救いようがないなと自嘲気味に笑うと、少年は靴を履いて玄関を開けて外へ出た。

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