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6-7 逢瀬

「なるほど。とうに諦めていたこの子に発現するとはな……。やはり奥が深い」
 
 昏睡を続ける星弥(せいや)の側まで来て、その顔をしげしげと見つめながら詮充郎(せんじゅうろう)は笑った。
 
「お祖父様、星弥は──」
 
周防(すおう)よ、そちらの相棒が(ぬえ)化する条件はなんだったかな?」
 
 皓矢(こうや)を無視して(はるか)に向き直った詮充郎は、半ば試すように話しかける。
 
「それは、ライが精神的に、あるいは肉体的に大きな衝撃を受けた時に……」
 
「そうだな、まあ、間違ってはいない。星弥にも同じことが起こったのだろうよ」
 
 永の答えに満足げに頷いた後、込み上げる喜びに肩を震わせながら詮充郎は続けた。
 
「星弥はお前達をお友達と言った。「お友達」を欺いて私に会わせた精神的ストレス、ここで鵺の遺骸を目の当たりにし、(ただ)の運命を知った衝撃……」
 
「まさか……」
 
 蕾生(らいお)から信じられない気持ちが口をついて出る。そんな蕾生に詮充郎はニヤリと笑いかけた。
 
「条件が揃っているだろう?」
 
銀騎(しらき)さんは、やっぱり……」
 
 その結論に先に辿り着いていた永は絶望感のままに呟く。
 
「お祖父様、それ以上は──」
 
 皓矢が大声で阻止しようとするも叶わず、詮充郎は高らかに謳うように恍惚な笑みとともに言い上げた。
 
「そう、星弥は鵺化しようとしている!素晴らしい!ついに私は鵺を作り出すことに王手をかけたのだ!」
 
「こ、の──」
 
 蕾生は言い知れない怒りを感じていた。孫として育ててきたものに対する仕打ちにしても、その孫が人でなくなろうとしていることを喜ぶのも。目の前の老人の全てが不快だった。
 
「なんてこと……お兄様はご存知だったんですか!?」
 
 鈴心(すずね)が責めるように問いただすと、皓矢は苦々しげに歯を食いしばった。
 
「ああ……。だからなんとしても星弥は目覚めさせなければならない」
 
 その言葉を聞いた詮充郎は烈火の如く怒り叫ぶ。
 
「馬鹿を言うな、皓矢!この子はその為に生まれた子だ!実験は成功しようとしているのに!」
 
「お祖父様!星弥の実験は凍結したはずです!この子には普通の人生を送る権利がある!」
 
 食い下がる皓矢にますます怒りを増して詮充郎は興奮しながら言い放つ。
 
「では、その凍結を今ここで解除する。ウラノス計画は再び動き出すのだ!」
 
「お願いします!星弥だけは見逃してください!萱獅子刀(かんじしとう)を使わせてください、因子の沈静化を図るんです!」
 
 皓矢の言葉は詮充郎にとっては醜態以外の何者でもない。そんな皓矢に向けて大きく息を吐いた後、詮充郎はまた机に戻りながら冷たく言った。
 
「……あまり失望させるな、皓矢よ。そもそもあのレプリカは鵺化を促すためのものだ。逆の用途に使うなど言語道断!」
 
 そうして机のボタンを押しながら怒りに任せて叫ぶ様は鬼のようで、それまで必ず余裕を垣間見せていた詮充郎はもうどこにもいなかった。
 
「ついにこれを使う時が来たのだ……」
 
 後ろに現れた棚から萱獅子刀を取り出し、その刀身を引き抜く。鈍く光る刃には非情な鬼の姿が映っていた。
 
「力を持たないお前が使えるのか?それは呪具なんだろ?」
 
 時間を稼ぐつもりで永が尋ねると、詮充郎は常軌を逸した笑みで机の引き出しから白く光る何かを取り出して見せた。
 
「案ずるな。私にはこれがある」
 
 その手にあったのは小ぶりの乳白色の石のついたアクセサリーのようだった。青白い線が光るその石の周りは異国風の蝶のようなモチーフで飾られている。
 その姿を見た瞬間、鈴心は肩を震わせて激しく動揺した。だが、詮充郎の狂ったように怒り喜ぶ様に気をとられていたのでそれに気づく者は誰もいなかった。

「それは?」
 
 冷静に永が問えば、自尊心の塊である詮充郎は得意げに説明する。
 
「銀騎家に代々伝わる家宝、幽爪珠(ゆうそうじゅ)──その成れの果てだ。これには我が息子がこめた術式が施されている。私でも扱える、な」
 
「そんなことが?考えられない、呪力なしに発現する術なんて──」
 
「皓矢よ、お前の父は偉大な陰陽師だったのだ。その血を引いているお前が、小娘一人の命乞いなど恥を知れっ!」
 
 もはや詮充郎は妄執的な感情に囚われており、皓矢の言葉など耳に入っていなかった。
 
「お祖父様──」
 
「皓矢、結界を張りなさい。これから偉大なる鵺が顕現する」
 
「お願いします、お祖父様……。星弥を、星弥を──」
 
 諦められない皓矢はそれでも祖父に懇願を続ける。悲痛な声が部屋中に響く。
 
「この腑抜け者めが」
 
 それを煩わしそうに顔を歪め、舌打ちとともに詮充郎は部下へと目配せをした。
 
「──承知致しました」
 
 入口付近で控えていた佐藤は短い返事とともになんの前振りもなく、素人の永や蕾生にもわかるような堅牢な結界を部屋中に張った。
 
「佐藤さん、あなたは──何者なんですか!?」
 
 皓矢すらも初めて見たのだろう、驚いて言えば佐藤は無表情のまま静かに答える。
 
「わたくしは博士の忠実なる僕でございます」
 
 やはり只者ではなかった、と永は心の中で舌打ちする。前回に会った時はもちろん、説明会で初めて見た時もどこか異質な雰囲気を感じていたのに。だが、今はそれを悔やんでいる時間はない。
 
「さあ、始めよう!鵺との逢瀬を!」

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