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泣きっつらに蜂.4


 翌朝。

 宿で目をさました 時。
 三人で借りた家族仕様の部屋には、セレグレーシュ(~彼~)と女稜威祇(いつぎ)のふたりしか居なかった。

 野外を飛びかう小鳥のさえずり。
 出発前の行商人が荷を確認して叫ぶ声や屋外にかりだされた家畜のいななき。
 人々が交わすあいさつ。たわいない声かけ。現在(いま)()き知らしめる日常的な会話(やりとり)
 早朝の街につきものの生活音がちらほら、遠くや近くから聞こえている。

 くもりガラスの窓のむこう。
 晴天つづきだった空に、にごりをおびた白い帯びがたなびいていて、雲のかかりようによっては雨がぱらつきそうな天候だった。

 出発を意識して起きだしたセレグレーシュが、指どおりの悪くなってしまった髪をなでつけながら(たらい)の水をのぞき込んでいると、となりの寝台の上で楽に脚をくずして(くつろ)いでいた女稜威祇(いつぎ)がぽつりとこぼした。

〔こそこそして、ばかみたい……〕

 セレグレーシュには、よくわからないひとり言だった。

〔あなた…、あの子と知り合いじゃなかったの? たいして親しいわけでもないのね〕

 しばらく口をきいていない女稜威祇(いつぎ)が話しだした……というより話しかけてきた。

 虚をつかれ、瞬間的な思考の空白をかかえたセレグレーシュが、きょとんと目をみはる。

〔誰の話をしてるんだ?〕

 女稜威祇(いつぎ)は、ちらと彼を横目に見て、その追及を聞くだけにして流した。

〔わたし……。…こっちへ呼んでくれたことは感謝しているの。たぶん……ひと月くらい前、あなたが(ほうむ)った闇人もね〕

〔(は)ぁ?〕

 セレグレーシュの口から間のぬけた擬音がこぼれた。

 命を狙われた相手から謝辞(しゃじ)をいただいてしまったのだ。意想外なことこの上ない。

〔なんで?〕

 それに彼女に勝手に心象(しんしょう)を代弁された闇人は、それが原因で命を落としているのだ。

〔そんなのありえないだろ〕

 女稜威祇(いつぎ)は、セレグレーシュの反論を聞き流して、しみじみとつぶやいた。

〔闇人はみんな、おなじところから来るのかな……〕

〔たぶん…。そうなんじゃないか?〕

〔むこうはひどいところよ……。わたしは、こっちの方がいい。悲しいことが起こるのは嫌だけれど、半永久的(永遠)ではないにしても呼吸するように時のなかを生きられるもの。方法をみつけても帰したりしないでね。あなたのこと消そうとしたのは間違いだった〕

 さながら念を押すように。
 こころなしか脅しも感じられる表情で彼女が、そこまで言った時、かたっと部屋のドアがあいた。

 そして先に入ってきた人物に、セレグレーシュの視線は寸刻(すんこく)釘づけになった。

〔熱っぽいそうだね。二、三日、休んでいこうか?〕

 あたりまえのような顔をしてたずねたのは、ぐんぐん背が伸びしそうな年頃なのに出会ったころから発育が停滞して見える稜威祇(いつぎ)の少年だ。

 その後ろにはアントイーヴの姿がある。

 痩身ではあっても背が高く身体ができあがりかけているので、手前にいる少年がひとまわりほども小さく、きゃしゃに見えた。

〔熱だしてるわけじゃない。軽度の火傷(やけど)(のど)も……もう、だいぶマシになった。こんなの、ひどい日焼けみたいなものだろ〕

 セレグレーシュは、不服そうに反論しながら、こころ構えをたて直した。

 よく知らない他人として接しよう。
 じっさい、その通りなのだから…と。

 とうの稜威祇(いつぎ)は、黒色のまなざしで彼を見つめている。

 高邁(こうまい)な印象をうけるが、特になにも考えていないようにも見える。
 気丈さがうかがえるなかにも感情の読めない表情だ。

〔出てきたのね。法具をまとわなくていいの?〕

 伏せ目がちに(どう)眷属(けんぞく)の女性を映した少年の虹彩が琥珀色にひらめく。

 威嚇(いかく)めいてもいたが、それとなく軽蔑(けいべつ)()しただけで、あとは無視し、セレグレーシュに目をもどす。
 その瞳は、思慮(しりょ)を感じさせる(むらさき)に変化していた。

 そこでセレグレーシュが、ちょっぴりふてくされ気味に口頭をきった。

〔試験が流れるのは確実みたいだし……だったらオレ、すぐ帰るよ。彼女は君たちにあずけていいか?〕

〔勝手に決めないでくれる?〕

 女稜威祇(いつぎ)が抗議したが…。
 稜威祇(いつぎ)の少年のほうは特に表情を変えることなく、そのままにセレグレーシュの言葉をうけとめた。

〔われが同道しよう。ひとりで戻ったのでは、ろくな結果を生まない〕

 その少年の言葉が自分を(しめ)していたので、セレグレーシュは腹の底でいきりたった。

〔なんでだよ…(ひとりになって(アタマ)冷やしたいのに。てめぇがついてきたんじゃ、意味がない……)〕

〔自分の身に起きた事をそのまま報告しかねないからだ。先導師どもの目は節穴(ふしあな)ではない。(さぐ)られたくないところまで探られる〕

 セレグレーシュは(いど)むような目で稜威祇(いつぎ)の少年を睨みつけた。

 どう言い逃れろというのか?
 へたな虚偽(きょぎ)を申したててあばかれるくらいなら、もどらないほうがいい——そう胸中でやつあたりする。

 だがセレグレーシュは、あの家に帰りたいのだ。

 彼にとっては唯一の手がかり。
 いまの自分にヴェルダと共通するものがあるとしたら、あの場所しかなかったから。

 自分の異能を知られたらどうなるか――考えていないわけではない。
 わかった時点で(そく)、対策検討がされる。

 経過観察されるだけで済むならいいが、非社会的な意思を疑われれば、その場で処罰もされる。

 追放されるか、監禁されるか……。
 最悪、害にしかならないと死を宣告される可能性だってあるのだ。

 予測できる現実。過酷な展開はどれも避けたかったが、それでも帰らなければと思う。

 正直なところ、どう対処するのが最善なのか、わからなくなっていたのだが……。

 稜威祇(いつぎ)の少年がいまこの場にいなくても、きっと帰ることを選んだだろう。けれども、その彼が現れたことでセレグレーシュは、よけい意固地になっていた。

 なにがなんでもと固執(こしゅう)する裏には、消息が知れない友人を捜しだすのだという二年ごし(家に到る前の空白期間があるので、実質的には三年に近い)の目的がある。

 本物のヴェルダをみつけ、目のまえの少年に対して(いだ)いてしまう気の迷いを消去してしまいたかった。

 家に受けいれられるための方法、いいわけは道すがらに考えればいい。

 まだ、時間はあるのだから…——と。

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