第4話
「探しに来てくれて、見つけてくれたのは嬉しい。ありがとう、レイヴン」
コスは収容籠の中に大人しく──あるいは諦めを抱いて──入った後で、そういった意味の声で啼いた。
「どういたしまして。心細かっただろう、コス。よくがんばってくれたね」レイヴンはそっと収容籠に触手を触れ言葉を返した。
コスは黙っていた。
レイヴンはマップを広げ、一時記憶角質上の情報に沿って道筋を記して行く。沈黙の中、殻と収容籠は大気分子を押しのけながら浮揚推進して行った。
「──」レイヴンは幾度もサブ触手を使い彼自身の本体を撫で擦らなければならなかった。何故なら、コスが大人しく──或いは諦め切れない何らかの“気持ち”を抱き続けながら──その何らかの気持ちの構成分子をちらほらぱらぱらと周囲に撒き散らして来るからだ。ああ、そうだな。君はそう思っているんだろう、コス。そして他ならぬこのぼくに、その気持ちについて鑑みたり慮ったり、つついて欲しいんだろう。ああまったく、ぼくは一体何をしにこの星へ来てるんだ。わかったよ訊くよ、振るよ。まったく。「あの偶蹄類のレディは美しかったな」
「そうでしょ! ぼくもう一目惚れしちゃってさ!」コスの歓喜と幸福と性的興奮を司る分子たちが、花の雨のように降り注いだ。「彼女いいよね! なかなかお目にかかれないよあんなキュートなひと!」
「ははは、君にとっての初恋か」レイヴンは少し笑ってこの話を終えようとした。
「ぼく、もうここで結婚しようかなって思ってたんだ」だがコスの声に悲哀の要素が入り混じったことで、レイヴンは眉間に皺を寄せなければならなくなったのだ。
ああ、やっぱり言及するんじゃあなかったよ! あのレイヨウの女のことなんて!
「待てよ君、コス。君はここがどこなのか解っているのか?」
「地球でしょ」
「そう、地球だ。そして君、コス、君は結婚というものが、ただ男女二人でいつも一緒に走り回って、並んで草を食べることだとは、思っていないよね?」
「うん、ぼくたちはたくさん仔を産んで、家族になるんだ」
「それは」レイヴンはゆっくりと触手を回し、大きく円を描いた。「ここ地球に、コス、君の遺伝子を遺すということだ。それは何を意味する?」
「地球に新しい種族が生まれる」
「そう。つまり擾乱だ。地球生物の生態系の」
「そんなに大仰に言わなくても」
「言うともさ」
「だってどうせ、ぼくたちの仔は生殖能力を持たずに生まれるんでしょ?」
「わからないさ、そんなことは。断言できるものじゃない」
コスはついに黙り込んだ。
殻と収容籠は静かに浮揚推進をし続ける。
レイヴンには、達成感も、ましてや勝利者気分などというものも、感じられはしなかった。逆に、いやな予感しかしなかった。
「でも、レイヴン」ついにコスがそう呼び掛けた声の放つ分子が、その予感の当たったことを報せた。「ぼくの、幸せに生きる権利は?」
「──」レイヴンの目には、書きかけの地図のみ映っていた。
「ぼくはもう、この地球で生きて行くしかないと思った。それなら、この地球で、ぼくは幸せに生きられる方法を探さなきゃならない。ぼくは間違っている?」
「もちろん君は正しいよ、コス」レイヴンはすぐに答えた。「君には幸せに生きる権利がある」
「じゃあ」
「そしてコス、この地球にも、平和を維持する権利があるんだ」レイヴンは地図を見たままで言った。「誰にも乱されず、壊されない平和の上に存在する権利がね」
「──ぼくの幸せが、地球の平和を壊すの?」
「絶対にそうだというわけではないかも知れない。だけど、可能性はゼロじゃあないんだ」
「──」コスは長い間黙り込んでいた。
殻と収容籠は、静かに進み続けた。
「わかったよ、レイヴン」ついにコスは理解を示した。「ぼくはもう、この星で結婚なんてことは考えないよ」
「ああ」レイヴンは深く安堵した。「ありがとう、コス。わかってくれて」
「ふふふ」コスは少し寂しげに笑い、そして言った。「レイヴンは、地球のことがとても好きなんだね」
「ぐっ」
レイヴンの視界に白い閃光が走り、次の瞬間彼の構成分子は文字通り木っ端微塵に吹き飛んだ。
コスを乗せた収容籠と、レイヴンの粒子を内部に漂わせた殻は、さらに先へと進み続けた。