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2.「ど、どぼして……?」



「はぁ、母上はどうしてああも僕に構うのだろうか。いや、別に嫌という訳ではないのだけど……流石にちょっと……」

エリムは大きく溜め息を吐くと廊下を歩きだす。すると、曲がり角で誰かとぶつかってしまった。

「おっと、これは失礼」

そう言いながらエリムはぶつかった相手に頭を下げる。そんな彼に相手から声が掛かった。

「あら、もしかしてエリム様ではありませんか?」

顔を上げるとそこには美しい女性が立っていたのである。彼女は金髪碧眼でその容姿はエルフの姫と言われても信じられる程に美しかった。
実際にはエルフの王族は母であるプリムラとエリムしかいないので、そんな訳はないのだが。
というか彼女を何処かで見かけた事があるような気が……

「貴女は……ラティファ様?」

そうだ。彼女はつい先ほど母プリムラから見せられた写真の中の一人、ラティファという人物ではないか。
大貴族スプール家の令嬢で家柄も容姿も申し分のないエルフのお嬢様である。
写真で見ても美しい女性だったが、実物はより麗しい美女であった。
……母、プリムラには却下されてしまった御人ではあるが。

「はい、ラティファです。こうしてお会いするのは初めてですね」

そう言ってエリムにニコリと笑いかけるラティファ。
──この世界に産まれ落ちてから、エリムは城の上層部から出た事が無かった。
玉座の間すら今日初めて足を踏み入れたのだ。王族の居住空間から出たことがないエリムは世話係のエルフの侍女、宰相、そして母以外の人物を目にした事がない。
半分軟禁状態に在ったエリムだが、成人した今日初めて居住空間から出たのだ。
故に知り合いなどいないのだが、幸いにも彼女は先程写真で見せられたから知っている。

「初めまして、エリム様。私スプール公爵家の嫡女ラティファと申します」

スカートの端を摘みながら頭を下げるラティファ。
洗練された動きの中に優雅さと気品を感じさせる。そんな彼女の所作にエリムは無意識に見惚れてしまった。
しかし、何故だが分からないが彼女は自分の事を知っているようだ。今まで外に出た事がない自分の事を何故知っているのだろうか?
疑問符を浮かべるエリムにラティファはクスクスと笑みを漏らし、そして口を開く。

「貴方様を知らぬエルフはいませんわ。なんだってこの国唯一の男性の王族なんですもの」

彼女の言葉にエリムは虚を突かれた。
自分はそんなにも有名なのか?いや、王族だから有名なのかもしれないがそれにしても自分を知らぬエルフはいないとは予想外だ。
そんなにもエルフの男というのは貴重な存在なのだろうか…。

エリムがそんな事を考えていると、彼女は一歩彼に歩み寄り、そして少し恥ずかしそうに頰を染めながら言葉を続けた。

「この森林国にはそれはもう美しい王子様がいる……その噂は貴族から民草にまで浸透しております。なんでも天使の如く可憐で、どんな美麗な芸術品も彼の前では陳腐な偽物に成り下がり、あまりの美貌に息をするのも忘れる程なんだとか」
「……」

その言葉にエリムは言葉を詰まらせる。確かに自分の容姿が整っているという自覚はあった。
しかしなんだその噂は。誰がそんな恥ずかしい噂を流したんだ。

「女王陛下が周囲にそう言い触らしているのでこの国では王子……エリム様を知らぬ者はいませんわ」

あのババァ……。エリムは知らず拳を握り締めていた。
自分を愛してくれる事は嬉しいが、そこまでいくと狂気の沙汰である。
エリムはドン引きすると共に自分の噂が国中に広まっている事に羞恥心を感じていた。

「私も貴方様にお会いするのは初めてですが……噂以上にお美しい方でございますね……」
「はぁ……」

ラティファはそう言うとエリムと距離を詰め、彼の顔を見上げる。
そしてエリムに密着する程の距離で……というか密着して顔を赤らめさせた。

「あのぅ」
「なにか?」
「その、距離が近すぎませんか?」
「そうですか?まだまだ遠すぎですわ」

むにゅりと。ラティファの胸部がエリムの腕に押し付けられる。

「あのぅ」
「なにか?」
「その、貴女様の胸が僕の腕に当たってしまっておりますが」
「わざと当てているのです」
「そうですか……」

もうエリムは何も考える事を止め、されるがままにするのであった。

「ふふふ……しかし噂通りエリム様は女性に大変お優しい方なのですね」
「?」

ラティファはエリムにぴったりと密着したままそう言った。その言葉の意味が分からずエリムは首を傾げる。

「だって男というのは普通、女を怖がるものですから。こんなに詰め寄られたら発狂してもおかしくないというのに、貴方様はこうして私を抱き締め返して下さる……」

ラティファはエリムに抱き付くように彼の左腕に手を回す。そしてうっとりとした表情で彼を見つめた。
確かにエリムは前世の記憶があるからか、女性に対して忌避感がないのは事実だ。
……しかし決してラティファを抱き締め返してない。彼女は一体何を言っているのだろうか。

「流石私の夫となる御方ですね……♡」
「は?」

夫?今、自分の事を夫と言ったのか? エリムが彼女の言葉の意味を理解する前にラティファは動いた。彼女は彼の耳元まで顔を近づけると、艶めかしい声で囁く。

「さぁ、寝室に参りましょう♡」

その瞬間、エリムの腹部に凄まじい衝撃が奔った。

「ごふっ……!?」

エリムの体がくの字に折れ曲がる。見ると、ラティファの拳が自身の腹に突き刺さっていた。

「な……な…に?」

激痛と共にエリムはその場に膝をつく。

「ふふふ……夫となる御方にこんな真似はしたくありませんが、これも仕方ありません」

薄れゆく意識の中、エリムは彼女の姿を目にする。
ラティファは瞳にハートマークを浮かべ、頰を赤く染め、息荒くはぁはぁと興奮している。
その姿はまさに発情した獣であった。

「ど、どぼして……?」

エリムは最後の力を振り絞って彼女に問いかける。
ラティファは恍惚とした表情でエリムを見つめながら、その細い指を自身の胸に当てると……

「だって、夫婦とは愛し合うものですから♡」

そう言ってニッコリと笑った。
その笑顔を見てエリムは悟った。

この世界は地獄だ……と。



♢   ♢   ♢



倒れ伏すエリムを見下ろし、ラティファは満足げに微笑む。

「ふふ……まさかこんなにも早くエリム様を見つけられるなんて……」

彼女はその場でくるくると回りながら歌うように言葉を紡ぐ。
幻の王子・エリム。この王城の何処かにいるとされていた王族の男性。成人になるまで女王プリムラが外に出さず、外界から守られていた存在。
噂(プリムラ発)では男神に匹敵する程の美貌を持ち、天使の如き可愛さの|本物《マジ》の王子様。
あの化け物ババァ……ではなく、壮麗なるプリムラ女王が秘匿する(出来てない)くらいの人物だ。
そんなお伽話のような王子にラティファは恋い焦がれていたのだ。

そして僥倖にもこうして城の廊下で彼に会えた。

ラティファはエリムを一目見た瞬間に彼が本物である事を理解した。そして女王プリムラの言っている事が本当である事も。
見目麗しい外見が多いエルフですら、彼の美貌の前では霞むだろう。そう思わせる程の美貌を持つ彼。
ラティファは気絶するエリムにニコリと笑いかけると、エルフの体をヒョイっと持ち上げお姫様抱っこで運ぶのであった。

「あぁ、エリム様……なんて可愛らしい……」

それに何と言っても騎士団の副団長であるラティファを見ても怯えずに普通に話し掛けてくれる礼儀正しい方。
そしてこうして頬擦りして嫌な顔一つせずにラティファのされるがままになっている。(なお彼は気絶中である)
こんな愛らしい存在、世界広しといえどエリム様だけであろう。

「これからゆっくりたっぷりとエリム様との愛を育んでいきましょうね♡」

ラティファはエリムの寝顔を見ながら、自身の唇をペロリと舐めとる。それはまるで恋する乙女の表情であった。

目論見通りだった。成人した彼はきっと居住空間の外に出てくると踏んでいたが、まさかこんなに早く会えるとは思ってもみなかった。
彼を狙う女共は大量に存在する。だからこそラティファはエリムをいち早く見つけ、確保しようとしたのだがこうも上手くいくとは思っていなかった。
ラティファはエリムの頰に自身の頰をくっつける。そしてスリスリと嬉しそうに擦り付けた。

「あぁ……この香り♡なんて甘美なのでしょう♡」

匂いだけで胸がキュンとする。
彼は天性の女殺しであった。そんな男を自分の家に連れ帰り、自分だけの物にする。それがラティファの計画だ。

「さぁ、私達の愛の巣に行きましょう。お母様が用意してくれた豪邸です。そこでたっぷりと愛し合いましょうね♡永遠に……」

ラティファは彼を抱き上げたまま、城の外に向かって歩き出した。
だが、暫く歩いた所でピタリとその足を止めた。

「……?」

廊下の奥から何かの気配を感じる……。
騎士団の副団長という猛者であるラティファだからこそ感じるその殺気は、ゆっくりとこちらに近付いてきた。
そして暗闇から一人の女性が現れる。それは彼女がよく知る人物で、だからこそ彼女はその人物に一瞬気を許してしまったのだ。

「あら、貴女もいらっしゃったのですね。貴女の言う通りにしたら、こうしてエリム様を手に入れ……ッッッ!?」

ラティファの言葉は最後まで紡がれる事はなかった。何故なら彼女の腹部に鋭い痛みが奔ったからだ。

「な、に……?」

ラティファは目の前の人物を信じられない物を見るような目で見る。
その人物の拳が、自らの腹部に突き刺さっていた。

──何故、彼女が自分を……?

そう思ったのも一瞬。ラティファはすぐに意識を手放した。
その人物は倒れ伏すラティファからエリムを奪うようにして抱き上げると、小さく笑みを零す。

「ふふふ……」

その人物はエリムを抱いたまま、暗闇に身を溶かすようにして消え去るのであった……。

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