第9話 罪
ベンチに座ったまま、
「
「戦……勝ったのか?」
「ボロ負けだったよ。彼は高い地位に昇って調子に乗ってたんだ。戴いた皇子も討たれ、いよいよ切腹するしかなくなった」
自嘲気味に薄く笑った後、永はさらに続ける。
「けれどその前に妻と幼い子どもを逃す必要があった。妻子だけを野山に放り出す訳にいかない。彼は最も信頼している部下の
蕾生はその当時の雷郷に思いを馳せる。今の自分でもそうなったら嫌がるだろう。死ぬ時こそ永の側にいたい。けれど信頼にも応えたい。そんな心情が手に取るようにわかる感覚は初めてだった。
「これで心残りもなくなって──リンを伴って死出の旅路へ、と思った矢先に逃したはずの部下が一人血相を変えて戻ってきた」
一息吐きながら話す永、それに聞き入りながら蕾生の手を優しく握っている鈴心。そんな二人の間で蕾生は当時の光景が目の前に現れるような感覚がしていた。
「部下は雷郷と妻子が追手に見つかったって慌ててた。治親は特に気にしなかった。雷郷だったら追手くらい返り討ちにするはずだから。けれど、どうも様子がおかしい。とにかくこの場は妻子を追って欲しいと言う。仕方なくリンと二人で雷郷の後を追った。──彼らは驚くほど近くの森の入口にいた」
「何があったんだ?」
蕾生が続きを促すが、永は辛い過去を語るために少し躊躇した。そして言葉を探すようにゆっくりと思い出しながら語る。
「まず目に飛び込んできたのは妻と子どもが血を流して倒れた姿。それから妻子よりも無惨な姿で横たわる敵方の追手達。そしてその傍で雷郷は身を屈めて小刻みに震えていた。彼からはおよそ想像もできないほど低い声で唸ってもいた」
「──!」
「全身に刀傷を負って、血まみれになりながら、雷郷は涙を流し苦しみながら唸り続ける。治親とリンがその姿に圧倒されていると、どこからか黒雲が降りてきて、雷郷の身体を包んだ」
そこまで話すと、永は深く息を吸って肩で大きく吐いた後、目を閉じてその日の光景を語る。
「その時間は長く感じられたけれど、一瞬だったのかもしれない。黒雲が引いた先には雷郷の姿はなく、代わりに化け物がいた。頭が猿、胴体は猪、尾は蛇、手足は虎──かつて治親が討伐した、あの時の鵺がそこにいたんだ」
蕾生が思わず唾を飲むと、
「最初はとても信じられませんでした。雷郷は突然現れた鵺に喰われたんだと思ったんです。でも、目の前の鵺の前足に、雷郷がいつも身につけていた数珠が……」
「それで治親は悟ったんだ。雷郷は鵺の返り血を沢山浴びていた。そのせいで鵺に乗っ取られたんだろう、って」
「それで、どうしたんだ?」
永の言葉を受けた蕾生の問いに、鈴心が自分を責めるような口調で答えた。
「治親様は武家の棟梁ですが、文官に近い仕事をなさっていたので、純粋な武力では雷郷の足元にも及びません。何より私達はとても動揺していました。何が起こっているのか理解が追いつかなかったんです」
また、永も悔やむように続ける。
「事態は一瞬の出来事だった。治親もリンも暴れ狂う鵺に致命傷を与えられた。でも雷郷をこのまま放っておく訳にはいかない。彼を鵺にしてしまったのは治親の罪だ。だからせめてこの手で止めてやらないと、一緒に連れて行かないと──必死でくらいついて、鵺に止めを刺した」
鵺の断末魔の叫びが聞こえた気がした。同時に二人の慟哭も。
壮絶な出来事を語った後、永も鈴心も少し黙っていた。
「その後は暗転です。私達の意識はそこで途切れました」
「次に気がついたら、数十年経っていて、しかも子どもだった──という訳」
眉を八の字に曲げて、永が少し笑った。
「それが、最初の転生?」
「自分が転生したんだとわかったのは、その生が終わる直前だった。その後も転生を繰り返して──何回か経験していくうちに少しずつシステムみたいなものが分かり始めて、今に至る」
これがずっと知りたかった最初の出来事。以前に聞いた時より生々しいことは当然だった。
そのせいなのかはわからないが、蕾生には当時の状況をありありと思い浮かべることができた。はっきりとした記憶が蘇った訳ではないが、実感を持って想像できる。
だからこそ、永と鈴心が辿ってきた長い時間を今まざまざと感じるに至った。
「何度も、何度も、九百年間……」
何十回も殺し殺され、それはまさに生き地獄ではないか。
「いたずらに過ごしてきたつもりはないんですが、未だわからないことばかりなんです」
蕾生の気持ちを汲み取って、鈴心も永も何でもない事のように、あえて淡々と語った。
「そうだね。ライくんだけが鵺に変化するのは何故か。君が一番多く返り血を浴びたからだっていうのは、僕とリンがこれまでから考察した理由に過ぎないし。一番最初に鵺が雷郷を使って復活したのだとして、僕とリンを殺しただけでは飽き足らず、何度も転生させてそれを繰り返す理由も、まだわからない」
そうして、肩でもう一度大きく息を吐いて結んだ。
「とにかく僕らは生まれ変わる度に、君を鵺に変化させないことを第一目的としてやってきた。鵺にならなければ、もしかして僕らはもう少し長く生きられるかもしれないと思ってね」