第8話 お花畑
建物から出ると辺りは少し暗くなりつつあった。役所で鳴らす夕方のチャイムが遠くで響いている。
その一部始終を苦々しく眺めていた永に、星弥が遠慮がちに話しかける。
「あの……今日は本当にごめんなさい。こんなことになるとは思わなくて」
「へえ? じゃあ、君はどうするつもりで今日をセッティングしたのかな?」
棘だらけの言葉尻を甘んじて受け止める星弥の口調は、自然と弱々しくなっていた。
「わたし、お祖父様があんなに感情的になるとは思ってなくて。今日みたいなお祖父様は初めて見たし……」
「ふうん、もっと建設的な話し合いができると思ってたんだ? やっぱり君はわかってなかった。これが現実だよ、綺麗事じゃ片付けられない」
「……」
辛辣な永の言葉に押し黙ってしまった星弥に、一切の温情をかけずに永は更に追い詰めるような物言いをした。
「所詮はお花畑の中の考えだったね。ジジイのことも、僕らのことも、君が君の都合のいいように解釈してたんだよ」
「──」
それでも星弥は真摯に永の言葉を受け止めている。先程までは泣きそうな顔で必死になっていた様子だったのに、今はそんな素振りを見せずに祖父の分まで非礼を詫びるように、永の怒りを黙って聞いていた。
「ハル様、お怒りはもっともですがその辺で。結果論ではありますが、
「まあ、そうだけど。まだ明らかにすべきではなかったことが一気に出てしまった。今、僕らが生きているのは奇跡だって言っていい」
それは、確かにそうだ。蕾生にはあの時──本当の意味での呪いの運命を聞かされた時、の記憶が曖昧だったけれど、体中が何かに騒ついていた感覚だけは覚えている。
自分が自分でなくなるような恐ろしい感覚。それを永と鈴心の温もりが、星弥の純粋な言葉が取り払ってくれた。
「口を挟んで申し訳ないけど、お祖父様の研究室は核シェルター並でね。万が一彼が
皓矢がしれっと言う。妹への怒りを自分に向けるように。
その目論見通り、永は皓矢を物凄い形相で睨みつけた。
「お祖父様も僕も、最悪、鵺化した彼に殺される覚悟はしていたよ。星弥諸共ね」
「黙れ、クソガキ」
どうせ口だけの殊勝な態度だと永は切り捨てる。
だが、言葉通りに受け取った星弥はショックを隠せずに呟いた。
「わたし、本当に何もわかってなかった……」
この場において、丸く収める言葉を言える者はいなかった。自然と沈黙に包まれる。
少しの間の後、それを破ったのは蕾生だった。
「永」
「どうした、ライくん? まだ気分悪い?」
呼ばれて振り返った永の顔はいつもと同じで優しかった。
「いや……お前が今まで言わずにいたこと、全部話してくんねえか」
「……」
その優しさに、今まで甘え過ぎていたのかもしれない。
「もう、隠す必要もないだろ」
だから、これからは全てを分け合いたい。そんな気持ちを込めると、永もそれを理解したように頷いた。
「……そうだね、君はきちんと自分の運命を知る権利と義務がある」
「ああ」
大丈夫だ。心の準備はできた。
「わかった。もう薄暗いけど、家は──危険かな、公園でもいい?」
蕾生が頷いたのと同時に皓矢は右手を微かに動かしたが、めざとい永に見つかった。
「おい、密偵なんか放ってみろ。この場で殺す」
永の敵意も可愛い虚勢だととっている皓矢は、苦笑しながら右手を下ろした。
「君に殺されるほどヤワではないけど。わかったよ」
皓矢を少し気にした後、鈴心も永に駆け寄る。
「私も参ります」
「もちろん」
永がにっこり笑って答えると、鈴心は遠慮がちに星弥の方を向いて言った。
「星弥は家で待っていてください、ね?」
「うん。わたしはどう考えても邪魔だから」
一歩引いて遠慮した星弥に、蕾生はやっと声をかける気持ちになった。
「──
「?」
「今日のことは気にしなくていい。俺は、大丈夫だから」
「──ありがとう」
そこでやっと少し笑った星弥の瞳が潤んでいるのを蕾生は見た。
今日のことは誰が悪いとか、許す許さないの話ではないのだと。全ては運命に翻弄された結果なのだと、蕾生は実感したのだった。
◆ ◆ ◆
星弥達と別れた後、永、蕾生、鈴心の三人は無言のまま少し歩いて、銀騎研究所からすぐ隣の公園の敷地にたどり着いた。先頭を歩いていた永はベンチがある場所で止まる。
そこは以前に蕾生が初めて鵺の呪いの話を聞いた場所だった。
「ライくん、座って。どうかリラックスして聞いて欲しいんだ」
先にベンチに腰掛けた永は優しい口調で隣に座るよう促す。
「永は、いつも過去のことを話す時はそう言うな。その理由ってもしかして──」
座りながらそう尋ねると、永は頷いて答えた。
「うん、そうだね。君が鵺化してしまう条件について確かなことはわかってないんだけど、君が精神的もしくは肉体的に大きな衝撃を受けた時が一番危険なんだ」
「そうか……」
蕾生が先程の詮充郎とのやり取りで受けた衝撃を思い出していると、続けて鈴心が隣に座りその手を取った。
「ライ、今からする話は現在の貴方とは関係のない話だと思って聞きなさい。それも難しいでしょうけど、あまり深刻に捉えてしまうと……」
「な、なんだよ……」
蕾生の手をきゅっと握る鈴心の手はとても小さかったが、なんだか姉のような温もりがあり、蕾生は少し照れ臭くなった。
「うん。これは遠い昔の話だ。童話でも聞くつもりで聞いて欲しい」
「わかった」
そうして永も少し口調を明るくして語り始める。
鵺に呪われた、あの日のことを──