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第17話 異変

 D地点の魔物はC地点の魔物に比べて更に強い。
 たった三人でここへ来るのは、無謀とも言えるかもしれないが、私情で行っている調査なのに応援を呼ぶわけにもいかないし、もしこの調査が父親達にバレようものなら、何を危険な事を、と止められるに決まっている。

 だから「何かあったらすぐに逃げれば良い」の心構えで南区D地点へとやって来たのだが……。

 それなのに何故だろうか。
 そこに魔物の姿もなければ、気配も感じないのは。

「おかしいですね、ここはD地点で合っているハズなのですが……何故、魔物の姿がないのでしょうか?」
「魔物って夜行性が多いからね。もしかして、昼間はみんな寝ているのかな?」
「はあ? そんなワケがないでしょう。だからあなたは、二択問題も全問間違えるんですよ」
「それ、いつの話をしているの?」

 頓珍漢な回答をするムナールに、レイラは呆れたように溜め息を吐く。

 するとタウィザーが、苦笑を浮かべながら二人の会話に割って入った。

「C地点、D地点は確かに夜行性の魔物が多いけど……。でも、全部が全部じゃないよ、昼間行動が活発になる魔物もいる。だから油断は禁物だよ」
「でも、魔物なんかどこにもいないじゃないか。生態系が昔と変わったんじゃないの?」
「だから、おかしいって言っているんじゃないですか。これではA地点の方が危険ですし」

 更に頓珍漢な回答をするムナールに、レイラは呆れながらも眉を顰める。

 南区D地点。
 ここに来るまでにA、B、C地点を通って来たが、AとBはいつも通り大した魔物はおらず、難なく通って来たし、C地点ではいつも通り強そうな魔物の姿があったから、それらに見付からないようにしてD地点まで来た。

 しかしこの肝心のD地点。いつもなら最も危険な魔物達がウロウロしているハズなのに、今日は一匹たりともその姿を見る事が出来ない。

 一体どういう事なのだろうか。

「もしかして、カルト君が全部倒しちゃったとか?」
「まさか。いくら何でもそんな事出来るわけがありません。と言うか、そもそもカルトさんは、どうしてD地点になんか来たのでしょうか?」
「リプカちゃんが言うには、物足りないからって理由で、D地点の魔物を討伐しまくりに来たらしいよ」
「はあ、物足りない……?」
「確かカルト君は最初、南区A地点の魔物討伐に出掛けていたんだって。でもA地点の魔物じゃ物足りなかったから、C地点、更にはD地点に向かったって、リプカちゃん言っていたなあ」
「……え?」
「うん? どうかした、レイラ?」

 そう呟いた瞬間、はたっと固まってしまったレイラに、ムナールは不思議そうに首を傾げる。

 自分は何かおかしな事でも言っただろうか、と疑問に思うムナールであったが、どうやらそれに疑問を覚えたのは、自分だけだったらしい。
 それまで二人の話を聞いていたタウィザーもまた、口角を引き攣らせながら口を開いた。

「ね、ねえ、ムナール君? じゃあ、そのA地点に出掛ける前のカルト君って、どんな様子だったの?」
「え? さあ、出掛ける前は知らないけど……。あ、でも前日の夕方はいつも通りだったって、リプカちゃん言っていたなあ」
「あの、それって……」

 やっぱりな。嫌な予感は的中した。

 そう悟ったタウィザーが、傍らでワナワナと震えるレイラに代わって、とても言いにくそうにその予感を口にした。

「それって、南区A地点に向かったカルト君に、A地点で何かが起きて、それでC地点、更にはD地点に向かったって考えられない、かな?」
「え……?」

 そこでムナールも気が付く。

 確かに人の寄り付かない上、魔物も凶悪となるC、D地点の方に何かがありそうだと考えがちだが、よくよく考えればそれは違う。

 リプカの話から、カルトはC、D地点に行く前に、A地点に行っている。
 そしてそのA地点に行く前日の夜は、彼はいつも通りであったと証言している。

 と言う事は、カルトが豹変してしまった原因は、A地点へ行った時か、リプカと別れた後だと予想する事が出来る。
 そしてそこで何らかの原因によって豹変してしまったカルトが、C地点、更にはD地点へと赴く事になった。

 つまり、カルト豹変の原因はこのD地点にはない。
 そう考えるのが自然ではないだろうか。

「……」

 その導き出された答えに、シンとした静寂が三人を包み込む。

 詳しく話を聞かなかった自分も悪い。悪いがそれでも……。

 魔物はいなかったとは言え、こんな危険区域まで来る必要もなく、そこそこ安全なA地点を隅々まで探索すれば良かったのだと思えば、この沸々とした怒りが湧いて来るのも、致し方のない事ではないだろうか。

「最初に詳しい話を聞かなかった私も悪いです。この無駄な疲労と時間が、ムナールさんのせいだけではない事も分かっています。ですが……」

 ムナールだけが悪いわけじゃない。
 しかしその言葉とは裏腹に、とんでもない殺気がレイラから放たれる。
 
 そしてその殺気にムナールがブルリと身を震わせた時、そのアメジスト色の瞳が、彼を鋭く貫いた。

「ですが、ムナールさん。一発殴らせて下さい」
「あわわわわ、待ってレイラ、目が本気だよ!」
「当然です、冗談を言っているつもりはありません」
「わわわ、た、助けてタウィザー!」
「ごめん、ムナール君。一回だけ殴らせてあげて」
「う、裏切りものー!」

 後ろに隠れたつもりが、逆に羽交い絞めで押さえ付けられ、ムナールの瞳に涙が浮かぶ。

 そんな彼に溜め息を吐くと、レイラは代わりに近くの大木を一発殴り付けてから、二人の元へと戻って来た。

 ……殴られた木が、激しい音と共に地面へと倒れた。

「はあ、もういいです。それよりもムナールさん。気になるんですが、カルトさんって、前からそんなに強かったのですか?」

 砂埃を上げて倒れる大木は、レイラの目には映っていないのだろうか。
 とにもかくにも、あの拳を受けたのが自分ではなくて良かったと心底思いながらもタウィザーの腕から抜け出すと、ムナールはその通りだと首を縦に振った。

「確かにあのギルドで一番強いみたいだけれど。でもC地点、D地点の魔物を一人で倒してピンピンしていられる程じゃないハズだって、リプカちゃん言っていたよ」
「と、いう事は突然強くなったという事ですか? リプカさんが気付かない内に少しずつ力を付けたのではなくて?」
「うーん、たぶん突然強くなった方だと思うな。ずっと一緒に仕事をしているんだ。リプカちゃんだけならともかく、他の誰にも分からないように少しずつ力を付けるのは無理だと思うなあ」
「そうですか、突然……」

 その証言に、レイラは考える仕草を見せる。

 カルトが突然強くなった理由。
 それはA地点にあるのか、それとも……。

(まさか……)

 一つの仮定がレイラの頭を過るが、その可能性は極めて低い。
 それに、それは世間一般から見ればとても不吉な可能性だ。
 その不吉な可能性を何の証拠もなく口にするのは憚られる。
 それを提示するのは、もう少し証拠を集めてからにするべきだろう。

 そう考えると、レイラはどうしたんだと首を傾げる二人へと改めて視線を向けた。

「とにかく、原因がここにはないと分かった以上、ここにいる理由はもうありません。一旦引き上げて、明日また改めてA地点を探索しましょう」
「あー、うん、レイラちゃん。実はそういうわけにもいかないんだ」

 A地点に戻った頃には夕暮れだ。いくら比較的安全なA地点とは言え、夜間の探索はさすがに危険だ。だからまた明日、改めて調査を行おう。

 しかしそう口にしたレイラの提案を、タウィザーが申し訳なさそうに否定する。

 思わぬ返事にどうしたんだと首を傾げれば、彼は「実は」と言いにくそうに言葉を続けた。

「ええっと、実は明日は違う仕事が入っているんだよね」
「違う仕事?」
「何です、それ?」

 タウィザー以外には知らされていなかったのだろう。
 何の事だと首を傾げる二人に、タウィザーは、その指示されていた仕事内容を説明した。

「実は、北区、西区のA地点にて、D地点に生息するような危険な魔物の目撃情報があったんだ」
「えっ、A地点に!?」
「うん。それで父さんや兄さん達が北区、西区のA地点に確認に行ったんだけど、確かにA地点には生息していないハズの魔物がいたらしいんだよ」
「いたらしいって……みなさん、ご無事だったのですか?」
「うん……それが、D地点の魔物なんて、人間を見付け次第、襲い掛かって来るハズでしょ? でもこちらから手を出そうとしなければ、人間の事なんか見えていないって感じで、襲い掛かっても来なかったらしいんだ」
「ええー? じゃあ、やっぱり昔とは生態系変わっちゃったんじゃないの?」
「そんなわけないでしょう。昔って言ったって、私達が授業で魔物学を学んだ時から、数年しか経っていないのですから。そんな数年で、生態系が変わるハズがありません。これは、看過出来ない異変が起きていると考えるのが、自然ではありませんか?」

 呑気に適当な事を口にするムナールとは違い、レイラは険しい表情で、この状況を異常と捉える。

 当然、異常だと思っているのはタウィザーも同じだったらしく、彼はその通りだと言わんばかりに首を縦に振った。

「だから早急に原因を解明し、対策を取る必要があるんだ。今日はこの南区のA地点を兄さん達が探索しているハズだけど、D地点に魔物の姿がなかった事から、おそらくここのA地点でも異変が起きている。だから僕達も明日からは兄さん達の部隊と合流し、東区のA地点を探索、そして原因の解明、更に必要とあれば、この街にある全てのギルドに協力を申請し、対策する。それが、僕達の明日からの仕事だよ」
「ええー、何、その大掛かりな仕事。またリンちゃんに会う時間が減っちゃうじゃないか」
「あんた、この話を聞いて最初に思う事がそれなんですか」

 悲しそうに溜め息を吐くムナールに、レイラは酷く冷めた目を向ける。

 そうしてから、レイラは「でも」とタウィザーに視線を向け直した。

「しかし、そんな話、初めて聞きました。そんなに急を要する事態であれば、何故もっと早くに教えてくれなかったんですか?」
「それは、僕も今朝初めて聞いたからだよ。僕達がカルト君の豹変の原因を探っているって話、兄さんは知っていたから、敢えて知らせなかったみたい。でも事態が急を要する事になって来たから、悪いけどこっちを優先してくれるよう、ムナール君やレイラちゃんにも話しておいてくれって」
「なるほど。分かりました。では、明日からはそちらと合流しましょう」
「……」

 当然のように頷くレイラに対して、ムナールは言葉を詰まらせる。

 魔物に異変が起きている。
 それは一大事だ。すぐにでも本部隊と合流し、その原因を解明し、解決する。
 それが最優先事項である事は、ムナールだって分かっている。

 しかし、カルトが豹変した原因がどうも気になる。
 既にリプカ達が調べているのだろうが、彼女達だけで真実に辿り着けるかといったらそれも微妙だ。
 カルトの豹変にも何だか嫌な予感を覚えるし、出来ればこの問題にも早くケリを付けたい。

 更には、リプカの事も心配だ。
 彼女は自分が呪われし精霊憑きではないかと、カルトにバレたかもしれないと言っていた。
 それが杞憂で終われば良いが、もし事実であればそれこそ一大事だ。
 カルトが周囲に言いふらせば、街の者から向けられる災いが、一気に彼女に振り掛かる事となる。
 ムナールにとって、リプカは大切な友達なのだ。
 それだけは何としてでも阻止しなければならない。

 カルトの豹変と、リプカの精霊。
 その二つに関連性があるのかどうかは知らないが、カルトの豹変の原因が掴めれば、何かが分かるかもしれないのだ。
 もちろん魔物の方を解決するのも大事だが、友人の身を案じるムナールにとっては、豹変の原因を掴む事も、それと等しく大事なのである。

「だからムナール君。悪いけど、明日からはしばらく魔物の異変の調査の方に協力してもらえないかな?」
「うん、大丈夫。僕だって優先順位は分かっているつもりだよ。明日からは僕達も本隊の方に合流、魔物の調査の方に専念しよう」

 リプカの事は心配だけれども。
 それでも一組織に所属する身として、ムナールはタウィザーの指示に力強く頷いた。











 太陽が月と入れ替わってから、一体どれくらいの時間が経ったのだろうか。
 電気の消えたギルドのロビーでは、リプカとサイドが無言で仲間の帰りを待ち侘びていた。

「……」
「……」

 カチコチと、時計が時を刻む音だけがロビーに響き渡る。

 ――結局その日、それ以上ギルドの扉が開く事はなかった。

しおり