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泣きっつらに蜂.1


 ――未明(みめい)も終盤まぢか。
 東の稜線が、ようよう明瞭になりはじめた頃。

 地上は、まだ、薄くひきのばされたような夜の闇に(おお)われている。

 七割りほどが焼け焦げた、(ひら)けた苔野にあって。
 その青年は、錫杖(しゃくじょう)の先端で、さらさらすいっと。封じる対象の周囲に肉眼では確認しえない霊的な文字を(えが)くと、半歩(はんぽ)退()いた。

 左右の先端が九〇度ねじれ造形(対称)になっている一本の錫杖(法具)を頭上高くかかげ、気のままに持ち手を変えながら、頭上で回転させはじめる。

 ——シャルシャルシャル…
   シャラァ——…ン…シャルシャルシャル…——

 法具が散らばる大地をめぐり歩むなかに、

 右回転。左回転…——

 稀少な錫杖(しゃくじょう)型の法具は、全体にほどこされた針金のような突起を流体のごとく伸縮させ、基本形が棒とは思えない(さざなみ)のようなうねりを見せた。

 段階に応じて、両の先端におさまっていた環が、四つ、七つと()(はな)たれ、自在に(おど)()きかい、心力に裏打ちされた霊的な触手を伸ばしては、一帯に準備されている構成素材――組みこまれる予定の《法具》に干渉する。

 支えるような空気の対流もないのに、大地に配置されていたものがふわりと浮いて、示された手順のもとに、個々が目指す軌跡をたどり、適切なタイミングで効力を発揮しては、状態を変え空域に仕組まれてゆく。

 多様な形状(かたち)……性質の法具や刻印、そして法則を自由自在にからませ固定してゆく構築作業。

 はたから見ただけでは、結果的にどんな形態に落ちつくのか予測つけかねるものだ。

 ()を描く閃光が舞い、交差するなかに、幾重にもおり重なる色彩の錯綜(さくそう)

 そのなかを幾何学文字や法具が駆けぬけ、螺旋(らせん)(えが)いたり、とどまったところで萎縮(いしゅく)したり拡散したり……。花火のようにはじけたり、瀟洒(しょうしゃ)な文様造形を築きあげて駆け登ったかと思えば、影を落とし煙のように()せたりする。

 めくるめく変化をみせたそれらは、アントイーヴのみぞおちほどの高さで大地と平行する(ひら)べったいかたちに収縮をはじめると、ラスト——錫杖(しゃくじょう)を静止し垂直にかまえた一手(いって)で、ザンッと。
 中心となる一点に吸いこまれるようにして視界から消えた。

 肉眼では見えない異空に組み込まれたのだ。

 神鎮めの腕前は、連れそう稜威祇(いつぎ)の命運にも関わってくるので下手ではやってられない。
 だから、《法の家》では、構想を練りあげ完成させる手際(てぎわ)をてっていして(きた)えられる。

 構想力が優れていても、時間のかかるような形しか思いつかないようでは、前線にはたてない——努力家も才子も、タイプを選ばれる質にうるさい世界だ。

 神鎮めの肩書きをいただきながら戦力に数えられないことがざらにあるいっぽうで、万人(まんにん)が尊ぶその肩書がなくとも、巧妙(こうみょう)な技力を発揮する法印使い(使い手)というのも存在する。

 魔神(魔人)の類を封じるのはこれがはじめだと言っていたが、その点、アントイーヴは、戦線(せんせん)で使えない術者ではないようだった。

 現場の条件にあう仕組みを考案し、成立させるのに、ものの三〇分とかからなかった。
 最終の仕上げなんて、秒単位だ。

 三〇分と聞くとそんなに速くない印象をうけるかもしれないが、これは無数の法則のからみあいからなる法印の集大成——《封魔法印》なのだ。

 三〇分は仕上げ段階の生徒が幾度となく試され、必ずといっていいほど落ちるという、封魔法印における構築試験の合格ラインでもある。

 ()りすぎれば時間がかかり、簡単にすませばバランスや強度に問題がでてくる。それでいて、機能や安定性、最終的な組みあげの手早さにおける採点は甘くない。

 三〇分は決して長い時間ではないのだ。

 現場では、封じる対象と土地や目的、さらには持ち合わせを踏まえた構造をその場で考えだし、築きあげなければならないのだから――

 それでもアントイーヴは、念には念を入れて、チェックを入れたから時間がかかったと、遅さを恥じるようにしていた。

 そんな彼が、法具と呼ばれる資材をあやつり、空中に巨大なひとつの法則を(えが)き固めるさまは、とにかく、

「…すごい…」

 の一言につきた。

〔君だって、あれくらい可能だ〕

 許容される範囲まで足をはこび、作業を静観していたセレグレーシュのとなりであがったのは、興味もなさそうな保証の言葉。

 おもねりとも思えないので、無責任なこと、この上ない。

 セレグレーシュは、それを口にした稜威祇(いつぎ)の少年を白い眼で見た。

〔できねぇよ…〕

〔いずれ、できるようになる。きっと、安い道具でも…。あれはまだ若いが、法具を玩具にして育ち、十六で修士課程をクリアした……素質と環境に恵まれた人間だ。(なら)いだして二年のひな鳥では、比較にならない。いま、落ちこむことではないだろう〕

 (なぐさ)めとも(おとし)めともつかない言葉に、むっとしたセレグレーシュだったが、あきらかな実力差を目にした後で、となえられる異議などなかった。

 十六で修士課程を(まっと)うしたということは、一次考査のあと、一年ほど……最長でも十七歳未満の二年足らずで、この道の修了検定に必要な知識を網羅(もうら)したことになる。

 未経験者なので、なんとも評価し(がた)いが、おそらく半端な人間にできることではない。

 ひな鳥(・・・)という隠喩(いんゆ)に関しては、そのかぎりでもなく承服などできないのだったが。

 事実そうとも言えるが、勝気な少年の反骨精神を刺激する憎い言葉である。

 それなのに稜威祇(いつぎ)の少年は——、

〔鳥のひなは、成長が早いんだ〕

 と、真顔でつけくわえたのだ。

 初歩的な法印を使いこなすのにも手こずっているセレグレーシュは、それを好意的な意見とは受けとらなかった。

(こいつは…。おちょくっているのか?)

 思ったが、相手が正体不明なので、あえてくいさがることもできずに聞き捨てる。

〔おまえ…。あいつの闇人だったんだな〕

〔この件では目的が(かぶ)っただけだ。成約(せいやく)する気などないし、人……稜威祇(いつぎ)は所有物ではない〕

 事実、絆を結んではいないのかもしれない。

 だが、闇人が人間に肩いれするのだから、そうおうの感情があるはずである。

 それは、契約したくてもするわけにはいかない者の強がりなのではないかと…――独自に解釈したセレグレーシュは、(なるほどな…)と。
 理解したような気になった。

 そして、その闇人がヴェルダなら。
 彼が道中、頻繁(ひんぱん)に姿を (くら)ました理由にもなる。

 そう考えると、どうやって、そこに横たわる距離を短期間で移動していたのか、常識的な頭では解らなくもなるが…。

 ヴェルダといた時より、ひとりでいた時間のほうが、ずっと長い。

 もとより誰かと行動を共にしているのだろうと予想してはいたが……。
 セレグレーシュは、突然ひとりになってしまったような、うら寂しい気分になった。

 名も知らぬ稜威祇(いつぎ)の少年が、その人だと確認できたわけでもない。

 すこし前までは、生きてさえいればいいと。
 その無事が確認できるだけでもいいと達観できていた。
 それなのに、
 もしかしたらという現実を身近に見て、希望がちらついたとたん、どんどん欲張りになっていく自分がいて……。
 つきつけられている現実は、どこまでも憶測と推量によるもので、確証もなにも得られてはいないというのに——

 煮え切らない思いを(かか)えこみ持てあました彼は、悩みあぐねたすえに意を決した。

 思いきって、たずねてみることにしたのだ。

 しかし、

〔おまえ…。ヴェルダを知っているか?〕

 迂遠(うえん)(さぐ)り以上にならなかったその問いは、あっさり聞き流された。

 もうすこししたら教えてくれるかもしれない。応えてくれるかもしれないと…。
 ねばり強く、願い、待ってみたのだが、相手に応じるけはいはなく。
 その表情も、よく見えなくて…――。

 セレグレーシュは、その時、薄い闇の中でたずねたことをひどく後悔したのだ。

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