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世界中の人たちが繋がるということは不可能か?

恵太さんとソファーでYouTubeを見ていた。50型のチューナーレステレビでNHKの使用料を払わなくて済む。恵太さんが大好きなアイドル、私立恵比寿中学だ。私も彼女らの姿を見て、勇気を貰っている。とくに私は小林歌穂のファンで、彼女がまだ厚化粧をする以前の姿が大好きで、何で化粧で自らを偽装しているのだろうと思った。今、いろんな歌手やアイドルが動画サイトで活躍しているけど、エビチューの歌唱力というか、コンサートでも口パクなしで歌っていて、凄いなー、と、私も頑張らなくてはと感じている。これからはテレビ業界は、スポンサーの意向に配慮しなければならないといった態度はせずに、大衆の見たいものを作らなければならない。ネットの動画サイトで自分のお気に入りの動画や歌手を探して自分の生活を彩る、そんな時代が来ている。昔流行った人たちの映像を若い人たちが発見して楽しむことができるし、私の出版社がしているようにペーパーレスの投稿サイトが今、乱立している。これからは私たちの時代なのだ。今までは自分で思っていたこと、感じたことなどは何処にも発することができなかった。でも今は違う。自分の思想を、考えを、本当に発したいことを直接大衆に向かって語ることができるのだ。これは今まで過去数十億年間で達成することが無理だったことだ。私たちは物凄いことを達成することが、この時代にできる。自分の感じていること、思っていること、みんなに知らせたいことを誰にも惑わされることなく、今、感じていることをみんなに提示すること、そこには心の底から疑問に思っていることなど何にも阻まれることなどなくて世界に向けて発信することが可能なのだ。私たちが行わなければいけないのは既成概念を打破することなのだろう。周りの人たちと同じ行動をするのではなくて、自分が進んで行動を起こさなければいけない。私の出版社のサイトでもそうなのだけど、異世界ものが氾濫していて、個性というものがない。転生とか王子様とか似たような物語が溢れていて、私たち出版社側が求めているもの、つまりオリジナリティーというものが全く無い。大衆がそういう物語を求めていると勘違いしているのだろうか。でも私たち出版社側にも問題がある。もっと独自性を主張するような作品を提供してもらうように作家を励ますことも必要だ。それにしても何故、似たような作品を描くのだろう?同じような饒舌な、長ったらしい作品名。過去に転生するとか全く独自性が無い。そんな掃いて捨てるほど、陳腐なまでの文章。自分が自らの道を開拓しようという気持ちが無くて、私は作品名を見ただけでその作品の内容を洞察することができる。トモさんのような個性的で誰とも迎合しようとせずに独自な世界を構築する人はほんの一握りだ。まるで海岸の砂粒からダイヤモンドの原石を探すような気持ちだ。でも、それだけ発見したときの喜びはとてつもなく大きい。私たち出版社のサイドはそんな楽しみを希求しているのだ。
トーストにバターを塗って砂糖をたっぷりといれたコーヒーを飲みながら、恵太さんのとても穏やかで優しい表情を眺めていると、私も落ち着いて、この空気を満喫する。そこにはあまり会話は必要無い。以心伝心というか、何も会話が無くてもお互いに愛しているということが伝わるからだ。何気ない生活がとても心地好く、海の砂浜に寝そべって、今ある人生を見つめ直しているような感覚だ。彼のとてもコケティッシュな表情は私の心を大きく、それでいて繊細に揺り動かして、思わず嘆息をつかせてしまう。そして恵太さんを見て思ったのだけど、私は文章を通じて人々と交わるのではなくて、もっと読者を身近な存在として理解する必要があるのではないかと思い始めた。私の勤めている出版社にはファンからの手紙が大量に届く。私と付き合ってください。とか、結婚してください、などと直接的な告白が届くし、私の人生を小説にしてくださいと、長々とそのファンの人生が綴られた手紙が送られてくることもある。社会の不条理を延々と熱意に溢れた文体で書かれたもの、将来の夢や希望を語るなど、本当に誠実に表したもの、将来作家になりたくて今まで書いた原稿用紙を送りつけるなど様々だ。そんな書類が納められた部屋があって時期が来れば廃棄処分になる。誠に残念ではあるのだけど。でもファンレターはそれぞれの作家に手渡している。その作家たちの中には誠実に手紙を読んで心の底からの飢えを癒すことだってある。私もたまに編集者様へ、という手紙をいただく。その素直な気持ちを受けとることによって、本当に小説に携わることができて良かった感じる。
私は恵太さんに行ってきますのキスをして通勤の為アパートを出た。天気は曇ったり晴れたりと異様なくらい変化が激しくて昼頃から雨が降りそうな、そんな雰囲気があった。でも私はそんな気候でさえ楽しめるような気概で満たされていたのであまり気分がぐらつくということはなかった。この世界では社会評論家、政治評論家などがたくさんいて、テレビで活躍しているけど、大局的にみてそれら評論家が世界を動かすことはできないだろう。私たちは政治の最小単位である家族を見つめなければいけないのではないだろうか?家族を幸せにすることができないで社会がどうのこうの言える立場にはないと思う。あまりにも世の中を複雑化して色々な人々がわんさかと群がっているけど、そのほとんどの人たちはこの世界には必要の無い人たちだ。そういう意味では私の職業も人の生死に直結することは無いかもしれない。それでも人が芸術などを愛するということはかなり重要だともいえる。極端な話、音楽や小説を読むことによって、自分の命を救ってくれたということもあるだろう。だから私が携わっている出版社はとても価値があるのだ。私もきっと作家と渡り合うことによって命を長引かせているのかもしれない。最終的に私は自らの命が尽きようとしたとき、きっと自分の中に巣くっていることを文字にして残すのではないか。たくさんの仲間たちや作家に対して血の滲(にじ)むような独白をして、自分の心の中にある感謝だとか愛情などを伝えたいと思う。私の父は亡くなる時、そんな自分の思いというものをひとつも書き残さなかった。考えてみれば不思議だ。自分の愛する人に何一つとして、今までの自分の感情を告白することがなかったなんて。でも、それはそれである意味正直だったのではないかとも思う。しかし、それにしても、自分の死期が迫っていることを知っていて、今後の事や自分が死んだらどうなるのだろうとか、そんなことは考えなかったのだろうか。あまりにも絶望過ぎて、自らと向き合えることに臆病になったのかもしれない。それは分からないけど、私だったら自分の生きた世界をじっくりと再度観察し、毎日を有意義に過ごそうとするにちがいない。もし、明日死ぬとしたら私は何を行うだろう?美味しいものをたらふく食べるだろうし、恵太さんに抱かれて心地好い暖かさを堪能するだろう。残りの一秒が迫った時、笑顔でいられるだろうか?きっと目を閉じて大きく息をするかもしれない。きっと、最後の言葉は、
「ありがとう。今まで生きてこれて本当に良かった。本当にありがとう」と、言うにちがいない。そして笑顔で、たとえ苦しくても、最後の笑顔は今まで生きてきたなかで最高の笑顔であるにちがいない。それだけは確信して言える。私はそんなことを考えながらも晴れやかな笑顔を浮かべることができた。真夏の湿気が多くてとても気温が高いなかで涼しい喫茶店に入った気分。
会社に着くと、デスクで今日まとめなければいけない事案をノートパソコンに書き込む。窓が開かれていて、涼しい風が室内に入ってくる。私は何故か知らないけど、突然一つの想念が沸き上がってきた。この世の中にはバカで頭が悪い人のように見えて、実は壮大で、人の心を動かすような格言を残している、そんな人もいるということに心を鷲掴みにされた。世の中は真実を握っている人が必ずしも世界を治めているとは限らない。色々な時事ネタでは世界の背後には支配者がいて私たち人類を操っているといったことが盛んに述べられているけど、実際はどうなのだろう?私たちは一つの機械の歯車に過ぎないのだろうか。この社会はとても複雑で色んな思想や哲学、宗教などが広がっているし、それによって世界はお互いの思っていることを交換出来なくなっている。でも、ネットを通してこれからは真実を伝えることが可能になっていて、大きな渦が中心に向かって収縮するように真理へと、まるでブラックホールが周りのものを吸い込むように既成概念を駆逐していくのではないか。そして物語こそが世界を、人々を共感へと導いていくのではと思っている。政治家や弁論家、コメンテーターや評論家などが私たちに様々な情報を提示しているけど、小説以上に心へと訴えかける手段は無いのではないか。喉が渇くと飲み物を飲むように私たちは心を満たす為に外部から情報を得るわけだけど、何でもかんでも取り入れるわけではない。自分が興味を持ったもの、心に訴えかけるものを選択して、それが自分にとってどういう意味を持つのか、自分の思想体型を根本的に改変するものであるのか、自分の人格形成に益を与えるものであるのかを精査して判断していく。自分が出来る限りのことをして毎日を直向きに、一生懸命に美味しいものを味わうように生きていきたいと思う。私たちは死の航路を一直線に向かっている。人生を無駄にしないように歩みたい。何度も同じ間違いをするかもしれないし、自分勝手な考え方、相手の意見を尊重しないで一方的に否定してしまったり、正しい道だと信じていたのにそれが誤った道であったりすることもある。だからある意味では世界は面白い。いろんな人たちがいて自分こそが正統な世界を支配する後継者だと主張している。でも真に人々を支配するのはとても謙遜で物静かで控えめな人なのかもしれない。私は潤子(うるこ)こそ、人々の前に出て人々を魅了する人物なのではないかと思っている。彼女こそが世界の女王にふさわしいのではないかと考えている。世界中の人を感動させ、喜ばせ、心をほっこりとさせるいわば達人だと言える。まだ12才なのに、でも年齢なんて関係ないし、文章が幼稚でも、人の心を動かすことは可能なのだ。そして今日は潤子が新作を我が社にアップロードする日なのだ。これからそのサイトにアクセスする。どんな小説を書いたのだろう。この小説は彼女の初めての出版となる。検索すると潤子の新作が出てきた。

「邂逅、巡り合わせ、そしてドッキング」潤子

私は空を見上げていて、そこにはカラスだとか雀が縦横無尽に羽ばたいていた。彼らはいつからそんな得意な芸を磨いてきたのだろう?空は青く、雲ひとつ無い絶景で、大気はちょうど良い酸素を含んでいて、いつまでも続くような気がした。でも後何日かすれば雨が降るだろうし、秋に向けて涼しげな風がそろそろ私の身にも到達するのではないか。隣の家の人はそんなこと思っていないだろう。今日見るテレビ番組を楽しみにしているのかもしれないし、昼になったら美味しいものを食べられるとワクワクしているのかもしれない。今、世界では核戦争の脅威が高まっていることなどさらさら考えていないだろう。でも私だって人のことよりも自分の幸せを優先しているのだからオアイコだ。遠くに車庫のシャッターを閉じる音が聞こえた。これから何処かへ出かけるのだろうか。近くの公園で軽やかな子供たちの声も聞こえる。私も実は公園でブランコに乗ってみたいなあと思っているんだけど、なかなか勇気がでない。世界では33兆円という莫大な資産を所有している人のことが話題になっているけど、同じ空気を吸って、心臓が一分間に70回くらい鼓動して、いくらお金を積んだとしても命を伸ばすことができないのだ。結局お金で買えるものは物資だけで、真実の愛を獲得することができないし、私みたいに貧乏でも、風に揺れる美しい雑草に感動するのには結局お金なんてかからないし、大切なのはいかに自分の思っていることを、抱いている感動を人々と共有できるかだと思う。大金を持っていても、いろんなブランドの洋服だとか、一千万くらいする時計をはめていても、心から充実することだってできない人はいるだろう。私はそよ風に当たって微かな花の匂いがする空気を感じることができるだけで幸せだ。そしていろんな人の喜びに満ちた笑顔を発見することが最高の贅沢だと思う。私は後、70年くらい生きて寿命を迎えるわけだけれども、母が作ってくれるアップルパイの味をいつまでも忘れることはできないだろうし、父と一緒に将来飲む、ウイスキーの香りと甘い味を想像して懐かしむだろう。世界にはいろんな人たちがいて、毎日をせっせと働いて、家族の為に自分の気持ちを抑えて頑張っている。私も大きくなったら両親の家を継いで、みんなに美味しいと思われるパイを作っていきたい。この横須賀の高い丘の上を流れる風のことは終生忘れないだろう。そして多くの人たちに、最後の晩餐で食べたい食物ナンバーワンになれるようなアップルパイを作り続けていきたいなあと思うのだ。
私はこれから電車に乗って横浜まで行く。そこは私にとって遊園地で観覧車に乗ってゆっくりと高くまで昇るみたいな感覚だ。横須賀がひとつの銀河であれば、横浜は隣のアンドロメダだとも言える。そこには多くの人たちがいて、お互いに切磋琢磨しているような、他人同士なのに認めあっていて、全ての人がまるで芸能人、言ってみればテレビドラマに映る一歩行者のような感じだ。自分がこの街に溶け込んで一体となって、この風景を自らの脳裏に刻む。都会にはその他の街とは違う雰囲気があって、そこにはパワースポットのようなとても熱く人を沸き上がらせる場があって、それはきっと人の思念みたいなものが集約されて心を響かせるのかもしれない。脳内に含まれている物質でもっとも小さい素粒子がそのような場所に集合して蓄積されているのではないか。私はそんな街並みや道を歩く人たちが大好きだったしどこか異世界にもぐり込んだみたいでこれから謎を解くようなミステリーの世界を垣間見ているようだった。
駅を降りてから国道に沿って歩いているとコーヒーショップがあったので、ゆっくりと持ってきた小説を読もうと思って立ち寄ることにした。信号が青に変わるまで待っていると、見える風景が以前にも見たような印象を与えた。そうだ、この光景、テレビドラマで見たことがあった。女優がその喫茶店に入って行くところで恋人から声をかけられる。私はその女優のことが好きではなかった。自己主張が強すぎるし、自分の美貌に酔いしれている。でも実力派で演技力には定評があるのだ。そのことは認める。アクターは私生活が荒れていても演技の力によって相殺されるのだ。そうだ、ここの喫茶店はドラマで人気に火がつき、とくに抹茶ラテの評価が高くてほとんどの人がそれを注文するのだった。独特の甘さがあって、くどくないとのことだ。私も以前、抹茶をお湯で溶いてからティースプーンに大盛り三杯の砂糖とクリームを淹れて飲んだのだけど、最高に美味しかった。だから私が作った抹茶ラテとプロフェッショナルな抹茶ラテのどちらに軍配が上がるのだろうと楽しみにしている。
店内に入ると静かにジャズが流れていた。サックスの空気を優しく揺らすサウンドは私の心にも響いて安心感で身を包み込まれた。店員に案内されて窓際の席に座ることになった。周りを見回すと初老のチェックのジャケットを着た男性が新聞をひろげていた。客は私とその人だけだった。テーブルに置かれたメニュー表を手にとって見ると、抹茶ラテが450円と書かれていた。ちょうど朝食を食べてこなかったので、オムライスも頼むことにして店員を呼んだ。店員は二十歳くらい、大学生だろうか。どこか雰囲気的にキャバクラの女性のようなオーラを放っていた。とても綺麗でこの喫茶店で働くにはちぐはぐな感じがした。でも彼女は全てのつまり人生について達観しているような顔の表情だった。酸いも甘いも経験している、そういう気持ちが伝わってきた。この不思議といってもいい世界にあって、今、流れているジャズは女性店員の奥深くにも影響を与えて、彼女のひととなりを作っているのだろうか。思ってみれば私はその店員のことは全く知らないけど、彼女だって朝にシャワーを浴びて朝食を食べて、自省したり、道を歩きながら学ばなければいけないことを考えたりするし、テレビドラマを見たり、感動して涙を流すことだってあるんだ。でもほとんど多くの人たちは自分のことで精一杯なので、他の人のことに感情移入することなんてできないのだ。それは誰にだって言える。でも世の中には人のことを自分のことのように気持ちを理解することができる人だっているだろうし、そういう人はきっとたくさんの友達がいるんじゃないか。私も人に優しくしたいし、でもその優しさがかえって迷惑がられたりするんじゃないかと否定的な感情を抱いたりするし、でももっと自分を広くするためには勇気と自信を持つ必要がある。だから私にとって一番身近な存在であった祖父母から始めていきたい。祖父母は亡くなったけど、彼らの生きた軌道をなぞることによって少しでも自分の中に眠っている、あるいは秘密を解き明かすことができるのではないか。でも、正直に言って、すぐにその人たちのことを知るということには遥かに苦難が伴うだろう。そしてその祖父母の両親やそのまた祖先を巡るならば、私一人が生まれる為にいったい何十万人の人が関与しているのだろうか。この私の背後には数えきれない人たちのドラマがあるのだ。そして以前聞いた話なのだけど、私たち人類は皆、遺伝的に繋がっているのだという。でも、よく考えると当たり前のことだとも思う。だって私たちは地球を構成する物質で出来ている。猿だって蟻だってキリンだって地球の物質で出来ているんだ。だから私と蟻は親戚筋だということだ。私は今、喫茶店の椅子に座って色々なことを考えている。すると、誰かに見られている感覚を覚えた。私は物語の主人公で私の人生をなぞるような、温かい舌で身体中を舐められているような、そんな感じを覚えた。その人たちはじっくりと文章を読むみたいに真剣そのもので私の脳裏に浮かぶ事柄を神の視点で理解しているような感じだ。そこには充足感であったり一杯の紅茶を飲んでホッとしているようであったり、何かを求めて、もしくは助けを求めているようでもあった。そして私もその私の心の中を覗いている人の心の内を覗くことができた。お互いに求めあって、自分の純粋な思いを分け合いたい、そこには分断された垣根がなくて繋がることができる。複雑な、それでいて全くの雑味もなくて喧嘩した後に仲直りするみたいな感じ。喧嘩をしないで友達と話し合うことよりも信頼感を得て、実の家族以上に結びつき、昔で言う、義兄弟の契(ちぎ)り、とでも言うべきか。ひとりの人間が情報を発信して数十億人の人を感化させたいというのはあまりにも壮大過ぎるけど、たった一人の人生を変えられる人に私はなりたい。心から一人の生き方を変化させるなんて凄くない?どう思う?私は凄いと思うんだ。
店内の大型テレビでは女子高に変質者が潜入して一人の高校生を拉致(らち)して放送室に立て籠ったということが大々的に報じられている。オムライスと抹茶ラテができあがって早速食べる。ラテは黒糖のような香ばしい味わいで生クリームが入っているようで最高に美味しい。オムライスもシンプルでありながらケチャップの酸味が食欲を誘う。表面を覆っている卵もトロふわで、とてもいい香りする。こんなシンプルな料理なのに贅沢な気分にさせる。
「もし、」
「えっ?」私の席に唯一の客のチェックのジャケットを着た老人が立っていた。
「突然話しかけてすいません。私は芹澤修と言います」芹澤修?どこかで聞いた名前だ。そうだ、確か出版社を経営している人だ。ネットニュースで見たことがある。
「芹澤修さん?出版社を経営している?」
「そうです。私は後、二ヶ月の命だと言われました。病院の先生に」
「ご病気なんですか?」
「はい、今までに色々なことをしてきました。贅沢をしたり、豪邸に住んだり、美しい女性ともお付き合いしてきました。でも死期を通告されてから、全てが空しく感じたのです。快楽を追究してきましたが、後、二ヶ月の命だと、先生に言われまして最後に自分がしていきたいことってなんだろう?って思っているんです。それで出来る限り色んな人たちと語り合いたいと、まるで衝動的な気持ちで振れているんです。今までは赤の他人なんて全然相手にしていませんでした。でも、人って変わるんですね。見ず知らずの人のことを考えることが重要だと感じたんです。だからこうしてあなたに話しかけたんです。失礼ですが…」芹澤さんは見たところ健康に見えた。どこも悪そうな感じはなかった。
「実は私、この間仕事を辞めたばかりなんです。今は貯めていた貯金で生活しています。人生って一度だからゆっくりと自分を見つめ直そうとする転機だと思っているんです。こうして芹澤さんにお会いできるのって、とても光栄です」
「そうなんですか、よかったらこれから私の自宅に来ませんか?これから真剣に語り合いたいんです。私はたくさんの人たちと話し合ってきました。有名な人、政治家、作家などと話し合いましたが、所詮、一人一人の幸せを願い、幸福を求めているとは感じませんでした。もっとも大切なのはごく身近な人、一般人だと気づいたんです。有名な人との話し合いはそれはそれなりに益はあったと思います。でも、なぜか私が知らない人のことが気にかかったんです。まるで自分の全ての資産をかけても、その人のことを知りたいと思うようになったんです。私は金持ちですが今までの人生を振り返ってお金では物しか買えないと分かったんです。つまり物質的な自分を喜ばす快楽しか手に入れられないということに気づきました。それらは一時的なもので満たされれば空しさだけが後に残ります。私はそれで永続的なものを見つけたいと思ったんです。そしてもうひとつ、文学がまるで私に訴えかけるように、心に浄化をもたらすように吸引してきたのです。親しい隣人に会ったような感じと申したらよいのでしょうか。自分が経験したことを上回る事柄が展開されて飽きることがありません。なぜ、もっと早くから、若くから読まなかったのだろうと悔やまれて仕方がありません。でも、今こうして生きているのですから心配をする必要はないのかもしれません。自分のことばかり話してすいません。私は死期が間近に迫っているので感覚が鋭敏になっています。初対面でも身近に接すればその人がどんな人なのか、どんな思いを抱いているのかを的確に判断することができるのです。あなたがこの店に入ってきたとき、私は久しぶりに語り合いたいと思ったのです。病院の先生は私の身体についてとても詳しく把握しているのですが、私の心を癒すことにおいては全く理解していません。私の気持ちを汲み取ることもできないですし、親しい関係を築くことなどできませんでした。ただ、死ぬことの覚悟をするようにと言われただけです。でも、それで私は開き直りました。しかし、何故だか心は晴れやかになりました。まるで全てを投げ出したような感覚です。無駄な脂肪が全て無くなったようです。私は身軽になりました。すっきりとした、そしてどんな物事にも執着しない最高の気分です」芹澤さんの表情が全てを語っていた。そう言えば作家の吉本ばなながこんなことを述べていた。
「人は見た目だなあ。見た目に全てが出るのだ」確かにそうだ。人の心の内に宿している考えと言うのは私たちの表面に現れてくる。だから私も摂生して真面目に一生懸命に自分を磨いていきたい。自分の為だけじゃなくて他の人の為にも配慮を払いたいと思う。
私たちは喫茶店を出て、近くのパーキングに停めてあった芹澤さんの車に乗ることにした。車はロールスロイスだった。運転席に人が乗っている。お抱えの運転手がいるのか、凄いなあ。私はそう思った。後部座席に芹澤さんと一緒に乗ると、静かにロールスロイスは発進した。車内にはクラシック音楽が流れていて、どこか海底の奥深くに沈んでしまったような感覚だった。それはとても心地好く、まるで実際にオーケストラを目の前にして演奏を聴いているような感じだった。車が走っている間、芹澤さんは仏像のようにどっしりと身構えているようで一言も発しなかった。でもその沈黙は嫌な感じは全く無く、むしろ饒舌に多くを語っているようでもあった。
「あなたの名前を伺っていなかった」唐突に芹澤さんは言った。
「高山トイ、と言います」私は芹澤さんが優しい微笑みを浮かべたことにとても癒された気持ちがした。
「なるほど、とても遊び心のある名前だ」
「そうです。英語のトイからきています。おもちゃのように人々の心を楽しませる人になるように。そんな思いから名付けられました。でも、実際には人々を喜ばせるよりも、私が人生で、大切な場面で楽しまされてきたという感じがします。面白いものですよね、今までに生きてきた中でこんな出会いがあるとは考えもしませんでした。大企業の富豪とこうして話し合うなんて」
「私もこんな出会いを作ってくれた神様に感謝しなければ。死ぬということが分かってから私は神の存在を強く感じているのです。今までそんなことは思わなかった。神がいるなんて。トイさんは神様を信じますか?」芹澤さんは流れていく風景を眺めながら言った。
「神様ですか…考えたこともなかった。今までにそんなことは思ってもみなかったです」
「そうですか、その話は私の家に行ってからにしましょう。今はゆっくりと静かな時を刻みたい気分です。こうしてトイさんと一緒にいられるだけで私は癒されます。不思議ですね、全くお互いに接点がないはずなのにこうして知り合うことができるなんて。素晴らしいことだと思いませんか?見知らぬ人と結びつくことほど最高の出会いはないということを。これこそ私が求めていたことです」
「私もまさか横浜でこんな出会いがあるなんて驚いています。お金持ちってどこか一般の人たちから解離していて普通の店になんて行かないかと思っていました」
「そう思いますか?私はマックとかスタバとかによく遊びに行きますよ。むしろ、高級フレンチなんかには行ったことはありません。唯一の贅沢は刺身を食べることです。いつもは節制して土曜日だけ美味しい食事をすることを楽しみにしています。毎日贅沢をしていたら自分の精神にも肉体にもガタがきてしまいます。昔はお金持ちの仲間たちと今思えばバカなことをやっていたなあと自分を恥ずかしく情けなく感じますが、その過去があったからこそ今の自分があると思います。まるで人生は打ち上げ花火みたいなものですね。今でも私の友人はお金を社会に還元するべく滝のように使っています。昔の私と同じように。私が覚醒したことで仲間たちは私から離れていきました。でも真夏の暑いときに冷たい水を浴びるような爽快感を得ています。人は変わるものですね。病気になったことで真理の道へと歩むことができたのです。私の資産は三兆円ほどです。でも死が迫って、後1日生きるためにその全ての資産を差し出さなくてはならないとしても、私はその三兆円の資産を差し出すでしょう。そうではありませんか?きっと誰しもがそうするでしょう。と、すると、一日はお金では買えないほどの価値があるということですよね。だから私はこの一日一日を大切に無駄にしないように味わうかのように用いているんです。よく死期を迎える人たちが風に吹かれる可憐な花を見て心を動かされるというような話を聞くことがあります。実際に私はそのことを理解しました。俳句の神様である松尾芭蕉がたくさんの句を残していますが今までなら感動するなんて無かったのですが、最近彼の句を読むとそれがいかに素晴らしいのかを知ることができます。自分の心の奥深くにあった自分ですら知らなかった貴重な情報を覗きこむことが、それがどんなにこの今まで生きてきた人生の中で貴重なものであるのかを知りました」芹澤さんは真剣な表情で、でも、人に対する慈愛のこもった視線で話した。
「トイさんはおいくつになられますか?」
「19才です」
「そうですか、私は70になります。こんな年齢になって言いますけど、歳なんてあっという間に過ぎるものです。トイさんもまばたきをしている隙に私と同じ年齢になるでしょう。私もつい最近まで19才だったんです。それがこの様です。今、考えてみるとこうして病気を発したのは天啓といってもいいかもしれません。あと数ヵ月の命ですが、こうして、おかしなことを言うようですが病気になって良かった。そう思います。バカみたいな話でしょう?」
「いいえ、わかる気がします。かけがえのないものを見つけることには何かを引き換えにしなければいけない、それも真理を知る為には自分の持っている貴重な命を差し出さなくてはいけない、そう私も思うことがあります。つい最近知ったことですが」車内の空気の密度が増し加わった感じになった。運転手は無言でハンドルを握っている。
「その通りです。何かを犠牲にしなければ大切なもの、大事なものを得ることはできない。私は70にしてその事を知り、理解したのです。トイさんがその事を知っているというのはとてもかけがえのないことです」
「でも、私はとても真実の答えを知ったってことではないと思います。これからじっくりと物事をよく観察して見極めなければいけないと、そう感じています。2、3年仕事をせずに、唯一、自分がこれから何処へ向かわなければいけないかを考えたいと思います」
「そうですか、今の若い人にしては謙遜ですね。これからご一緒に私の家で食事をしましょう。懐石料理なんかどうですか?私は体を壊してから日本食こそ養生する為に最高の食事だと気づいたんです。それに中華料理もね。何か、体の奥深くに栄養がじわじわと入り込むというような感覚と申したらいいのでしょうか、傷を修復して新たな細胞が生まれるといったそんな気分です」
私たちを乗せたロールスロイスは静かに大きな屋敷の門を入っていった。まるでホテル並みの巨大な鯨のような建物だ。窓際には明かりが灯っていた。屋敷の周りにはたくさんの植物が植わっており、いかにも大富豪が趣味の為に資力を見せびらかしているように見えたけど、私は芹澤さんとのこれまでの会話の中で彼の様々な近況を知らされていたので驚きもがっかりもしなかった。これからどんな会話が交わされるのだろう。とても楽しみだ。今まで生きてきた中でこれほど興奮したことはない。正直に言って私のこれからの人生においてもっとも価値のある日となるだろう。今、こうして私が大富豪との邂逅を遂げようとしているときに、人々は滞りなく一日を過ごしている。私はその中にあって、そんな人たちが思い浮かばないような関係を築くことができる。とても最高の日だ。喫茶店には感謝しなければ。私がそこを訪れなかったら、こんな出会いはなかっただろう。今までに無いような平穏、穏やかさ、なによりも真実を見つけたような、大局を極めたような、そんな華やかで、きらびやかで、金色に輝く白鳥が飛び立ったような、そんな美しい光景が目の前に広がっていた。
大きな玄関に着いて車から降りると三名の使用人が出迎えていた。
「今日はとても有意義な一日になると思うよ。彼女の名前は高山トイさん。とても愛くるしい人だ。私の最後の恋人になるかもしれない」
使用人はみんな笑顔で私たちを先導してくれる。大きな扉を開けて赤いカーペットが敷かれた廊下を歩いて、壁に掛かった西洋の絵画がたくさんあった。廊下の中間位まで歩くと室内へ通じるドアを開けると中へどうぞ、と私を招いた。部屋の中は壁全体が書棚となっていて蔵書が詰め込まれていた。微かに本の匂いが漂っていた。とても落ち着くというか、図書館のようながらんとした雰囲気ではなくて、とても歓迎されているような、とても好印象な感じだ。
「この書籍は私の父の蔵書なんです。父はこの本に囲まれている時が最高の幸せだと言っていました。でも私が若い頃はそんな堅苦しくて見向きもしなかった。でも、今になって父親の気持ちを理解することができました。書物はかけがえのない友のようです」
「なんだか落ち着く部屋ですね。実は私も本が大好きなんです。こんなにたくさんの本はありませんが、大切にしている本に囲まれるのって最高ですよね」
「そう、自分の心の中に灯火が灯っているときに書物を開くなら、どんな駄文だってたいそう心に訴えかけるように感じる。不思議です。可憐な花のようだ。書物は生きている。そう思わせます。静かにこの部屋で寛(くつろ)いでいるとき、その間、自分は生きているんだ、と、改めて感じます。ほら、鳥の鳴き声がするでしょう。まるで俳句を詠んでいるように聞こえませんか?私は喫茶店や道行く人たちが話し合っているとき、とても深い、謎めいた告白をしているようなそんな気がしましてな、私はあと2ヶ月の命なんだ、毎日を大切に生きたい、じっくりと味わおうと考えているんです。先程も言いましたかな。老人なもんで同じことを繰り返して言う癖がありまして」芹澤さんは周りの本棚に収まっている書籍を見渡しながら言った。
「お気持ち分かります。私は健康そのものですけどいつも毎日を充実した日にしたいと思いながらもつい惰性で生きてしまうんです。そんな日が続いてこれではいけないと感じていたんですが、その時、芹澤さんにお会いしたんです。これも何か導かれたような感じです。人は何処かで繋がっているような気がして」
「そうだね。人はきっと情報を脳かどこかで発信してそれを脳という受信機で受けているような感じがします。私も人が人を引き寄せるということが死期が近づくにつれて確信するようになってね、自分が望むことを引き寄せるのではないかと感じているのです」芹澤さんはソファーから立ち上がって本棚に向かった。そして一冊の本を選んで私に近づいた。
「この本を見てください」芹澤さんはその一冊の本を私に手渡した。
「随分読み込まれた本ですね」
「最初のページを開いてください」
私は本を開いた。タイトルとその下に作家名が印字されていた。はて、この作家は?
「お察しの通り、私の父です。私にとって父はとても愛情のある人でした。いつも、いつでも私のことを抱きしめて頬擦りして、じっと私の視線を見つめて、お前は私の宝物だ。こんなにかけがえのない存在はない。いつもお前のことを考えているよ。って私が大きくなっても言い続けました。父は私が二十歳の頃亡くなりました。でも、今でも私の心の中にとても大きな存在として居座っています。まるで今でもすぐそばにいて深い愛情を注いでくれているみたいに」部屋の空気が圧縮されたようになって鼓膜が心地好く震えた。深海の底に浸って何か知らない物質を、それはかけがえのないものであるのにそれが何か分からなかった。でも、必要なものを買い揃える為には重要なものではあるということは理解していた。海底から上がるにはとても時間がかかる。導きも無しにはこの場面においては生還する見込みはない。ただ、自分を信じていればいいと言うのではないと思う。それらを解決するには私以外の人に手助けを求めなければいけない。そのことを分かっているのに自分の感性を信じていかなければならないという、自我が常にあって、どうにか問題に対処することができないかと思案している自分がいる。
「さあ、食事にしましょう。こうして信頼できる人と一緒に食べることはどんなフルコースの料理にも勝ります。トイさん、食堂に行きましょう」
私たちは使用人と一緒に食堂と呼ばれている部屋に入った。大きなテーブルに華やかな料理がたくさん並べられている。とても神秘的な雰囲気が漂っていて、涼風が流れているようだった。案内されて席に座った。対面して芹澤さんが私の真正面に座り、満ち足りたような表情をしていた。私はカレーライスとか鳥の唐揚げとか豚汁みたいな庶民的感覚の持ち主なのでどんな豪華な食事かなと思っていたけど、並べられている料理は意外と質素といったら違うかもしれないけど、それでいて母が一生懸命に作った料理という感じだった。そしてその風景というかその料理の温かな情景を見て心から感動して思わず涙が流れてきた。こんなことは初めてだった。
「さあ、食べましょう。こうして心から分かち合える人との食事は最高に美味しいですね。料理によっては本当に人の心を動かすことができるんです。私も寿命を聞かされた時から食事に対する姿勢というものが変わりました。最後の食事に何を食べたいのか、きっと素朴なものを欲しがるかもしれませんね。納豆ご飯とか豆腐の冷奴みたいな。でもこってりとしたステーキとか寿司などになるかも、今から想像すると期待が高まります」
欧米風の料理と違って強烈な匂いは感じられなかった。でもその見た目で大自然の風景を垣間見せてくれる。懐石料理はとても落ち着くようなそんな感じを与えてくれた。私の大好物の刺身がある。それに魚介類の炊き込みご飯、ひょっとしたら芹澤さんは私の外面からどんな食べ物が好きなのか見分ける力みたいのがあるのだろうか。でも、その事を聞く勇気がなくて、ただ、呆然として料理を眺めていた。芹澤さんは男版魔女のような秘めた笑顔を見せている。きっと私の思いなんてお見通しなのだろう。でも、その表情は人生を達観した晴れやかなものでもあった。私にまで自分の心のうちに宿している貴重な宝物を与えたい、そんな気持ちがにじみ出ている。この世の中では芹澤さんみたいに自分の死期を受け入れて、この先人々に自分の心の燃焼を分け与えたいと思っている人も意外と多いのではないだろうか。そんな辛い思いをしている人がいるという事を私は芹澤さんに会うまで心に留めたことはあまり無かった。でも、彼との出会いによってそんな人がけっこう身近にいるんではないかと、私が住んでいる隣の人にも感情があって、私と同じように笑ったり悲しんだりするのではと考えるようになった。それは大きな成長だ。それでも自分が主体であることには変わらないし、人に対して親切や愛情を与えることができなくてがっかりすることだってあるだろう。こうして芹澤さんと出会えて本当に良かった。私は伊勢海老の刺身を箸で取って食べた。すごいプリプリで甘さが口中に広がった。こんな経験は初めてだ。ここまで食事をして感動を覚えるなんて!そして大好きな炊き込みご飯をいただいた。貝の出汁とふくよかな風味が心にまで響いた。小さな一人用の鉄板には和牛の肉が乗っている。ジュージューと香ばしい匂いが食欲を誘う。こんなに贅沢な食事は初めてだ。それ以上に芹澤さんとの会話がとても楽しい。自分の心の中にたまっていたものを吐き出すように、体が浄化されて、秘めていた不安とか悩みを払拭することができる。
「トイさんと一緒にいると、まだ私が学生だった頃の、初めてできた彼女のことを思い出します。その当時は手を繋ぐことはまだご法度というか、慣習がなかったのですが、私たちはそんなことはお構い無しに手と手をとりあって幸せに満ちた時間を過ごしていました。ほんとに懐かしい。ついこの間のことのようだ。トイさんは失礼ですが恋愛はされていますか?」
「いえ、私は恋愛に対しては億劫というか、この歳ですが自分をレベルアップする為に恋愛モードをセーブしているといったほうがいいでしょうか。お互いに恋愛感情を抱くといったことも良いと思いますが、その時間をもっと大局的なことに使いたいんです」
「なるほど、それは社会の為というか、多くの人に自己犠牲的なことを成し遂げたいという意味ですな。私も今、同じようなことをしてみたいと思っているんです。自分の為だけではなく、人の為に幸せを与えたい、そんな気持ちが、私自身病気であるにもかかわらず、沸き上がってくる。トイさんの気持ち、理解できます」芹澤さんはナイフとフォークで鉄板から肉を皿の上にのせて裁断してから口に含んだ。とても美味しそうで私も同じようにした。油が口中に広がって脳にまで快感が伝達して、生きてきて良かったと、自分でもその感想が軽薄ではないかと思ったのだけど、それ以外の考えが浮かび上がらなかった。そして思わず吐息が出た。最高の瞬間だった。テーブルの上には綺麗な花が花瓶にさしてあり、その香りが微かに私の鼻をくすぐった。恍惚(こうこつ)という言葉が浮かんだ。それ以外の表現ができなかった。
食事が終わって、コーヒーが運ばれてきた。芹澤さんが先ほど見せてくれた彼のお父さんの本を手にとって開いた。
「ここには父が経験した様々なことが物語形式で書かれています。献辞は私、芹澤修となってます。愛する我が子、芹澤修へ。おまえが生まれてからというもの、私には毎日が奇跡的な豊穣の果実を噛っているように思えた。生きることの喜び、他者に対する愛情、その事を生まれたばかりで何も発することができないおまえから教わった。なんて凄いんだろう、生命力に満ちている赤子は」語り終えると芹澤さんはちょっとおどけたような笑顔を見せた。世界は私たちの考えとは関係なく進んでいるし、毎日亡くなる人、または誕生する人で満ち溢れているのだけど私たちは人のことを自分の人生とは切り離して考えることしかできない。どうしたらもっと簡単にいうなら感情移入することができるのだろうか。
「若い時はいろんな悩みがあってどうしたら自分の問題を解決することができるのだろうかと考えるものです。私も父からの遺産と地位を得て、毎日が薄く霞んだ世界に見えていました。いくらお金を湯水のように使おうとも自分の疑問や幸福を満たすことなんてできはしなかった。どうしたら本当の幸福を手に入れられるのだろう?それは私が直面する重大要素でした。それから私は色々な書物を読んで知識だけは博識になって色々な講演に呼ばれるようになりました。そのことは私にとって、まるで目の前にある霞がとれたように最初は感じました。でも、それでも、心の底から沸き上がる疑問の解決とはならなかったのです。あらゆる哲学、宗教、スピリチュアルなどにも手を出しました。しかし、多くに場合、それらは問題の解決どころか混乱を生じさせるものでしかなかった。人の弱味につけこんで暴利を貪る偽りだと感じたんです。いかにも正当なことを言っているようで、幸福になるためには巨万の富を得る方法を教えましょう、って言うことなんです。私にはすでに一生使い尽くせないほどのお金がありましたし、自己啓発書が使う常套句なんかは実践済みでした。私は絶対に、必ず真理を見つけ出してやる、そう心に決めて諦めずに毎日、哲学書や宗教書を読み漁り続けたのです。たとえ真実を見つけることができなくても途中で妥協したくはありませんでした。この私の人生はただ単に自分の遺伝子を次の世代に受け継ぐだけのものでしかないのか?それだったらこの私の蓄積された命は全くの夢幻でしかないのか、自分の生きた証拠は他者に共有されることなく、一輪の花が咲いて種子を地面に落として次の世代に残すような、ただそれだけの生涯でしかないのか、なんて不思議なことなんだろう、そう考えると自分の生きざまに対してできるだけ真っ正直に、誠実に生きてやろうと思うようになったんです。ただ、風が流れて私の肌に触れるだけで幸福を感じました。鳥のさえずり、歩道を歩く小さな子供、そんな些細な風景を見るだけで私は幸せでした。この世界にはまだ救いようのある、一見すると見落としてしまいがちな一瞬の光景に真実を発見することができると気づいて残りの人生をできるだけ目に焼きつけておこうと思いました。毎日を掌に一粒一粒落ちてくる滴を受け取るように、僅かなことにも神経を張りつめて生きていくことはとても美しく思い、思わず心地好いため息をついてしまいます。この1日はもう二度と戻ってこないのだと、この今を生きることに貪欲でありたいと、自分の肉体が朽ちるまでにあと何日残されているのかを心待ちにしている自分を発見してとても得難いほどの安心感を得たのです。トイさんに私のエネルギーとでもいいますか、私の持っている遺伝情報を分け与えたいと思っています。私に出来る限りのことをしたい。金銭的な援助も含まれています。あなたが一生かかっても使うことができない額を差し上げたいのです」
「とても芹澤さんの抱いている感情や思い、気持ちは私にとって最高の料理だと思います。私も何か芹澤さんの残りの人生で役に立つのなら何でも言ってください。私にできることなら」
「そうですか、では、毎日夕食を作ってくれないでしょうか。私が死ぬまであなたの手料理を食べたい」芹澤さんは目の前に拡げられている料理を見て、こんなものには興味がないといった素振りで言った。
「はい、喜んで。でもたいした料理はできませんよ。カレーライスとは豚汁とか唐揚げなんか得意っていうか、しょっちゅう作っています」
「ははは…それは凄い!私が今までに食べたことがあまりない、とても楽しみです。私はそうしたシンプルな家庭料理に憧れていたんですよ。それで豆腐や納豆なんかが好きになった。素朴というか侘しいというか、そんな料理が最高のご馳走だと分かったんです。トイさんの料理、本当に楽しみです。これから毎日がワクワクする日々が送れると、ああ、何て言ったらいいのだろう、限りのない宇宙を遊泳している気分と言ったらいいのか、とにかく人に愛されている、そんな優しさに包まれている、そんな感覚です。本当に楽しみだ」
「私も芹澤さんに出会えて最高に幸せです。こんな言葉を率直に語れるなんて最高ですよね。これから一生懸命に料理、作りたいと思います。真っ向勝負、シンプルで家庭的な料理、楽しみにしてください。きっと安心できる料理を毎日食べられると期待してください」私は芹澤さんが幸せそうな表情をしているのを見て、とても嬉しかった。これから有意義な生活を営むことができる。でも日を重ねるごとに彼の死が近づいていくことに衝撃を覚えた。その気持ちが芹澤さんに伝わったのか、彼は右手をつきだして私を安心させようとした。
「死の宣告を受けて以来、私は自分の姿をよく鏡で見つめることにしました。この私という物体が、存在がこうして生きているんだと不思議でなりません。この肉体が滅びていつかは消え去るということが2ヶ月後に迫っているということも何処か他人事のように思われます。そして世界ってとても広いようで実はたいへん狭いよなあって思うことがあるんです。じっと自分を見つめながら他人にとってこの私はいてもいなくてもいい存在だと、でもこの私という存在は世界にとってどれほど貴重な生き物かということを知ることが、唯一の幸福だと、その為には神の存在を知ることができなければいけない、そう思ったのです。私のことを全て知っている存在、それは神しかいないと、それが唯一私を救う手だてだと理解しました。どんな状況下でも、どんなに苦しんでいたとしても、悲しいとき、寂しいとき、嬉しいとき、その事を全て知ってくださる神がいるということは私の心を癒し、浄化してくれました。トイさん、そんな存在がいたら最高に幸せだと思いませんか?身近にそんな人がいるとしたら心が穏やかになりませんか?目には見えない存在ですけど、私は、私の身にはその神の存在というものがひしひしと迫ってきたのです。風が目に見えなくても肌に触れるように、電波が目に見えなくてもテレビに受信して映像が見られるように、神がいるということは、身体にビンビンと感じることができるのです。よく考えてみてください。私たち人間がいかに精巧に作られているかを。これが突然変異によって誕生するななんてことが起こるでしょうか?人の視力、聴力、嗅覚、味覚触覚などはまさに芸術品とでも言うべきものではないでしょうか。あまりにも素晴らしく美しく作られています。これが全くの無から単細胞生物が生まれて進化を繰り返し、人間という驚くべき生物ができたなんて信じられますか?結論を述べるなら、私たち人間は私たちより高等な人格によって作られたと結論せざるおえないと言うしかありません。トイさんには馬鹿げた話に聞こえるかもしれません。でも私はとても慎重な人間です。様々な話を聞いてきました。いろんな哲学、宗教を調べてきたつもりです。なぜ、神が存在するということを認めるようになったのかは先ほど述べたとおりです。あまりにも私たちはくすしく作られている。それに様々な食物、これは人の味覚や嗅覚に訴えかけるように作られていないでしょうか?果てしないほどの味わいがあって神は私たち人間を喜ばせることを意図されていると感じることができます。とても信じられないでしょう。でも私は毎日を神のことを知ることこそが真の幸せに直結すると考えているんです。その思いは日を追うごとに増えてきています。そうだ、トイさんに差し上げたいものがあるんです。ちょっと待っててください」そう言うと芹澤さんは席を立って食堂を出て行った。私は目の前にある華やかな食べ物をうっとりしながら見つめ、一つ一つ食べた。どれも滋味あふれ、心も脳も感激するような味だ。
世界中では、やれ不倫したとか、やれ、有名人が自殺したとか、正直自分達の生死に関係ないことが言われ過ぎている。私たちがもっとも興味や関心があるには自分の幸福であるはずだ。この世の中は自分の既得権益を取りこぼすことを恐れて回っているのではないだろうか。そんな中で私たちはこの世界の中で生きていかなければならない。それにはまず、希望がなければいけない。ただ、目先の利権に目が眩(くら)むことは避けなければいけないと思う。自分も将来に向けて軌道修正しながら周りの人たちの考えを吸収して歩むことだって必要だろう。人は本来なら強き者をくじき、弱き者を助ける、そんな気概がなければいけない。でも周りは世間体を気にして多数の人が強きもの、つまり勢力を持っている者に迎合しがちだ。私たちは少数の意見をじっくりと考えてそこからダイヤモンドの原石を見つけなければいけない。貴重な物は僅かしかいない。宝物はすぐには見つからない。だからこそ、真実は隠れたところにあると見ていい。それは何処にあるのか?それは一人一人が自分で見つけなければいけない。誰も答えを、自分の宝を見つける為には血の滲むような苦しみからしか見いだすことはできないと思う。人によってその幸福度は違う。人がたくさんの富を得ていても、それが幸せの基準とはならない。私たちはよく言うようにみんな同じ土俵に立っていて、王様もホームレスも、もちろんお金があれば様々な物を買うことができるし、優雅な生活を行うことができる。でも、たとえ数兆円のお金を持っているからといって命を伸ばすことなどできないのだ。そして死んでしまえばその富を黄泉(よみ)に持っていくことはできない。本当に儚(はかな)いものだ。でも、それほど自分にとって死とはとても衝撃的なのに、事件や新聞のお悔やみ欄などをみてもぜんぜん悲しみは浮かばない。なぜなんだろう。でもいちいちそのような数多くある死人に対して悲しんでいれば自分を平静でいられないだろう。病院だってそうだ。先生や看護師は毎日たくさんの人の死に直面している。それでもその死を見つめて自分の心を悲しみから遠くに離す必要があるだろう。芹澤さんの死についてこれから私は真摯に向き合って彼のことを日毎ごとに身近に接し、感情移入して深くかかわり合うだろう。究極的に言えば私と芹澤さんは同じ血が流れている。言ってしまえば親族であり、そう考えてみると私たち全ての人間は同類だと言うことだ。天皇もホームレスも一緒なのだ。それを誰は天皇の血をひいているとか徳川家康の子孫だとか、そんなことを有り難がる人が、とくに日本人には多いのではないだろうか。私たちは同じ地球という星に生まれたのであり、そこに誰が高貴の生まれだとかそんなことはどうでもよいことだ。でも世界ではイギリス国王の私生活を報じたり、また、貴族階級があったり、そこのところ残念でたまらない。とにかく私たちの周りで繰り広げられている雑念を取り入れないようにして真実の正しいと思われるものに意識を集中するべきだ。自分の心を振るい立たせるような感動を覚えるものを、心を清め浄化させるものを焼きつけたい。
食事を終えると芹澤さんはお父さんが執筆したという本を私にプレゼントしてくれた。
「本当にこんな大切な本をくださるのですか?とても有難いです。じっくりと読み進めていきます」私はその本には熱源みたいなものが具わっていて、読む前からこの本が私にとってバイブルのような存在になることをひしひしと感じた。牛革製の黒いカバーで鼻を近づけると心地好い香りがした。そして古い本に特有の甘い発酵した匂い。今日家に帰って読もう。でもあまりにも集中し過ぎて徹夜になってしまうことを恐れた。でも時間はいくらでもある。人生は長いのだ。私にはあと、50年以上の、もし病気をしなければだけど生命があるのだし、何よりも芹澤さんがいて、きっとこのあとお互いの燃焼する魂を分け与えて精神面での、もしくは肉体面でもエネルギーを増し加わっていくだろう。このまま成長していったら私は何処へ向かっていくのだろう?それが多少心配でもあったけど、でも必ず良い方向へと向かうにちがいないだろう。
私はアパートまでロールスロイスで送ってもらった。とても体が軽い。ふわふわと浮いてしまいそうだ。部屋に入るとベッドに倒れこんで天井を見上げた。そこは鏡で磨かれたみたいに私の体を反射していた。私の姿はとても輝いていて純金のような人を魅了するかのような暖かさも秘めていた。私は思わずにやけてしまって、クスクスと声をあげて笑ってしまった。最高の気分だ。手に持っていた本をお腹の臍の中心に当てて、その本が発熱して私の全身を温めていることに気づき、目を閉じてその本の内容を読み取るみたいに集中する。すると一つのイメージが脳に浮かび上がってきた。それは生まれてきたばかりの赤ちゃん、それはきっと芹澤さんだ。大きな声で鳴き叫んでいる。手と足を懸命に動かしてその身体には液体がついていてテラテラと光っている。私はその子に手を伸ばして抱こうとした。その産みの親は私のことをじっと見て、にっこりと笑った。そして私の手を握りしめて生まれたばかりの小さな子を私の両腕にのせた。まだ臍の緒は繋がっていた。その一本のとても重要なラインが今まで赤子の生命を存続させるべく働いていて、今その役割を終えたのだった。とても温かくておもいっきり泣き叫んでいたけどその声はとても清涼で心を落ち着けるものだった。その映像が頭に浮かんできても何も不思議には思わず、それが自分が造り出したものなのか、それとも芹澤さんにいただいた本の影響であるのかは定かではなかったけど、私の内にこれから起こる伴奏曲のように新たな世界を見出だしてきたことにとても興奮していた。天井は真っ白に戻っていて、そこには私の姿は写っていなかった。ベッドから起き上がり芹澤さんに貰った彼のお父さんの本を手にとって開いて見た。最初のページに紙が挟(はさ)んであった。何かな?と思ってよく見るとそれは小切手だった。0がやけに多い。その0の数を数えてみると10個あった。その後に1がついている。100億?100億円?一瞬呆気にとられたけど、宝くじに当たった感じといったらいいのだろうか。嬉しさも興奮も何もなく、ただ、ぼーっと意識が遠退きそうになった。その後に私は一生働かなくていいんだという安心感が沸き上がってきた。もうあくせくして仕事をすることもないんだ。ありがとう、芹澤さん。そんな穏やかな感情が表面に現れてきた。とりあえず何かをしようという感覚は無くて、外に出て散歩をしたい。この火照った体をクールダウンしたいなと思った。それからファミレスに行ってゆっくりコーヒーが飲みたい。私は立ち上がって大きく両腕を天に突き伸ばして大きく呼吸をした。この本を自分の部屋で読むには何か死と隣り合わせになっているような感じがして心が騒いだ。動揺というかこの芹澤さんの父親が書いた本はこの小切手以上の価値があると私は悟った。正直、百億円以上の喜びがある。この本を読める喜び、嬉しさ、ワクワクとして財布とスマホと小切手をしおりがわりにして本に挟み、アパートを出た。
ファミレスの店内は静かで所々カップルやお一人様がいてこの時間をお互いに共有しているという雰囲気がした。私は席に座って本をテーブルに置いて、じっとその本を見詰めていた。コーヒーをセルフサービスで淹れて時間をかけて飲む。体がその褐色の液体を浸透させて、胃から他の細胞へとじわじわと温まる。私の隣の席には家族で食事をしている人たちがいて、小さな女の子が母親に抱き締められている。それがとっても美しい光景で女の子とその母親が顔を近づけ合ってじっと瞳同士を見つめ合っている。お互いに言葉はなくても全てお見通しだと言った感じで様々な情報を交換しあい、満たされているようなそんな大自然を見た時の印象を与えた。私も芹澤さんとこんな意思の疎通をすることができるのではないか、そんな予言めいたことを考えている自分がいた。目を閉じてゆっくりと脳裏に浮かぶイメージが少しずつ現れてきた。それはとても輝いて太陽よりも大きな光体で私の全身をじわりと照らし出した。だんだんと睡魔が襲い私は地面に倒れてしまった。でも、不快な感情は無くて、どこか安心を与える倒れかただった。静かに時は進行しはじめている。地球の円天井は星々で美しく輝きわたり、私はとても幸せな気分に浸ってこの時間が永続的に続くことを願っていた。何時間しても見飽きない景色だ。そしてそこにはどんな悩みや苦痛といった否定的な要素は見当たらず、ただ純粋な酸素を吸ったみたいに気持ちの良いものだった。所々で細粒のように記憶がインプットされていく。それはどれも見たことがないものだったけど、自分が覚醒した時にきっと印象深く記憶に残っているにちがいない。目を開くと私は海辺に立っていた。美しい稜線が波を描いており、静かで心を揺らす波の音が聞こえてくる。目を開くと店員さんが不安そうに私を見つめている。
「お客様、大丈夫ですか?」
「ありがとう、お気遣いに感謝します。大丈夫、ちょっと考えごとをしていて集中し過ぎたの」
「そうでしたか、安心しました。何かありましたら、いつでもお呼びください。どうぞごゆっくり」店員がにこやかな笑顔で私のことを真に気遣ってくれたことに感謝した。夢を見たような感覚に陥って、でもぐっすりと眠って目覚めたみたく、スッキリとした。隣にいた親子はまだじっとお互いを見つめ合っている。二人は強力な磁石で引き寄せるみたいにガッチリと結び合っている。この光景が一生続けばいいのに。私は美しい風景画を見ているようにその親子を見ていたのだけど、今日限りその親子を見ることは多分二度と無いんだと思うとせつなくなってきた。でも自分が想像を活かしてその親子の未来を良い思いへと考えることができるし、これからいろんな人たちとかかわり合って自分の心に栄養を得ることができるのだ。私たちが生きている世界はどんな人と身近になるのか、それはロシアンルーレットみたいに自分では選ぶことができなくて、かなりの確率でその影響を受けてしまう。私は130才までは生きたい。それは不可能なことだろうか?できるなら眠るように死にたい。でも死ぬ直前にああ、これから私は死ぬんだなって実感することはできるのだろうか。芹澤さんのように死期が分かればいいのに。あと111才の時間が残されていますよ、って感じに。ほとんどの人は自分の死について真っ正面から向かい合うことは、おそらくないだろう。ただ、漠然と生を、生きることに精一杯だと思う。でも自分が死ぬことをわかっていて、毎日を大切に、有意義に生きようとする姿勢はとても価値のあることだ。これから先の自分の歩みかたをしっかりとレールに乗りながら目的地に向かって進むことは自分の精神的、肉体的な健康にも寄与することだろう。だからこの毎秒毎分を無駄にしないように前進していきたい。でも、時にはがっかりしたり失敗をすることだってあるだろう。そんなときは自分が経験した過去の思い出を回想して心を温めよう。
テーブルの上に置いた本は私の様子を見守っているように思えた。早く読んでよ!ってみたいな感じでそこには人間性があって、その本自体がまるで呼吸してドクドクと脈拍を打っているようにも思えた。私は期待に胸を膨らませてそっと本の表紙に触れてみた。微かな、それでいて身体中が引き込まれるような感触で、でも大した現象は起こらなかった。でも突然雨が降りだして傘を持ってこなかったことを、それもちゃんと天気予報を見てこなかったことに失敗したなとちょっと落胆した自分がいた。かなりのどしゃ降りできっと傘を持っても用を為さないような感じだった。その雨はまるで引いては打ち寄せる波のような感じで思わず引き込まれた。その雨音を背景音にして私は芹澤さんの書いた小説を読むことにした。最初の1ページ目には芹澤さんの父親の名前が明記されていた。最初の文章には献辞が捧げられていた。こう書かれている。
『私はとても、たいへんお金持ちなんだけど、そこからは何の幸福も見いだすことができないと分かった。本当の幸せとは物質的なものでは換算できなくて、唯一愛する人を見つけ出すことこそが真の幸福に繋がる道であることを知った。そして感謝とともに私のことを気遣ってくれる親友たち、また私の愛する伴侶である妻、もっとも愛らしい宝物である息子の修にありがとうと言いたい。これから私の人生に起こったことを題材にして、それを下敷きに物語を書き記す。実際に起こったこと、心に思い浮かんだ現象を語りたい。私にとって一番大事なのは家族だ。でもそのなかでも血が通ってなくても真の友情とか隣人愛が最も偉大だと気づいたことは私にとって最大の利得となった。これからもそんな人々と交流を図ることができたらと思う。この私が書き記した物語は創作でもあるし私が実際に経験した事柄をアレンジしたものもある。そして最後に知らせたいことがある。この小説はたった一冊しか出版されない。つまり読者は限られているということだ。ごく少数の人に、私は自分が描いた小説を読んでほしいと願っているし、限られた読者にとって大切な存在として受け取っていただきたいと思っている。時に読み手は自分の人生を振り返って過去を回想するだろうし、これから先、自分も同じような経験をすることだろう。その時、私が描いた物語が役に立てたらとても嬉しいし、その事を第一にして描いてきたつもりだ。さあ、寛(くつろ)いだ気分で読んでほしい。きっと自分で言うのもおかしいけど気に入るだろう。この不可思議で謎めいた物語を存分に楽しんでいただきたい』
私はその序文を読むと体が温かくなるのを感じた。そして心臓の鼓動が首筋にドクドクといったふうに伝わって、思わず吐息が出た。それはとても心地よく穏やかでこれから自分の人生にとってこの書物が重要な役割を果たすであろうことが推察された。私にとってとても毎日を送るうえでの指針となるにちがいない。この書物は生きている。生きていて力を及ぼして大衆には影響を与えることはできない一子相伝のようなものだ。でも私の思い、気持ちはできるだけ多くの人にこの物語を知って欲しいということだ。自分だけのものにするのではなく、互いに分かち合いたいという考え。芹澤さんからこの書物を譲られて私にできることはなんだろうと思った。とにかく今しなければいけないことは、この書物を読むことだ。その先はきっとこの物語が導いてくれるだろう。それからページをめくって読み進めると、いかに芹澤さんのお父さんが繊細な感覚の持ち主で美しい文章で世界を展開しているかが分かった。文字一文字を大切に扱っている。そのことがとても嬉しかった。こんなにも物語を書くことに真剣になれるのだなあと感心して、一ページ目を再度読み返してじっくりと味わうかのように、その余韻に浸った。まるで読むたびに熟成を重ねるような感じだった。そして本から漂ってくる経年劣化の紙の香り、私はこの臭いが大好きだ。元々紙は樹木からできている。ウイスキーも木の樽に入れて何年、もしくは何十年と深い眠りを重ねて素晴らしいエレガントな芳香と味わいを著す。私も年齢を重ねるたびに人々を魅了する、まるで真夏の日光が容赦なく体を照らして肌からジワジワと汗が流れ出す時に飲む一杯の炭酸飲料のようになれたらどんなに爽やかだろう。静かに呼吸をしていて、それでいて純良な酸素を吸い込むみたいにエキゾチックな気分になれて私は幸せだ。そう、生きているだけで、それはよくある名言みたいだけど心からそう思う。私の元には百億円という途方もないお金が入ってきたけど、そのことはとても嬉しいし、煩雑な仕事から解放されて自分を見つめ直すことができるということは、これからの生き方に決定的な自省を促すにちがいない。そして、もっとストイックに自分の周りにある無価値なものを削って、できる限り純良な思いとか抱く気持ちを充満させて自らの歩みを、敷かれた線路を、それは自分が作り出したものではなく、誰かが残したものであるはずだけど、その残りかすを集めて新たなレールを敷いていくのだ。必ず突き詰めていけば私が求めている真実、真理へと近づくにちがいない。その為には常に清涼なる川から自分の心を癒すような水を汲み上げる必要があるし、濁った水を濾過するような判断力を身につけることだってできなければいけない。そして大切にしている人たちだけでなく、私の遠くへと離れている人たちのことを省みることだって重要だ。実際の血肉を通わせているかどうかにかかわらず、自分と同じような考えをもっている人との繋がり、それを芯としてこれから歩んでいかなければならない。類は友を呼ぶ、という言葉があるように、意識していなくても終局的に自分と似たような人たちが私の側に寄り集まるだろう。その事は確かだと思う。私たちは今、瀬戸際に立っている。過去のフランス革命の前夜のように、現在、自分達の利権を囲い込み、一部の人たちが優雅で贅沢な暮らしをしている。大多数の人たちは目の前にある餌に釣られて対局を見極めることができていない。私たちは真の平和と幸福を求めて歩まねばならない。一部の人たちが私たちの流される血を啜って生き長らえている今の状況を打破することがどうしても必要だ。世の、ほとんどの人たちはマスメディアの影響を受けていて、遠くを見透せない状況が続いている。人々に近視眼的な生活を送るように、いわば洗脳しているのだ。私たちが奴隷であることを知らせないで、目の前にある生活を、そして人々が互いに結束しないように狡猾に分断しようと試みていでも、そのような考えはいつの日か白日の元に晒されるだろう。私たちは今、苦しい生活を余儀されているけど、必ず、自分が求めている真の幸福を手に入れることができる。その為には、泥を啜ってでも生きようと決意しなければいけない。その先には本当の、真実が待っているだろう。自分の生き方を精査して、この世の中が提供している、いかにも偽善ぶったツールに騙されないようにしなければいけない。私たち全てが経験する偽りの仮面を被った人たちの策略に引っ掛からないように用心しなければいけない。でも、たとえ自分が栄達にとどかなくてもそれは結局、自らの蒔いたものを刈り取ることになる。世のアッパークラスの人たちや資産家が私たち庶民のことに関心を示さずに生活をしていても、そんなことを恥じることはない。お金で買えるものはしょせん物質的なものばかりだ。人との友情、幸福、愛などはいくら金銭を積み上げても得ることができない。むしろ貧しいからこそ真実を見つけだすことができる。高価なダイヤモンドや金銀で飾られた宝飾品も一見価値があるように感じられるかもしれないけど、それは一合の米よりも栄養価が高いはずがないのだ。私は今手にしている物語こそ私にとっての最高の慈養分だと、はっきりと感じる。そのなかにはかけがえのない人が飢え慕い求めている友を発見することができると確約しているように思われるのだ。この物語には永続的な人を心から鼓舞し、情熱的にさせるものが含まれている。オーケストラによる演奏、数百億円もする有名な絵画、それらを上まるほどの芸術性を秘めている。心を躍らすような、まるで自分が物語に潜り込んだような錯覚を抱かせて、疑似体験をしているような感覚。それはどんな人生体験をも凌駕するようだ。だから私はとっても、どんな素晴らしい肉的な快感をも乗り越えている。ぶっ飛んで、やらかして、ダイブして、あらゆることをしっちゃかめっちゃかすることの爽快感。心おきなく自分の潜在している思いを開放して叫びたくなるような自我を深く印象づける。世界は広くていろんな人たちがいて、自分の幸福を願っているけど、大切なのは人の幸福を願うことなんじゃないかと思う。あまりにも自分ファーストという見方が広まっていて、自分中心の生き方が、自分の本能に忠実であるように推奨されている。夢を追うように、自分が抱いた野望に忠実であることが、まるで最高の人生であるかのように告げている。いつまで私たちはいがみ合ったり貶(けな)したりしなければいけないのだろう。ああ、ちょっとボルテージが上がり過ぎた。結局人は蒔いたものを刈り取ることになるのだ。でも、どうして自分の境遇を見つめないのだろう?多くの人は霊的に盲目で自分の内を振り返るということをしない。でも、現実的に考えて人を真に幸福にするのは人へ奉仕すること、ただこれだけなのではないか、そうも思う。この世の中は広くて超常現象のようなことをして人を救う人もいるし、自分の気持ちを伝えることを苦手にしている人、それでも他人の幸福を願って神に祈る人だってこの世界には大勢いるのだ。私たちは何処へ向かっているのだろう?一人一人が色々な方向へと舵を取り、いろんな思想を持ち抱いて歩んでいる。多くの人たちは目に見える形のテレビのような媒体に影響されて、それはあまりにも強烈すぎて、自分の考えてなんて持たずに鵜呑みにしてしまっている。でも結局は私たち全てはパソコンみたいなものでソフトをダウンロードして必要な、あるいは無駄な情報を出し入れしているに過ぎないようにも思う。難しいことだけど、それはインターネットにも当てはまるのではないか。結局自分好みの情報を仕入れて、正しい方向へと軌道修正するのではなくて、だんだんと、真実から離れていってしまうのだ。ああ、疲れた。誰も私のことなどわかってくれる訳がないけど、たとえ一人になっても自分の気持ち、感情は誇示していきたい。でも、百億円もあるのだから何もむやみに焦る必要などないんだけど。でも少しずつでも毎日一歩ずつ歩んでいけばけっこう凄いことができるんじゃないかな。この本の中に含まれている心を潤す言葉は大事に読んでいきたいと言う気持ちになる。深い清涼なる流れが満ちていて、もっとも大切なことは自分が心から望んでいる美しい思わず吐息を漏らすようなかけがえのない世界なんじゃないかと思う。それは遠くにあるのではなくて自分のすぐ側にあって、あまりにも近すぎて視野に入ってこないのではないか。よく言う、灯もと暗し、みたいな。私にはこの世の中で真実なものって探さなければ見つからないのではなくて、本当に身近に存在するのではないかと思う。その為には謙虚に心の柔軟性を保ってそこに降る雨のような情報をしっかりと受けとめることも大切だ。何が正しくて何が間違っているか、それを推し測るのは自分の心だけど、それだけでは結局自分にとって都合の良い情報を選んでしまうおそれがある。だからこそ、慎ましい、自分にとって不都合とも思われることを取り入れる、受容力を開発することが大事だ。自分が不完全であること、謙遜であること、必ずしも完璧ではないことを自覚する必要がある。今はいろんな犯罪がまかり通っていて、用心していないと、簡単に騙されることがある。だから人の内面を覗く能力が求められる。この世界はとても大きく、美しい動物、綺麗な花やたくさんの芳(かぐわ)しい食物で満ちている。そんな世の中で、この地球は様々な人の心を奪うようなもので溢れているけど、そんな素晴らしい環境であるのにどうして犯罪を犯す人がいたり自分の有利な、人々の心を掴み、益を得ようと走り回っているのだろう。静かな夜の闇が私の心にまで侵食しようとしているようだ。毒が広がるように必ず私にめがけて攻撃をしてくるだろう。純粋でいることは難しい。でも我慢して忍耐することで自分の中に眠っている力は強くなるはずだし、必ずといっていいほどそのことを見つめている人もいる。下手に小細工をすれば相手を調子にのらせるだけだし、でもそのことで自らを暴走させることに繋がる。私には信頼できる人が必要だ。でも主導権を握られるのはとっても困る。お互いに傷を舐めあうというのはちょっと恥ずかしいっていうか、緊張するし、なんか自分の内に抱えている、今までに起こった悲しいことを告白するというのは多分、とても重要なことなんだろう。最初に私の心に映ったものはどんな風景なのだろう。きっと初めて母の胎内から出て看護師の腕に抱かれて大きな声で泣きながら、生まれたことを心のなかで喜んだのだろうか。世界にはたくさんの誕生があって、それに等しいほどのお別れがあるのだろう。私にとって芹澤さんはこれから私の父親、いや、もっと身近な存在となるかもしれない。彼のその憧憬を秘めた優しい表情を思い浮かべると、心がきゅっと収縮して切なくなる。私にだっていつの日かこの肉体が滅ぶ日が来る。それは確実だ。でもそのことを想像しても微かな漂う煙のようで風に吹かれればすぐに消え去ってしまう。そして今、私が求めているもの、希求しているものは理解者だ。同じ考えを持つ人、世界的な人種を問わない家族関係といってもいいかもしれない。阿吽(あうん)の呼吸のようなお互いに響きあうようなもの。この世界にはそんな信頼できる人がどのくらいいるのだろう?探すには相当の労力が求められるだろう。でもするだけの価値があると思う。自分と同じ考え、思いを持った人、心から人を幸福に楽しませるような人。私は必ずそうした人を見つけだして信頼や互助の精神を世界中に広めて簡単に言ってしまえば住みやすい社会を構築していきたい。そのことを考えるだけでとても気分が良くなってきたし心が高揚して、これからも健全な歩み方をしたいという気持ちが溢れてきた。店内には静かにクラシック音楽が流れていて、その演奏は私を励ましているように感じさせた。今までポピュラー音楽しか聴いたことなかったけど、この今演奏されている音楽は私だけの為に弾かれているというような感覚を覚えた。
店を出て闇の中を歩いていると清々しい風が火照った体を癒すように流れていく。私はこれから毎日をひたむきに生きていけるだろうか?この感情はたとえ芹澤さんから大金を貰っても簡単に解決できるものではない。確かに巨万の富を手に入れることができたかもしれない。でも、根元的なもの、心のなかでは真の幸せはお金では買えないと分かっている。自由を手にすることによって、これから自分が何処へ向かって行けばよいのか今、この瞬間、必要に迫られていることが私には確信を込めて知ることができた。何不自由ない生活が訪れることによって、本当の幸福とは金銭で買えないということにあらためて気づいた。そして今、私が百億円の大金を持っているということを知ったのなら、ほとんど全ての人は、そのお金目当てで私に近づいて来るだろう。私の幸福を願っている人などいないに違いない。今、私が求めていることは何だろう?暖かい会話、そう、信頼できる芹澤さんと話し合うこと。彼の為に精一杯の美味しい料理を作って彼の心を満たすことだ。自分の幸せを願うのではなくて、人の為に働くこと、それこそ真の幸せだと感じるのだ。ああ、夜道を歩くことってなんだか気持ち良いな。自分の内面を見つめ直すことができる。車道を車が通り過ぎてその運転している人はどんなことを考えているのだろう?愛する人のことを、自分の人生を見つめてこれからどんな生き方をすればよいのかを自問自答しているのだろうか。世界には七十億人の人たちがいて、思い思いに自らを探求している。でも全ての人が真の精神的な安寧を求めている訳ではない。単にできるだけ楽に大金を稼ぐことを求めている人だって大勢いるだろう。胸の中が熱くなってきた。たった一人の人のことを思うだけで、奥深くが疼(うず)いて満たされた気分だ。私は今、この闇夜のなか、街灯が点々と灯っている歩道を歩いていて、何処までも歩みたいという気持ちだ。歩くたびに新鮮な空気を吸い込み、心が晴れやかになり、思わず独り言が出てしまう。
『私って今、とても幸せ』
こんなに孤独で、でもとっても私のことを大切に思ってくれている人がいて、こんなに貴重な時間を共有できる人が存在している。この時代にあって、誰とも話すことができなくて、一人苦しんでいる人もいる。私はそういう人を助けたい。そう心が揺れ動いた。どんなことができるだろう。直接的にそんな人たちを見つけることは難しいだろう。そうだ、ネットを使って人々を、心に傷を負っている人を助けることができるはずだ。自分の正直な気持ちを打ち明ければきっとそんな人たちの心に微かな光を当てて癒すことだって可能だ。よし、頑張ろう。私のトイって名前、人を喜ばせる為に付けられたんだよな。今までは自分のことばっかりだったけど、これからは人の心を和ませるように頑張っていこう。できることは限られているかもしれない。でも、威力を発揮して自分の割り当てられた、思いを結集して励んでいきたい。ちょっとしたことでいい、例えば視線があった人に笑顔を向けることとか、そんな小さなことをコツコツとしていれば、それこそ世界中に笑顔がいつの日か蔓延(まんえん)しないともかぎらない。でもあまりにもにやけた表情はかえって人の反応が冷たいものにする恐れがある。だから塩梅というか、手加減が必要になってくる。でも考えすぎるのも問題だ。自分の心に純粋な喜びがあれば素直な表情が現れて人を感化するにちがいない。自分がひたむきに真面目に思いを込めていれば、渦が中心でグルグル回って引き寄せるように、自分と同じ人たちを結集することができる。そんなことを考えて歩いていると月が煌々と輝いているのが見えた。マンションやビルが遮蔽物となっていて今まで見えなかったのだ。昔から静かに無言で多くの人はこの月をどんな思いで見つめていたのだろう?この地上での明かりがごく少なかった時代に数千の輝く星々を見て、この世界の不思議さをどんな思いで眺めていたのだろうか。でもこの都会では星を見ることはできないし、唯一月が私の心にしっとりと照らし出しいる。人は太陽無しに、月が無ければ生きていけない。それにたとえ自分の肉体を強靭に鍛えていても、たった一発の銃弾を浴びるだけで命を落としてしまう。それに肉体的に恵まれていても、もしくは物質的なものを多く持っていたとしても自分の命を長らえることはできないということだ。幸福って色々な洋服を着たり、美味しい料理を食べたり、高級な車に乗ったりしても、満足を得ることはできない。自分と同じ境遇の人を見つけたとしても、その人は真の幸福を求めていないことを知ってがっかりする。自己中心的で自分のことばかり考えていて毎日を贅沢に送ろうと考えてばかりいる。人と人が知り合うって大切なことだ。でも多くの人が自分の理想としている人に出会えないでいることが現実だ。なんか、人生ってすぐに移ろいやすいものだよね。あっという間に過ぎてゆく。みんな小さな赤子だったのに、いつの間にか、お爺ちゃん、おばあちゃんになって死んでゆく。それぞれ思うこともあるけど、みんなそれぞれ自分なりに生きていると思うんだ。でも、だからと言って、人を欺(あざむ)いたり、いじめたりする人を許すことはできない。この世には自分で人を殺すのではなく、他人を使って人を殺害する人がいる。それが政治家だ。多くの何万人、何十万人を殺しながら平然と生き長らえている。いいや、何千万人か。中国やロシアの指導者、彼らは民衆の力を利用して絶大な権力を持って人々を操っている。それは現代でも変わらない。私はそんな権力の操り人形のような人たちに言いたい。私の、たった一人の言葉を聞いて。隣の人を愛して。親切にして。彼、彼女の瞳を見つめて笑って。それだけでいい。私は多くを求めない。そう、それだけでいいんだから。見知らぬ人を心のなかで愛して。宇宙は広くて、それに比べれば私たち人間はちっぽけな存在かもしれない。二兆個ある銀河は一つの銀河を通過するのに光の速さで十万年かかる。でもその銀河は生きていない。たった一匹の蟻のほうが価値があるといってもいいだろう。ああ、いつの日か私も恋をしたいな。人が人を愛すること。それ意外に人が生きている意味なんかないだろう。こんなに大金を貰っても行き着くところは結局貧乏な人と違わないんだ。くすっつ!貧乏人に失礼か。でも本当に人って面白いな。色々な人がいてドラマのような人生を歩んでいる。なんて幸せなんだろう。世界は様々な要素で満ちているんだ。この地球は動物、植物などたくさんのもので構成されている。カラフルな色彩で溢れていて、美味しい食物で満たされている。たった一つの小麦粉や米だけが自生しているのではなくて、果てしない芳香や味わいを持つもので満たされている。そして人類の一人一人違う個性を持っている素晴らしさ。動物は皆、同類は同じ姿形をしているのに、人だけが複雑な表情をしている。それに人には感性があって芸術を見て感動したり美しい音楽を聴いて心沸き立つといったことが現れてくる。音楽ってどのくらい前から人々の心に浸透していたのだろう。人類のいつの時代から生まれてきたのか。鳥が囀(さえ)ずるように人も自然と音楽を奏でていたのだろうか。そして様々な器官も、視覚、嗅覚、聴覚、味覚など、たいへん優れている。なんて凄いのだろうと思うのだけど、その人体の複雑さから生命が無生物から発達したのだろうかと考える人もいる。でも、いったい誰が生物を創造したのだろうか。全く血の通っていない物からはたして心臓が鼓動する生命体が生まれるのか。ひょっとしたら私たちは私たち以上の高度な知力を持った存在によって造られたのではないだろうか。神様?いるのかな?いるとしたらきっと私の元に来てくださるはず。私はどこかで見知らぬ誰かに見られているのだろうか。私の全てを見通してて、私の鼓動を感じているのかもしれない。でも、一個人として私よりも精神年齢というか人生の経験値が高い人はたくさんいるだろう。人生経験が豊富で様々な環境の中で揉まれて上手く逆境を乗り越える術を持っていて、それで私よりも人に対して愛情深く、どんなことがあっても冷静で適切な問題を克服することができる人っている。そういう人って人生の先輩で、そんな人と交わることで私の中にある物事を処理する能力は上がるし、私自身の内面の成長に繋がる。でも、自分を真剣にその内面を見つめるということは難しい。どうしても己のわだかまっている巣窟の中にある不完全なもの、それを改善することには困難をきわめる。自分自身を客観的に見つめることはとても大変なことで、良心を鉄のように固くして無感覚にしてしまうことがよくある。真実はときに物陰に隠れていてすぐには目につかないところにある。だからその正体を探し出す為にひたむきに努力する必要がある。でもいったい隠れている真実を、そして真実を知っている人たちをどうしたら見つけることができるのだろう。その人たちはなぜ、私の前に、私たちの前に現れてくれないのだろう。この世界には多くの真実を知っていると言う人たちが大勢いる。しかしそれでもそのことを伝えている側の人たちは必ずしも幸福じゃないし、信用するには価しない。結局自分の幸せを優先させているし、人々が苦しんでいようが悲しんでいようがどうでもいいことなのだ。それでも極論すれば私たちは自分のことで手一杯だし、遠くにいる今を生きることで精一杯の人たちがいても何もすることなく自分のことを優先している。だから、せめて今、生きていることに感謝して、この生をできるだけ大切なものにして、誠実にこの道を歩むこと。そうすればおのずから人に対する態度が変化して自分だけの為ではなく、他者に関心を向けることに繋がっていくのではないかと思う。世界は、と言うか宇宙は驚くほど壮大でそんなことに比べたら私たちの命なんてとても小さくて、でもいかに銀河が巨大でも、そこには感情が無くて、蟻のような微生物のほうが価値があるだろう。ましてや一人の人間の持つ能力や素晴らしいほどの五感を備えた崇高さとは明らかにその凄さというものが偉大であるか。それなのに人間同士が争ったり殺しあったりして自分のテリトリーが侵害されたとか宇宙の観点から見ればそんなことはたいした意味を持たないと分かるはずなのに、繰り返し同じことをしていると言う愚かさ。そこから人は変化するのだろうか。なんだか立ち直って欲しい、そんな感じがする。こうして生命を宿していることの貴さ、そのことから学んでいきたい。私たちにはとても凄い能力を秘めている。だってこうして生きているんだもの。命をいただいて自由に呼吸して素晴らしくかけがえのない今、この瞬間を体験している。
ああ、体が温かくなってきた。まるで誰かに抱きしめられているみたいだ。私にはそんな気心の知れた親密な関係が必要だ。今ならたとえどんな人に対しても微笑みかけられると思う。笑顔って大切だよね。笑えばきっと多くの人にもその心の中の揺れる感情を汲み取ってくれるんじゃないかな。でも、中途半端な気持ち、恐れとかを抱きながら相手を見詰めれば、その不安が伝播するし、悲しい気持ちをいっぱい溜め込んでいれば、そのことを超能力者のような洞察力で一瞬にして理解するだろう。ほんと人間って凄い生き物だよね。今私は孤独かもしれない。それでも新たなスタートを歩むことができるし、大切な存在である芹澤さんに出会えた。あと2ヶ月ちょっとの交友かもしれない。彼が死んだら私は彼とのこれまでの記憶を糧として一生を過ごしていかなければいけないのか。それはあまりにも非情過ぎる。だからできるだけ芹澤さんと一緒に強く強烈な関係を培いたい。最後の瞬間を見つめて、将来に対して備えをしておきたい。私の目的ははっきりしている。ただ、豪華な家に住むことや、高級なブランドの服を着ること、贅沢な食事をすることには興味がなく、この世界に見られる真相を探り出すことこそ、私が希求していることなのだ。どこにその真実なるものがあるのか、どうやって探り出していけばいいのか、あまり急ぐことはない。時間はたっぷりとある。
アパートに帰ってソファーに座り、目を閉じて眼前に浮かぶチカチカとした光の束を見つめる。それらは様々な形になって私が今までに経験した事柄や夢の中で遭遇した楽しいこと、また悲しいことなどを映し出していった。その中でひときわ際立っていたのは私が幼かった時に川の流れをじっと見ていて、その川の中を色々な魚が泳いでいたことを映像として網膜に照らし出されていた。この魚たちにも祖先がいて行き着くところにはどんな生物が鎮座しているのだろう。生きていることを不思議だとも思わず、本能のまま日々を送っている。思えば人間以外はそうなのだ。人だけが自意識というものがあって自分の考えや行動を制御できる。そして生物全てに息吹きを与えている地球、本当にこの宇宙で唯一の宝石のような存在。私は今、この瞬間を生きていることを感謝したい。こんなに居心地良く新鮮な環境で機能していること、生まれてからいろんな経験をして言葉を覚えてこうして世界の諸事情を知ってその背後にある真実を私は知覚しつつある。表面的な実相だけを自分の糧とする人が多いけど、私はそんな人を欺くツールには騙されたくない。今は情報が氾濫している時代で数多(あまた)の真実と推奨されているものがあって、どれを自分の心に取り込めばいいのか混乱が生じている。ネットやSNSなどで自分が興味があることだけを吸収して、益々真実を、と言うか、この世界に真実なるものがあればの話だけど、でも必ず正統なことは、きっと身近にあるかも知れないし、自分が気づかないところで運航されていて、私の側でも存在感を日増しに輝きを発していることだってある。最終的にそれがいつになるのかは分からないけど地球は太陽に呑み込まれるのだし、私たちの子孫は滅亡のカウントダウンを運命によって定められているのだろうか。私には関係ないような感じがするけど何か今を生きていることを励ませるのではとも思う。これから大変なことが起きるけど、今、この瞬間を生きていることはとても素晴らしいことだ、そんなことを、そんなことしか伝えられないのかもしれない。でもそれは一時的な慰めだけど死ぬことに対して前もって用意をすることができる。そしてなによりも自分が信じている、信じていたこの世界に対して自分の営みを宣言することができるのだ。今までに過去に生きていた人たちも自らの経験した事柄を未来の私たちに情報を知らしてきたのだし、同じく私たちも僅かなものかもしれないけど、自分が生きてきた血痕を残すことができるんだ。それにたとえ数少ない人であっても私のことを理解してくれるなら満足感を抱くことができる。それは大好きでいつも陰からじっと見つめていた人に告白して相思相愛になったような気分だ。私は今、スポンジのように吸収力抜群でたくさんの群衆の思念を取り入れる用意ができている。さあ、みんな来て、集まって。何も恐れることはない。ただじっと心の中を見つめれば温かい液体に包まれるように穏やかな気分でいられる。
ベッドに入って天井を見つめていると、自分がこの世界で生きているということに再び感慨を覚えてくる。じんわりと感謝の念が湧いてきて思わず笑顔になってしまう。私、生きているんだ、って充足した気持ちで体の力がぬけて安らかになる。今、生きているだけで最高だと、たとえ病に侵されているとしても、ただ何もしていなくても、それは崇高なんだ。芹澤さんの生きざまをこれからじっくりと観察しよう。それは私に感化を与えてくれるはずだ。余命2ヶ月ってあっという間だ。私も毎日を、1分1秒を、芹澤さんが真剣に生きているように大切に用いたい。目を閉じて耳を澄ますと私自身の呼吸音と心臓の鼓動が聞こえてくる。そして体全体がその脈動に合わせて揺れる。私のイメージするいろんな美しい情景が私の体にも作用して、それはこれからの生き方にも関わってくる。そして私と親交を共にする人たちにも何かしかの影響を及ぼすことになるだろう。こんな世知辛い世の中だ。私一人の力なんてたいしたものではないだろう。でもただ、つったっているだけでは、私の生きている価値は無いにも等しい。だからどんなに些細な事柄にも誠心誠意対応していきたい。一滴(ひとしずく)の水滴が水面に落ちると波紋が広がるように、私もアクションを起こすなら周りにも影響を与えることができる。できるだけ大きな水滴でいたい。そうすれば多くの人の心にときめきや震える感動を伝えられる。ひとまず信じていることってなんだろう?今は芹澤さんから貰った小説を読んで書かれていることを抽出することから始めたい。なんだか興奮してきた。胸の内が熱くなってきて、今までとは違った心の高まりを感じる。やっぱり人との繋がりって大切だな。私は恵まれている。人は本来、人との結びつきを求めている。それは利他的で心から他の人の幸福、っていうか笑顔を見たいという欲求を持っているんだ。世界中の、なぜ、こんな憎しみがある世の中になったのか、私は問いたい。多くの人に影響を与えている表現者が平和について、お互いを愛することを告げているにもかかわらず、指導者たちはそれに耳を傾けずに自分の利権ばかりを擁護している。そんな人たちは周りに大勢の人たちに囲まれていながら実は孤独で心を許せる人がいないんだ。寂しくはないのだろうか。巨万の富や絶大な権力を手に入れても、幸福そうには見えない。緊張して顔が強ばり幸せそうではない。たとえ人に影響を与えるほどの力がなくても、可憐なタンポポが風に揺られているのを見て心が温かくなる方がどれほど良いだろう。
静かに意識的に空気を吸って肺に酸素を取り入れると、いつもより目の前に見える景色が輝いて見えた。たくさんの色彩が、特に壁の白い色が光ってまるでスクリーンのように映像が現れた。そこには芹澤さんのお父さんとみられる人がベッドの上にあぐらをかいて座っていて目を閉じてじっと何かを考えているようだった。そして何かの良い兆候が見られたのだろうか、微かな微笑を見せて静かに息を吐いた。するとひとすじの涙が頬を伝った。その右目から流れた涙は光輝いていて、まるで生きているもののように明滅を繰り返している。とても心に訴えかけるような崇高な場面を見てしまった。こんなにもひたむきにひとつのことを抱いているところを私は久し振りな感じがする。これは世界の集約を見ている、そう思った。感動の涙、そして嘆き悲しむことの涙、色々な感情を併せもった、私たちはとこしえに苦しむことが運命づけられているけど、そんなことを乗り越えていけるだけの力がある。みんなをまとめあげるだけの、とてつもない力を有している、誰か人々を結集することのできる人を私たちは待ち望んでいる。そう、救世主を。ずっと私はひとりだった。でも何処かに私みたいな独りぼっちの人のことを思っている人がいるかもしれない。強く生きたい。どんなことがあっても自分の信念を貫いていたい。でも自分一人では生きていけないことは自覚している。お互いに支えあって生きていることは承知している。誰を教師として歩んでいくのか、それが問題だ。信頼できる人は、って言うか、そもそも私には身近に接する人は唯一芹澤さんしかいない。それは不幸中の幸いだ。彼を失ったら私は何処に救いを求めたらいいのだろう?命はいつか燃え尽きてしまう。それはとても悲しいことだけど、そのことを真正面から見つめなければいけない。私にだってそれはいつの日か迎えに来るのだ。それはとても驚きにも感じる。この私が死ぬなんて。静かに眠るようにその最後を迎えることができたら。でもその死を迎えて私は眠っているような感覚なのだろうか。何も感じずに、感情が全くないのか。だからこのかけがえのない今、この瞬間を大切にしたい。たくさん泣いて喜んで揉まれて色々な気持ちを抱いて生きていきたい。経験こそ最大の私を成長させる為に、試練とか精神的にタフにさせてくれるものなんだ。だからいつも前進的でありたいし、活発に活動してできるだけ多くの人に幸せになってもらえるような生き甲斐を持てたらと思う。これから先、どんな難題が私のうちに積み重なってくるか分からないけど、慎重に自分自身を見つめ直すということは大切だし、あらかじめ対策をとっておく必要もあるだろう。予想して自分だったらその問題にどう対応できるだろうか、様々な観点から柔軟に物事を処理できるように想定すること。あまりにも自信過剰な、それはおそらく自分の中にも当然あると思う。ほとんど全ての人が自分の考えで凝り固まっているだろうし、人のことを批判的にみて、自分が優位に立つような考えを抱いている。他の人が褒められたりすれば嫉妬するだろうし、自分の切り札が良いことにこしたことはない。結局自分が可愛いのであって人の不幸だとか事件を見て、自らをそれらと対照しているのだ。だから自戒して慎重に歩むこと、自分の良心に照らし出して、それが感覚的に鈍らないように細心の注意が必要だ。なぜか、そんなことを考えていると、肺が温かく感じられて、とても気分的にも満たされた気持ちになった。酸素が肺から全身へと巡って脳へと到達して、目の前に見える情景は素晴らしく美しいものだった。たくさんの都会的な街並みが、道路や歩道に樹木が乱立していた。私の眼前には多くの飛翔物、桜の花や光沢を放った香(かぐわ)しくみずみずしい果実の芳香が広がっている。私の生きているこの人生には死に近づくほどの試練なんてなかったし、心を動かすほどの転機となったことは数えるしかない。自分の最も、それこそ揺り動かすような経験は芹澤さんとの出会いだろう。心と心が融け合ってまさに融合という言葉が当てはまるだろう。まるで神様に出会ったような気分。それは言い過ぎか。でも私にとって芹澤さんは今までに生きてきた中で最高の人だ。彼ほどの人を発見できたことだけで私の生きてきた人生は彩り溢れたものになった。もし私の命があと2ヶ月だとしたらどんな生活を送るだろうか。1日1日を何か贅沢をするために用いるのではなく、自分の心の中に安らぎと平安を求めて生きようと思うだろう。そして今静かに呼吸していること、自分がただ生きているということだけに清々しい感慨を覚えるだろう。自分が今までに無駄な生き方をしていたことを悔やみ、これからは静かに自分の心の中を見つめて時間の許す限り目を閉じて網膜に写る私の思考という映写機に感動的な思いをくべるだろう。私に今必要なものは物質的なものではない。料理人であれば素晴らしい料理を作って、それを提供して人々の心を喜ばせることができるだろう。でも、ある意味全ての人は料理人だと言えるだろう。自分が温めて思いを込めた気持ちを近しい人に与えることができるのだ。私が求めているのは今を生きるというよりもっと未来を超していると言えるだろう。希望とも言える。この現実を直視することはあまりにも非情だ。この今を見詰めるととても悲惨だろう。将来の理想があるからこそ望みを繋いでいけるのだ。でもその追い求めているものは到達可能だろうか。現実的に言って私が希求していることはもうすでに解決済みだとも、すでに私の祖先たちが実行済みで私の遺伝子に取り込められているのではないか。
私はベッドの枕の横に置いた芹澤さんから貰った本を手にとってページをめくった。目の前に現れた文章は、
『本当の成功、幸福は、神なる者を見つけ出すことだ。それ以外に真の幸福追求の道はない。ほとんどの人たちが自分より低能な人の言葉をポリシーとしている』
私は指先でその書かれている文章をなぞってみた。そこに含まれている言葉が私の肉体に敏感に取り込まれた感覚がした。すると目の前に35才くらいの男性が立っていた。
「こんにちは、私は芹澤つぐむ。あなたが持っている本の作者です。私を呼びましたね。今話題の転生、いや、逆転生と言ったらいいのか。私は息子である芹澤修に会うために、そしてあなたを導く為に来ました。トイさんでしたね?私には分かる、あなたは真実を希求している。まだ若いのに。とてもたいへん良いことだ。ほとんどの人は自分の目の前にある餌をつぐむのに一生懸命だ。でもそれは真実ではないし真理でもない。ところで、大事な話があるんだけど、冷蔵庫にアイスクリームはないだろうか?いや、きっとあるはずだ」つぐむさんは若い頃の芹澤修さんにそっくりだ。生き写しというか一卵性双生児といってもいいくらいだ。
「ここはとても静かな所ですね。私が住んでいた、いや、幽閉されていた場所は人の叫び声でみちみちていた。そこに比べればここは天国のようだ」彼は目を閉じて言った。とても重要なことを語るような、そして過去を振り返る人に相応しく感慨深く、あまりにも静かにしゃべった。
「あなたはトイさん、私はあなたの微かな声に呼び起こされてここに来ました。私は今、その本の中から蘇生されたと言っていいでしょう。私が育った環境とはだいぶ違うが人は数十年ではそう進化しないということを自覚しました」そういうと私の顔をまじまじと見つめて満足したみたいに言った。
私は冷凍庫からイオンで買っておいたファミリーパックのバニラアイスクリームを出して皿に盛って、つぐむさんに渡した。彼は純粋な瞳でそのアイスクリームをマジマジと見つめて感嘆したようににっこりと笑った。
「私の時代、こんな高級なアイスクリームなんて無かった。それもそのはずだ。戦争が終わってまだ贅沢なんてできなかった時代だから。今の世の中は色々な品物で溢れているみたいだね。僅かのお金で豊かな生活を送れる」
「でも、お金では買えないものがあります。例えば親友や愛する家族」
「そうだ。トイさんはまだ若いのに、核心をつく答えをだされる。今の、現代人には欠如しているものだ。結局、物質的に裕福であっても、そのことで人は幸福にはなれない。実際多くの人が証明している」
「そうですね。お金持ちが自らの命を絶ったり、病気になって死んだりしている。物を所有していることに執着して、高価な物を得ることで満足感に満たされようとしているけど、どこか表情が死んでいるような感じがする。きっと、本当に価値のある物、いや、ことは誰かから純粋に愛されて、それがとても嬉しいっていう気持ちなんだと思います。いくら巨万の富を持っていても幸せではない、満足していない人ってよくいますから。死ぬ時になって何も死後の世界に持っていくことができなくて、自分の今までの人生って何だったのだろう?そんな疑問と未練でいっぱいになって絶望してしまうんじゃないのかな」私は昨日よりは成長しているだろうか?一歩でも前に向かっていきたい。一人でいるとき、孤独とは慣れ親しんできたしカフェのテラスでコーヒーを飲みながら路上を歩く人を眺めている。そんな感じだった。そこには様々な人が通過して、自分の心のうちを悟られないようにひっそりと歩いている人がいた。かと思えば歓喜に満ちた幸福そうに踊るように歩く人もいる。私たち人類は終局的に何処へ向かおうとしているのだろう?それはどんな大統領や哲学者、大学の教授や宗教家にも分からないだろう。でもこれだけは言える。人は互いに愛し合い、支えあう為に生きている。でも現実的に見てみると、憎しみあい、人を批判して自分の正当性を擁護している。人生のなかで自分の欲望を満たしたい、そんな人たちが少なからずいて、毎日を楽しく可笑しく生きようと、人の不幸とか悲しみなんて気にすることなく生活して、それで満足なのだろうか。まあ、それは人それぞれだ。私はそれらの人たちに拘束力をもつことはないし、信号機のように人を仕切ることはしたくない。結局自分の歩みは自分で判断していかなければいけない。
「人は一人では生きてはいけない。それは太古の昔から言われてきた言葉だ。それなのに何故人は憎しみあっているのだろう?自分のテリトリーを侵害されることを縄張りに侵入して危害を加えられたと認知するからなのだけど、まるで子供の喧嘩みたいだと思わないかね。私にも希望があった。でも、歳月が過ぎるにあって未来の安全な世界を望むことは予想をできないほどのものであることを知った。多くの人が自分の地位や名誉を最優先にしていることを知った。この世界は私の住む所ではない。でもそれは仕方のないことかもしれない。私は生きる亡霊のように生活をした。ショッピングで鏡の所を歩いている時に、何度も私は死に顔を見ることになった。複雑だよ、この世界っていうやつは。気を緩めていればどうってことはない、安全そのものだよ。私は思うんだ、人は本来愛し合うものだって、でも、それは理想で、人は憎しみあうことで進化を遂げてきたのかもしれないって、私は誰かにエスコートされることを願っていたわけではない。でもいつの間にか何故だか重要人物だと思われるようになった。素知らぬ顔でのほほんと生きようとしたのにね。雨が大地に染み込んでたくさんの食物を生成するように私は実は影で人々の運航を見ようと思ったのだ。でも太陽が輝き出せば人々に栄光を与えるように、どうやら私の書いた書物は一部の特権階級の心に沁みたみたいだ。私はもう一度自分を見つめ直して一からやり直そうと、自分の死に顔を見て笑おうと、改めて思った。考えて見ると、太陽も月も変わらず私たちを見守っている。星だってそうだ。そのことを考えると人って一滴(ひとしずく)の雨粒みたいにちっぽけで儚い夢のようだと」芹澤つむぐさんは微かな、でも少し寂しそうに言った。
「でも思うんですけど人はたとえ泥水を啜っても生きていかなければいけないって、だからいろんな人との関係でギクシャクしたりするんではないでしょうか?私は今までとても狭い世界で生きてきました。まだ経験が浅く、信頼できる人だっていませんでした。でも奇跡と言うんでしょうか、私はあなたの息子さんに出会うことができたんです。それは私の心にわだかまっていた、たくさんの疑問や悩みを解決することに援助の手を差し伸べるものでした。私はそのことをきっと生まれる前から繋がっているものなのではないかと思いました。世には必然悪と言う言葉があります。善を際立たす為の行為、でもあまりにもそんな存在がちまたには溢れかえっているように思いませんか」
「そんなことは放っておけばいい。あまりにも、そうだ、トイさん、これからフランスに行きませんか?」芹澤さんは奥深い洞窟から響きわたるような人の心を揺さぶる声で言った。
「何故フランス?」私は今まで海外に行った経験がない。ろくに日本旅行だって京都、大阪に行ったくらいだ。
「それは行ってみれば分かる。って、これじゃフェアじゃないかな。実は私もフランスには行ったことがない。でもフランス産のブランデー、マーテル社のコルドンブルーという香水のような香りのするお酒が大好きでね、君にも飲ませたいよ、あらよっと!ほれこれがマーテルのコルドンブルーだ。一杯どうかね?」つぐむさんの右手にはコルドンブルーが左手にはワイングラスが2つ。
「あなたは手品師なんですか?」私は幻想の狭間に潜んでいるネズミのようだと思った。それも真っ白な研究室で使うような。無菌室で私はひっそりと解剖を待つのか。それもいいかも、誰かの役にはたつのだから。
「詳しいことは省くとしましょう。ただ私は時空を越えてここまでやって来た。それで、トイさんの心に巣くう悩みを少しでも解決できるように、手助けをしたい。もちろんそんなこと望んでいない、おせっかいはやめてほしいって言うのなら、直ぐに手を引きます。私はこう見えても忙しいので他の手助けを必要とされている人に力を貸したい」
「フランスに行くことはかまわないです。むしろこの機会に行ってみたいと思います。今まで海外に行ってみようとは思いませんでした」私の部屋は壁全体が光沢を放ち脈動し始めた。
「それは話が早い。私の手を握って、そして目を閉じて」
私はつぐむさんの右手を両手で握った。すると目の前が虹色に輝きはじめて意識を失いそうになった。最後に見たのは煌々と黄色に光る満月だった。脳が沸騰しそうなあまりにも覚醒してその活性化して宇宙全体の仕組みを全て理解したような鮮明な場面をみているようだった。そして私たちは月の輝くレンガで舗装された街路に立っていた。外気は冷たく息が白く吐き出されていた。風はなかった。人通りはなく左右には2階建ての住宅が道の続く限り並んでいる。呼吸すると冷たい空気が肺に入ってきて、とても気分が良くて、でも私の見える範囲につぐむさんの姿はなかった。
「心配しなくていい。私は非物質化してトイさんの側にいる。それにあなたは日本語しか話せないだろう。でも相手の言語を理解できるし、話す言葉は相手に理解できるように自動で言語化されるようになっている。恐れることはない。あなたには私がついているし、あなたが望むならどんなことだってできる。例えば想像するだけで食べ物が現れるし、欲しいものがあるならば、それが物質としてあなたは手に入れることができる。でも、どんなものでも自分のものにできると分かったら、それは悲惨な気持ちになるだろう。生きる目的の大部分が虚しく、何でも望むものを手にすることができると知るなら、自分の人生は何の為にあるのだろうと、そして最終的には人は物質的なものからは本当の幸福を味わえることができないことを知ることになるだろう。いや、トイさんには全て始めから分かっているだろう。あなたはまだ若いけど、最も重要なものは物語だと知っているはずだ。そう、人間には必要とされている創造力を勝ち得ることが何にもまして大切なのだ。数兆円の資産を得るよりもひとつの物語を読むことのほうが自分の為になる。古本屋に売っている100円程度の本には素晴らしく美しい自分を強化することのできるものがあるのだ」
静かに風が頬を撫でる。最愛の人にキスをされているような感覚だ。私もキスをしたくなった。
「ふふ、キスか、」つぐむさんはクスクス笑いながら言った。
「あなたには全てのことが分かるのね。私の考えていることを先読みされてしまうくらいに」
「トイさん、あなたはとてもおしとやかで柔順でものわかりがいい。天使のように優しく艶(あで)やかで、美しい。私がもっと若かったらと思う」
「ありがとう。私ってあまりにも恋愛の対象となる人に対して基準が高いんです。でも、ただ恋愛を自分が生きるうえでの最も重要なものとは見ていません。それよりも小説を読んだり映画を見ている時のほうが自分の心の形に合わせてしっくりといく感じがするんです。それに一つ付け加えて、つぐむさんの物語、それが私にとって鍵のような存在だと思うんです。世界にはたくさんの鍵があるけど唯一自分の秘密の宝箱を開ける為のキーってほとんどの人は見つけられなくて戸惑ったりがっかりすることが多いと思うんです。もちろんみんな必死でその解答を見出だそうとしているけど、なかなかそう簡単には現れてこない。だから私は幸福だと、それは奇跡だと、まるで貴重な沈没船の中から膨大な財宝を見つけたみたい」私は濃度の濃い液体で体が満たされた感覚になった。それは今までに生きてきた中でも最高の気分だった。穏やかに、生きてきて良かった。そんな純粋なピュアな状態を味わっていた。石畳を歩きながら遠くに見える城を目指した。満月が頭上にあって黄色い光が全体に照らし出されている。何か私に語りかけているような感じがする。とても静かだ。こんな夜にはナーバスになるかロマンチックになる。私は心から深い深層から沸き上がる気持ちに身を委ねた。心臓の鼓動が、全身に廻るようにコツコツと打叩いている。まさかフランスまで来るとは。これから先私は何処へ向かえばいいのだろう。それはきっとつぐむさんが導いてくれるのだろうか。それとも私が自ら決定しなければいけないのだろうか。それが分かればいいのだけど。ただひとつ、何故か、私の側にはつぐむさんがいつもいてくれる、そんな安心感があった。石畳の街道を歩いていると一軒の家に照明が灯っている。微かなコーヒーの香りが漂っている。私はその店に近づきドアを開けて中に入った。店内にはお客がたくさんいて、賑やかな会話が交わされていた。カウンターの席に座ると店員が近づいてきた。
「いらっしゃいませ、ここに来るのは初めてですね。ごゆっくりしてください。ここはモンブランが有名なんですよ」男性店員はにっこり笑って、愛嬌のある目で言った。
「じゃあ、カフェオレにモンブランを3つ」
「おや、3つも、でもきっと気に入ると思います。あなたの選択は間違いじゃない」
私は遠くから栗の香ばしい香りが鼻先を漂っている気がした。とても甘い感じがする。
「とてもお腹が空いていて、甘いものを食べるの大好きなんです」どうして日本語で語っているのだろうか。私は不思議に思った。私の耳が翻訳しているのだろうか、それとも私の言葉がフランス語に置き換わっているのか、それは永遠に分からないのかもしれない。でもただひとつだけ分かることがある。この世界は私にとって救いとなるもので満ちるであろうと言うことだ。世の中は互いに憎しみで溢れている。なぜ、自分たちのことを推奨しようとしているのだろう。自分より他者、自分の霊的な福祉は人が喜ぶことで守られる。その事に気づかないのだろうか。でも、そんな真剣に思い悩むのではなくて、もっと明るい気持ちで物事に対処していこう。あまりにも深刻になっても気分が下がる一方だ。今、カフェの店内に微かなひんやりとした空気が流れた気がした。それは私の心の高揚を落ち着かせて冷静にさせてくれた。この場所にいて、導いてくれた、つぐむさんに感謝をしたいと思った。彼はこの瞬間にも、私のことを見守っているのだろうか?そう思うと心の隅で鈴の音が揺らいで、とても穏やかな気分でいられた。
ウェイターがカフェオレとモンブランを3つ持ってきた。にっこりと笑い、ずるがしそうな悪魔のような愛らしい表情だ。それを私は信頼して彼の人生に幸福であるようにと祈った。一口、フォークでモンブランの表面をなぞる。そして味わうと全身にその優雅な甘さが響き合わさった。思わずため息が出てしまう。なんて交響曲的な味わいなのだろう。これはみんな薦めたい。私はフランスの葡畑の側にあるカフェにいることを忘れて、窓の外の暮れゆく風景をなんとなく眺めていた。遥か遠く日本から来てしまった。みんなどうしているんだろう?毎日真剣に働いているんだろうか。でも、瞬間移動したというより過去か、それとも未来に飛ばされたということはないだろうか。私は一瞬淋しくなって自動的に微かな涙をこぼしそうになった。でも、全てを捨て去って身軽になった気もして、ああ、遥か遠くに来てしまったなあと感慨深く思った。これから先、何処へ向かえばいいのだろう。確かに分かることは、自分は死へと、こつこつと歩んでいるということだ。でもその恐怖というものはない。それはほとんどの人が持っている考えであろう。なぜ、人は生まれて死んでいくのだろう。最初から死ぬことが分かっているのなら生まれてくる意味などあるのだろうか。ただ、自分の遺伝子を残し継いでいくための本能的な所業なのか。この答えは永遠に知ることができない。でも、それでも私は未知の将来の歩みを一歩ごと進んでいかなくてはならない。周りの空気はとても爽やかな感じで厳かに透き通っいた。その中に花の蜜の甘い香りがして、ほんと遠くまで来たんだなあと体が洗われる気分だ。外には葡萄畑があって、そういえば最近ブドウを食べていなかったなあ、日本には色々な種類の葡萄があったなあ、そういえば一房千円ほどする物もある。この先私はどんなフルーツを食べるのだろう。一番大好きなのは桃だ。なんて言えばいいのだろう?あの柔らかい食感、香しい香り。思わずため息をついてしまうほどの高価な甘さ。こんな食物がこの世の中にあること事態驚きだ。たとえ一個一万円するとしても私は買うだろう。たくさんの果実や食物をみると、それらがいかに私たちを楽しませているのか、凄い。私にはたくさんの食物、動物、書籍など、全てを網羅することはできない。限りがあるということだ。考えてみれば私の人生のなかで自分の容量を越える考えとか思想を取り入れてきたことがあっただろうか。しょせん、井の中の蛙みたいに自分の限界を突破することなんて出来ないことなのではないか。不安を抱え込んで一人淋しく布団に入る日々だった。眠れる瞬間まで、自分の心を覗いて、それでも解決策が見つからないで遠くの微かな光を放つ恒星を見ているようだった。いつの日か、地球全体が太陽の光で包まれてるように、私たちを真の幸福で満たす真理が輝きわたるだろうか。きっと、この地球にいる誰かが波紋を広げてくれる、そんな期待が溢れてきた。この世界には必ず渦の中心のようなものが在るにちがいない。一度でもいいから、純粋な水を飲むように心地好い満足感を味わうように自らを満たしたい。それが私の身に迫ることを期待しているのだけど、はたして私はその事に気づくことができるだろうか。それが疑問だ。世界は混沌としていて誰もが自己主張しているし、自分の考えを正当化して、自らの歩みから源泉を引いているけど、はたしてそれが正しいことなのだろうか。私はそのことを疑問に思ったし、でも私の考えていることが、それこそ全て正しいとは到底感じることができなかった。でも、色々と悩むことはとても心地好かった。完全に自分のことを制御できなくても気分は爽快だ。人は悩みがあるほうが精神的にも肉体的にも活性化されるのかもしれない。これから先私たちは自分が想像していることを現実化できる社会が現れて来るだろう。痒いところに手が届くみたいに自分が頭の中に思い描いていることをそのまま瞬間的に構築することのできる未来が見えてくる。でも、それらツールが便利になればなるほど自分の内面的なもの、心の問題が表面化してくるだろう。自分の心の問題が顕現化してきて何の為に生きているのか、何故、自分は存在しているのか、そんな根源的な思いが自分の心を満たし始めるだろう。でも、その答えは簡単には見出だせない。それは自分で探し出さなければいけないし、人を頼ることはそれだけ真実から離れてしまうだろう。血のにじむような努力、それが何よりも求められる。そしてその費やした時間は無駄にはならない。必ず自分の鎧(よろい)のような防御壁となってくれるはずだ。私は思うのだけど、単純にこうして生きているだけで幸せだ。太陽があって、地球がその周りを公転していて、様々な食べ物が無数ある。これ以上何を望むのだろうか。生きていることは素晴らしい。そして自分が愛する人を見つけて愛し合い、家庭を築きあげてこの地球上で最高傑作の子供を造り上げるというのは最大の喜びだ。私の周囲では客たちが幸せそうに話し合っている。でも、フランス語なので何を話しているのかは分からない。
モンブランを3つ食べ終わって店を出ると、夜空には無数の星がきらめいていた。なんて綺麗なんだろう。一つ一つは太陽のように輝いている恒星なのだ。遥か遠くにあってひとり俊烈に煌々と光り輝いている。強烈に、それでも淋しく孤独だ。たとえ数千億の恒星でもたった一人の人間のほうが貴重だ。それなのに人はお互いに終わりがない憎しみあいを続けている。全てのしこりを払拭して、ただ自分のいたならさを告白しあい抱き締めあいさえすれば憎しみを解決することができるのに。自分の主張ばかり言ったり水掛け論的な言葉の応酬で相手をやり込めようとしたり、正当性を述べることに必死で、もうほんといい加減にしてほしいよ。ただでさえ、自己中な人が多いこの世の中、何処に信頼できる人を見つけて、その人と親しい関係を築けるのだろう。でもこの地球に産まれて、いろんな人たちが存在していて、お互いに理解したいと自分なりに考えているんだとも思う。その努力は認める。しかし結局は自分ファーストだから、それは私だってそうだし唯一小説を読んでいる時だけ相手の気持ちを考慮にいれている。そんなことを考えていると窓の外で稲光が煌めいた。そして静かに雨が降り始めた。サーッという心が洗われるような音がして、悠久の太古の時代から変わらぬように語りかけているようだった。思わずじっとその光景を眺めていると、自分には失うものは無いしひょっとして、もう2度と日本には戻れないのではないかと、焦りというより一抹の悲しさ、淋しさがそっと肩を叩かれたような雰囲気になって私の身を包み込んだ。それは全てを失うことを意味していたけど、自分が身軽になっていて、まるで鳩のように空を飛翔しているかのような爽快感があった。遠くから鐘の音が聞こえてきた。私はそれを契機にして立ち上がった。外に出ると雨は虹色に輝いていて、手を差し出して受けとめると、掌が様々な色に変化していった。私は思いきって全身を雨の中にさらすと、思いのなかで映像が色んな色彩に移り変わり、一瞬にして上空に飛び立って天空から地上をみはるかしていた。点々と都市部には灯りが輝いていた。ちょうど、ヨーロッパのフランスとイタリアの上空に浮かんでいて、私の下に鳩がスペイン方向に向かっていた。古代、ハンニバル将軍がイタリアに侵入して世界を驚かせたことを思い出した。他に補もなくて世界を席巻したことは凄いことだ。でも彼はもう存在しない。どんな英雄も死んでしまえば今を生きているホームレスに敵わない。結局人は死んでしまえば塵に等しいということだ。そんな妄想を抱いて私はスコットランドまで飛翔した。微かに風が鼻腔を霞めて香り豊かなウイスキーの匂いを漂わせている。この香りから私は才能というのはたとえ技術を練磨しても神のごとき天性というものは決して現れないのではないか、それは行き着くところでは当然と言える結論になるのかもしれないけど。誠実という心の性向がいくら技術を磨いても必ず下心があるなら見え透いてしまうように。悪行の限りを尽くしていても純粋な一滴の涙を流すのなら神はその事を見逃すことはなく必ず祝福を与えてくださるのではないか。私たちはこの世界に浩然と目につくものにはめったに興味をそそられない。自分の次元を越えたものを見えたとき感じたときに初めて自分の命をかけた生き方をするのではないか。人の死が何十億の症例があるのにいまだ究極的に解決を見ることがないことを不思議に思うし、神の存在も解明されていない。だから私たちは生きていけるのかもしれない。謎というのは答えを探している時にこそ、心が躍るのではないか。解明されれば誰にも見向きされない。甘い香りが辺り一面に漂ってきて、それが母に抱かれた時に嗅いだワンピースの匂いだと気づいた。私は遠く、日本に思いを馳せて静かに心の中で泣いた。その涙は枯れることなく永遠に続く河川のように海に注いでいた。いつ日かそれは蒸発して雲となり、様々な形をして、雨となって地に降り注ぐだろう。植物の葉に当たって根を潤し、いつしか誰かの食卓に並び、その人の人体を構成するかけがえのないものとして機能する。永遠にその循環は続いていくことだろう。私達は滅びてもその要素は地球の内に留まって、また新たな物へと変化する。新鮮な果実のような香りと酸味が体中に広がって思わず快感のため息が出る。心も安堵感を覚えてこんなに私は幸せでいいのだろうかと、そんな奇跡的なまでに、この地球に生まれついて、もっと人生の奥深くまで、その機微を知りたいと思った。その為にはいろんな人たちと交流を持って互いのことを理解して、情報を共有し、たくさん心の中に美しく綺麗な花を咲かせたい。私は自分の思い、気持ちをできるだけ多くの人と分かち合いたい。世界中には悲しみで溢れている。だからこそ、希望を人々の心に植えつけたいのだ。明日の朝、私はどんな環境の元、生活を送るのだろう?結局のところ、様々な場所を訪れても本質的に自分の内面を変化させることなんて不可能なのではないかとも思うし、一番大切にしなければいけないことは今自分がいる場所でじっくりと内面の心を見つめ直すことだろう。でも、異国の世界に行って気分を変化させることも大切なのかも。いったいどっちなんだ?でも、悩んでいる時が一番幸せなのかもしれない。あまりにも幸福過ぎたら自分が満足してしまって、苦しみから醸造される満ち溢れた愛を人に分かち合えるということだってできないと思うし、その辛さだとか心の痛みから生じる切なくてどうしようもない気持ちによって、それをエネルギーとして人々に心の底からの魂の叫びのような芸術作品を生み出すことができるのだと思う。いつも孤独で淋しくて、なんとか自分の限界を突破しようとして、でも体中の鋼鉄のような糸がぐるぐると巻かれてしまっていて、思うように自分の感情を表現できなくなる、そんな人が世の中にはたくさんいるし、そんな苦しい気持ちを抱えながらなんとか日々を一生懸命になって乗り越えようとしているそんな人たちがお互いに共感できる場所があればいいのにと思う。この世界は残酷な事柄でいっぱいだ。多くの人は幸せを願っているのに、何故、傷つけ合うのだろう?仲良くするほうが良いに決まっているのに。私達は自分なりに、精一杯、近しい人のことを気遣い、心配して、その人の心を癒せたら最高だと思う。多くの人はそのことに気づかずに、できるだけ多くの人を変革しようとしている。でも、たぶん、それは間違いだ。身近にいる人の心を、揺れ動かすことができないのに、何が自由だ、何が平和だ、私はそんな人は信用できない。私はどんな人にも饒舌に語るような人は好きではない。自分の心のうちに葛藤を抱えていて、それを乗り越えようとしている人、苦しみもがきながらも、たくさんの涙を流して悲しみに暮れていて、右も左も分からず真理を、そして救済をもたらすものを探し求めている、そんな人を私は友としたい。でもいったい何処を探せば、そんな自分と同じ価値観を持った人を見つけることができるのだろう?私はタブレットを鞄から出して、早速インターネットに繋いだ。そして、お友達を作ろう、というサイトにアクセスした。私は試しに自分のプロフィールと自らの顔写真を入力した。少し躊躇ったけど、本名と、趣味の欄に小説が大好きなこと、料理は簡単な野菜炒めくらいしかできないこと、そして重要なこととして、私が大金持ちだということは隠すことにした。もちろん私が日本からフランスへと、それからヨーロッパの上空を飛翔し、タイムワープしたことも秘密だ。その後は私のページに足跡をつけてくれる人を待つだけだ。でも、自分の身近にいる人たちのことを気にするっていうか、関心や配慮をしないで、遠くの人たちのことを思うってどうだろうとも考えた。なかなかやっぱり人間関係って難しい。大切なのはまず、自分の心の状態を把握することだ。自分の過去を見つめて今までの人生を振り返って、これからどうすればもっと幸福な充実した生活を送れるか、そして自分のその喜びを他者の心に植え付けられるか、そのことを第一にした生き方をしていきたい。ああ、なんか生きるってこと、色々と難しい。でも、そんな辛いことや難しい難局を乗り越えようとするなら、きっと、必ず自分の成長に繋がるし、自分の状況を理解してくれる人だって現れるはずだ。私は暗黒の空に美しい虹がかかっていることに気づいた。そして小鳥が二羽、私の側に近づいて、にっこりと微笑みかけてきた。私はその鳥が私の苦しみを全て理解して把握してくれているのだと深い安心感に包まれることに、人間以上の能力を身に着けているのではないか、そんな気持ちを、今までにこんなにも自分のことを気にしてくれる存在がいるなんて、しかもそれが人間ではなくて、わずか数年の命でしかない鳥だということに衝撃にも似た感情が、私の心を揺り動かして、この世界中には果てしないほどの生命がいて、自分があまりにも驕り高ぶっていたのか、自分の存在自体、自省の気持ちを持たなければいけないことを、これからじっくりと考える機会になった。私はヨーロッパの土地の何処かへ降りようとしたけど、自分の故郷である日本に郷愁の思いが熱くなって溢れ出て、心の底から帰りたい、そう思った。何より芹澤修さんと語り合いたい、自分の心の内を吐露したい、苦しみを理解してほしい、そんな気持ちで身体中が激しく震えそうだ。
「トイさん。一緒に日本へ帰ろう。あなたの望むことは必ず実現する。どんなことがあっても、苦難、悲しみ、絶望的でいっぱいになっても諦めないで。トイさんには私と息子の修がいつも側にいることを忘れないで。こんな人を信用できない世の中だけど、まだ本当の幸福を求めている人たちだって意外とたくさんいる」つぐむさんは優しく私の瞳を少し不思議そうに見つめて言った。私の心の奥深くまで洞察する、完璧な理解と労りの感情で溢れていた。
「はい、故郷に縛られるって、閉塞とかの感情みたいに思いがちだけど、でも、それって結構大切かもしれない。外国にいると、蕎麦とか納豆を恋しがるみたいに」
「それじゃ、目を閉じて。そして大きく深呼吸をして。頭の中にいろんな情景が見えるかな?」
「ええ、とても良い気持ち。明晰になってたくさんの輝きに満ちた星が光って見える。それに幸福感で満たされて最高の気分」
「さあ、目を開けて」
私は目を開くとそこは芹澤修さんの巨大な住居の前だった。
「私からお願いがあるんだ。修の命はあと2ヶ月くらいだ。修のその残りの人生を見届けてほしい。彼と一緒に生活することは可能だろうか?」
つぐむさんはとても真剣に私を見つめて言った。その瞳には純粋に息子のことを思う誠実さで溢れている。こんなに、まるで馬や犬のようなつぶらな瞳といったいいのだろうか。私は嬉しかった。世界は捨てたものじゃない。でもこの世の中にいる人達は自分なりに一生懸命に生きようとしている。それは私が久し振りに抱いた感情で、この世も捨てたものじゃない。そう思った。
「わかりました。私に出来ることなら、頑張りたいと思います。修さんのこと、お父さんのように感じているんです。人って実際に血が繋がっているからっていうことよりも、そんなこと関係なくて精神的な繋がりが大切なんだと気づきました。つぐむさん、あなたにも会えてとても良かった。私、変わりたい、もっとみんなに深い気遣いが出来るようになりたいって思うんです」
「修も喜ぶでしょう。トイさんのような純粋に自分のことを見つめて生きるというのは並み大抵ではありません。いつも鏡で24時間自分の姿を見ているようなものです。自分の心の内にある思いというものは必ず表面に出てきます。それは偽ることはできないのです。人は楽な方へと流れて行きやすいから、でもそれは究極的にいうならば、それは自分の為には良くありません。自分の心の底を深く見つめるというのは真の意味で、本質的な幸福へと繋がるのです。はは、なんか私が全てを知っているような言い方ですが」つぐむさんは淋しそうな表情をして言った。それからフッ、と微かに口から息を吐き出して嬉しそうな、最高の笑顔になった。
「人生ってなんか贅沢をしたりするのも良いけど、ちょっとしたことで幸せを感じるものですよね。私、なんだか今、焼きそばパンが食べたい気分です」私はコンビニに売ってある焼きそばパンを想像して心の餓えが満たされた。なんか世界一高級な焼きそばパンではなく、100円くらいで売っているのを食べたい。その意味でお金持ちって可哀想だよな。物質的なものに縛られていて、高級なブランドの服や立派で豪華な家に住んでいるけど、それで心が満たされるのだろうか?私も芹澤修さんからたくさんのお金を貰ったけど、貧しく生きよう、そう決意した。今、大切なのは、芹澤修さんという貴重な友を見出したこと。そして真実の外縁をなぞっていることだ。でも周りにいる全ての人たちにだって最高に幸せな人生を送ることの可能性が秘められている。その為には色々な書物を読むことがとても重要だと思う。その中には私達が実際には体験できないことが著されていて、まるで自分がその書物を身体中で浴びて、皮下組織に浸透していくような感じなのだ。日常の生活の中でも自分のレベルを上げていくことはできる。滝に当たって修行したり、座禅を組んだりする必要など全く必要ない。この今、自分が目にしている光景にこそ、全力を尽くして自らの霊性を高める場所なのだ。
修さんの住宅のインターホンを押すと門扉が自動で開いた。敷地内に入ると女性が玄関に立っている。
「トイさん、お待ちしておりました。どうぞお入りください」
私達は家の中に入った。そして廊下を歩いて広いホテルのロビーのような役割をはたしている大広間に来た。そこに修さんがソファーに座っている。
「やあ、トイさん。元気かい?」
「はい、とても有意義なことがあって。でもそのことは内緒です」
「秘密を守る人は信頼に値する。私もいろんな過去があって、いまだに癒えない傷を負っているんだ。でもその傷を癒してくれたのは自分自身だ。何とか乗り越えることが、もちろん努力中だけどね」修さんは立ち上がって私に近づいてきた。そして私の頬に軽くキスをした。とても嬉しかった。涙が溢れそうになった。我慢してその涙を眼球の奥に隠した。すると心臓がドクドクと鼓動する音が耳元で聞こえた。太古から続く温もりのように感じられてこの先私の思いだとか感じたことが他の人に触れることがあるだろうか?
「私、修さんが亡くなるまで、ずっと側にいます。ある人からそう言われたんです。いいですよね?」
「それは嬉しい!トイさんとの逢瀬はきっと私にかけがえのない時間になるでしょう。あなたのような真面目で知的で、自分自身の殻を破ろうと努力している人を私はあまり見たことがない。それでいて自分の考えを、つまり相手に対して正しいことを脅迫したり怯えさせたりすることはしない。それはなかなかできないことだ」修さんの心からの波動にも似た思いが私の飢え渇いた気持ちを包み込んでくれた。世界中のみんなの中にも絶対に修さんと同じような萌芽があるんだ、私は信じたいし、これからも自分にできることをしたい。自分が言える立場ではないことは重々承知だ。私にも欠点はたくさんあって、それなのに根っから邪悪な人やずる賢い人を叩きのめそうとする傾向があって、でもそんな人もきっと誕生してから親の教育の仕方や周りの影響を受けて人格が形成されたんだ。そういう人を改悛へと導く方法はあるのだろうか?この地球上には彩り豊かな人々で満ちている。お互いに自分の持っているものを、つまり心の内で形成された料理をプレゼントすることができる。それはどんな高級な物にも勝っているんだ。大切なものを、自分が大事にしているとっておきの秘宝を人々に提供して心に温かな気持ちを感じさせたい。
「修さん、2ヶ月間一緒になっていろんなことを語りたいと思います。本当に人生って、生きることって凄いですよね。世界って広いけど、全ての人と分かち合うことはできなくて、でも心から通じる僅かな人との交流を持てるのは、私達の源泉に立ち返る特別な機会だと感じるんです。こうして私が存在していることがとても不思議だし、生きていることって壮大で輝かしくて美しくて、とても幸せだし、毎日が、自分を人間的に成長することのできる訓練場だと思います」
「私も父からたくさんの愛情を受けて育ち、厳しく躾(しつ)けられてきました。そのことを感謝せずのはいられない。でも、若い頃はどうしても快楽的な行き方をしがちだし、その奔放な行き方を矯正してくれるものが必要だ。それが物語だった。私は貪(むさぼ)るようにあらゆる書物を読破してきた。まるで自分自身が主人公のようにその世界に入り込んだ。ほんと書籍はどんな金銀財宝にも及ばないほどの価値を有していると思った。いろんな場所に旅をして、必ず書籍を持って行った。不思議なことなんだけど旅先とその書物にはなぜだか共通するようなものが必ずあるんだ。どうしてだかは分からない。そしてその地には私が赴いた記念としてとても重要なことをすることにした。それが何なのかトイさんには分かるかな?」修さんは私の瞳をじっと見つめて言った。
「ヒントをくれますか?」
「ハハハ、特別に教えてあげようかな。トイさん、目を閉じてじっくり考えるといい。あなたの心には響くだろうか。その心臓の鼓動には何処か、懐かしさを、そして心の奥深くに一滴一滴のしずくが静かにたたえられて、安堵と切なさと、どう表現したらいいのか収拾のつかないような漠然としていても、真実を追求することの願いを祈りにも似た感じで、ちょっと、私は何を難しく語っているのだろう?言いたいことはつまり、もう答えを言ってもいいだろう、私達は家族なんだ。血の繋がっている。この地球上にいる人類は一つの人間から派生しているんだ。私達は皆同じ子孫から脈々と続いている。でも、何故だろう?この社会全体はそのことを公にはしていない。まるで私達人類が共感や連携することを分断するように唆(そそのか)しているような感じがする。お互い憎しみ合うことを喜んでいるのか、指導的な地位にいる人達は自分の特権を誇示することに躍起になっていて主導権を握りたいと思っているのかもしれない。それは絶対にやっちゃいけないことだ!私は残りの人生をこの地球に存在しているあらゆる人たちに、憎しみ合うことではなく、共に愛しあうこと、共感することの大切さを伝えていきたいんだ。人にはそれぞれ行き方が違うし、人格、思想、言語、信じている宗教だって様々だ。でもそんな垣根を乗り越えていくことは可能だ」
「この私達が住んでいる世界には私達を抑圧しようとする法律だったり憲法があって、武力を行使して、なんとかして人々の連帯を遮断しようとする、そんな権力者がいます。正直、王や皇帝など、私達の住む社会には必要ありません。そんな象徴的なものは、私達を繋ぎ留めるものなど、もう、いらない。今、インターネットで本当の自由を発信することができて、私達がどう進んでいけばよいのか、互いに意見を交換することができます。これから先、このツールを通じて、私達全ての人が国会議員のような役割を担っていくことでしょう。もはや、衆議院、参議院など錆びた鉄のような存在です。実際に見て、私達よりも多くのお金を貰って不正を犯したり絶大な権力を持っている。本当に市民の事なんか考えていない。地下鉄延伸だとか壮大な夢を語っているけど真に私達の幸福など考えていないのは明らかだわ」
「この残りの2ヶ月の命をできるだけ燃焼していきたいんだ。その為には多くの人たちの力が必要だ。大切なのはハートだ。自分の思いをできるだけ人に伝えたい。自らの思いを凝縮してブラックホールのように全てを食い尽くすほどの強力な人を引き寄せる能力が求められる。この世の中の人達がこれ以上喰い物にされないように私は自分を犠牲にしたい。奴らはいろんなエンターテインメントを利用して自分がいかに邪悪な存在であるのかを隠しおおせると思っている。人々の注意を逸らせている。でもそんなまやかしはいつまでも続ける事なんかできないのだ。多くの人たちを見てみるといい、真実を知らないで死んでいく人の多いことを。私は我慢できない。たとえたった一人でもいい、この世界において私の意志を受け継いでくれる人を探し出して自分の命を次の世代へと伝えたいんだ」修さんはそう言うと、満ち足りた表情を浮かべた。その清々しく喜びを表した偽りの無い瞳は私にただ純粋なだけでなく全てを見通している神のような、存在を思い浮かばせた。
「トイさん、なんだか難しい話になってしまったね。でも私は一分一秒も無駄にはしたくない。この瞬間にも多くの人達が搾取されて犠牲になっているんだ。自分が何故生まれてきたのか、そしてどうして死んでいくのかを知らないで無知のまま終わりを迎えていく。そんなのあまりにも悲しいじゃないか。私はそんな人を助けたい。それはお節介なのかもしれない。でも、私は自分にできることをしていい権利があるはずだ」
「修さん、私の故郷に一緒に行きませんか?」
「本当かい?とても嬉しいよ。何処へ行くんだい?」
「北海道の夕張市です」私は心の中で回想して、とてもときめいた。
「楽しみだ。トイさんの故郷か、なんだか印象深い街だ。確か財政破綻したんだよね」
「はい、そうです。東京のような洗練された街ではないんですけど、とても哀愁の漂う寂(さび)れた美しい感じなんです。何か自分を内省させるものをもっていて私はディズニーランドよりも夕張のほうが大好きです」
「確かに都会というのは人がたくさんいて華やかでいろんなものが売っていて便利だけど、でもなぜだか、ぽっかりと心の中に空虚感ができてしまう。それを満たしてくれるのは周りの人達なんだけど、こんなに多くの人がいて、みんな他者に対して無関心なんだよな。でも、深いところでは人との繋がりを持ちたい、そう思っているんだ。私はその人たちのことを信じたいし、人と人との間には相互作用があって、これから先、人は覚醒に向かって進んで行くと考えている。今、世の中は本当に便利な社会になって、自分のことを振り返る時期が到来している。これから自分を見つめてどうしたら心の空白を埋めることができるのかを考える機会が迫っていると思う」修さんの洞察力が私と同じであることを嬉しい。この世界にはまだ私達と同様な考えを抱いている人達がまだいることを考えると、とてもハッピーな気分になる。
「私達はその空白をなんとか満たそうとして、いろんな情報を取り入れているけど、例えば芸能スキャンダルで誰々が浮気をしたとか、そんなことは私達にとってどうでもいいことなんじゃないかな、と思うんです。結局その人の行為は必ず表面に現れてくるし、自分のことを第一にして人を喜ばせることではなく、自分の快楽を優先するなら、終局的には堕落してそれは全て明らかになる筈です。マスメディアも悪いですけど、それを受けとめる私達にも問題がある。だからあまりにもこの世が提供するツールには用心して警戒する必要があると思います」
「そうだね。この世界には私達の心の叫びを抑圧する人々がいて、でもどんな手段を用いても、その勇気や真実を擁護する思いを挫くことは絶対にできない。私達はその点で恵まれている。この日本という自由な社会に生まれてね。だからこの有利な場所を拠り所として世界に向けて、人の本質的な自由を勝ち得る為に戦わなければいけない。でも、言葉だけではいけない、行動が伴っていなければ。まず行わなければいけないことは自分の心を吟味して、じっくりと問題をどうすれば解決できるのかを考えることだ。そして必要なのは自分の心の内にできるだけ多くの情報を蓄えること。私も今までにたくさんのことを経験をしてきたけど、それにも増して文学からは人生で味わうことのできなかったことを学べる。でも残り2ヶ月あまりの生活で全ての作品を、もちろん、あと五十年生きられるとしても、読むことができないと考えると残念で仕方がない。トイさん、こっちに来てください。あなたの顔を、その瞳を見せて」私は修さんの直ぐ目の前に立った。彼の光沢を放った瞳に私の姿が写っている。修さん身体からは熱が発散されていた。そして純粋な、誠実そうな愛情のこもったその瞳に引き寄せられて、私は彼に抱きついた。それは意識的ではなく自然な行為だった。まるで小さな赤子になった気分だった。修さんからはなんだか懐かしい香りがした。洋服の繊維の匂い、微かな汗の、でも不快感は無くて安らぎを覚える、まるで母親の乳のような気持ちを休めるものだった。
「トイさん、あなたは私の唯一のむすめのようだ。なんて愛おしいのだろう。こんなにも純情でひたむきで、なんとか成長しようと努力している。自分の不完全さと戦いながら、それで、他者に対して、どんな人にも、たとえ邪悪な人に対しても誠心誠意対応して、その人が良い方向へと変化することを期待する。それはなかなかできないことだ。でも、この世には根っからの悪党というものがいる。いくらその人たちに誠実に対応しても立ち返るということはしない。そんな奴らには厳しく対応する必要がある」
「難しいですね。文明が進化していって、人類は覚醒と退廃へと同時進行していると言ってもいいかも。自分の心を見つめて誠実に歩もうとするなら覚醒へ、自分勝手に欲望を募らせるならば自らを退廃へと向かわせる。私はその両極端の思いを心のうちに宿しているのかもしれない。だから私達には指針となる導きが必要です。それが文学だと感じるんです。自分を見つめ直す機会になりますし、人の気持ちに寄り添って考えることができる。それってとても大切ですよね。学校を卒業すれば学ばなくてよい、じゃなくて毎日が勉強であり修行、それこそ充実した満足感をおぼえることなんじゃないかと思います」
「人間って奥が深くていろんな考えを持っているし、様々な思考、感情を有している。自分の人格を変えようと努力している人を思うとほんと、心が温まるし、その努力を見て自らもいっそう真面目に、つまり人に対して誠実に振る舞うことの大切さを、これからも励んでいきたい、そう促される」修さんの声のトーンは低く安心感を抱かせる。バリトンと言ったらいいのだろうか。それは私の心臓や胃にまで響いた。
「私は時々自分の昔のことを思い出してなんでこんなことをしてしまったのだろうって感傷的になってしまうことがあるんです。今更そんなことを考えても意味ないじゃんって思うんですけど、でも後悔したり落胆することがあって、なるべく前向きになろうとは努めているんですけど、どうしても心が傷ついてしまう。そんな気持ちを癒やしてくれるのが物語です。時間を忘れて読んでいると、心が浄化されて揺さぶられて、ああ、こうして生きていて私の悩みなど大したことないなあって思うんです。修さんはそんな経験あります?」
「そうだな、けっこう長く生きてきたけど、今でも後ろめたさがあるね。お金にものを言わせて人を傷つけたこともあるし、いろんな女性と遊んで彼女らを利用したこともある。自分が高い地位と名誉と莫大な資産を持っていることを驕り高ぶって有頂天になっていた。本当に愚かだったと思うよ。でも心の中では虚しさでいっぱいだった。どんなに贅沢をしても淋しさ、そして孤独だったんだ。物質的な物で囲まれていても、それらが真の幸福には繋がらないということが分かっていた。たとえ世界中の富を独占できたとしても、それからは幸福は得られないだろう。でもなかには贅沢三昧の暮らしをしている人がいる。可哀想に思うよ。そしてそんな人たちを羨ましがる人たちだっている。私が思うに一番大切なのは想像力だ。トイさんの言ったように幸福とは頭の中でイメージを働かせることだ」
「そうですよね。高級住宅に住んでも、毎日豪華なフレンチやお寿司を食べて、いろんなところに旅行に行っても、虚しさが心をノックするような気がします。たとえ宇宙旅行で旅にでても人間的に成長することなんてないですよね。一番大切なことって自分を見つめることだと思います。静かに心の浄化を求めて色々な世界の様相を想像すること。でも、人間って不完全だから失敗とか落胆してしまうんですよね。それでも1步進んで2歩後退してしても前向きな姿勢を忘れないようすること、それってとても大切だと思います」私の周りの空気が真空のように圧縮されて鼓膜が細やかに震えた。
「そうだよね。その気持ちよく分かるよ。私みたいに年をとっても難しい状況はあって、なんて自分は愚かなんだろうってがっかりすることもある。そんな時には声にだして、『大丈夫!何ともない!何そんなに心配しているのさ。落ち着いていけよ!無理することはないさ。ゆっくり、焦らずに歩もう。失敗したからといって死ぬわけではないだろう。少しずつ改善していければいいのさ。頑張ろう!』って自分を勇気づけるようにしているんだ。重要なことは緊張してしまう時にもできるだけ落ち着いていけるようにすることなんだな」修さんは遠くを見つめるように言った。
「人間って完璧な人っていませんよね。だからこそいろんな感情が湧き上がってきて、苦しみとか辛さを全て引っくるめて、その気持ちを乗り越えることができる。でもあまり無理するのは良くないと思います。自分の傷口を広げるようだから。なるべく穏便にっていうか、過激過ぎると暴走しちゃうし、自傷行為に走ってしまうことになりかねない。辛い時は素直に自分の弱さを表に出すこと、自分自身に頼るのではなく他の人に救いを求めること、それって大切だと思います。私も心おきなく修さんを信頼して依りすがっていきたいです」私の素直な気持ちを伝えることができて、鬱屈としていた気持ちが晴れやかになって、まるで自分の心の靄(もや)が消え去った感じだ。
「私もトイさんに依存したい。人間は弱いものだ。自分で立っているように見えていろんな物の助けを受けている。食べ物がなければ生きていけないし、睡眠をしなければいけない。生活を送る為には仕事をしなければいけない。いろんな物に囲まれている。でも、そのことを意識している人はごく少数だ。そして何よりも物質的な物以上に精神的な支えを人は必要としているのだ。まるで空気のような目に見えなくて実態のないもの、それでいて、私達にとって一番大切なもの、それが物語なのではないか。人が生活する上で絶対に必要では無いように思えて、しかし、人の根源を揺さぶる最も過激でおどろおどろしくて激しい恋愛のようなもの。私ももう一度原点に立って、父親の書いた物語を吸い尽くしたい」修さんの全てを体現したような瞳には純一で遠く彼方を見つめていた。その向かう先は死を通り越していて遥か未来を、人類が誕生した頃の楽園を見据えているようにも見えた。
「世界中で小説がもっと多く読まれる世の中が来れば、いろんな争い事が無くなるんじゃないかな?そう感じるんです。今、ほとんどの小説って核心をついていなくて、どうでもいいような、読んでも心に響かなくて、実際の生活に反映されないような陳腐な作品だらけだと感じるんです。私はだから昔に書かれた作品、年月を経た物語に興味が湧きます。それらは私の心の琴線に触れて自分の生活の中には入り込んで、ふと、立ち止まると背後から囁きかけるような感覚を覚えます。そして振り向いたら、全くと言っていいほど何も変わらないような、それでいて、名残りのような幻影が微かに見えるような、そんな淋しさと侘しさが一体となった、鳩が飛び去った後の羽ばたきの残り香が残されている、そんな感じなんです」修さんは理解してくれている。私は嬉しくて自分の気持ちを素直に語れる事に自信を深めた。今更ながらかけがえのない友人を得ることができて安堵というか爽やかな気持ちになる。
「トイさんと一緒にいると子供の頃を思い浮かべる。懐かしく、いろんなことをしていた。その当時、私は図書委員長で昼休みや放課後、いつも図書館で過ごしていた。印象に残っているのは同じクラスの女の子がいて話すことはなかったのだけど、以心伝心っていうか、全く話さなかったのにお互いを認めあっていたことだ。その図書室のカウンターの奥の部屋には鏡があってね、いつも自分の姿を眺めていたよ。別に自分の姿に酔っていたわけではない。ただ自分を見つめていたんだ。きっと意識していたわけではないのだが、自分という存在を、なぜ今生きているのか?これから先、何処へ向かおうとしているのか?そのことが不思議で仕方がなかったのかもしれない。私は幼少期から自分の内面を見つめる子供だった。それが何故なのか、その起因を考えてみると、何をするにしても目立ってしまうことがあるのかもしれない。そのことで学友からの嫉妬とか羨(うらや)む感情が尖った矢のように自分自身に突き刺さった。でも、私は動じることなくそれを受けとめて、むしろそんな人たちにも深い同情心を抱いた。そんなことが精神の機敏さを産み出して人に同情的なというか温かく見守る姿勢や、父が子に対して、子供がどんな感情的な誤ちを犯しても慈しみ深く末永く同情して成長を見つめるような、そういういわば神の視点に立ったような人格を磨くことができたんだ」
「修さんも大変な激的な人生を歩んできたんですね。私は滑り台を順調に降りるみたいな感じの、いわば乱高下した生活は送ってきませんでした。でも、物語を通していろんな世界を経験してきて、葛藤だとか辛さ、悲しみ、それ以上の感動だとか本当の幸せを経ることができました。本当に小説って凄い力を持っていると実感しています。でも、私思ったんですけど小説家になりたい人って大勢いますよね。よく文学賞を目指す人っているけど、小説家になる為にそんな面倒臭い過程を通らなくてもネットで簡単に自分の作品を書いて不特定多数の人に読んでもらうことができる。それなのに今の世の中、1冊1000円前後を払って買わなければその作品を読むことができない。極論して言えば作家はネットで自分の作品を大衆に披露しなければいけないと思うんです。それなのにいまだ出版社に頼って何とかお金を稼ごうとしている。これからは小説投稿サイトで自分の自由でオリジナリティに溢れた作品をみんなに伝えることがとても重要だと、また、あらゆる文学賞も紙媒体の書籍からネット小説の優秀な作品に受賞させるべくシフトしなければいけないと思うんです」
「今は素晴らしい時代だ。昔は自分の思ったこと、感じたことを表現する場所が無かった。煩悶(はんもん)とした、この世の中が荒んでいて、何とかその状況を変えたい、一人でもいい、自分の心の内を知って欲しい、理解して欲しい、そんな苦しみで何処に怒りを、嘆きをぶつけたらいいのか分からなかった。そんな表現の場が現代ではインターネットというツールの登場で自由に述べ伝えることができる。もちろん、自分の抱えている問題を全て解決することができるとは思っていない。でもお互いにネット上で意見を出し合って相互の妥協できる点について話し合うことが可能だ。鬱屈とした、何処にやり場を向けていいのか漠然とした思いを、人々の心を動かすことが可能となったのだ。その自分の集約された念じた感情は必ず人の心に届いてその人に影響を与える。バタフライエフェクトという話を聞いたことがあるだろうか?蝶々の羽ばたきが大きなハリケーンのような大きなエネルギーとなるということを。私達の些細な感情も同じように、それが広がって世界中の人に影響を与えるんだ。でもそれは確信とそして強力な感情であらねばならない。私達は幸せだ。日本という自由な発想ができる社会に住んでいる。でもよその国の中には思想の統制を受けている国だってあるんだ。毎日生活するのが困難な所だってある。食べ物が無くて飢餓で死んでゆく人たち、戦争や紛争で亡くなっていく人たち、私達はそんな人のことを悲しむといった感情を抱くことができないでいる。身近な愛する人の不幸には鋭敏だけど、他者に対して、そのような感情移入することがなかなかできない。そのことを、うまく愛情を感じることが、悲しく、辛く、どうしようもなく、寄り添ってあげられないことを残念に思う。だからこそ、今、自分ができること、例えば身近な人に関心を持つこと、自分の持っている心の宝を与えること、そしてネットを通して自分の抱いている思いを大衆に伝えること、そのことが重要だと思う。そうだ、トイさんに伝えたいことがあったんだ、もしよかったら私が死ぬまでここに滞在してもらえないだろうか?部屋も用意した。どうかな?」
「ええ、喜んで。こんな素敵な家に住めるなんて最高に嬉しいです」
「なんか縁起でもないよな、死者に一歩足を踏み込んだ人と一緒に住むなんて。でも、後悔はさせないつもりだ。トイさんのことを実の娘として愛し抜きたいと思う。残りの日を全力を尽くして、私の血肉を注ぎたい。覚悟してほしい」修さんの情熱的な真剣で、どこか愛嬌のある、確信を込めた表情は、とても美しかった。
「こんな素敵な家で過ごせるなんて夢みたいです。でも一番嬉しいのは自分と同じような感情を持った人と共に時間を分かち合うことができるということです。修さんは私のお父さんみたいな人です。周りは人に対して気遣いを示すのがなかなか難しい世界で、でも本当は人と繋がりたい、もっと分かち合いたいって思いで満たされているんじゃないでしょうか。その接着剤みたいな役割を担うのが一番求められている。それが欠けた世の中だと思うんです。何故かテレビやネットのニュースを見ていると、犯罪や芸能人のスキャンダルばかりが取り上げられいて、それらは何も築き上げることには繋がらない。むしろ人の心を悪い意味で燻(くすぶ)ることになる。人の不幸を楽しむ風潮があって、それは自分を益することにはならない。マスメディアにも非はあるんです。何故、そんなことがあからさまに広められているんでしょう?人は物質的なもの、目に見える形のものに囚われていて、それらはあまりにも吸引力がある。でも、それは結局見た目だから真の幸福を与えるものではないんですよね」修さんのように大富豪でも自分を制御して、しかも後2ヶ月足らずの命だというのに真理の道へと歩むことができるというのは幸いだ。ほとんどの人が無知で絶望的な死を迎える。それはほんとに悲しいことだ。
「私は昔、父の遺産を受け継ぐ前に若い頃一人暮らしをしたことがあるんだ。その当時から色々とヤンチャなことをしていたんだけど、安アパートでこれから先、どうやって生きていこうかと自分を見つめ直す機会を父が与えてくれた。毎日本を読んで過ごしたり自由気ままに生きていたんだけど、一番印象に残っているのは、下に住んでいる人がカーテンを開ける音、そのことがいつまでも耳に記憶されているんだ。ああ、人って生きているんだなあってね。何故か、安らぎと安堵の気持ちなんだ。どんな音楽を聴いても、例えばモーツァルトの交響曲よりも癒やされるんだ。不思議だよね。人の些細な動作が時に大きな感動を呼び起こすことができる。純粋な笑顔が人に幸福感を味わわせるように。トイさんの素の表情もなんて言ったらいいのだろうか、まるで子犬のような愛くるしくて思わず抱き締めたくなる。いいかな?」そう言うと修さんは少し躊躇(ちゅうちょ)しながら椅子から立ち上がって私に近づき、ギュッと抱き締めてくれた。まるで祖父に抱擁されたみたいにとても温かかった。人にはお互いに親密な愛情表現というものが必要なのかもしれない。およそ20秒くらいだろうか、いつまでも続いて欲しいと思った。な残り惜しそうに離れると、修さんは満ち足りた表情を浮かべていた。私も脳内にたくさんの、そして心の内にもいっぱいの大好きな納豆巻きを詰め込んだような安心感を覚えた。表現が可笑しいかもしれないけど。
「ありがとう。スッキリしました。地獄谷の温泉に入って身も心も全身が入れ替わった感じです。人と人の繋がりって大切ですよね。日本人はシャイだけど、勇気をもってお互いのことを知るようにすれば最強の民族になれるのに」人との友情というのは今風で言えば陳腐なものかもしれない。でもそのことをあえて言わなければならないほど大切だと感じたのだ。でもなかなかそんなに簡単には真の友情を見出すことはできないだろう。私はその点恵まれている。ややこしい世界だけど、私達は生きていかなければいけない。毎日が戦争のような日々だ。自分という敵と戦って勝利をおさめなければ。毎日向上心を抱いて少しでも進歩していきたい。でもたまには落ち着いてゆっくりと体を休めさせることも大事だろう。深く自省して自らの心の内を照らし出して問い掛けたい。
「さあ、今夜は月を眺めながら、美味しいウイスキーでも飲みましょう。二階からちょうど美しい姿が見えるんですよ。私が死んだ後も微動だにせずに月も地球もそしてこの宇宙全体が存在していることを考えると不思議な気がします。そして安心感が芽生える。私は何の為に生まれてきたのでしょう?ああ、でもこの命を、トイさんと分かち合えるなんて最高だ。私の少しの心の震えを貴方に注ぐことが今、最も大切なことだと思えるんです。どうか世界中を見てみなさい。多くの人は何が本当の幸福かを見出すことができていない。なんとか幸せになりたいとは思っているけど一時しのぎの永続的なものを見つけられていない。それで快楽的なものに疾走ってやり過ごそうとしている。物質的な富を、そして肉体的な興奮を誘うような物に心惹かれて、もちろん全てが非とされるわけではないけど、それらが最大の自分に恩恵をもたらすことになることはない。大切なことは何だろう?私はいろんな状況を身に置いたにもかかわらず、それが今もって分からない。最後に際して天啓のように悟れればいいのだけど。でもそれが分からなくてもきっと満足のいく終焉(しゅうえん)を辿(たど)ることができると信じている。いや、そうならないかもしれないけど。まあ、残りの2ヶ月あまりを真剣に受けとめること、そうしていれば満ち足りた終局を迎えることができるだろう。そのことが楽しみでもあるんだ。不思議に思うだろう。全てから開放されて永遠の眠りにつく。今までの苦しみ悩みを相殺できるから、そして死んだ後、どんな世界が待っているのかを期待している自分がいる。極楽浄土というものがあるのだろうか?それは誰も知らない。楽しみでもあるし不安でもある。だけど何か未来に対する明るい展望というものもあるということも確かだ」修さんのどこか寂しそうな、それでいて達観したような視線を天井の描かれた鳩がたくさん飛んでいる絵に向けて言った。何故か邸宅の暗闇から静かな潮騒のような穏やかで揺り動かすような微振動が鼓膜を圧するものとして伝わってくる。それは動物が発するもののようであり、私は慈しみにも似たその叫びというか囀(さえず)りを感受して、ときめきというか心を優しく震わされたことに感慨深いものを感じた。私にもいつの日か、修さんと同じように残りの年月を通告される日が来るのだろうか。その時になったらどうゆう対応がとれるのか今は分からないけど、そんな状況が訪れるのは確実だ。だからこれから先、悔いが残らないように真剣に毎日を過ごせるようにしなければいけない。人は生まれてから着々と死に向かって歩んでいくのだ。それば全ての人に当てはまる。でもどうすれば充実した人生を送れるのだろうか?
私達は親友のように、まるで大切なものを分け与えるかのような会話を交わしてお互いの心にいっぱい持続する命の根を伸ばして称え合った。それから夜も老けたので私に割り当てられた部屋で眠ることにした。ベッドはツインサイズでとてもふかふかしていて気持ちが良かった。天井を眺めていると全てが桃源郷のようで、もうこの一夜で最後を迎えてもいいかなって気持ちになった。でも終わるわけにはいかない。何度も心地よいため息が自然に出て、何て幸せで満足のいく時間なんだろうと思った。いろんなことが走馬灯のように脳内を駆け巡った。幼少期のこと、とくに初めて自分で豚汁を作って両親の褒められたこと、二人は涙を浮かべて、私が料理したその豚汁を食べたこと、そのことがジーンと私の心を叩いた。明日の夕方、もう一度豚汁を作ってみようか。きっと修さんは喜んでくれるにちがいない。私も久し振りに食べてみたい。なんだか懐かしい情景が思い出される。今は私にとって、私の人生には重要な、そして心臓を鷲掴みにされる最も価値のある時なのかもしれない。何故か音楽が聴きたい。自然の雄大さを讃えた、山や川のせせらぎ、雑草が揺れ動く音、可憐な花に蜜蜂が近づいて、蜜を採取する仕草、草を食む美しい瞳をもった子馬たち。そんな静かで細(ささ)やかな映像が催されるような音楽。ああ、私は実際に肉眼でそんな姿を見るのではなくて脳内でそのイメージを思い描きたいのだ。そう思った。考えは自分がどうしたら幸せへと導かれるのかさまよった。それは自分自身の幸福を追求するのではなくて他者の幸福を願うことこそが大切だということを知るのだった。それは、充足感、満たされた思いに繋がる。私はいつの日か結婚をして、愛する人と共に幸せな生活を送れるのだろうか?そんな日が来れば最高だと思うのだけど、今、こんな生活の中で一番大切なのは隣人の幸福を願うことが大切なような感じがする。私はその点、修さんという影響力の強い人と知り合って最高の人生を送っている。例えば震災でその現場にいる人たちはとても不幸かもしれない。でもそんな苦難にあったからこそ人と人との繋がりが緊密になって、本当の意味で、隣人愛といったものが醸成されるということもある。明日の朝はどんな目覚めになるのだろう。それが楽しみで仕方がない。太陽がカーテン越しに光り輝いて最高の覚醒を誘発させるはずだ。それだけで私は生きていることの価値を見いだせる。そうだ、修さんとの北海道旅行、できれば早くに行きたい。この東京では見られない大自然を満喫してほしい。眠りから覚めたら早速そのことを話そう。いかに夕張が素晴らしい所なのかということを。静寂があたりにしっとりと包み込んでいる。私は目を閉じて暗黒のスクリーンに様々な映像が流れるのを見守った。そこには金色に輝く雨が地面の土壌に沁み込んでいた。私はその雨に身体を晒(さら)した。すると全身がまるで誰かに優しく擦られているかのような穏やかな気分になった。眠りに落ちる時に、その瞬間ってどういう感覚なのだろう?その時を知ることはできない。それはとても不思議だ。一瞬、何故か競泳選手がプールではなく、海を泳いでいる姿が浮かんできた。とても美しい人だ。とても伸び伸びと腕を動かして、まるでペンギンを思わせた。彼女は言った。
「強い女になりたい!」
私は思った。そんなに無理することはないのに。もっと自然に、プロの競泳選手ではなく、一匹のペンギンのように自由に人の事なんか気にすることなく泳げばいいのに。彼女は私の思念を敏感に感じ取って言った。
「あなたになんか私の気持ちが分かるはずない。私は今まで子供の頃から戦ってきたの。誰にも負けたくなんかないの。いつもそうして勝利を掴んできた。一番じゃなければだめなの」彼女は瞳に涙を浮かべて言った。
「そうなんだ。あなたの気持ち、よく分かるよ。今までいろんなことを頑張ったんだね。周りには敵ばかりで、でも側には助けてくれる人たちもいたんでしょ。私もそうだった。一番の味方は今、私が手に持っている小説。ほんとどんな親しい人たちよりも勇気や自信を貰ったんだ。これ、あなたにあげる」
「いいの?ありがとう」彼女に本を手渡すとじっくりと表紙を眺めている。
「そのタイトル、とっても私たちが住んでいる世界にとってもとても重要だと思わない?」
「うん、そうだね。私、今まで人にプレゼントされるの初めて…」彼女は喜びの笑顔を見せている。
「そうなんだ、私はしょっちゅう貰っているわ。ひょっとしてお父さんとお母さんからも貰ったことないの?」
「ええ、私、両親の顔を知らないの」
「じゃあ、私たち、これから友達にならない?」私は、彼女のことが大好きだ。彼女の表情から、いろんな経験をしてきたことが語られている。きっと私にとっても様々な良い影響を与えるのではないかと思った。
「それ、最高だわ!私の周りには同じような人たちが大勢いたの。でも心から分かり会える人なんて今まで一人もいなかった。だから今、凄い幸せ…」彼女はその表情からそれは今まで一番の笑顔だと思った。私も彼女から認められたことが凄く嬉しいし、これからどんな彼女との経験ができるのかとても楽しみだった。
「あなたの名前を聞いていなかった」
「私の名前は池波音」
「いけなみおと、じゃあ、オトって呼んで良い?」
「うん、みんなからもそう呼ばれていた」
「私の名前は高山トイ」
「トイか…良いわね。なんか今風っぽい。最高ね」オトは最高に幸せそうだ。私も最高に幸せだ。こうして僅かの間に親友を見いだせるなんてあまり見られないだろう。こうゆう出会いって大切にしたい。
「もっとオトのこと知りたいな。どんな人生を歩んできたのか。きっともの凄く大変だったんでしょ?」
「そうね、私、生まれてすぐに赤ちゃんポストに入れられたんだ。酷(ひど)くない?」オトは、でもその言葉とは裏腹ににっこりと笑っている。
「でも、親が書いた手紙の中に、二十年後に会いに来るって書いてあったの。それが唯一の救いっていうか…だからそれまで一生懸命に生きようって思っているんだ。それが楽しみでもあるし、親にも色々な理由があるんだなって思っている」
「そうなんだ、私には両親がいるけど全く私には無関心で、だからある意味親がいるよりも苦しいって感じている。だから今、一人で暮らしているんだけど開放されて自分を見つめ直すことができてるんだ」
「そっか、うん、その気持ちよく分かる。トイの気持ち理解できるよ。私たち状況が違うけど、同じような背景があるんだね」
「そうだ、オトに紹介したい人がいるんだ。物凄いお金持ちなんだけど、その価値について、それは物しか得られずに本当の幸せはどんな資産を積んでも得られるものではない、そう信じている人なんだ。きっとオトも好きになると思う」オトには分かるだろう。
「そうだよね。是非紹介してほしい。私は正直に言ってお金も大好きだし、沢山洋服が着られて毎日贅沢な暮らしができれば最高だなって思う。でもそれだけでは駄目だなっても思う。私ってけっこう複雑な人間なんだ」オトは自分の気持ちを正直に伝えてくれた」
「確かに美味しいものを食べられたりブランド品の服を着たり広い豪邸に住んだりしたら安心感って言ったら可笑しいかもしれないけど悠々自適に暮らすことはできるよね。でも心の底からの幸せって得られないと思うんだ。本当の幸せって精神的な問題だよね。自分の内面から湧き上がってくるものだから、そこには真の満足感が無い。私は物語がとっても自分の幸福に寄与することだと思っているの。いろんな体験をすることができるし、主人公に代わってたくさんの、自分では経験できないことをすることができるんだ。それが物語の凄いところ」私の液体のような気持ちがオトの心の底に染み込んだことが感じられた。彼女の飢え渇きが満たされる、もっと多くの湿潤のある物を取り入れたい、そんな思いが伝わってきた。
「そうね、私に今必要なのは自分の気持ちを理解してくれる人、そして自分の思いを多くの人に知ってもらうこと。お互いの気持ちを交換すること。いえ、多くの人にっていうのは誤りかもしれない。一人の人でいい、その人と深い友情関係を築けることが大切なのだと感じる。それが、この瞬間、トイと知り合えたこと、あなたを知ったことがとても嬉しいの」
「人って、一人の人のこと、とても重要だと思うんだ。よくニュースで数万人が死亡したって報道があるよね。でも私たちはそのことを真剣に受け留めることができない。ああ、人が死んだんだって感じることしかできない。でも、その数万人のうち、たった一人の死だって本当はとても衝撃的だと思うんだ。私たちはそのことを、つまり人々が死んだことについて、もっと真摯に受け留めなければいけない。でも、そう思ってもなかなか真剣にそのことを理解できないんだ。悲しいことだと思う」
「私たちもいつか死ぬんだよね。そのことを思うとなんか不思議にも思うし、とても衝撃的。きっともっと自分の死について深く考えることこそが人の、他人の死について深く考えることができるんじゃないかな」私は自分の死をいまだ直視することができない。でも私にとって身近な修さんの近況を知ることによって死というものについて、それが脅威にも似たものであることを実感するだろう。
「人間って過去から今に至るまで死ぬことについて知ることができてないよね。地球ができてから数十億年経っているにもかかわらず誰も死後について、それがどんな状態に移行するのか想像することでしか解決していない。ほんと、死んだらどうなるんだろう?」オトの言う通りだ。私にも死が訪れる。今は健康だけど、ひょっとしたら明日死ぬことになるかもしれないのだ。そのことを考えると、この瞬間を精一杯生きなければいけない。
「明日の朝、一緒に修さんに会いに行こう。それから私たちは新しいフェーズに移行する。きっと今まで生きてきたなかで全然違う生き方へと向かうはず」
「楽しみ!どんな人かとっても興味がある」
「年齢は70歳。でも、どう見ても50歳くらいにしか見えないんだ。とても若くて、搾りたてのフルーツジュースみたいな印象なの。きっと会ったら速、感化を受けると思う」
「今から楽しみだわ。恋に落ちたらどうしようかな。お洒落していったほうがいいかな?」オトはとても嬉しそうに言った。最高の笑顔だ。
「オトはスタイルも良いし、とてもチャーミングだから修さんに気に入られるはず。でも、緊張することはないよ。とてもフランクな人だから」
「自然にしていればいいんだね。そうだよね。お金持ちの人って意外と人の本心を洞察することに長けていると思うし、自分がお金を持っていて、そのことを利用する人の内面をすぐに悟るのは朝飯前って感じもするからね。なんだか楽しみ」オトの人の内面を掬(すく)うような性格を知って、私はとてもこれからの友情を築き上げられることを最高に思った。生涯の友になれるだろうと感動を覚えた。
空気が揺らいでいて様々な情景が浮かんで、私は幻を見ているような、それでいて、この今、オトの実体が、存在が夢のような感覚を来していて、これは本当に現実なのかといぶかしんだ。小説の世界に迷い込んだみたいで、修さんの邸宅で起きていることなのか、それともただ、妄想の世界で浮遊していることなのかを知ることができないような感覚に陥っていた。こんな体験は初めてだ。とても穏やかでしっくりとする。まるで是認されているようで、どんな人の過ちも今は許せそうな感じ。明日の朝になればこの恍惚とした肢体は全く入れ替えられたような状態となって、母親の胎内から出てきたかのようになる。待遠しいな。でも、なんか満ち足りない感じがする。どうしてだろう?私には何が欠けているんだろう?お金がたくさんあって修さんとオトという心から信頼できる人がいるのに。きっとこれから私は成長していかなければいけないのだろう。これからどんなことが起きるのか、とっても楽しみだ。修さんとオトがいるならどんな困難も乗り越えられそう、そう予感がする。他人冥利だけどね。でも、苦しい時、辛い時は素直に、助けて!って叫ぶことも重要だ。その時に助けてくれるのが本当の友だ。私は恵まれている。この世には信頼することのできる人がいない人が大勢いる。なかにはそんな孤独な思いを抱えて苦しみ、自らの命を断ってしまうことだってある。私はそんな人たちの力になりたいと思うのだけど、どうしたら助けることができるのか、悩んでしまう。私にはあまりにも荷が重すぎるのかもしれない。一番大切なのは私の側にいる身近な人に対して関心を払うことだ。そこから広がっていくことを期待したい。そして自分自身が確固とした態度を身に着けて周りの状況に左右されずに独自で永遠に続く命を手に入れられるように努力を重ねていきたいと思う。人にはその人格レベルがある。私よりも高い人っていっぱいいて、その人と会話を交わすことによって相互にエネルギーを交換することになる。常に良いことを考えて、自分の頭の中に喜びで満ち溢れるようにすること。静かに冷静に自分を見つめること。できれば今、自分が考えていることを実際に声に出していくこと。そのことによって語ったことを再度聴覚を通して自分の脳に情報をインプットすることができる。そのことを続けることによって、自分自身の心が成長して、どんな受動をも冷静に受けとめることができると感じている。いろんなプレッシャーがある中、強い確信に満ちた信念を抱いて理想の自分へと導くことができるのだ。この時代に生きていて、辛いことや悲しいこと、がっかりさせられることなどがきっとあると思う。それによって、圧迫されて精神的な病を併発したりしてこれから先どうしてその問題を解決していけばいいのだろうと思うことだってあるだろう。そんな時はもがいて苦しみ抜いて、思いっきり泣いたり叫んだりして自分の本性をさらけ出すことだ。そのようにして初めて自分の実際の人格を知ることができて、自分と真正面に向き合うことができる。自らの殻を破って真新しい本当の姿を露呈してこれから先、真摯に歩む為の道標を明らかにすることができる。
外気には微かな雨が空気を擦る音が混じっていて、それが私の心を癒やしてくれた。心が満たされて、ああ、私は生きているんだ、ってとても幸福で、これから先、何も不安も心配もなくて、でもちょっと淋しい気持ちもあって、自分の命が尽きる時に、きっと喜びでいっぱいになって、最高の人生だったって、でも永遠に生きることってできないんだなあと僅かながらの一抹の侘しさが訪れる。そして空には太陽が燦々(さんさん)と輝いて、その隣に光彩を放った虹が美しくて立っていて、いつまでもその光景を見ていたいと思うのだ。すぐ近くに山があって、それは不動で毅然としていて、そのがっしりとした男のような美しさが私にはあまりにも感慨深いものを抱いて、その姿を心のかび臭い倉庫のような収納庫に収めるのだ。なんて生きるってことは素晴らしいのだろう。でも自分の生命を断ってしまう人もいて、私はそんな人に生きるってことはとても尊いことなんだよって語りかけたい。耳元で囁きたいのだ。そして今、苦しみ抜いている人の事を私も同じように親身になって苦しむこと、それから祈ること、その祈りという一見すると価値が無いように思うけど、自分の心のなかで醸造することは、自分の霊性に大きな足跡を残すことになるのだ。いつ日か私たちはお互いのことを分かり合える日が来るのだろうか?今、世の中はとてつもなく一致へと向かっていくはずなのに、むしろ自分の利益を優先させるべく進んでいるように思う。でも、その一方で互いに固い絆で結び合わされるということも進行しているように感じる。それは一般大衆向けではなくて、とても少数派だ。でも、多くの結社団体はその小さくても大きな実力を秘めている。それはまるで一つのミサイルのようだ。ある意味核兵器と言ってもよいかもしれない。私たち一人一人はそのような絶大な能力を有しているのだ。だから自分の能力をよく制して人々の心に人に対する良い、心を癒すようなものを産み出すようにしなければいけない。静かに心をしっかりと見つめて冷静にいること。心というのはいろんな感情で揺れ動く。だから一筋の光のように鋭敏にするには毎日の心の鍛錬が必要だ。情報を集め、でもがらくたのようなものではなくて、真に自分を益することのできるものを収集することが大切だ。私がこれだ!と思ったのは小説だ。その中には自分では経験できないことが描かれていて、とても現実離れしたことが得られてホント最高だ。毎日の生活の中で読書というのは自分の知識として精神に影響を及ぼし、それは肉体にも、つまり身体の表面にも何らかの作用を与えると思われる。まるで精神的な薬のようだ。ある意味で私たち一人一人は薬のような役割を果たしていると言えるだろう。努力して相手に訴えかけるなら作用を及ぼすことになる。
なんだかいろんなことを考えた。頭がスッキリとする。たくさんの苦悩があるけれど、でも、きちんと思考を働かせるということは良いことだ。これからこの修さんの邸宅でじっくりと自分と向き合っていかなければいけない。その生活は私にとってとても重要でとても転機になるだろう。毎日を真剣に受け止めたい。無駄にすることなくしっかりと歩めるようにしよう。今日は満ち足りた一日だった。これからもっと充実した生活が送れるだろう。楽しみで楽しみで仕方ない。私は世界で一番幸せだ。だって心から理解できる人たちに出会えたんだから。枕には微かに頭皮の香りが感じられた。でもそれは不愉快な感じではなく、まるで子猫の皮膚の心地良い匂いのようだった。それが誘発を誘い、穏やかな眠りへと誘導した。このまま何処かへ遠くへ、私の知らない山奥の旅館の一室へと導かれたらどんなによいだろう。そう、それは夕張だ。懐かし、心の中に切ない感情を呼び起こす、それは故郷であり、私の全ての原点とでもいうべきものだ。私の中ではそんな体で実感することなんてなくて、全ては私の空想で構築されるものであると思っていたのに、それにもかかわらず、物体が影響力を及ぼすなんて不思議だ。いつも思っていたことだけど、必要な助けはその時に現れてくる。静かな闇は必ず明ける。私はそう信じている。そして救いはごく少数の人たちの元へ、静かに眠るような微睡(まどろ)みを、苦しみもがいている人に、悲しみ、涙を流している人の完全で労り深い心を震わせて、真実の涙へと、それは全地へと轟き渡る。喉の渇きを癒し、潤い、その純良な冷たさをたたえた水は多くの人の飢えを満たす。たった僅かでもいい、少しの呼び水で大量の滝のような潤沢な河川の流れを誘発させることができるのだ。しなければいけないこと、それは感動を、そして単調に言えば喜びだ。人それぞれ経験したことや自らが学習したことが違うから、その人に合った言語で話すことが必要で、どうしたら相手の流れに合わせて心に潜り込めることができるのだろうと思う。チョコレートが好きな人にはチョコレートを。アイスクリームが好きな人にはアイスクリームを。ベーコンレタスバーガーが好きな人にはベーコンレタスバーガーを、みたいな。特質をよく把握して相手の好みをきちんと理解する。私には叶えたい夢がある。って言うか今さっき思いついたのだけど。オトのような身寄りのない子供たちに生きることの喜び、そして肉親でなくても本当にそんな子供たちのことを理解してくれる人がまだこの世にはいることを知ってほしいのだ。私だけではない、しかし何故かこの世界は人と人が分断されている。それは何故だろう?巨大な権力機構は人を愛すること、それこそが重要なのに、どうしてそのことを声を大にして言わないのか。不思議だ。権力者は自分の側に主導権を握っていたいというのが本心なのではないのか。人と人が手を取って協力することによって自分の力が削がれることに強烈な恐怖を抱いているとしか考えられない。でも私達はそんな狡猾な手口に騙されない。どんな非難や迫害に遭おうとも、最後まで闘い抜く。その為の手段は全世界に張り巡らされているインターネット通信網だ。私は自らのホームページを作成して全ての人が閲覧できるようにする。最初は一滴の粒でしかないだろう。でもそれが波紋を呼び、全体に広がっていくという波及効果を及ぼすのだ。なんて自由なのだろう。ロシアや中国といった過激な国ならばきっと捕まってしまうだろう。でもここは自由主義の日本だ。どんな思想を持とうと許容されるし、たとえ危ない考えでも信教の自由がある。きっと北朝鮮ならば死刑になっていたかもしれないな。この国に産まれたことを感謝しなければ。その私の考えを実現するためにオトのアドバイスが必要だ。彼女の経験を聞きたい。今までにどんなことを実体験したのか、苦しみとか落胆する中にあって、どうやってそんな感情を乗り越えていけたのか、いろいろと聞きたいことがいっぱいある。言葉に出すと、自分が心に思っていたこととけっこう違う状況だということに気づくことがあって、実際にそんな風にお互いに語るってとても気持ちが良いものだと感じたりする。

私は札幌駅にいた。エレベーターをつかって9階へと上っている途中だ。その中には3人の女性がいる。二人はカップルでお互いに抱き締めあっていた。二人とも私達にはまるで気づかぬ素振りで見つめ合っていた。そして口づけを交わし、クスクスと笑っている。私ともう一人の女性はアイコンタクトで、『こいつらふざけてんじゃね~よ』と 言っていた。
その二人はまだ若く学生服を身に着けていた。多分、おそらく15から17歳のくらい。化粧はほどこしてなく、ツルツルの素肌だ。そのうちの1人は少しすきっ歯で興奮した目つきをしている。私は羨ましかった。今までにそんな感じでキスをしたことがなかったからだ。でも、私の為に言っておくけど、多分、今までに不特定多数の人と契を交わしてきた。それが肉体的か精神的かは言わないでおこう。でも、この場面に出くわしている人になら、私が言おうとしていることは承知していることだろう。少し淋しくなってきた。私はもう一人の女性、おそらく20歳くらいだろう、その女性を抱きしめてキスをした。軽くではない。とても熱い接吻だ。彼女も抱きしめ返してきた。私達はこれから何処へ向かうのだろう?おそらく奈落の底ではないはずだ。と言うのも私は、おそらくこのエレベーターに乗っている4人はこれから映画を見に、この狭い個室にいるのだ。でも、これから見る映画の場面に、今起こっている状況以上の事柄が展開されるとは思えなかった。キスから離れて私はじっと彼女の瞳を眺めた。彼女の瞳には驚嘆の、瞳孔が大きく開いていて、私が幼い頃、確かあれは小学校6年の時にクラス対抗サッカーでハットトリックを決めて以来の勝利を確定させた時の感嘆の喜びを得ることができた。それはホント、最高だ。その時、チンと9階に着いたことを示す音が鳴った。これからどうすべきか、私は彼女の右手を握って映画館のチケット売り場へと向かった。これから映画を見る雰囲気ではなかったけど、でも、1年間、待ちに待った映画だった。見逃す手はない。
「名前は?」私は彼女に聞いた。
「高瀬みつき」
「みつきか、僕は戸口景。30才、こう見えて特殊部隊に所属している」
「何の特殊部隊?」彼女は意外と驚かないで聞いた。
「コンビニエンスストアでレジ打ちができるって凄いと思わない?」
「ホントかっこいいかも。私は事務員。毎日くだらない上司のジョークに付き合っていかなければいけないの。とっても悲惨な状態。でもアナタと逢えて少しはその状況が変わるかも」
「そうだと良いね。君はとてもチャーミングだ。それにその肉厚な唇が気に入ったよ」私はもう一度キスしたいと思ったけど、周りには大勢の人がいた。一緒に映画を見ている時にそのチャンスがあるかもしれないと思った。それにコンビニのアルバイト店員と言ったのに、驚かないとは大した玉だ。きっと私にとって人生を変える、もしくは帰る役割を果たすかもしれない。
「君はとっても真面目なんだな」
「ええ、突然キスされても驚かなかった。そう、言いたいの?」
「い…いや、そうじゃない。何か、そうだな、人間じゃないような気がするっていうか、分かるかな?」私は動揺している。何十年振りか。
「私は今までにいろんな経験をしてきた。だからかな」彼女の答えにはそれが真実だと思わせる雰囲気学生服を漂っていた。
「そっか、その気持ち分かるよ。映画はよく見るの?」
「ホント久し振り、あなたは?」
「この映画、1年くらい待っていたんだ。だから楽しみだよ」
「そうだよね。原作は読んだ?」
「いいや、小説は読まないんだ。文字が苦手でね」
「そっか、多くの人は小説なんて役に立たないと思っている。でもその物語はいろんなことを教えてくれるの。だから読んだほうがいいわよ。これ私からの忠告」彼女は真剣だった。こんなに人の心を打つ言葉は始めてかもしれない。
「ありがとう、これからは意識して本を読むようにするよ」
「人って成長するものだから。人との付き合いってホント大切だと思う。あなたを見ていて、いかに知識が豊富かって言うより、いかに不完全でも自分の成長を遂げようと真摯に努力しているかだと思うのよ。そんな人って素敵よね」
「褒められているのかな?」
「だったら今頃警察に突き出しているわ」彼女の笑顔はエリザベス女王よりも美しい。
「この後暇?」
「今日は映画を見終わったら余韻に浸って音楽でも聞こうと思っていたの」
「そっか、よかったら僕の家でレトルトのカレーでも食べないかな?」
「ええ、あなたが作る料理より美味しそう」彼女はジョークが通じる。とっても頭が良いんだな。
「ポップコーン食べる?」
「うん」
私達はコーラとポップコーンを買って映画館に入った。ほとんどの席は埋まっていた。みんなもこの映画を待ちわびていたんだ。私達は座席に着き、二人でポップコーンをつついた。画面は巨大で、これから始まる期待感が周りの人たちの雰囲気が伝わってくる。館内の明かりが暗くなって、いよいよ期待がふくらんできた。画面全体が明かりを放ち、コマーシャルが映し出された。私達は互いの顔を見つめ合って、これから始まる映画に期待感をもった。画面に本編がながれると登場人物が私達をじっと見つめて言った。
「君たちは何を求めて僕を見つめているのかな?この物語は自分を探す為に都会から田舎に戻った僕が自分探しの旅をするんだけど、このことで君たちはいったいどんな経験をすることができるのか、自分の心の中で醸造されるような思いをできたらいいと思う」そう言うと彼は目を閉じて草原の上であぐらをかいてじっと黙り込んだ。その状況がずっと続いた。私達観客はざわついて、動揺し始めた。すると画面の前に主人公である俳優が現れた。
「ゴメンね、僕には君たちがどんな思いでこの映画を見に来たのか、とても気になったんだ。この物語はただ単に俳優の魅力だけで成り立っているのではないんだ。その内面性に注目して欲しい。そしてぜひ、原作の小説を読んで欲しい。こんなにことを言うとこの作品を映像化した監督には申し訳ないけど、遥かに原作のほうが素晴らしいということが分かるだろう。それじゃ、この物語を楽しんでください」そう言うと、俳優は姿を消した。私達は呆気にとられて呆然としたのだけど、映画が流れたのでその物語に注意を向けたのだけど、全然集中することができなかった。私は彼女の息づかいが聞こえそうなほど彼女のことが気になった。映画なんてどうでもいい。私は立ち上がって彼女の手をつかんだ。そして館外へと出ていった。何故か自由を得て解放された気分だった。全てから解き放れた感じだ。
「ゴメンね、なんか原作を読みたい感じだ」
「俳優も言っていたわね。小説のほうが面白いって。でもそれはどんな映画にだって言えることなんだ。原作を越える映画なんてほとんどないんだから」
「本屋さんに行かないか?」
「ええ、私、さっきいろんな経験をしてきたって言ったけど、それは小説を読んだことに繋がっているの。物語を読むことで自分がまるで実体験しているような感じっていうこと」
「今までそんなこと言ってくれる人っていなかったな。これからたくさん読もうと思う」私は目の前が啓(ひら)かれたような、これから自分の歩みが360度広がったような、目が醒めたような感覚だった。そして彼女と知り得たことが何よりも最大の収穫だ。収穫?なんだか獲物みたいな感じだけど。
「戸口さん、カレー楽しみだわ。でも、それよりもお互いに気持ちを吐き出して、経験値を上げていくこと、それが何よりの楽しみ」
「そうだね、僕たちには生傷が絶えなくて、その部分に癒やす為の絆創膏が必要だ。寒い時の温かな鍋物みたいな物も重要だと言える。生活していくうえで何か自分のレベルを上げていけるような行き方をしていきたいと思うんだ。理想は高くもちたい。でもなるべくなら苦しまずに安全な道を歩みたいんだけど甘いよね。どうしても人間だから楽な方楽な方へと向かってしまう。だから自分を叱咤激励してなんとか歩んでいるつもりなんだ。それにどうしてか落胆することだってあるし、うまく考えることができなくて駄目だなーって思うこともある」
「私も時々自分に対して誠実になれないことってある。でも頑張って、今の時代誠実さって貴重なものだし、そういう人って騙されることがあるから、それだけではいけないと思うの。人のずる賢い企みを見抜く能力がいる。そしてそういう人って必ずひたむきな人が自分の邪悪な思いを覗かれたことで攻撃を加えてくる。私達はそんな有害な人を駆除することが必要。私達はとても小さな力しか持っていないかもしれないけど、結集すれば大きな岩を動かすほどの圧倒的な力があると思うの」
「いかに壮大な、人々を魅了する言葉を尽くしても、それは一時的な効果しか生じないし、多くの人たちは、そんな欺瞞(ぎまん)には飽き飽きしている。だから政治離れが蔓延してるし、人を信じるってことに飢えてるし、本当の信頼できる人が欲しいと思っているんじゃないかな。この世界は情報化の波で溢れかえっているし、みんなトレンドから外れないように細心の注意を払っている。でもそれは自分を確固としたものにするのではないし、むしろ人の言動によって自分を将棋の駒のようにしてしまいかねない。だから私は情報の選択にはくれぐれも用心しているんだ。自分がこれから先、どんな歩みをしていけばいいのか、何に依り頼めばいいのか、何が正しくて何が間違いなのか、でもそれは自分自身を基準としてしまうし、そのことが絶対に正しいとは限らない。だから何を自分の指針とすべきかが重要になってくる。現代の情報はいかに自分をレベルアップさせるかというより、ただ単に面白ければいいやってことに考えがシフトしている。もちろん一種のトランキライザーとしての役割は果たすことはできるかもしれないけど、人の本質を突くもの、人がいかに生きるべきかとか、いろんな人生の問題にどう対処するべきなのか、そのような問題提起を解決することには欠けていると思うんだ。だから多くの人は、とくに人生経験が豊富な人は哲学や宗教に救いを求める。でも、それだけでは必ずしも自分の鬱屈とした思いというものから解放されるとは限らない。むしろ自己中心的な自分の救済を得られるだけだ。でも、この世の中には必ず真理というものがあると思う。自分はその唯一の道を見いだせるように視野を広くしていたい」
「戸口くんはきっと真実を見つけられると思う。私もいつの日か、この世界中の心の純粋な人たちが救出される日が来ることを待ちわびている。いろんな悩みと戦っている人、辛い経験をしている人、自らを傷つけて葛藤を抱えている、そんなたくさんの人が救われたらいいのに。私も子供時代にいろんな経験をしてきたんだ。その中でもやっぱり自分の心の内をさらけ出せる人ってとても重要だと感じた。でも私の側にはそんな人はいなかった。だから心の滋養分を接種するために孤児院の図書室に籠もってたくさん本を読んだの。激的な変化だった。自分を解放してまるで空を飛んでいる気がした。時空を超えていろんな世界、環境を旅していろんな体験をすることができたの。悩みだとか辛さを乗り越える力も貰ったわ。私はひとりじゃない。むしろ物語の登場人物と知り合うことができてとても勇気とか自信といった特質を得られた。不思議だよね。所詮、紙に書かれた文字なのに、そこから多くのことが学べるなんて。それに今の時代ネットを通じていろんな疑問に対する答えが広まっていて、昔なら情報を探すのに図書館とか新聞なんかをツールにしていた。現代はスマホ一つでどんなことだって検索できる。すごい時代だわ」彼女の博学者のような、それでも自信過剰のない言葉には純粋な、そして飢えを癒やすような優しさが伴っている。それは何処から来るのだろう?まるで愛情を込めて頭を撫でられているような感覚だ。穏やかで空に浮かんでいる、そんな気分だ。
私達は映画館を後にしてススキノ方面に向かった。アーケード街の手前まで歩いていると、マクドナルドの店舗があってコーヒーが飲みたくなってきた。店に入ってホットコーヒーのMサイズを2つ注文してカウンターで待っていると、隣の客が私達の方をじっと見つめていた。それだけではない。あたりの人たちが騒然としだした。二人が私達に近づいてきた。
「戸口景さんに高瀬みつきさんですよね。いつもテレビで見ています。大ファンなんです。握手してもらっていいですか?」周りの人たちも私達を取り囲んできた。みんなスマホを向けてガヤガヤと騒いでいる。私達は熱気に圧倒されて店を出ることにした。足早にドラッグストアに寄ってマスクを買うことにした。どういうことなんだろう?私達は有名人でもないし、でも、私達の名前を知っていた。
「何故か分からないけど、ひょっとしてタイムスリップみたいなこと?」みつきさんは少しぼう然とした目つきで言った。
「どうなんだろう?さっぱり分からない。でも、言えることは、どうやら僕らは超有名人らしい。なんかちょっと嬉しいな、人からチヤホヤされるなんてね」
「これからどうする?」
「マスクをしているからサイゼリヤに行ってコーヒーを飲みながらゆっくりしよう。なんか一息したい気分だ」
「そうだね。まだ語りたいことがいっぱいある。戸口くんの、戸口くんって呼んでもいいよね?あなたの過去のことも知りたいし…」
「僕も君の、みつきさんの、いや、これからみつきって呼んでもいいかな?これまでの足跡を追ってみたい。これまでどんな人生を歩んできたのか…」
「そうだね。なんて言ったって初対面でキスするんだから、これはこれから壮大な人生の歴史的なことが起こるのかもしれない」
私はみつきの右手を握ってサイゼリヤに向かって歩きだした。暖かな陽射しだった。これから何処へ向かうのかは分からなかったけど、とにかく前には歩みだすにはちがいない。みつきの吐息がここまで聞こえてきそうだった。風が頬を撫でた。今までで一番好印象な風だ。友のような感じを受けた。静かな時間で周りの景色はキラキラと輝いている。なんて美しいんだろう。路面電車がゆっくりと通り過ぎていく。乗客はまるで静止画のような息をしていないかのように佇(たたず)んでいる。私は以前、路面電車に乗っていたとき、韓国人と思わしき若い女性の一群が夢見るような視線で車窓を眺めていたことを思い出した。私からすれば、今いる場所はなんてことはない所なのに、旅行者にはここは異次元の世界なのだ。そうだ、ここは特別な所なのに私は気づいていない。気分次第でこの今いる場所は自分にとってかけがえのないところとなるのだ。何処かに向かうのではなく、ここでいかに自分が幸福で満ち足りるのか、そのことが重要だ。そのうえで今の自分の立ち位置はどうなんだろう?みつきと一緒に有名人として歩まなければいけないのか。これは今流行りの、というか、廃れているのにもかかわらず、自己中毒を起こしている転生物と同じではないか。でも、考えてみればどんな物語も、その要素が含まれているといっていいだろう。
私達は広い道路沿いのサイゼリヤに入ってウェートレスに案内されて席に座った。注文をとってドリンクバーでコーヒーを淹れた。窓の外の風景が、まるで絵のような存在で、いつまで見ても飽きなかった。遠くには立派な樹木があって、風で揺れていた。私はその揺れている葉がまるで太古からずっと今までで揺れていたのではないかと想像していた。私の思考がそのまま現在の見ている情景を映し出している、そんな風に感じられた。このまま目をつぶれば深海にまで沈んでしまいそうだ。それもいいかもしれない。肩に何かが触れた。目を開けると、みつきが私の肩を優しく掴(つか)んでいる。
「何処かへ行っていたの?」
「ああ、遠くへ、深く深く潜っていたんだ。実際にスキューバダイビングをする人って探究心があるんだなって思うんだ。でも、そんなことをしなくても、想像力でイメージングができる。何も見えず、どんな音も吸収してしまう孤独感に苛(さいな)まれていた。それでいて、もの凄く安心感があるんだ。まるで母胎にいる感じって言うのかな。このままずっといたい、そんな気分だ。みつきも体験してみるといい、凄く充実した気持ちになれる。海面に上がった後に自分は死の底から這い上がってきたんだ、自分は生きているんだ、って最高の気分を味わえる」みつきの真剣な表情は私にもっといろんなことを聞かせて、と言っているようだ。ただ世間話や表面上の語りではなくて、もっと奥深い、自分の衝動的とも言えるもの、自らの心の叫びを伴ったものを求めているようだった。
「戸口くんは一見すると今風っていうか、何も考えていないように見えながら、でも、実は人の心の内を洞察する能力に長けているんだね。ただ単に毎日楽しければいいんじゃないってことじゃなくて、本当の幸福を求め探している。そのことがジンジンと伝わってくるよ。まだ全然話し合っていないけど、それって自然と現れるものだから。心に秘めているものってたとえ隠そうとしても表面上に浮き上がってくるから。私、けっこう敏感で、そういう能力があるんだ。戸口くんも同じだよね」
「うん、昔から、小さい子供の時から満たされない思いでいたんだ。親からの愛情に飢えていたんだろうな。それでも人と話し合ってもそこからは何も得ることは無かった。みんな無知で自分のことばかり気にしていて、まあ、もちろん普通はそうかもしれないけど、でも自分はたくさんの変わっている人と出会うことで何か普通じゃないもの、でもその中には人生を探求する本質のようなものを見出した。不思議だよな、人って本質的にはいろんな経験をしても変わる人もいれば変わらない人もいる。最初から決められているんじゃないかとも思うんだ。頭の固い人っているじゃない。柔軟性がなくて人を見た目だけで判断する人。そういう人を見ると本能的に拒絶反応を起こしてしまうんだ。相手の心の内を見抜くことができない人って、残念だけど、もうこの人とは一生かかっても理解し合えないんだろうなって感じることがあって、悲しみを覚えることがある。でもその人のことばかり考えてもしょうがないし、全く無駄だし自分の心の中に害のあるエキスが広まってしまう恐れがあるからなるべく考えないようにすることって大事だ。だってそんな人のことをいつまでも思いに取り入れるなんて馬鹿馬鹿しいじゃない。もっと良いことを、楽しいことだとか嬉しいこと、感動することとか喜びで満たされること、そういうことを取り入れたほうが良いに決まっている。でも、人間の不完全さからどうしようもないことを考えちゃうんだなあ。まあ、人間だから仕方がない。完璧な人って魅力が無いから。苦しんで苦しんで苦しみ抜く、そこから滲み出てくる魅力って浮かんでくるんじゃないのかな。物語にしてもそうだろう。はじめから強い主人公に感情移入はできない。未熟で繊細でたくさんの失敗を重ねていくことで読者はその登場人物を自分の分身であるかのように、そして自分のことのように投影していく。最後に無慈悲にその登場人物が死ぬ。それこそ最高のカタルシスなのかもしれない」
「最近の映画にしろドラマにしろ、人が簡単に死にすぎると思うんだ。小説にしてもそう。確かに死は人を魅了するけど、私はそう簡単に人を死なす物語は信用をすることができない。1人の人が死ぬって大変なことなんだよ。それを量産するなんて冒涜(ぼうとく)以外のなにものでもない。私は目の前で死んでゆく人を見たことがある。同じ施設に入っていた子で小児癌だった。助かる見込みがなくて私はそれこそつきっきりで心のケアをしたの。最後まで彼女は勇敢だった。恐れを知らずいつも悲しそうな笑顔を見せていた。私はその子からたくさんの教訓を得ることができた。それは人は死んでも人を活かすことができるということ。私は彼女の死を絶対に無駄にはしないと決意した。彼女の分まで生き抜こうと。人って面白いよね。全く人生から学ばない人もいれば僅かな事柄からも教訓を得ようとする人もいる。私はその点恵まれていると思うんだ。色々と失敗とかあるんだけど、その努力をきっと誰にも理解されなくても自分の心の内に蓄えるなら、それは必ず貴重な宝となる。人の評価を気にするのではなくて自分の良心に照らし合わせて生きていく。人の事なんてどうでもいいんだよね、人の感情を大切にする必要はあるけれど、自分がどう生き抜くか、相手が間違ったことをするとき、それを正直に伝えることができるか、ちゃんとそれを受け入れる余地を持っている人にきちんと理解させることができるか、そのことだと思うんだよね。私達はあまりにも自分っていうものに確信をいだき過ぎていて、そういう考え方をしていると自らのレールの上を走っているつもりが脱線していることに気づかずに暴走するおそれがあると思うんだ」
「この世界には自分なんかより高尚な思考を持っている人がたくさんいる。まず、そのことを認めるだけの気持ちを持っているって重要だし、でもみつきが言ったようにほとんどの人は自分の考えが一番正しいと考えてもいる。だから何処に救いを求めたらいいのかが問題になる。僕が思うに物語がその人々の飢えを癒すことができるんだと君と話していて気づいた。だからこれからは意識して本を読むことにするよ」私はつくづく人との繋がりの大切さを深く実感した。心からの満足感を、そしてこんなシチュエーションを前提とした物語性を敷いてくれた世界に感謝した。この世には何か目に見えない流動性のある、いや、こんな言い方はあまりにも陳腐だな、奇跡としか言えないようなことってあるんだ。考えてみればこの地球に何十億もの人がいて、お互いを理解しあえるということはとてつもないことだ。そして何よりも自分がこうして生きていることを私は不思議に思う。今までの私は自分の命について無頓着で、この自らの生が何を意味しているのか真剣に考えることは無かったし、いかにこの生命を太陽のように燃焼させて周りの人たちを温めなければいけないかといったことを自覚することは皆無だった。人はみんな弱いものだ。強いと思っていても僅かの傷で痛み、微かな毒素が全身に回って命を落とすことだってある。でも一滴の涙が波紋を広げて周りの人たちに影響を与えるし、些細な親切が人の心に感動を与えて揺り動かし今、どんな苦しみがあろうとも乗り越えていけるだけの力を得ることができる。勇気をもらって毎日を進もうとするし、とくに男女の結びつきは火花が火薬に引火すれば、もの凄い爆発力をきたすように情熱的な炎を与える。私は人の持つ力を信じているし、ため息が吐かれるなら、それを聞いている人がいて、その気持ちを理解し、慰めによってお互いの心が熟成しだして深い満足感が全身の細胞を活性化させることができると信じている。こんな冷めた時代だ、ニュースでは悪い出来事が散々起こって人の気持ちを萎えさせている。たまのハッピーなニュースも霧散してしまうほど。だからこそ、人に勇気や感動を与えるコンテンツが必要とされているし、そんな楽しみを施す人もいっぱい求められる。
「ああ、なんか涙を流すほど感動的な現場を目撃したい。この頃のテレビドラマってホント陳腐なんだ。お涙頂戴みたいなくだらないものが多くて。無理に泣かせようとする魂胆が見え見えなんだ。でも、多くの人がそんな感傷的な場面に引き寄せられるんだから困っちゃうよね。楽しい動画も良いけど、心の底から滲み出るようなそんな物語を見てみたい、そう思うんだ。それに比べてネットの動画サイトって熱いよね。自分が見たいもの、投稿者が人を楽しめるように色々と努力している。でも、それだけではいけないと思うんだ。人と人との繋がりを結び付けること、違う言語を話す人達を連結させることがとても大切だと、今まで民族間の相違によって繰り返されてきた憎しみを分断するためには乗り越えなければいけないと思う」なんだか周りの空気が圧縮されて、みつきの声が物語を語っているような、まるで朗読を側で聴いているような感覚だ。それは私の心にまで達して幼い頃に母に抱き締められた時のような懐かしく、それは今では叶うことがない淋しさを味わった。でもそれでいい、過去を振り返り、もう二度と体験できなくてもその温もりは未だ微かな食感として残っている。それは最高のデザートのようだ。
「人は閉塞的な感情に支配されている。それを打破しなくてはいけないんだ。まるで永遠に獄(ひとや)に入れられているようだ。それを解放するためには自らの心と対決する必要がある。自分と戦って勝利を治めることができなければいけない。いろんな葛藤、辛さ、苦しみを克服していく。そのことによって以前の自分とはまったく違った人格を宿すことができる。みつき、君は私の心を癒やしてくれた。そのことによって今までの自分とは明らかに精神の成長を遂げることができた。でも、それを受け入れるだけの余地を自分が持っていることが重要なんだ。この世の中には全く人から影響を受けない、がんじがらめの人という輩もいる。私たちが住んでいる地球では全ての人が俳優だ。だからできるだけ名演技をする必要があるんだ。心を込めて笑ったり泣いたりして、みんなを魅了することが求められる。でも、多くの人はそれに気づいていない。正直、映画やテレビドラマに登場するどんなアクターよりも私達素人の方が技術的に勝っていると思う。大切なのは技巧的なのではなくて心。それは心に押し留められるだけでなく、体の表面に現れていく」
「私達だけでなく、みんながこの世界の主人公でくだらない話、自分の弱点を克服していって強くならなければいけない。敗北することもあるかもしれないけど、でも最終的なクライマックスに向けて勇気をもって臨んでいく。そのことって、とても大切」
「人ってそう簡単に変わることはできない。でも、自分の内面をじっくり見つめてどうしたら改善を図ることができるのか自らを見つめ直す必要がある。大切なのは自分という枠を超えて新たな服を身に包み込むように今まで考えてもみなかったような人格を身に着けようと努力することだ。その為には自分という枠を越える必要がある。どうしたら今の自分を乗り越えられるのだろうか?それはほんと難しい。停滞することはあってもその枠を凌駕するということは並み大抵ではない。」

しおり