あまりにも真面目過ぎると思考が停止する。
私たちは毎日を滞りなく生きていて真剣に自分に科された仕事を処理している時、周囲の状況に焦点を合わせることができなくて、はっとすることがある。突然に起こったような気がしたりして、その事柄に対して時には否定的な感情を抱いたりして自分の正しさを立証し、相手が持ち出したものに、攻撃的とも言えるようなことをしてしまった経験はないだろうか。また、相手の間違いをそれこそ完膚なきまでつついて相手を落胆させてしまったりして自分の正しさを明らかにしてしまうことだってある。でも相手はいろいろな事情があって、嘘をつくことで自分の心の中にある辛さをなんとか解放し浄化させていた、そんなことだってあるのだ。私たちの多くは正しければ良い、それが正義なのだ、と思っていることがある。でも人の心には相反する感情があって、それらがお互いを認知し融合することによってなんとか意識を保っているような気がする。人はいつか死ぬ。それは大前提ででも多くの人はそのことをまるで否定しているような素振りを行動で表している。例えば人が嘘をつく時、私はその人の心の内には何か傷のようなものがあってそれを癒す為の絆創膏のような役割なのだと思うことにしている。その傷を隠した絆創膏をいわば剥がすのではなく、どうしたらその人のことを理解して爽やかな気持ちを抱かせることができるのかと考えた方が得策だ。だから虚言的な人に対して私は過去に起こったに違いない体験を聞き出そうとする。その人はきっと自分の人生を語ることによって自分が今までに成してきた楽しかったことや孤独で寂しくて耐えられないほどの痛みを緩和させて自らの傷口に手術痕が残るとしても最終的に癒しを取り戻すことができるのではないかと信じている。きっとその人が自分の悲しみから流す涙は苦しみを相殺する為の抽出物なのだろう。しかし、人だけが悲しみや、そして感動したときに涙を流す。他の動物には涙腺というものがあるのだろうか。定期的に涙を流さないと涙腺は柔軟性を保つことができなくなって涙は枯渇してしまうということはないのだろうか。私は出版社までの道を歩きながらそんないろいろなことを考えていた。春になって太陽が暖かく優しく微笑んでいるかのようだ。これから夏にむけて辟易するような暑さが待っている。そのことを思うととっても憂鬱な気持ちになるけど、なんとか乗りきらなければいけない。でも、私自身、体温が36度5分くらいあるのに暑さを感じることがないのだから不思議だ。体重だって四十数キロの荷物を持つなんて難しいはずなのに、私はその等しい重さを持っていて苦もなく動き回っているのだ。本当に世界は不思議なことで溢れている。そのような自分では何気ないような集合体たちを素知らぬ感じでやり過ごしていて、もっと物事に対して真剣に取り組めば、自分が構築している世界を彩り豊かに飾ることができてこの人生を賢明に生きることに繋がるのではないか。私は自分の生き方を今まで以上に見つめ直して自分がこれから先何処へどんなふうに人生の舵を操作したらいいのか深く考え学ぶ必要がある。この私が生きている世界では自分を省みることに対して否定的な、いわば自らを内省するのではなく表面的な価値観を抱くことがもてはやされているように思う。外見的な目に見えるものを信じることに比重が置かれているといっていいだろう。現代の消費社会では見た目の美しさ、華やかさ、きらびやかさが重要で、いかに人々の話題に自分の価値観を埋め込むか、人の心の中に自分の思想をそっと潜めるか、その事が世間の、大衆を動かすことがまるで自分の生き甲斐、使命であるかのようだ。自分が人々の中で目立つこと、自分の思想が正しいことを大前提にして影響を与えることに精力を傾けている。でも、そんな考え方は正しいのかもしれないけど、正しければすべてが丸く収まるというわけではないのだ。この社会ではいかにも正当なことを言っていても、その人に深い感心というか、支持することに疑問を呈することがままないだろうか。私は編集者として情報を人々に与える側だ。だから慎重に作家たちには講読者に対して誠実に対処するように、もちろん何を書くかは作家が決めなければいけない。でも、小説を買ってくれる人に迎合するにではなく、自分の思索的探求を通して、自分のフィルターに留まる思想をいわば厚くして人々に提供しなければいけない。私は想像のなかで上空に鳥のように飛び、東京の街を俯瞰した。たくさんの輝く夜のビル群たち。そこには人々が小さな蟻のようにうごめいており、それらの人たちの感情まではうかがい知れない。私はさらに高く浮かび上がり、大気圏に達する。私の側に宇宙ステーションがあってそのなかには数名の飛行士たちが居て、様々な実験をしている。私はそれでも上空高くに浮かんでいても自分の問題が解決できないことに気づいた。それよりも今は早くに人と会って語り合いたかった。孤独で心が渇いてすぐにでも飢えを満たしたいという気分だ。私の心の中にはそんな枯渇して霊的な水分を欲する気持ちが表面にまで現れて実際に喉がカラカラになって、鞄に飲み物を入れてこなかったことに気づいた。ああ、私はまだ真剣に生きていない。毎日をのほほんと自分の幸福だけを望んではいないだろうか?多分、きっと、これからはもっと人の役にたてるように真剣にこの人生を生きていきたい。こうして小説を読者に届ける身でありながら私は浅はかだった。自分の底の泥をすくって綺麗な清浄な水を注がなければいけない。この世の中は無情だ。人それぞれ生き方は違う。なかには毎日の生活にも苦慮している人もいるだろう。私が降りた駅にもホームレスの初老の男性がベンチに座っていた。彼はどんな生活を今までに営んでいたのだろう。彼にも誕生があり、子供時代の経験があり、学生時代には恋もしたにちがいない。今、自分の状況をどう見ているのだろう。恥ずかしさはないのだろうか。彼らには彼らなりのポリシーみたいなものがあるのだろうか。自分の身に起こっていることをどう感じているのか。市役所に行って生活保護を受けることができるのに何故頼らないのだろう。そして市の職員はそんなホームレスの人たちの生活をどうして気にかけないのだろうか。この世の中というのはほんと不思議だ。いろいろな人たちがいて、それこそいろんな思想だとか考えを持った多様な、人種で溢れている。私も、多分私以外の人も、ほとんどの人たちがきっと自分はまともな人間だと思っているだろう。自分を否定している人はそう多くはないはずだ。悩みを抱えながらも孤軍奮闘している。そんな人が多いんじゃないだろうか。
地下鉄を降りて地上に出ると暖かな日射しが体の芯をくすぐるように気持ち良い。とても心地好い気分で深いため息をついてしまった。私はこうして生きている。そのことをありがたく思った。今もこの瞬間にも苦しみながら命を落としてしまう人たちもいるのだ。そのことを思うと、この限られた生命を大切に、そしてもっと貴重なものとして用いていこうという気になる。私はあと何十年生きられるのだろう。でも突然今この瞬間にも失ってしまうことだってあり得るのだ。だからこの大切な時間をできるだけ無駄にしないように、自分自身をしっかりと見つめて歩むこと、この限られた父母から受けた生命を貴重なものとみなして多くの人に自分が培ったことだとか生きるうえでの経験だとか法則を伝えられるようにしていきたい。この世の中には自分が正しいということを衝動的な感情をもって人々の心に植えつけようとする人たちもいる。人が名声を得て、その人のことを取り上げて、まるで自分自身がその一翼を担っているかのように語る人たちもいて、自分が時の人であるかのように勘違いをしているのだ。人の注目を浴びたい、その気持ちはよくわかる。関心を払ってもらいたい。もっと人々から愛されたい。でも、必要以上にそんな思いを抱いていると自分の持っている確信とか性格を譲歩しなければいかなくなることだってある。そこには自分の信念というものが無くなってしまう。でも、人ってそんな自分を憐れむことってあるのかもしれない。自分を第一に考えて他人をなおざりにする。私だって結局自分が一番可愛いと思っているんじゃないだろうか。そう考えていた時、私のまわりにはとても大切な人たち、私が担当している作家のことが走馬灯のように浮かび上がってきた。まるで自分の大親友か兄弟のように切っても切れない仲間といえる心を通わせることができる人たち。そして毎日を有意義に生活することができていて、様々な彩り豊かな人とお互いに心の中にある宝物を交換できていることが何よりの幸せだ。そんなことを考えながら出版社に着いて自分の仕事場の椅子に座ったら同僚の平塚葉子が私の隣に来た。
「おはよう、なんだか、みつき最近いつも嬉しそうだね。恋をしてるからかな?」葉子は私の顔をじっと見つめて言った。
「そう感じる?葉子はどうなの?」
「私はなかなか的を射ることができないんだ。社内で良い人もいないし、かといってマッチングアプリみたいなものは使いたくない。どこかで運命的な出会いというものを期待している自分がいる。ああ、誰か素敵な人いないかなー」
「大丈夫だよ。きっとまだ心の中に恋の火花が起こっていないんだよ。今はまだ、醸造中って感じかな。自分の思いの中にこれからいっぱい栄養分を与えて気持ちが高ぶるように仕込まないとね。そうしたら回りの霞みみたいなモヤが振り払ってきらびやかな輝かしい風景が見えてくるの。だから焦らないでね。なんか私、恋したい!!!って顔に書いてあるもの」私は葉子の愛嬌のあるいじらしく可愛い顔を見つめながら言った。
「うっ!!!書いてあるのか。ほんと、今、心からの叫びって言うか衝動的なまでに餓えているの。やっぱり、みつき、頼れるのは友だね。私のことを理解してくれる。この頃仕事が忙しくて恋をする暇がないんだ。でも恋をしたいという欲求は激しくあるの」
「願いが叶う時期ってあると思うんだ。だから焦らないことね。私も実はここ最近素敵な人に出会えて最高の毎日を過ごしている。一番大切なのはじっくりと自分自身を見つめて花弁が開く時を待つこと。そして自分の心の内にたぎるボルテージを構築することも必要。そうするとまるで磁石を体の中に持つみたいに周りのものを引き寄せることができる。自分でも何かが起きそうな予感がする!って虫の知らせのような感覚を抱けるんだ」
「さあ、仕事!仕事!恋の話はお預けね。いっぱい小説を売りまくってボーナスたくさん出たら、気晴らしにどっか遠くに旅行に行きたいな」葉子は両腕を天に上げて言った。
私は自分のデスクの前で今、とても若者たちに人気があるわが社のネット小説サイトに投稿を続けている、高坂トモ、という作家の最新小説にアクセスした。作家紹介の自己PRには、16才の男性で高校を中退した後、引きこもりになってネットで小説を投稿しているということだった。私は彼の小説がとても引き込まれるものでぜひとも一度会ってみたいと思った。今をときめく人気作家、これから彼の執筆状況をかんがみて、小説家としてデビューすることを考えている。今までで作家が仕事を掛け持ちしながら小説を書いている人々は大勢いる。その中には高坂トモのように引きこもり、つまり自分の殻に閉じこもって小説を書いている作家という人も意外に多い。私は彼の繊細な文章にとても惹き付けられて、その穏やかで温もりのある、それでいて強いタフな心を持っている人に対して慈愛溢れる文体をとても評価している。
私は高坂トモさんの個人情報から彼の携帯電話に連絡をすることにした。この世界にはたくさんの人たちがいて、溢れんばかりの希望や夢を抱いている人たちが大勢いる。中には夢に挫折した人や今、こうして生きているだけで精一杯の人、精神的、肉体的な病を抱えていて苦しんでいる人もいる。今、流行りの小説はどこか真理を突いているようで、でも結局楽しければそれでよしみたいな風潮がみられている。でもそんな一時流行的なものは風が吹けば消しとんでしまうような薄っぺらなものばかりだ。そこには真実を探求するような力強さは無いし、文章に迫力や確信は無く、ただ饒舌なだけでただ、みんなが読んでるからとか今評判だからと言っただけでチヤホヤされているだけの代物だ。本当に人の心を打つような永遠性というものが全く見られない。しかし、高坂トモさんの作品は一目見るだけでプロフェッショナルな人の心を惹き付けるとても美しくまるで昔体験した憧憬とも言うべき懐かしさと、感嘆させる美しく素晴らしい文章が繰り広げられて、それこそ何十年、何百年と読み続かれるような、そんな未来の人にまで影響を与えるものがあるのだ。一番大切なのはやはり心の動き。様々な情感が含まれていて、はっとさせられることや切ないほどの感情の機敏が流れて心に訴えかける。私は目を閉じて高坂トモさんの描いた物語を思い浮かべた。思わず感嘆のため息が出た。なんて美しいのだろう。世界中にはトモさん以上の技量を持つ人は大勢いるにちがいない。でも彼の作品はまだ経験の浅い、幼い人たちの心を揺り動かす力を持っている。そして子供の心を持って、いまだにその残滓を身に宿している私にも。この世界は原子で出来ていて、その原子も陽子と中性子、それから電子でできている。すべてはその素粒子で成り立っているのだ。それらが私たちを構成していていろんな物質を作っていて数限りない宇宙、植物、動物、鉱物など、美しく、生活するために欠かせないものがこの現実に拡がっている。神の視点で表現しているのだけど、それが拙さというかまるで子供のような感覚に陥っていて、最終的に何処へ向かうのかと期待値が高まっていく。トモさんの小説を読んでいて私の心はワクワクと静かに微振動を起こして深く地底に潜り込んで、もちろんそれは海底奥深くでも良いんだけど、じっと一人で体全体の温かな物体がねっとりとまとわりついている。ひっそりとした、それでいて何かの音、それはマグマが対流しているようなものがあったり、その地底には私以外生きている人間はいなくて、でも、微生物はいるのだから究極的には一人ではないのだし、銀河の中にある太陽系の唯一生物がいる地球のような、実際に私は孤独では無く、お互いに情報を交換して自らの霊的な飢餓を満たすような感覚があった。
今、座っている椅子がキッと音をたてて私は我に返った。辺りは静寂に包まれてみんなパソコンに向かって仕事に勤(いそ)しんでいる。私の向かえのデスクには同時期に入社した神埼美沙子がしきりにティッシュで鼻をかんでいる。この社内にも花粉が漂っているのだろう。私は全然その影響を感じない。不思議なものだ。人によって食べ物の好き嫌いがあるように花粉も人を選り分けるものなのだろうか。しかし、この仕事場の雰囲気、とても落ち着く。やはり私は人が大勢一緒に働く現場が大好きなんだ。直接一緒になって働くことはあまり無くても周りの人の真剣な態度と言うものはとても影響を受けて私に多大な作用を起こす。人生はまるで一つの小説のようだ。私は主人公として色々な体験を重ねて、それは毎日決まったルーティーンをすることではなく、できるだけ彩り豊かな自分にとって満足のいく情報を取り入れて、新鮮な体にとって幸福感を維持し持続させるエネルギーを補給するみたいなものだ。
私は高坂トモさんとメールでのやりとりをして今日の夕方五時に彼の住む実家を訪れることになった。とても楽しみだ。彼の姿はどんな感じなのだろう。小説を通して伝わる印象はとても精神的に飢え乾いている、そして愛情を欲しているということだ。ピアニストのような繊細な表現からは彼がとても、かなりの読書量があることを示唆している。毎日小説を読むことで自分の生命を維持しているのかもしれない。この世の中にはたくさんの引きこもりの人がいると聞く。そんな人たちは自分の命をどう思っているのだろう。そういう人たちにぜひ小説を読んで欲しい。生きていることの素晴らしさ、価値に気づいてもらいたい。自分が一人ではないこと、そしてそんな苦しみを抱えている人は大勢いて、この世界には悲しみを癒すような力が到るところにあって、そんな人々を包み込むような物語が救済に寄与することを知って欲しいと思う。私は彼の高坂トモさんの作品を読む時だけでなく、私の生活全体に彼の影響を感じた。
午後4時に退社して国道沿いの歩道を歩いていると気配を感じた。後ろを振り返るとたくさんの背広を着た中年のサラリーマンやスーツ姿の女性が私に向かって歩いていた。空を仰いでみると真っ青な空と太陽が視界に入ってきた。ただそれだけのことだったけど、心が浄化されて清々しい気分だった。コンビニにより雑誌コーナーを通り越して冷蔵庫のなかからリプトンティーを手にとってレジに向かった。すると私を見つめているようなとても熱い熱線のようなものが背中から感じられた。でもそれは息苦しいというのではなくて、まるで看護師の若い女性が早朝にベッドに近づいてきて、「おはよう、元気ですか?今日はとてもいい天気ですよ」と、私に対してとても温かく、そして親切心に溢れているような感じだった。それは高坂トモだ。彼が私に向けて、いや、それは違う、私の居場所を知っていて、彼も私に会うことを期待しているのだ。そのことを知った時、私は彼の姿を見た気がした。この後一時間後に私は彼の心に抱いている全てを知りたいと思うだろう。彼について知り得ることを聞きだして、きっと文芸雑誌にその多くを、もちろんページ数が限られているから、はしょる必要もあるけど、重要な、大切な部分は人々に照らして、複雑な、それでいて書店で立ち読みしたにもかかわらずレジに向かっていくほどの吸引力があるだろう。
地下鉄に乗ってトモさんの住むマンションまでの道を歩いていると商店街が見えてきた。なんだか懐かしい雰囲気がして立ち寄ることにした。店はたくさん主婦で賑わっていて商店の店先には、マスクだとかスニーカーなどの商品が積まれていた。とても懐かしい気分がした。札幌の狸小路商店街とは違う匂いがする。札幌は観光客や他の地域から買い物に来た人たちが多い。でも、この商店街の場合近くに住んでいる人たちが、生活用品を買うために来ているという印象がした。着ている洋服もお出かけ用というのではなく、日常で着ている雰囲気を醸し出していた。私は業務用商品を売っている店に入ってブラブラと店の中を歩いた。その中にトモさんが好きそうな今時のお菓子を買って店を出た。ここからトモさんのマンションまでは歩いて5分くらいだ。とても心が沸き立っていた。休日の朝に楽しみにしている映画を観に行く時の感じだ。高坂トモという人生を送ってきた主人公に実際に会いに行く。そんな高まる気持ちを抱きながら私は彼の未だ姿を見たことは無いけど実際に小説を読んだことで、その文章から大体の感じを掴(つか)んでいた。文体からは多くのことを把握できる。私は今までにいろんな人たちの原稿から、その人の考え方を知ることができる。趣味とか、思想とか、どんな人が好きで、どんな人が嫌いなのか。多くのことを語っている。体型や顔などの見た目はわからなくても、考え方の多くを知ることができるのだ。その問題を解答することが楽しみであるし、話し合うことで、いっそう作家の姿を浮き彫りにすることができるので、生きているなかで欠かせない喜びの一部になっている。
子供を乗せた自転車が私の横を走っていき、この子供は将来どんな職業に就くのだろうと思った。その子が成人に達する時に世界はどんな状況になっているのだろう。私には多くの疑問がある。なぜこの世の中は殺伐としていて人はお互いに分断されているのだろう。でも、この日本国内はとても平和だ。それにもかかわらず多くは他人同士で知り合う機会というものがとても少ない。とても日本人はシャイで照れ屋で、人の喜ぶことを願っている。それを繋ぎ留めているのは何なのだろう。この不思議な国は狭い国土に一億人以上の人たちが住んでいて隣の人との交流というのがとても希薄だ。その国内には様々な商品が満ち溢れていて、こんなにも特徴的な物を造り出す人々がいる。世界の出版業界はどうなのだろう?こんなにも巷に小説がある日本とは違うのだろうか。例えば日本にはアイドルという存在が雲のようにあるけど諸外国には認知されているのだろうか。他国の風習との違いとか話す言語とか複雑な要素が、それを言ってしまえば日本国内においてさえ人それぞれ考え方が違うことでまるで外国人だとも言えるだろう。私たちはそんなお互いに持っている、いわば霊的なエネルギーを交換しながら、それを栄養として生きている。世界にはいろいろなキーワードがあって人々の注目を引こうとする、それによって商品価値を上げて利益を獲得しようと企んでいる人だとか企業もある。今話題の人物を取り上げて自分に箔をつけようとする人だって大勢いるのだ。多くの場合、そんな人をインスパイアすることが本当の幸せに寄与ことだということを知る人は少ない。正直、テレビやマスメディア、雑誌などでたくさんの情報が人の目を引こうと努力しているけど、それらが根底で一体何を言いたいのかはっきりわからない。もっとも大切なことは、それら人の興味を、それも多くの場合、衝動的というか、本能的な欲求を満たす為に注意を向けることが大多数で、でも一番価値のある、というか、真に人の心を安心させる事柄は、こっそりと、知らないうちに心に蒔かれるものだということを私は今まで人との接してきて理解している。あまりにも大胆に革新的に公開されているものは、しかも権威ある賞とかを取った製品だとか映画とか、それらは大衆を導いているようでいて、私にはそれらのものが本当に価値のあるものだということではないと思っている。そう言いながら、話題のある映画だとか歌を見たりするのだけど。朝のニュースで芸能界のことが取り上げられていて、今話題の俳優と女優の色恋沙汰が話題になっていたけど、私にはどうでもいいことだと思っていて、一般大衆がいかにも興味あることだとマスメディアはひっきりなしに報道していた。でも、世間ではそんなことは関心が無くて、もうメディアが世間の興味を操作することはできなくて、これからは一般人が中心になって人々をリードしていくことになるだろう。
高坂トモさんの住んでいるマンションに着いてインターホンで呼び出した。母親らしい女性が出て挨拶をしてから15階の部屋までエレベーターで上った。トモさんの住んでいるマンションのドアに近づくと、トモさんの母親と思われる人が扉の前に立っていた。
「こんにちは、高瀬さんですか?」
「はい、高瀬です。トモさんのお母様ですね。はじめまして。今日はよろしくお願いします」私はトモさんの母親がとても綺麗で身長が私より少し小さくて背筋が真っ直ぐに伸びていることに好印象を覚えた。
「どうぞお入りください。トモも楽しみにしているんですよ」
私はトモさんの母の後についていった。廊下を通ってすぐ隣の部屋のドアをノックした。するとドアが開いてトモさんが少し不安そうな表情で立っていた。
「トモくん、高瀬さんだよ」お母さんはとても温かな慈愛に満ちた声で言った。とても信頼感があるんだなあと思った。
「こんにちは、高瀬です」
「どうも、こんにちは高坂トモです」トモさんはちょっと笑いながら言った。とてもシャイな感じだ。私は安心した。引きこもりだから人付き合いが苦手なのだろうかと思ったけど、そんな雰囲気はなかった。
「どうぞ、部屋に入ってください」私はトモさんの部屋に入った。
「コーヒーを淹れてきます。ゆっくりしていってくださいね」トモさんの母はそう言ってリビングの方に歩いて行った。
「すみませんがベットに座ってくれませんか?」
「はい、とても素敵な部屋ですね」トモさんの部屋には本棚が4つあって文庫本が納められていた。部屋の中にはバラのような香りが漂っていた。とても爽やかな気分だ。先入観で引きこもりの人の部屋は雑然としていて不潔だという印象をもっていたのだけどそれは誤りだと気づいた。トモさんは机の前の椅子に座った。
「とても、とても、トモさんに会いたかったです。いつも我が社のサイトに投稿してくれてありがとう。みんな、私たち出版社の社員全員楽しみにしているんです」私はトモさんの静かに呼吸をしている姿を、そこには緊張をした、恥ずかしさというか若干の怯えを感じさせるものがあったけど、人と久しぶりに会うことへの嬉しさに近いものを感じた。
「ありがとうございます。僕、人と話すなんてほんと久しぶりにです。両親ともあまり話さなくて。高瀬さんにはなんだかどんなことでも話せそうです」
「トモさんって私の弟みたいな感じがする。どんな些細な悩みでも話してね。って言ってもまだ28才だから人生経験が豊富ってわけじゃないけど。それでも一応いろんな小説を見てきたから作家がどんな気持ちで物語を書いているのか、そのことは詳しいつもり」私はトモさんの机の上にタブレット端末が置かれているのに気づいた。
「僕、いつもこのタブレットで小説を書いているんです。これが唯一の宝なんです。あまり物欲ってなくて食べることにもあまり関心がないんです。毎日お母さんが作ってくれるケチャップスパゲティが大好きなんですけどね。車も欲しくないし洋服にも興味がないんです。街に出てウィンドウショッピングなんかにも触手が伸びなくて」トモさんは自傷ぎみな、それでいて照れたような表情を浮かべて言った。
「私もあまり物欲はないかな。でも小説だけはうちの出版社のだけではなくて他社の小説も買って読むかな。食べることも大好きでね。でもあまり外食はしないの。スーパーで食材を買って夜遅くになるけど自分で作って食べてる」
「僕もたまに両親にカレーを作ってあげることがある。とても嬉しいみたいで、確信しているんだけど家族の一員が作ると、きっと身内のエネルギーがたくさん食材に含まれて、美味しさが増すんじゃないかと思っている」
「うん、私も一流のシェフが作る料理より大好きな人が作ってくれる物のほうが美味しく食べられると思うんだ。王様とか天皇陛下とか自分で料理を毎日作れないって可哀想だなあって。結局、お金をたくさんもっている人って贅沢はできるけど、些細なことに喜びを見出だせるってことに気づかないって寂しいことだよね」
「そうだね。僕はこうして好きな小説を執筆できるだけで最高の気分なんだ。大きな家に住みたいとも思わないし、お金だってたくさん欲しくない。毎日タブレットで動画を見たり小説を読むことが幸せなんだ。この家で飼っているアメリカンショートヘアーの猫がいて、いつも癒されている。なんか僕が猫みたいだなあって感じることもある。でもこうして少しずつ死に向かっているんだって考えるととても信じられない。自分が老化するなんて、皺ができると考えると鬱な気分になる。でも、だからこそ、こうしてひたむきに生きようと毎日無駄にしないように歩んでいこうと努力している。高瀬さんといると自分の感じていることを伝えたいと思う。僕はあまり人と話すことってないんだけど不思議だな。浄化って言うのかな、心が洗われる感じがする」トモさんは私の顔を見つめ、私がとても嬉しいのに気づいて彼も今までになかった穏やかな感じで、お互いに目に見えないエネルギーを交換しているような感覚を覚えた。きっとまだ解明されていない小さな物質がトモさんから出て私の脳に心地よい感覚を与えているのではないかと思った。物質の最小単位である素粒子が交錯しているのかもしれない。
「トモさんの小説はとても孤独な人が現れて、とても人との邂逅を求めていて、なかなかそれを成し遂げることはできないけど、最後にハッピーエンドに終わらないところにきっと読者はなぜなんだと心が引き裂かれる思いがするんだと思う。でも、そんな最終的な結末は人々の心の奥深くに、そっと何だかはわからない一滴のとても集約された、とても温かなものを埋め込むような感じがするんだ。それは読者に自分の人生を歩むうえでかけがえのない、貴重な経験だと思う」
「僕の人生は劇的なものとか感動的な事柄って全く無いんです。ただ毎日を楽しく過ごしたい、そう思って小説を書いている。自分の内にはどこかでこんな生き方ではダメだ、もっと有意義に生きなければいけない、そんな気持ちが膨れ上がってそれを文章にすることで昇華しているんです。人生って贅沢にたくさんの面白いこと経験することが一般の人たちの希望っていうか、多くの人たちが目指しているんじゃないかと思うんだけど、僕は物質的なものをいっぱい得ることよりも、精神的なものを、つまり目には見えないけど心を潤すものがいかに自分の想像のなかで複雑に組み合わされてカタルシスを抱けるかにかかっていると思うんです。それはごく身近なところに、誰でも入手可能ではないかと僕は感じているんです」
ドアがノックされた。そしてトモさんのお母さんがコーヒーとクッキーを持ってきた。
「トモ、なんだか嬉しそうね」
「うん、そうだね。初めて会った時から何かテレパシーみたいな感じの心の交流を感じたんだ。人間って最初の印象で多くのことが本能的に分かる。人はきっと目には見えないエネルギーを出していて、それを脳か心にある受信機で感じ取っているんだと思うんだ」トモさんのお母さんは円卓にコーヒーを置いてにっこり笑った。その表情には心の底からトモさんを深く愛し気遣っていることが感じられた。そしてトモさんの手を優しく握ってから私に向き直り、私の肩にそっと触れた。とても温かいぬくもりを秘めた手だった。私はその手を通してトモさんのお母さんの慈愛に満ちた、素敵なとでは言えないほどの凝縮された力をいただいた。そしてその二人の間には、いや、一体といってもいいほどの繋がりを目にして、ひとつの映画を見終わったというほどの感動を覚えた。どんな映画よりも強い絆を伴った美しい風景を見たような感じがした。目をつぶり深い鼓動を感じて深いため息をついた。まるでちょうど良い湯加減のお風呂に浸かったような気持ちだ。
「それじゃ、ゆっくりしてくださいね。夕食も食べて行ってください。トモのこと、よろしく」そう言って部屋から出て行った。まるで夏の暑い中に吹く清々しい涼風のようだ。きっとこの今、経験した記憶は年をとっても忘れないだろう。円卓の上に置かれたコーヒーカップを鼻に近づけるとシナモンの香りがした。とても落ち着く良い匂いだ。飲んでみると自然の風景を思わせるアフリカの景色が広がった。私はこうして世界中の人々に、間接的に繋がっていることを不思議に思った。この命を燃焼させて1人1人の心に達するように懸命に努力を続けている。自分が精一杯励むなら、その思いは絶対に影響を与えるはずだ。日々、毎日を無駄にすることなく真面目に生きたいと、これから先、一分一秒を安楽に過ごすのではなくてひたむきに用いたい。今、トモさんとの邂逅はとても衝撃的と言っていいほどの、夕焼けの太陽を見ているような感じで心が沸き立つ感じだった。静かに呼吸をしているような感じがトモさんからうかがえた。彼の表情はとても瞳の力が強く口元は真一文字に結ばれていたのだけど、それが一度言い出したことは必ずやり遂げていくというような気迫がこもっていた。私はその自分にできることは限られていても、些細なことに誠実に取り組もうとする姿勢を嬉しく思った。世界には自分の気持ちを打ち明けることができない人が大勢いるけど、こうして引きこもりながらも自分にできることをしようという気持ちを発信することは読者を鼓舞できるし、トモさんの誠実で優しげな文体は心に訴えかけるものがある。これから先、トモさんが人々の脚光を浴びれば彼はどうするだろう?今まで以上に内へと深層に潜り込んで自らの所業を自問自答してキリストのようになってしまうかもしれない。それはそれである意味では正しい方向へと歩むことに繋がって行くだろう。でも、彼をまるで宗教家のように崇め奉(たてまつ)る人たちも現れてくるおそれがある。それはトモさんが望んでいることではないだろう。彼の一挙手一投足が神聖なものとして注目される。私は彼を守ることができるだろうか?いつもトモさんの側にいることなんてできない。私のような編集者が一番良いポジションなのかもしれない。まるで影で世界を操っているような気分にもなる。それは有名人を配置するプロデューサーみたいだ。この混沌とした世の中で人々が結束することを恐れてキリストのような支配者が現れることを危惧する人々がいることは周知している。この世界では不必要なものがちまたに溢れている。人は満たされる時、たくさんの持ち物など必要ない。不安定で自分に自信が無いからこそ、身近に寄り添うものが必要だと感じるのだ。私が勤めている会社でさえ人々が本当に求めているものを提供しているかどうか疑問だ。でもこの奇跡的ともいうべき社会では物語はみんなの心を浄化したり癒すことができると信じている。歌だったりテレビドラマだとか映画などのツールは必ずしも生きていくうえで重要とはいえない。そんなものがなくても死んだり寿命が縮まるなんてことはないだろう。でも私たちは猿とかチンパンジーとは違う。芸術や物語を感じ、感動する能力を備えている。美しいものを発見したり、例えば大病を患って死期が近づいたとき、窓辺で揺れる可憐な花が揺れているの見ると、まるで自分をそこに投影して心から感動を覚えるということだってあるだろう。私は何故か突然、過去の自分の幼かった頃の写真を見たいと思った。そして私は胸の中が懐かしさでいっぱいになって涙腺がゆるんで涙が瞳からこぼれ出て目の前にいるトモさんの姿が霞(かす)んだ。それは映像のように、ひとつの映画を観ているような感覚だった。主人公はトモさんで、背景は森林で大雨が降っている。そんな情景だ。その主人公であるトモさんが語りかけた。
「大丈夫、僕は高瀬さんの気持ちがよく分かる。僕だって同じことを考えたことがあるんだ。おもいっきり涙を流せば自分をもっと愛せるようになる。僕にも涙が流せるといいんだけど、残念なんだけど涙腺がもともと無いみたいだ。でも人の感動だとか喜びを反映することはできる。嬉し涙ってどんなに心地好いものなのだろう。不思議だ、こうして雨に打たれても嫌な気分にならない。むしろ、爽快だ。体の細胞ひとつひとつが活性化されて喜びで溢れている」
私はトモさんを抱き締めていた。一体になるとはこういうことなのか、と、新たな発見をした。その感覚は大自然のなかの草原をなめる風のようであり、大空を飛ぶ鳥のようでもあった。世界はこんなにも清々しいものなのか。それなのにこの周りにはお互いを知らず、絶望的というほどの無関心さで溢れている。でもそんなことはかまわなかった。今、こうして一人の人と繋がっている。私はこれから先、もっと、たくさん、かけがえのない体験をするだろう。いろんな人と出会い、共感して笑って喜んで、自分の心の中にある生きることの真実な可能性について知ることができると確信した。私の生きることのへの欲求、探求心、希望、未来、そんな言葉が浮かんできて人は生きて、人の為に生きるということを今まで以上に悟ったのだった。
目覚めたように私はトモさんから静かに離れると、満足感でいっぱいになっていて、少しも照れはなかった。むしろ今日、この為にこの家を訪れたのではないかと思った。邂逅、たしか少し前にこの言葉を考えたことがあった。そう、お互いを知ること。知るというだけではない。融合して新たな物質を造り出すこと。真実はなにも外界から得られるものではなく、私たちの身近にあると感じた。目の前にトモさんがいて、彼を深く知ろうと努めれば、そこに宇宙で一番の最高傑作である人間という素晴らしい生き物を見ることができるんだ。この世界はいかにたくさんのお金を稼ぐかではなくて、自分の心に幸福をインプットするかに懸かっていると思う。たとえ貧しくても脳を騙して自分がいかにもお金持ちであるのかをイメージする。創造して五感を利用して現実では描くことのできないことを感じることができれば、それは本当の意味で勝利者となれるのだ。一人一人がクリエイターでたとえ有名になれなくても、いつも幸せに暮らせて天寿を全うすることができるだろう。
私たちはその後、夕食を食べてからトモさんと彼の母親と別れた。その彼らとのお互いを知り合えて吸収した精神的な栄養分がまだたっぷりとたまっていて、残っている温かな思いをじっくりと一人で味わいたいと思った。それで歩いているときに見つけた喫茶店に入った。最終的に行き着くところは何処なのだろうか?恵太さんと潤子とトモさん、それからサクラさんの姿が走馬灯のようによぎっていた。