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殺人なんて、出来ない。たとえ本物でなかったとしても、踏み入れてはいけない領域だ。
これ以上、立ってられない。
「気分が悪いから抜け出したい」そう露華に伝えると、「じゃあ出れば?」とだけ言って、二人は次の標的へと銃を構えた。
透日はすぐに通信を切って、クレイドルから起き上がると、振り返らずマンションを出た。
今の透日の心にまとわりついているのは、疑問、不信感や絶望。気力は吸い取られ、体は言うことを聞かない。
透日の思考はくたびれてしまっていた。
ハルも、心の中では見下していたのか。いや、そんなはずはない。彼は親切で、優しい。外側に来たのだって、大した理由じゃないんだ。
さっき経験したことは、夢に見ていた内側の世界とはかけ離れていた。それはハルといたなら、拾うことはなかった世界の欠片である、と信じ込んだ。
もし、自分が内側に産まれていたらどうだろうと、考える余裕は既にない。
露華を善良な人間であるとは、決して言えない。
しかし、彼女を根っからの悪人であると確信するのは、短絡的に思えた。
リスクを背負ってまで、露華と一緒にいたいとは思わない。
なぜなら、彼女が内側の人間で、透日が外側の人間であるから。
たぶん、そこまで単純な話でないのと同じように。
内側に産まれ生きていく中で、健常者で良かったと、一度だって思わない人はいるのだろうか。
茉璃に精神的、身体的に疾患があっても、透日は彼女と一緒に暮らしていたと言い切れるのか。
奴隷や見世物小屋といった、人権が度外視されていた荒んだ時代を経て、ようやく人権宣言が普及していった。
それでも、差別は無くならないまま、世界はまた振り出しに戻ろうとしている。
倫理観は時代と共に変化する。現在の倫理観を増長させたのは、露華だけじゃない。
罰が当たったんだ。自分が遊びたいがために、茉璃のことをのけ者にしたから。