第5話
月が一つ見える。まん丸に近い形で光っている。活動するなら今のうちだ。
ネコ科動物たちに嗅ぎつけられないよう注意を払いつつ、砂漠を移動する。ネコ科は素早い。あ、こいつこのぼくを仕留めようとしているな、とこちらが気付いた後警戒態勢を取る暇も与えず、食らいついてくる。
とはいえ彼らネコ科動物が、日頃食料としてかぶりついている動物たちとレイヴンとは、見た目も大きさもまったく違う。間違えて食いつかれたということはまず絶対にない。では何故食いつかれるのか。
正直なところレイヴンにもわからない。それを研究しているという話も聞いたことがないし、これこれのためではないかという仮説らしきものも見たことがない。
レイヴンが思うに、ネコ科たちはレイヴンのことを「玩具」だと見なしているのではないだろうか。見たことのない、あるいは滅多に見ることのない、しかしさほど怖れる必要もない相手──モノ。
腹を満たすことはできないが、思うさまかぶりついて咬み砕いて、気が向けば飲み下してやってもいい、ただそうやって楽しく過ごせるモノ。子どもがではなく、大人のネコ科動物たちが。
ふう、と溜息をつく。
「ねえ、レイヴン」コスがそっと呼びかける。「キリンにね、こんなことを教えてもったんだ、ぼく」
「うん?」レイヴンは収容籠に触手を触れた。「起きてたのか、コス──キリンに? どんなことを?」
「才能というのは、何も努力しなくても何かができるということじゃない、って」
「へえ」
「それは、何かができなくてもできなくても、どうしてもできなかったとしても、それを諦めずに食らいついていくことなんだって」
「──」レイヴンはキリンの姿を思い描いた。「そう──それはもしかして、キリンの首の長いことを言ってたのかな?」
「どうかな……でも首って、才能なの?」
「あんなに長い首は、そりゃあ才能といってもいいんじゃあないかな。地球以外であんなに長い首は見たことがないよ」
「へえー、そうなんだ」コスは素直に感動している。「ゾウの鼻も?」
「鼻、うん、そうだね。似たような鼻の生き物はいるけれど、ゾウの鼻もすごいよ。器用だし」
「そうか、そうだね。ゾウもキリンも、すごいや」
「うん。さあ、おやすみ、コス」
「はあい。おやすみなさい、レイヴン」
ベッドタイムストーリーはかくして終わり、レイヴンは静寂の中道行を続けた。
月を見上げる。
たった一つの月。
寂しそうではある──けれどきっとあの月も、今のレイヴンのように自分のやるべきことを地道にやり遂げて、それが終わればまた次のやるべきことに取り掛かって、と終わりのないサイクルを真面目に繰り返しているだけなのだろう。
才能、か。
周囲から見ればそれは称讃に値しうらやましがられるものかも知れないが、キリンがコスに教えた通り、それは決して派手でも楽でもない代物なんだな。
そう、ぼくも真面目にこつこつ、道に外れることもなくきちんと仕事をして、必ず無事に故郷へ帰り──
巨大な無数の牙。
「え」
という間もなくレイヴンは、ライオンに食われた。
視界は暗闇となり、音は途切れ、月の姿も見えなくなった。
「コス」呼べど返事が聞こえることもない。
収容籠は──大丈夫、殻との接続が断たれたことを感知したら即座に上空へ舞い上がり危険を回避するようにできている。コスは護られており無事だ。
そしてぼくは──ああー、もう……ちきしょう。
レイヴンは地団駄を踏みたい気持ちだった。キリンの「食らいつく」に心温まる想いをした次の瞬間「食らいつかれる」なんて。ばかばかしいにもほどがある。
再生までに、まる三日はかかるだろうな。
ライオンの食道内をゆったりまったりと飲み下されてゆきながら、レイヴンは苛立ちを抑え切れなかった。
またあの、強烈な胃液で溶かされて、大部分の素粒子を吸い取られて、代わりにひどく無遠慮で無愛想な細菌どもをくっつけられて、排泄されるのを待たなけりゃならない。
ああー、もう! ちきしょう!
その過程をただ待つのみというのも癪だし口惜しいし退屈なので、ちょっとばかり報復行動に移ってやろうとレイヴンは思いついた。
胃に到着した後、素粒子をいじって地球生物にとっての大層な毒素をほんの僅かだが合成し、ばらまいてやったのだ。
まあ、こいつがくたばるとしてもぼくをひり出してからになるだろう。
あーあ、もう。
こればれたら、クビだけどな……いや、クビだけじゃすまないかも。
まさか、僕らの子どもにまで影響が及んだりとかは、ないよな?
法律では、僕だけが罰せられる事になって、家族には何の罪も課せられないよな?
若干の不安に怯えた次の刹那、レイヴンは脳まできれいに消化され、思考を停止し、もはや彼には才能とは何かについて、考えることができなくなった。