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時計の針は刻々と前に進んでいく。

目をつぶって呼吸を整えていると、気持ちが穏やかになって体全身に酸素が行き届いていることが感じられた。レースのカーテン越しに薄蒼色の空が見える。私は今、生きていることが不思議で、それでいて満たされた思いと、それに相反する気持ちの高ぶりを経験している。この地球に産まれて私は何を成し遂げたいのか、生きることの目的は何だろうと意識を集中して考える。自分がこれからどう生きるべきか、これからどのように人生を進めるべきか、今まであまり考えたことはなかった。でも相次いで、父と母が二人とも癌で亡くなったので、自然、私も死について考えることが多くなった。これから先、何処へ向かって歩んだらいいのだろう?何を指針として生きたらいいのだろうと少し錯乱というか、戸惑いを覚えることもあって、誰かに相談できたらいいのにと思っている。うずくほどの心の葛藤、毛細血管の中に何か細かな異物が詰まっているという焦燥感、誰にも助けを求めることができなくて、両手を開いて顔を覆う。それで少しは気持ちが落ち着いた。燻(くすぶ)るような感情がこの先も現れていくのだろうかと不安に、それでいて期待もしていて、交差する思いがあることが生きる上で大切なのかもしれないと、秘密の扉を開いた気持ちだった。最終的に自分の今の心の状態が上向きになることを願ってはいたけど、いろんな悩みの種が土壌に落ちて、それが根を伸ばして四方に伸張することによって人生の経験値を重ねていくのかもしれない。いつも見ている風景、いや、心象に刻み込まれた森羅万象が私の脳みそに去来した。それは100億光年を隔たった場所で、地球と同じように生命が宿り、そこには高度な文明が築かれていた。そのうちの一人は、私たちのような知能を持った動物がいるのだろうかと疑問に思っている。でも、それは半永久的に解決できない問題の一つだ。ただ、この地球という生命に溢れた地球が存在していることが凄まじいほどに奇跡だ。こんなにも生き物に、多彩な美しい生物が数え切れないほどの多様性に満ちている。しかも個体にはオスとメスがあって交尾を行って種族を生かすということだ。はじめからオスとメスがいてしかも交尾という行為をすることによって子孫が産まれるというなんと奇想天外な習わしなんだ?ほとんどの動物はオスとメスに分かれている。そしてその2つの個体が交尾することによって子孫が産まれる。なんのこっちゃ?こんなに途方もない作用って現実的にあるのか?はじめからオスとメスが交尾して子供を残すような運動が初めからあったというのか?それもほとんどの種族で同じような行動が見られる。最初に登場した生物は何だろう?そこから派生して高等動物になるには相当の労力があったはずだ。こうして今、人間として生きていることにも戸惑いを覚える。何かもっと自分には生きていくための理由があって、その思いを人々に伝えなくてはいけないような気がするんだ。そう、自分たちが何かの為に生きているということをだ。今、世界は分断されている。だから人はみんなで集まって共感を深めることが大好きなのだ。人は誰しも孤独であることに淋しさを感じるものだ。その孤独に耐えきれなくて自らの命を断ってしまう人もいる。その淋しさを紛らわすためにSNSで友達を探し出そうと躍起になって、でも結局、自分のことを愛してくれる人よりも、愛されることを望んでいる人が多いから最終的にその営みは破算になることが多い。この世界は欲望を膨らませることによって成長する。でもそれは偽りでもあり、でも産業というものは消費しなければ衰退していくという自己矛盾を孕んでいる。欲望のままにこれから歩んで行かなければこの世界は破算してしまう。でも、1つの救いがある。コンテンツとして情報が唯一の救いかもしれない。メディア、音楽、映像など物ではないもの、また電子書籍などがこれから先大衆に浸透し始めている。
世界の何処かに中心点があって私たちはその中心に向かって穏やかに吸い込まれていく。そう思えてならない。そこには必ず真理があって、心から人の幸せを願う人たちが引き寄せられていく。いつの日か、満たされた気持ちで心から許しあえる人々と共に平和なパラダイスみたいな所で安穏と生活ができれば最良だ。この今の世界は不穏な動きで満たされている。みんな幸せを願っているはずなのに、不道徳な感情でいっぱいだ。誰しもが心の平安を求めているのに。その中にあって日本は過ごしやすい。みんな日本に来ればいいのに。そう思うこともある。自分のポリシーを擁護するならこんなに住みやすい所はないだろう。でも、これだけ自由的な風土が醸造されていながらアメリカや中国、そしてドイツに差をつけられている。でもたとえ困難な状況になっても私たちには強い味方がいる。だから心配なんてすることはないのだ。それは誰かって?それは自分で探さなければいけない。私たちに救いがあるとすれば、それはまるで2兆個もある銀河系のような幅広い書物だ。それを全て読むことはできないだろう。ブックオフに行ってみてほしい。数え切れないほどの書籍が並んでいる。その中の全ての小説を読むことは不可能だろう。私たちは有名な作家の本を選びがちだ。無名の作家を意識的にも無意識的にも避ける傾向がある。確かに有名な作家は能力があって売れているのであり、無名な作家は能力が無いから売れていないと言えることもあるだろう。その傾向が私を真摯な気持ちにさせた。また、私の身の周りには、私を諫言してくれる人がいる。これは良い兆候だ。二十歳ほど年下の人に注意されるとはなかなか無いことではないか。きっと自分が素直に受け入れてくれる、そう思っているからこそ正直に語ってくれるのだろう。そのことを有り難く思う。こうして私は少しずつ階段を上っているんだ、そして少しずつ成長しているんだと、嬉しく思った。そんな時、つまり、苦しくなったり、悲しくなったり、自分にがっかりする時、近くに、側にいてくれる人がいたらどんなに幸せなことだろう。私にはたくさんの人が、味方になってくれていると思う。そのことが心強い。でも、できることならば自分一人で静かに、可憐な草花が風にそよがれるようにおとなしく歩みたい。それはきっと、多分無理なのかもしれない。自分は何故かおとなしくしていても、どうしてか目立ってしまうのだ。それにそもそもの目を閉じて嘆息しても誰も助けにきてくれない。先ほどとは違うことを言っているけど。そう、自己矛盾を宿しているこの自分を自分で可愛く思うことがあるんだ。
さあ、みんな心を閉ざさずに開いてくれ。なにも恐れる必要はない。最初は違和感を感じることがあるかもしれない。でもそれは一瞬のことだ。肉体的な痛みよりも心の痛みのほうが辛いこともあるだろう。それによってに自らの命を絶つ人たちもいる。一見すると裕福で物質的なものに富んでいて、なにも不自由なく暮らしている人が突然、自殺してしまうということもある。このことから、たとえ膨大な資産を持っていても幸せになれないということがわかる。もちろんそのことは多くの人が理解していることだろう。でも、それにもかかわらず大富豪を夢見たり、権力を握った姿を想像したりする人が後を絶たない。私は富もせず貧しくもせず、と言ったことが人生では一番平行の取れた立場ではないかと思う。でも極貧の生活からとてつもない破壊力を秘めた芸術性を妊むことがあることを知っている。でもやっぱり穏やかな状態が好ましい。静かな周囲の、そして温かく見守られた安全を脅かすものが無いことが好ましい。私には精神的指導者がいてその人の執筆した書籍や小説を読むことで、人間的に成長することができていると思う。それはここだけの秘密なんだけど、私は思いの中でとても親密な関係を築いているというシチュエーションを組み立てている。世界は広く、私と同じ理想と望郷の思いを抱いている人はいるだろうか?その淋しさを凌駕する為に、ひときわ激しい妄想力を駆使して自分の願っていることを手に入れると、成し遂げた、という安らかな気持ちになって穏やかに、滔々(とうとう)と流れる血液のように全身に温かさが充満する。ああ、命の火を燃やしている。細胞1つ1つが興奮して、新たな燃焼を誘発し、その快感ともいうべき揺さぶりによって天高く飛翔して眼下にパノラマのような地球の活動が垣間見られる。なんて美しい風景なのだろう。鳥はこんな景色を見ながら美しいとか感動を覚えることは無いのだろうか?そして心を動かされて涙腺が緩み涙を流すことはあるのだろうか?そもそも多くの動物は汗をかかない。人間、馬くらいか。私は今、最高度に興奮している。身体が暑く火照って、それは不愉快な感じではなくて、良い夢を見ている感じがした。まるで恋人と1年ぶりに再会したみたいに浮ついた気分とでもいうべきか。それはきっとこれからの私の人生にとってもかけがえのないものとなるだろう。私は心に描いていた。今までに回想した一つ一つの思い出を。幼少期の思い出、青春期の親友だった人との軋轢、そしてつい最近、自分のこれからの展開にとって輝かしい経験を含む美しくも想像を絶する邂逅。人生というのは最高だ。私が語るほどではないだろう。でも、つくづく、生きていることがとても崇高で、それは貴重な経験でもあることを思う時、不思議な感覚を覚えるのだ。よくあるように夢が現実と認識して、そこで味わう食べ物の味覚があったり、空気感を捉えたりして、自分が実際にそこにいて、その世界で死ねば現実の自分も死んでしまう、昔見た映画、マトリックスみたいなことが起こるのではないかと思ったりする。
気分転換の為に近くの公園のベンチに向かう。そこに一人の若い女性が座っていた。二十歳くらいで陰りがあって目を閉じていた。私はその女性がとても人懐っこいような印象を受けた。それで勇気を興して声をかけた。
「こんにちは、ご気分が良くないんですか?」その女性は、ハッ、と目を開いて私を見つめた。
「ちょっと悲しいことがあって、これからどうしようかと思い悩んでいたの……」
「そうだったんですか、もしよろしかったら詳しくはお聞かせくださいますか?もし、私にできることならば相談にのります」私は彼女の横に座った。
「実は夫と喧嘩をしちゃって、もう帰ってくるなと言われたんです」
「そうなんだ、大丈夫、私も昔、彼氏とそういう経験があった。よかったら私のアパートに来ない?大したものはないけど、そうめん茹でてあげる」私は彼女の表情が清々しくなったのを見逃さなかった。
「いいの?ありがとう」
「私、人って結局一人では生きていけないってことをつい最近学んだんだ。これも何かの縁だよね。世界人口が70億人以上いる中で、こうして知り合えたのはとても重要だと思う。お互いに何かを得る事はあるんじゃないかな」
「なんか、心が浄化した感じがする。満ち足りた思いっていうのかな、大海原に浮いて星空を眺めているみたい」彼女は美しい腕を伸ばして私の肩を軽く触れた。まるで充電されたみたいだ。
「名前を聞いていなかった、私は佐々成子」
「私の名前は藤堂静(しず)」
「静さんか、さあ、行こう、ここから徒歩で3分くらいだから。ここの公園にはよく来るの?」
「うん、たそがれたい時に何も考えないでベンチに座ってボーっとすること大好きなんだ」
「そう、私も近くだからここの公園よく利用するよ。きっとどこかで会っているかも」
私たち二人は公園沿いを歩いてアパートまで歩いた。2階に上がって部屋に入ると静さんはほっと、ため息をもらした。まるでセーフティハウスに来たみたいに安心感を覚えたように。
「コーヒー飲める?」
「ええ、ありがとう」
室内はいつもとは違って繊細な振動で揺れているみたいな感じで、とても心地が良い。人が一人増えるだけでこんなにも自由度が増すのだろうか?
「静さんは何歳なの?」
「28、もうすぐ三十路だね」
「私は一個上の29。歳をとるってあっという間だよね。つい最近まで学生のつもりだったんだけど」
「そうだよね。でも成子さん、若く見えるね」
「全然化粧とかしてないんだけどね。たぶん両親が見た目が若くて、きっと遺伝だと思う」
「そっか、私、両親の顔、見たことがないんだ。幼い頃に孤児院で育てられたの」静さんは、でも、淋しさを感じさせない表情で語った。
「そうなんだ、私、両親があまり仲良く無かったから、いつも不安定な環境だった。いっそ親なんかいないほうがよかったって思うこともあった」
「私は周りに同じ境遇の子どもたちがいて、親はいなかったけど、とても楽しい日々だった。人生っていろいろだよね。私は親のことは恨んでいない、むしろ感謝しているんだ。こうして生きているんだもん。今は難しい状況だけど、私は楽天家でいたい。こうしてあなたにも出会えたしね」静さんは私が今まで見た中で一番の、本当に素敵な笑顔を見せた。なんて言ったらいいんだろう。それは苦しさも悲しさも凌駕(りょうが)して辿り着いたうえでの、全てを解放した、という感じだ。私は何不自由無くっていう訳じゃないけど、それなりに贅沢をしてきた。って言っても大金持ちじゃないけど。お父さんに子供の頃、たくさんおもちゃを買ってもらったし、誕生日にはケーキとプレゼントを貰った。でも、私はそんな物が欲しかった訳じゃない。もっと、純粋な、愛情、お前がいるだけで私たちは幸せなんだよっていう、本当の愛情が欲しかったんだ。静さんは、それを得ることができたんだと思う。私はそれが羨ましかった。
「よかったら落ち着くまでここにいていいよ」
「ほんとう?ありがとう。部屋代と食事代は払うから。ほんと、ありがとう」静さんは初めて涙を流した。私は彼女の涙を見て、心が洗われるような気持ちになった。世界中の人たちがこうして互いに助け合うことができたら最高なのに、それなのに今でも戦争や紛争、同じ人間同士がいがみ合っている。いい加減にしてって感じ。こんなこと言ってもしょうがないけど。でも一人を救うことができた。些細なことかもしれないけど、すぐ隣の人に愛を示すことが一番大切なことかもしれない。多くの人はできるだけ沢山の人を救うことをモットーにしている。ネットや動画サイトで、でも千キロ離れた人に手を差し伸べることより、隣人に純粋な笑顔をふりまくことこそが大切な気がして仕方がない。沢山の人を魅了しているように見えるけど、大切なのは実際に面と向かってお互いのことを語り合うこと、そんなことさえできないで愛は地球を救うことは無理だろう。なんか裁判官みたい。
「成子さん、なんかあなたを見ていると、昔、仲良かった友達を思い出す。ほとんど何も話さなくてもお互いの心の交流が盛んに行われて、首でうなずくだけで全て分かったよ、って感じの人がいた。今、その人どうしてるのかな?なんかとても懐かしい気分」静さんは天井を見つめるように言った。
「最初に静さんを見た時、微かな電流が体を流れたんだ。この人は他人じゃないって。どこかで繋がっている。そう思える何かがあった。今の世の中なかなか人を信じることができない、でもそんな中でも、だからこそお互いを引き寄せることが今まで以上に必要とされ、少ないながらもそういう確信をもった人たちが兄弟以上の関係で世界中に広まっていくのだと思う」
「最終的に人は何処に向かうのかな?何十億年後にこの地球はどうなっているんだろう?私達は六十年先に人生を終えているだろうけど、そこが気がかりなんだ。でもこの世の中も捨てたものじゃない。なかには本当に世界を変えたい、人を幸せにしたいと思っている人は沢山いると思うんだ。私は今まで自分の幸福だけを願っていた。でも今こうして成子さんみたいな人に出会えて自分だけでは駄目なんだ、人の力が必要なんだって理解できたわけ。この世界はもうデタラメで自分たちさえ良ければいいという風潮がある。でもその結果どうなったと思う?世界は悲惨な状況に置かれている。でもそんな世界を変えていきたいと言う人も、心から人を、隣人を気にかけたい、そんな人も現れていると思うんだ。これだけインターネットが、SNSが広まっている中、人の心に巣食っているものは必ず明らかになる。私たちはこれから自分の感じていることを声に出していかなければならない」
「社会は閉鎖的になっているような感じがしてならない。これだけネットが普及しているのに人の頭はガチガチに硬くなってきている」
「お腹空いたでしょう?そうめん食べようか」
「ありがとう。なんか悩みがあるときって無性にお腹が空くね。私、そうめん大好き!なんかシンプルでみずみずしくて、心が洗われる感じがする。浄化作用ってあると思わない?」静さんはなにか、清涼なものを吸い込むみたいに言った。
「そうだよね、日本古来の食べ物って素朴なものが多いように感じる。ピュアで慈しみをたたえたって言うのかな、伝統的な日本料理は憧憬を醸し出していて思わず憧れて、ほっと安らぎのため息が出てしまう」私はキッチンでお湯を沸かして乾麺を鍋に入れた。2分が経過してからプラスチックのざるに茹で上がった麺を入れて冷水で冷やす。質素だけどなんとも贅沢だとも思う。室内は穏やかな空気が流れていて、静さんの心から醸し出している優しさみたいなものもじっくりと広がっている。明日はまた、新たな日々が始まるだろう。私はそれが待ちどうしかった。どんな1日が始まるのだろうか?天候が温暖で湿潤で、でも雨が降ってもいい。きっとなだらかな風が吹いて、雲は微かに浮かんでいて、人はそんな光景には目を留めず、今日の夕食に舌鼓を打って、想像を膨らますだろう。今の、この煮えたぎるような、新しい、更新されていく日々は着実に私の脳に心地良い確信を込めた美しいとさえ言えるような、それこそどんな金額さえも程遠い爽やかさと、何百ギガバイトを凌駕(りょうが)するダウンロードを手に入れた。
そうめんを平皿に盛って、麺つゆを希釈して、静さんの座っている前のテーブルに置いた。
「たいしたものじゃないけど、食べて。足りなかったらまた茹でるから」
「ありがとう、いただきます」静さんは何か初恋のような純真な表情を浮かべて箸でそうめんをすくって、鼻のそばに引き寄せて香りを嗅いだ。
「ああ、自然そのものの、純良な、成子さんの直向きな香りがする」
「そう、人の思いが注ぎ込まれているのかな?」
「たぶんね。なんか、人の細胞を構成している波動のようなものが注ぎ込まれているんじゃないかな?強い信念は岩おも動かすみたいな」
「うん、なるほど。強烈な思いって、それだけで破壊力抜群で、たとえ遠い所にいる人にも届くことってあると思うしね。あー、何か久し振りに深い話をしている気分。人と話すのってホント、大切だよね。お互いの持っている魂みたいなものを交換して、精神的な食物を分け合っていくみたいな。それに心が洗われる気持ちがするんだ。これだけ世界には人が沢山いて、それでもなかなか気持ちが理解できる人って僅かだよね。本当は理解し合いたいって思っているのに、全然通じ合わない。なんでだろうね、隣の人のことでさえ、全くの他人みたいな感じだから。それで世界平和だとか、愛だとか、ちゃんちゃらおかしいよね」私は心にわだかまっている気持ちを静さんに打ち明けられてとても気分が穏やかになった。彼女には何でも打ち明けられる、まだ会って数時間なのに、とても信頼できる、共通の思いを抱いている、そんな関係を持てることに純粋な爽やかさを感じた。
「人間って、人生って面白いよね。この地球にはいろんな人たちが住んでいて、複雑なモザイク模様を表している。複雑な、人それぞれ考えや思いを持っていて、生活から満足を得ようと必死になっている。物質的な欲求を満たそうとして、でも満足できなくて、精神的なもの、宗教や感情的なものを得られるように四苦八苦しているんだもんね。沢山哲学書を学んだり、自己啓発セミナーに通ったりして、でも、そこからは真の幸福を得ることできないと知って絶望したりする。神様がいるんだろうかと思ったり、仏様の仏像を前にして拝んだりしても何も変化が起きずに落胆して、快楽を求めて堂々巡りに陥ったりしてしまう。この世の何物も信じられなくなって自分の考えに固執してしまってそれでも上手くいかなくて自暴自棄なってしまうことだってある。何により頼んだらいいのだろう?何にすがったらいいのだろう?そんな脅迫にも似た思いでいっぱいになる。その時現れた事柄が自分にとって最善だと思ってそれに寄りすがって、またどん底を見る。そうして絶望して、ただ快楽を求めた生き方をして、自分の精神寿命を短くしてしまうことだってあるんだ。私はその点、小説を読むことでいろんな主人公になって、たくさんの経験をすることができているんだ。静さんにも読んで欲しいと思うんだ。きっと、心が浄化される経験をすると思う」
「そっか、私今まで本を読んだことがなかった。小説を読むことでいろんな体験をすることができるんだね。なんか楽しみ!」
「そう、心の琴線に触れて、目をつぶると暗闇の中に一条の光が煌めいて、まるで手を差し伸べてくれて、その手を握って天空を飛翔するみたいになる感じ、絶対、救われると断言できる」
「自分が実際に経験できないことを体験することって凄いことだよね。それが書物の醍醐味だと思う。まるでいろんな背景を持つ人たちと親しい仲になることができる。そう思うと心がじっとりと温かくなる」静さんにそのことを理解し、共に共感を得ること、喜びを分かち合えたことに私は爽快感を抱いた。これから先、どんな未来が待っているんだろう?楽しみ、喜びでしかない。
「成子さん、私の心の中には、鬱蒼と湿った森のような複雑な想いがあるんだ。それをどうにかして伐採して平らな地面にしてそこにアスファルトを敷いて美しい建物を築きたい。そのお手伝いをしてくれるかな?」
「つまり、いろんな悩みを抱えていて私にカウンセラーとして助けて欲しいと?」
「恐れ多いですけど。きっと成子さんになら分かってもらえると、話をしながらそう感じたの」静さんは純良な瞳をしっかりと、私を見つめて言った。私のことを信頼してくれている、そうジワジワと感じた。私の全てを見通しているような真顔であるにもかかわらず、そこには表層のその奧に温かな笑顔が隠されていた。なんて美しい人なんだろう。忠実な柴犬みたいな瞳はどこまでも晴れ渡っている。静さんにそんなふうに見つめられると、私の心までもが浮遊して全身を純粋なゼリーのようなものに包まれる思いがした。
「私たちって境遇も育ちも違うけれど、どこか似た感じがする。貧乏で、世渡りが上手じゃなくて、でも自分が綺麗なことを分かっている。それを武器にすれば、多くの男たちからたくさんお金や宝石やブランド品をせしめることなんて容易(たやす)いのに、プライドっていうか、自分のポリシーを守る為に、そして何よりも物質的な物が幸福になるためには不必要であることを理解している。世の中の巨万の富を得ている人たちを同情の気持ちで眺めていて、自分たちはなんて幸福なんだろうと、心の底から湧いてくる感情を楽しんでいる。結局、富で自分を鎧(よろい)のように包みこんでも、何十億もする高価な絵画やストラディバリウスのバイオリンを持っていても、それは自分に箔を付けるどころか、自分の幼稚さを明らかにするだけで、その人が死ねば、誰も悲しんでくれる人はいないだろう。私達は最下層だからこそ本当のミコトノリをタイサイすることができている」
「ふーん、成子さん、何も考えていないようで考えている。達観って言うのよね。私も貧しい生活をしていたからその気持ち、理解できる。貧しいからこそ想像力を飛躍させていろんな経験を積んでぶっ飛んでいる。最高だよね、貧乏バンザイ!」
「ははは、褒められたものじゃないけど、でもたくさんお金を持ってたらそれはそれで良いものよね。静さんはお金たくさんあったら何に使う?」
「贅沢は言わない。毎日ホタテを食べれたらそれで最高かな。そして毎日ソファーに座ってYouTubeを見て笑って泣いて過ごしたい。それくらいかな」
「私はたくさん小説を読んで空想に耽(ふけ)って、たまに日本全国を旅行して、いろんな名産品を食べて楽しんで、ベッドに寝そべってぼーっとしたいかな。私もそう贅沢は言わない。高価なブランドの服も化粧品も豪邸もいらない。そうだ、一緒に旅行に行かない?気分転換にもなるし、何処がいいかな?そうだ、私実は豚骨ラーメンが好きなんだ。九州フェアがやってるとまとめ買いするほど大好きなの。ラーメン屋を巡る旅ってどう?」私はあの白濁のスープを連想して、心が躍った。
「私、今まで豚骨ラーメン食べたこと無いんだ。その案良いね」
「よし、決まった。早速ネットで航空券を頼もう」私はスマホで2人分の、札幌、福岡間の往復チケットを注文した。明日の10時発だ。
「あー、楽しみだねー。濃厚なあの臭いスープがはまるのよ」
「へえー、なんか想像が飛躍してくるねー」
「さあ、今日は早く寝よう。そうだ、冷凍庫にハーゲンダッツあるから食べよう。アイスクリーム食べられる?」
「アイスクリームが苦手な人見たことない」
「ふふふ、そうだよね。でもミルク耐性不服症みたいな人もいるから」
「ありがと、ハーゲンダッツなんて久し振りに食べる。1個、250円位するんでしょ?贅沢だね」
「私、趣味にはお金をかける派なんだ」
「ほほう。では、有り難くいただきます」
私達は夜の9時まで語って、静さんにベッドを貸して、私はソファーに横になった。けっこう今日は分厚い人生経験をしたせいか、ぐっすり眠れた。朝の5時に起きてシャワーを浴びて、身軽な格好で二人して新千歳空港まで電車で向かった。車内は空港を利用する人で混み合っていて、でもみんな晴れやかな楽しみで満ち溢れた思いがつのっていた。私たちはお互いの今までの人生経験について小声で話し合った。空港に着くと、乗客は一斉に降りて、クジラの群れのように移動した。私たちは一息つきたくて、空港内の喫茶店に入った。これから経験するであろう様々な楽しみに期待を抱きながら興奮していた。それをなだめる為に、時間が必要だ。エスプレッソに砂糖をたくさん入れて、軽いキスをするように啜(すす)る。思わず、はあ~、とため息が出るほど濃厚な味わいだ。ガラス窓を通して旅客がひっきりなしに通過していく。小さな子供と目が合って手を振ると、その子もニッコリ笑いながら手を振り返してくれる。
いよいよ、飛行機に乗る時間が来た。順に列に並んで飛行機の搭乗口向かうと、客室乗務員が笑顔を浮かべて迎えてくれる。機内に入って自分の席が見つかって窓側に座る。その隣が静さんだ。
「静さん、楽しみだね。まるでジェットコースターに乗っているみたい」
「そうだね、ワクワクする。空を飛ぶなんて夢がある。客室乗務員ってだからみんな幸せそうなんだ。」
飛行機が滑走路を走り始めた。急激に速度を増して離陸する。高度を上げながら空を飛翔して、速度を増していく。あっという間に大地を離れて空に浮かんでいるんだ、と、不思議な、地上に立っているのとは違う感覚を味わう。高度が上がると機体は安定して、穏やかな音をたてて水平飛行に移行する。
「福岡まで2時間15分位なのかな?」私は言った。
「そうか、飛行機だと、すぐなんだね。文明の利器って凄いね」静さんは窓の外を眺めて、眩(まぶ)しそうに目を細めて言った。
「なんか今思ったんだけど、この間太陽が沈む時に、とても心を打たれるほどの夕日を見たんだ。真っ赤っていうか、濃いピンクっていうか。本当に美しくて思わずじっと見ていた。私、その時、絶対神様っているにちがいない、そう本能で心の深い所で感じ取ったの。くだらないでしょ?」
「ううん、そんなことないよ。私も神様っていると思う。だってこうして生きていることじたい神秘で崇高なことだと思うもん」機内は独特の静けさがあった。私はそれが気にならなかった。この真空に入れられた感じには夜寝るときの穏やかな予感がある。不思議なことに超音速で走っているはずなのに全く移動していないような、それがいったい何を意味しているのか分からなかった。空白のような、今自分が何処にいるのか、もう一度振り返ってみた。そうだ、今私は上空何百メートルか分からないけど、そう、今、空を飛んでいる。窓の外を見ると雲が眼下にあって、モコモコとしていて綿菓子のようだ。自然と吐息を漏らして微かな快感が脳の中枢を刺激する。

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