第25話 別れの時
「ムナール……」
彼の来訪に気が付いたリプカが、顔を上げて彼の名前を呼ぶ。
そんな彼女に柔らかな笑みを向けると、ムナールは拳銃を構えたまま油断なくカルトを睨み付けた。
「武器を捨ててリプカちゃんから離れて。じゃないと、その脳天ぶち抜くよ」
「……先輩が戦闘を得意としないの、オレ、知っていますよ?」
「僕は今気が立っているんだ。簡単に引き金を引く。で、不得意とはいえ、幸運にもキミの急所に当たるかもしれない。……やってみるかい?」
「……そんな、ラッキー感覚で殺されるの嫌なんで。止めときます」
確率は低い。
でもこの人なら、「ラッキー☆何か知らないけど当たっちゃったー♪」とか言って殺されそうで怖い。
そんな最期は嫌だと溜め息を吐くと、カルトは魔力を分散させる事によって刃を消滅させ、大人しくリプカからゆっくりと離れた。
「何やってるんだよ、大人しく殺され掛けてやるなんて。キミらしくもない」
「ムナール、カルトの肩……」
「は、肩?」
リプカにそう指摘され、ムナールは何の事だと眉を顰める。
しかしそれを見た瞬間、ムナールはハッとして目を見開いた。
剥き出しにされたカルトの左肩。
そこにははっきりと、『氷』の文字が浮かび上がっていたのだから。
「もしかして、それは……」
「驚きました? オレは呪われし者、氷の精霊憑きですよ」
「それじゃあ、キミが急に力を手に入れて、D地点の魔物を平気で殺し回ったのも、それが原因かい?」
「そうですよ」
「サイド君を殺したのも?」
「ええ、オレです」
「……魔物が街を襲っているのもキミの仕業か?」
「仕業、ね……いや、発案者はオレじゃない。けど、協力はしています」
「じゃあ、誰だ? 誰がこんな事をした?」
ブワリと、ムナールの纏う雰囲気が変わる。
落ち着いてはいる。
落ち着いてはいるが、その瞳に宿るのは憎しみの色。
大切な者を奪った者を許さないという、殺意の瞳。
「ベイゼ。闇の精霊憑きです」
「闇の、精霊憑き……じゃあ、この街を……僕の大切な仲間や家族を奪ったのは、そいつ……?」
「ああ、レイラ先輩とタウィザー先輩、東区で死んでいましたね。カンパニュラのリーダーって、先輩のお父さんでしたっけ? それから、何度か投げ飛ばされた事のあるシュタルクさんも。みなさん、あんなところで何されてたんです? 天気も良かったですし、ピクニックでもしていたんですか?」
「黙れ!」
嘲るようにスラスラとそう口にするカルトに、ムナールは怒鳴り声を張り上げる。
拳銃を構える手が怒りでカタカタと震え、込み上げて来た涙で視界が霞む。
コイツさえいなければみんなは生きていたかもしれないのに。
ベイゼとやらに加担しなければ、いつも通りの日常が訪れていたかもしれないのに。
それでも何とか冷静を保とうと、ムナールは奥歯を噛み締める事によって、必死に殺意を噛み殺す。
そんなムナールの心境を知っているのかいないのか、カルトは冷たい視線を、ムナールへと向け直した。
「それよりも先輩は、オレが精霊憑きだと知っても驚かないんですね。ああ、そんな事よりもお友達が死んだのがショック過ぎて、頭がイカれちゃったんですか? 別に良くないです? あそこから生きて帰って来ていたとしても、どうせ魔物に殺されちゃ……」
「黙れッ!」
ムナールが再び怒りの声を上げた瞬間、彼ではなくてリプカが動く。
杖の先端を業火で燃え上がらせたまま、カルト目掛けて杖を振り下ろす。
そんな彼女の攻撃を読んでいたのか、咄嗟に取った行動なのか。
カルトは右手を翻す事によってそこに氷の盾を作ると、リプカの攻撃を盾で防いだ。
「っ!?」
しかしその直後、カルトは驚愕に目を見開く。
リプカの攻撃を防いだ氷の盾は、精霊の力が宿った特別製だ。
相反する属性である炎の攻撃など完璧に防ぎ、逆に燃え上がる炎をも氷漬けにする事が出来る……ハズだった。
それなのにどうだ、リプカの炎は。
精霊の力が込められた氷の盾にも関わらず、怯む事なく轟々と燃え上がり、逆に盾を溶かそうとしている。
駄目だ、これは。
このままでは盾は溶かされ、炎がこちら側に貫通してしまう。
その危険を覚ったカルトは慌てて後方に飛び避けると、燃え上がる杖を構えるリプカから間合いを取った。
「何それ。何でオレの氷を貫通して来るの?」
「魔法について、滅茶苦茶勉強したもの。そんな盾くらい簡単に壊せるわよ」
「はあ? 氷の精霊の加護付きの盾だぞ。その辺の炎になんか負けるかよ」
「じゃあ、その辺の炎と一緒にしないでくれる? それに私、今、滅茶苦茶機嫌が悪いの。いつもの百億倍くらいの火力が出せるわよ」
「何だよ、その感情論。現実的じゃないね」
「現に溶かせてるんだから、現実でしょ。それよりもカルト、あんた、私を殺すんでしょ? だったらやってみなさいよ。返り討ちにしてやるわ」
「……別に良いけど、ここでやり合うのは、お前にとって分が悪いんじゃないのか? 酸素がなくなれば炎も消える。この狭い空間じゃあ、どう考えてもオレが勝つよ」
「それは、長期戦になったらの話でしょ。ご心配なく。秒で終わらせれば、私の勝ちよ」
「……」
「……」
両者、睨み合う膠着状態。
このまま膠着状態が続けば、カルトの言う通り、リプカの炎は徐々に燃え上がる事が出来なくなり、カルトの勝利が確定するだろう。
しかしそれでもその膠着状態を破ったのは、カルトの方であった。
「止めとくよ。酸素がなくなれば、オレだって生きていられないからね」
諦めたようにして溜め息を吐くと、カルトは氷の盾を霧散させ、ゆっくりとギルドの出口へと歩いて行く。
そしてその扉を開ける前に、彼は一度足を止めた。
「オレが手を下さなくても、どうせ魔物に襲われて死ぬんだろうけど。でも一応良い事を教えてやるよ。カルディアとローニャは東区のB地点にいる。魔物の餌になっているから、もう原形も留めていないけど。でも興味があるのなら、見に行ったら良い。それから……」
そこで一度言葉を切ってから。
カルトはリプカに背を向けたまま言葉を続けた。
「グランの死体は持ち帰った。アイツらと違って、その辺には捨て置かない」
「は?」
「友達みたいだからな、グランは」
「それってどう……」
「じゃあな、リプカ」
リプカの言葉を遮ってから。
カルトは一度だけ、ゆっくりとリプカを振り返った。
「上手くこの島から脱出する事が出来たら、今度こそちゃんと殺してやるよ」
「ちょっと、カルト!」
しかしどういう事だとリプカが問い質そうとする前に、カルトは扉の向こうへと消えて行く。
そんなカルトの後を追おうとするリプカであったが、それはムナールの声によって憚られた。
「行っちゃ駄目だ!」
「え……?」
何故、と問い掛ける目をムナールへと向ける。
構えていた拳銃を、ゆっくりと下ろしたムナール。
彼はリプカの方は見ずに、視線をそっと下へと落とした。
「外には、出ない方が良い」
「どういう事?」
「みんな、死んだんだ。僕もここに来る前に確認して来たよ。リンちゃんも、その家族も、ギルドに残っていた母さん達もみんな死んでいた。間に合わなかったんだよ。そして……」
フルフルと、ムナールの背中が震える。
彼の声に涙が混じっていたのは、どこからだっただろうか。
「ブロッサムの外に、サイド君の死体が……」
「っ!」
瞬間、ガランとブロッサムの扉が勢いよく開く音がする。
おそらくカルトが連れて来たのだろう。
リプカがどうしても彼らの死を認めなかった場合、彼女にその現実を見せ付けるために。
「……」
ドサリと、ムナールは力なくその場に膝を着く。
扉の向こう側。
リプカが慟哭するのをどこか遠くで聞きながら、ムナールは床へと落ちる自身の涙を、ただ静かに眺めていた。