第3話
へいいいいいん
「うわっ」
突如耳を襲った大怪音に、レイヴンは思わず身をすくませた。
ぱうあああああ
ぽほおおおおお
えわわわわわん
怪音はなおも続いた。どこから聞えてくるのか――あちこちだ。
きょろきょろきょ
くやああおんんん
「ああ」レイヴンは思い切り顔をしかめながら、頷いた。「繁殖期か」
れられられられら
ぴわわわんわわん
そう、今回この星に降り立つにあたり、気絶したレイヴンの耳を刺激し呼びさましてくれたのは、動物の雄たちが雌たちに送る、求愛の音声ないし音波だったのだ。ちなみに前回は、人間たちが何か物を生産する工場の大音響がそうしてくれたのだった。
みょほほほほほう
ぱらはりわおんん
「派手なプロポーズだな……まったく」
いったい、こういった求愛の声に喜んで応える雌ってものが、いるんだろうか――まあ、いるからこそ地球に今も生命が溢れているわけだろうけど。
にょん
レイヴンは、はっとした。「あれ」顔を上げる。
今かすかに聞えたのは、地球の動物のものではなかった……確かにそうだ。意味もなく目を左右に走らせる。むろん見えるはずもない。
にょるるん にょん
「コスか」レイヴンは叫んだ。「見つけたっ」
どこだ? どこにいる? レイヴンの興奮はたちまちのうちマックス値に達した。
ラッキーだ! なんという、幸運なのだろうか! 地球、この呪われた星に到着した瞬間、さっそく一匹目が見つかるなんて! これは、このいやな任務に黙って従いここまで来た自分への、ご褒美だ。きっとそうだ!
「きゃっほう」叫ぶ。
だが喜んでばかりもいられなかった。これから、着地体勢に入らなければならないからだ。
着地体勢といっても、レイヴン自身が何かを操作したり体の状態を変化させたりすることはできない。とにかく着地するまさにその瞬間まで、彼には何も為す術がないのだ。
整えておくべきは“心”だ。“覚悟”と呼ぶ方がふさわしいかも知れない。着地した瞬間に襲って来る、敵どもへ対応する為の覚悟だ。
敵どもといっても動物たちのことではない。むしろ注意すべきなのは、着地先の環境に既存する植物たちの方だ。突然やって来た外来の“よそ者のタネ”であるレイヴンは、油断しているとあっという間に他の既存植物たちの根に養分を吸い取られ、再起不能のガス状態になってしまうだろう。
そうならない為には、着地と同時に駆動器官を超高速形成しなければならない。そう、養分を奪われきってしまう前に。競争だ。まさしく生存競争だ。
レイヴンは、自分の心が隙間なくフラットになっている事を自覚し、誇りに思った。いける。今回も、自分は間違いなくこの惑星で任務を遂行することができる。そしてまた、故郷へ還るのだ。大丈夫!
土の匂いが感知されると同時に、レイヴンの構成物質は遺伝子データに則り走り出した。
リンと酸素と炭素をつなぎ合わせ、その中に光を取り込み電子のエネルギーを高めて送り出すと同時に水からも電子を引き抜く。さらに光を取り込み電子エネルギーを高めていく。
酸化と還元を繰り返して化合物を次々に生み出し、あるものは排出しあるものは再利用する。
レイヴンは地球の植物たちの仕事スピードのおよそ五十億倍の速さでエネルギー生成をこなし、最終的に、彼奴らの貪欲なひげ根に掴まるコンマ00356秒前、再構築した触足で大地を蹴り上げ、大気中に退避することができたのだった。
ほう、と大気分子中を漂いつつ息をつく。
さてそして。
「コス?」再び呼びかける。「どこにいる?」
答える鳴き声はない。
「コス」再度呼ぶ。「おいで。一緒に帰ろう」
どこかに移動したか――または何かに追われて逃げ出したのか?
――待ってろ。必ず助け出してやる。
レイヴンは再構築した殻をサブ触手中から解放し、ただちに乗り込み発進した。
――すぐに行くからな!
宇宙で迷子になった動物たちを探し保護するのが、レイヴン=ガスファルト達の専門とする仕事だ。
無人の偵察機が銀河の中を飛び回り、動物が迷い込んでいる――あるいは捕獲されている――と思しき惑星の“当たり”をつけ、その星に、レイヴンら保護係が赴くのだ。
残念なことに、それぞれの惑星において絶命が確認される動物の数も、少なくはない――なので今回のように、元気のよさそうな鳴き声が聞えるというのは、大変に喜ばしいことなのだ。
なにがなんでも、連れて帰る。
「コ──ス。にょるるんるん、コ────ス」レイヴンはコスの発する鳴きの周波数を模してもう一度呼び掛けた。これなら、間違いなく味方が来てくれたということを察知し安心してくれるだろう。「にょんにょんにょん、コ──ス」
ぱうああああ
へいいいいん
きゅるきゅるきゅるきゅ
レイヴンの声に反応して、ということでは絶対にないのだろうが、地球産動物たちの発する爆撃音じみた求愛音声が巻き起こる。
「うるさいな、まったくもう」レイヴンは焦燥し叫んだ。「にょんにょん、コス、にょるるんにょん」
「うれしいけど、それじゃ弱いわ」突如誰かの声が話しかけてきた。
レイヴンは息を呑むよりも早く瞬時に警戒態勢を取り周囲の情報収集にエネルギーの九十七パーセントを注いだ。
「そもそもなあに、その体。貧弱すぎる」声は続けてそう言った。
雌生物だろう。どこにいる? どこから語りかけて──ぼくに? そうだそもそもというならそもそも、この声は誰に向けて話しかけているのか?
にょうううん
はっと硬直する。コス! コ──
「えっ、まさか」レイヴンは自分の直感を自分で否定した。「そんなこと、あるわけが」
「うふふ、わかったわよ、おませさん。やっと大人になったかどうかってところなのね。だけどあなた、本当にウシ科なの? インパラ……ではなさそうね。角が短すぎるし、群れからも離れすぎているし」
にょるる、るるるん
「え? ウシでもシカでもヤギでもないって? じゃあウマ?」
にょん
「コス?」雌生物がそう訊き返した時、やっとレイヴンは“その場”に辿り着いた。
「コス!」叫ぶ。
にょん
返ってきた声が自分に向けられたものなのか艶めいた大人の草食雌生物に向けられたものなのかわからなかったが、それはどこかしょんぼりとして元気がなかった。