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1.「貴方のお見合い写真ですよ、エリム」

自分には前世の記憶がある──
そう認識したのは何時だっただろうか。最初からだったような気もするし、今この瞬間だったような気さえする。
ただ漠然としていた自分の自意識は、瞬く間に前世で生きていた青年の魂のものに上書きされ、今の自分は彼と同一になった。
その自覚と前後して、自分が前世の記憶を持っていることの意味を理解できたし、それがどういう意味を持つのかも把握した。
ただまぁ、それを周囲に話すことはなかったのだけれど。

「エリム様。女王陛下がお呼びで御座います」

一人、部屋にある鏡の前で自問自答していたエリムと呼ばれた青年は女性の声で我に返った。
そうだ、自分はエリム……。少なくともこの世界での名前は確かにそれだ。

そして、この身は人間ではない。鏡に映る自分の姿。そこには耳の長い金髪の美青年がいる。
エリム・アルディハウル……。それが自分の名前であり、この世界のエルフという種族の王族だった。

「うん、すぐに向かいます」

エリムはそう答えてから立ち上がり、鏡に映る自分の姿をもう一度見つめ直す。
前世では人間だった自分がエルフとして生まれ変わったのだ。不思議な気持ちにもなるし、正直どんな顔をしてこの姿を受け入れれば良いのか未だにわからない。
だけど……今の自分がすべきことは理解しているし、それは絶対である。

「行こう」

エリムはそう呟いて、エルフの女王が待つ玉座の間へと向かったのだった。



♢   ♢   ♢



「よくいらっしゃいました」

玉座に座る女王はそう言うと、穏やかな笑みで自分の元にやって来たエルフの青年を迎えた。
その隣には彼女の側近である宰相が立っており、こちらは何やら険しい表情のままエリムを見つめる。

「母上、僕に何か御用でしょうか?」

母。
そう、玉座に座る女性こそがエルフの国の女王であり、エリムの母でもある。
その美貌たるや人間など及びもつかないほどに美しく、正に美の象徴と言うべき存在であった。
金色に輝く長い髪、宝石のような青い瞳。透き通る白い肌はうっすらと薄紅色に染まり、彼女はさながらエルフの伝承にある美の女神のようだとエリムは思っていた。
彼女の血を引いているエリムもまた、そのエルフの美貌を受け継ぐ男であり、整った顔立ちと長く伸びた金髪が特徴的だ。
誰もが見惚れる美男子……。それこそがエリムの容姿であった。

エリムがそう言うと、女王はクスクスと笑みを零した。それはまるで悪戯っ子のような笑みで、エリムに「もうその話し方は必要ないのですよ」と告げる。
宰相の表情はますます険しくなり、エリムも何となく嫌な予感を抱きながらを母の顔を見る。

「母上?」
「今日はあなたの誕生日。ようやく成人になった貴方を皆が待っていますよ」

母……エルフの国の女王プリムラ・アルディハウルはニコリと微笑むと手に持っていた杖を虚空に翳す。
するとどうした事か、何もない空中からポンっと音を立ててバサバサと紙のような物が舞い落ちてきたではないか。
何百枚という紙がまるで雨のように降り注いだのである。これにはエリムも呆気に取られる。
そしてプリムラはそれらの紙を謎の力で操り、エリムに見えるように空中に並べたのだった。

「あの……母上、これは?」

エリムの言葉にプリムラはニコニコと微笑み、そして言った。

「貴方のお見合い写真ですよ、エリム」

お見合い……。
キョトンとするエリムに対し、プリムラは言葉を続ける。

「ついこの間まで赤子だったと思ったら、何時の間にかもう成人。時が経つのは早いですね。貴方を見ると亡くなったあの人を思い出します。……とまぁ、それは置いといて成人したからには義務を果たさねばなりません。王族の義務ではなく、『男』としての義務です」
「男、ですか」
「そうです。貴方も知っての通り、この国……いや、この世界は男が生まれにくいのです。エルフは特にね」

この世界は、というより正確にはこの世界に生きる者達なのだが、何故か男が生まれることが極端に少なかった。
そのせいもあってかエリムが知る前世の価値観とはどこか異なる社会が形成されており、とても奇妙な世界となっていた。

まず、この世界においては男より女の方が肉体が屈強で身体能力も高いのだ。魔力も闘気も身体に馴染まぬ男というのは貧弱であり、戦う存在ではない。
そのせいもあってかこの世界では女性の権力者が多くなりがちであり、女王であるプリムラもその一人だ。
国の政治や軍事を担うのは女性であり、兵士も全て女性……。では男は何をしているのかというと家で子を育てたり、妻や娘と仲睦まじく暮らしているのがほとんどだ。
それが悪いとは言わないが、エリムとしては男として生まれたからには女性を守りたいと思っていた。
しかし、残念ながらこの世界ではその考えは異端のようだ。女が男に求めるのは媚びと優しさであり、男の役割は戦うことではないらしい。

「エリム様。貴方は王族で唯一の男性で御座います。男として生まれたからにはその義務を果たしていただかねば」

母の横に侍る宰相(彼女も見目麗しい乙女の外見である……)がそう言った。
彼女はエルフの女王であるプリムラとその夫、つまりエリムの父親の二人を幼少期から補佐してきた宰相だ。
女王も夫の死後は政務のほとんどを彼女に任せているらしく、実質的に国を動かしているのがこの人物と言っても過言ではなかった。

「(まぁ……言いたい事はわかるんだけどね……)」

エリムは内心で呟く。先程から宰相は『男として生まれた』と言っているが、どうやらこの世界は男であるだけで物凄い価値があるらしい。
前世の記憶を持つエリムとしては違和感が拭えないが、そういう世界だと割り切る他なかった。

「しかし母上、僕はまだ今日成人したばかり。そういった話は早すぎなのでは?」
「何を言いますか。貴方のおちん……いえ、股間に付いているものは既に子を作る能力がある。後はそれを女のおまん……いえ、股間にぶち込めばいいだけなのです」
「……」

思わず言葉を失うエリム。
確かに前世の世界でもそういった時代があったのは知っているが、この世界では男の結婚適齢期は非常に早いらしい。
まだ若い我が子を女の寝室に放り込み、やれ子供は何人欲しいだの、やれ子作りだけしてろだのと男にとっては非常に生きにくい世界だった。
この世界の男は性欲が薄いらしく、皆淡白らしい。反対に女は性欲が強く、暇さえあれば常に男を求める生き物なのだ。

「母上……」
「わかっています。貴方が結婚を拒む気持ちも私にはわかりますよ」
「では?」
「しかし義務を放棄することは許しません」

エリムは肩を落とした。
──本音を言うと、エリムはそこまで嫌な訳ではない。というか普通に嬉しいし、そういう行為にも興味はある。
エリムは前世の記憶に引っ張られている男である。いくらこの世界に生まれた肉体であっても、前世の一般的な男並には性欲もあるし、異性に興味だってある。
ただ、この世界は男の立場が非常に弱いのだ。男は女に付き従い、子作りをしていればいい、といった風潮が蔓延しており、そこにエリムは抵抗を感じていた。
とはいえ……前世の記憶があるとはいえ、今はエルフの王族であり、そしてこの世界の男である。
その義務から逃れられる立場にはない。

「……分かりました」
「流石は私の息子です。ではこの写真の中から一人を選びなさい」

そう言うとプリムラは空中に浮かぶ写真を操り、一枚づつエリムの目の前にまで飛ばした。
そして「まずはこの女性から」と言って、プリムラは写真の女性をエリムの前に押し出す。
その女性は金髪の美しいエルフだった。笑顔が素敵で、優しそうな人だ。

「彼女はラティファ。この国の騎士団の副団長です。スプール公のご息女でもあります」
「スプール公……」

この国の大貴族スプール家の令嬢。なるほど、この美しい容姿も納得だ。
エリムに引けをとらない美少女……。もしかしたら自分と釣り合いがとれるように、こういった容姿の女性を集めたのかもしれない。

「笑顔が素敵な方ですね。それに優しそうだ。この方とならお見合いを拒む理由がありません」

そんなエリムの言葉にプリムラはピクリと眉を動かした。暫しの静寂の後、彼女はゆっくりと口を開く。

「う〜ん……このお嬢さんはなんていうか、"違う"んですよね」
「はい?」
「ちょっと貴方に釣り合ってないというか、そう、このお嬢さんは少し無駄な筋肉が付いているっていうか。スプール公のご息女ということはそれなりに戦えるのでしょうけど……うん、やっぱり違うかな」
「え? いや、あの……」
「という訳でこれは却下。次に行きますよ」

急に饒舌となったプリムラにエリムも動揺する。
だが、彼女の口撃は終わらない。ラティファという女性の写真を押しのけて別の写真が飛来してくる。

「彼女はリリアン。この国の高名な魔導医師の娘で、魔法が使える多才な女性です。エルフの中でもトップクラスの治癒魔法で多くの人々を救ってきました」

写真の中にはエルフ特有の美貌を携えた少女の姿があった。金髪碧眼で、その容姿は美しいの一言だ。

「お綺麗な方ですね」
「気に入りましたか?」
「そう、ですね。この方となら楽しく暮らせると思いますよ。聡明そうな見た目ですし、彼女といると色々な刺激が貰えそうだ」

エリムが言った言葉にプリムラは目を細くし、そして「なるほど」と呟いた。

「でもやっぱりなんか"違う"んですよねぇ。なんだろう、この違和感。言葉には出来ないんですがどうも少しイマイチというか」
「あの……母上?」
「はい次」

次にプリムラが選んで見せたのは、何とも美しい女性だった。
銀色の髪は美しく煌めき、エルフ特有の美貌は神々しさを感じるほどである。
しかし……

「……お綺麗な方ですね。容姿が全てではありませんが、この女性はとても美しい。皆美しい方ばかりですが、その中でも別格というか」
「そうですか?言うほど美人さんじゃないでしょう。女性を傷付けない為にそんな事を言うなんてエリムは優しい子ですね、母として誇らしい」
「いや、でも……」
「はい次」

次にプリムラが選んで見せたのは、何とも可愛らしい女の子だった。
金色の髪はふわふわとしていて触り心地が良さそうで……

「ちょっとこれぶりっ子じゃない? 猫被ってますよ。こういう子って苦手ですね、私。はい次」

次々と写真が飛来するも、その度にプリムラは品評し、次々と写真を後ろに送っていく。
エリムはそんな母の様子をただ呆然と眺めていた。

「はい次。はい次。はい次」

何百枚写真を見ただろうか、流石のエリムもうんざりとしてきた。
だが、プリムラはまだ続けるつもりらしい。次々と写真を飛ばしては捨てていくのだ。

そして何時間か経った頃、写真は残り数枚になっていた。

「うーん。エーちゃんさあ。この子じゃ余りに平凡じゃない?」
「……」
「やっぱり並の女じゃエーちゃんには釣り合わないっていうかさぁ」

何故か最初と口調が変わった母、プリムラ。
彼女は無表情のエリム(エーちゃん)を尻目に一人で女の品評会を開いていた。

「私の解釈だとエーちゃんには100年も生きてないような小娘よりも、もっと人生経験豊富な年上女性がいいと思うわけ。それこそ私のようなね。あ、別に私と結婚しろと言っている訳ではありませんよ?私と貴方は親子なんですもの」
「はぁ」

そりゃそうだ。親子で結婚なんて出来るわけがない。倫理的に……。
よく分からない事を言い出すプリムラにエリムは首を傾げ、彼女の横にいる宰相は呆れたような表情で溜め息を吐いた。
だがそんな二人の様子など気にする事なく、プリムラは最後の一枚をエリムに突き付ける。

「いよいよ最後の一枚ですよ、エリム」

彼女はニコニコと笑みを浮かべながらエリムにその写真を見せ付ける。
最後の一枚に写っていた人物は金色に輝く長い髪、宝石のような青い瞳の美女だ。
透き通る白い肌はうっすらと薄紅色に染まり、彼女はさながらエルフの伝承にある美の女神のようだとエリムは思った。

そう、思った……。

「あの、母上」
「なにか?」
「僕にはこの写真に写ってるのが母上にしか見えないのですが」

エリムの言葉にプリムラは「ん〜……?」と写真をまじまじと見る。すると何かに納得したように「ああ!」と声を上げ、そして……。

「あら、なんで私の写真が混ざってるんですかね?いやですね、私ったら」

うふふ、と自分の頭をポンっと叩くプリムラ。
そして言葉を続けた。

「しかし私が言うのもなんですが今までの小娘達よりも断然この母の方が美しいと思いませんか?」
「え、それは……」
「うん?どう思います?」
「まぁ……はい」
「でしょう!」

エリムの言葉に満足したように笑うプリムラ。すると彼女は立ち上がり、未だに困惑しているエリムに向かって言った。

「よく考えたらエーちゃんに釣り合う美貌を持ち、王族に相応しい家柄なんている訳ありませんよねぇ」

プリムラはカツカツとエリムに歩み寄ると、エリムの肩に手を置きニッコリと笑う。

「あれ?でも貴方の目の前に美貌も家柄も兼ね備えた美しき母がいるじゃない。ん〜?じゃあ何も問題ないのでは?」
「母上、親子で結婚は出来ないと先程……」
「何を言ってるの? 親子が結婚なんて当たり前でしょう」

エリムの言葉に、プリムラは何を言っているんだという表情で応えた。
いや、おかしいだろう……という言葉が出かかったところでエリムは言葉を飲み込む。
彼女が本気で言っている事が分かったからだ。

──忘れていた。そう、彼女は……母は極度の親バカであった。
いや、これは親バカと言うよりもむしろ……。

「(親バカとはちょっと違うな。母上のこの愛情は……)」

プリムラは自分の息子を異常なほど愛している。それこそ、子に向ける愛情にしては過剰だと言わざるを得ないほどに。
そう、それはまるで……恋する乙女が抱くような愛情であった。
プリムラはエリムに熱い眼差しを向けている。少し熱が籠り過ぎているように感じるほどだ。

「はぁ……やはりこうなりましたか」

そんなプリムラの様子に宰相は呆れたように溜め息を吐いた。

「女王陛下がエリム様に向ける視線はキモい……じゃなくて常軌を逸し過ぎている。まさか本気で息子に恋愛感情を抱いているのではないか、と心配になる程です」
「え、キモい?今私のことキモいって言いましたか?」
「気のせいです。しかし女王陛下、お言葉ですが……」

宰相はプリムラに諭すように口を開いた。その表情からは彼女が本気でドン引きしている事が伝わってくる。

「エリム様は成人したてのピチピチの20歳。対して貴女は1000歳を超えるババァ……じゃなくて、ご老人です」
「え、ババァ?今私のことババァって言いましたか?」
「気のせいです、女王陛下。それはおいといて、そもそもプリムラ様とエリム様は親子。結婚など出来る筈もないでしょう」

宰相の言葉に「ん〜?」と首を傾げるプリムラ。
本気で理解してないのかそれとも演技なのかは分からないがとにかく彼女は「そんなの関係ないでしょう」と言ってのけた。

「私はエーちゃんを愛してます。それはもう、目に入れても痛くないほどに愛していますし、エーちゃんのアレを私のアレに入れても痛くない程に愛してます」
「……」

エリムは唖然としながらプリムラを見つめる。その姿はまるで我が子に求愛する母親の姿だ。
いや、この姿を例えるならば……そう、ストーカーか? とにかく彼女は本気だった。本気で息子と結婚しようとしているのだ。
その異常なまでの愛情はエリムの頰を引きつらせるのには十分だった。

「エリム様、この変態の言葉は無視して構いませんので」

宰相は蔑むような視線をプリムラに向ける。だが彼女はどこ吹く風だ。全く気にする様子もなく続けた。

「とにかく私のこの愛は本物なのです!愛とは尊きもの。それは誰であろうと妨げることは出来ないのです!」

そんなプリムラに誰ももう何も言えなかった。

「エリム様。もう退出なさって結構ですよ」
「そうですか、ではお言葉に甘えて僕はこれで失礼します」

宰相の言葉にエリムはペコリと頭を下げた。そして、母の顔を見ずに謁見の間を後にする。

「昔から息子の初めては母が貰うものと決まっているのです。だってそうでしょう?息子に一番最初に性的興奮を覚えさせるのは母親なのですから」
「あ、もう喋らないでいいですよ女王陛下」
「これも母の努めとなればこのプリムラ、息子の為に一肌脱いで……ってあれ?エーちゃん?何処行くのです!?エーちゃん!?」

プリムラの言葉を無視し、エリムはさっさと退出するのであった。

しおり