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第九話 州都へ

 あっという間に二日が過ぎ、いよいよ才吉たちは出立の朝を迎えた。家の前には八重と竹子の見送りを受ける三人の他に、思いがけない人物の姿があった。

「本当に行くんですか、安室隊長?」

 煉の問い掛けに、安室は不敵な笑みを浮かべる。

「わたしを置いて行こうだなんて、素直に従うと思ったのかしら?」

 この中で彼女に情報を漏らすとすれば、ディアーナしかいない。そう才吉は見抜く。煉も同じ考えだったらしく、彼はディアーナを一瞥(いちべつ)した後で安室の質問に答えた。

「いいえ、思いません。だから黙って行くつもりでした。だって命令違反ですよ。上層部からは、今回の件に関して待機命令が出ているんでしょう?」

「関係ないわ、プライベートだから」

 白々しくそう言うと、彼女は勝手に歩き出す。ディアーナは心配顔の八重と竹子を順に抱きしめると、安室の後に続いた。そんな二人を見て、煉は大きく溜息をつく。

「いいんですか、煉さん?」

「仕方ないですね。ああなった彼女を、誰が止められます?」

「僕は止めたくありません」

「私もですよ。まあ、上に気付かれないことを祈りましょう。幸い彼女は部下の信頼が厚い。密告するような者はいないはずです」

 頷く才吉の前で、煉は「そういえば」と言いながらツナギのポケットを探り始めた。彼が取り出したのは、光を発する特殊なインクで書かれた書類だった。

「これを渡すのを忘れてました」

「これは……?」

「領主の権限で発行できる臨時的な身分証です。とりあえず間に合わせにと思いまして」

「あ、ありがとうございます」

 大事そうに書類を仕舞い込む才吉から視線を外すと、煉は八重に顔を向けた。

「では、おばあさま、行ってまいります。宿はいつものところですので。約束の期日までには戻りますが、帰りは今のところ未定です。わかり次第手紙を送ります。竹子、おばあさまの言う事をよく聞くんだよ」

 煉の言い付けに頷く竹子の横で、八重がこう言葉を返す。

「道中、気を付けるんですよ。才吉くんもね」

「はい、行ってきます」

 歩き出そうとしたところで、煉が何かを思い出したように八重の方を振り向いた。

「ああ、そうだ。もしかすると引き渡しの件で、留守中に誰かが訪ねてくるかもしれません。そのときは期日までには戻るとだけお伝えください。それ以外のことは話す必要はありません」

「わかったわ。任せてちょうだい」

「よろしく頼みます。それでは」

 そうして才吉と煉は安室とディアーナの後を追う。どうやら煉は、州議会からの通知の内容以上のことは八重に話していないようであった。つまり彼女は引き渡し要求のことは知っているが、煉やディアーナの命が危機に瀕していることは知らない。今回の州都行きも、引き渡しの回避交渉ついでに才吉の荷物盗難に関する手続きをするためと説明してある。心配をかけまいとする彼なりの気遣いだろうと才吉は思った。
 村を出たところで、才吉は改めて前を歩く三人に目をやった。自分も含め、全員が目立たない色のツナギ姿。もちろん家紋も入ってはいない。いつもは軍用ツナギの安室も、さすがにプライベートと言い張るだけあって、今日は自前のものを着用している。各自が荷物を詰めたバッグを袈裟懸けにし、安室と煉は腰のベルトに武器を吊るしていた。安室の得物は例のメイスで、煉の方は細身の剣。それがレイピアと呼ばれる刺突武器であることは才吉も知っていた。一方のディアーナは革製の矢筒を背負い、そこに弓を引っかけている。エルフ族らしい装備だと才吉は感じた。
 しばらくして村の方を振り返った才吉は、その光景に目を見張った。

「れ、煉さん。あれは何ですか?」

「ん? どうしました?」

「ほら、あれ。とてつもなく大きな木が」

 そう言いながら才吉が指差したのは、狩野村の北に広がるエルフ族の森。その遥か彼方にそびえる巨木であった。あまりの大きさのため、他の木々が地面に芽吹いたばかりの短い草のように見え、巨木の最上部は雲の中に隠れてしまっている。

「ああ、古代樹ですね。白い森にただ一本残る太古の巨木。エルフ族にとって神聖な場所であり、同時に白い森の部族長ワルターが治める大集落の存する地でもある。私たちの国に例えると、州都のようなものです」

 才吉は遠近感が狂ってしまったような気さえした。それほどまでに古代樹のスケールは圧倒的だった。呆然とする彼に、珍しくディアーナが声を掛ける。

「本当に何も知らないのね、ケンセイは」

「え?」

 一瞬、最後の言葉の意味が掴めなかった才吉だが、すぐに自分への呼びかけだと気付く。

「はは、そうですね」

 才吉はそう言って、そのまま受け入れることにした。訂正すべきかどうか迷ったが、そうしてしまうと人間不信の彼女がようやく見せてくれた歩み寄りの気持ちを踏みにじることになる。そんな気がしたからであった。
 再び歩を進め始めた一行の前に、分かれ道が姿を現す。

「どっちを行くのかしら、煉?」

 先頭の安室が尋ねると、煉は「左にしましょう」と答えた。実は狩野村から第二州都までは、二通りのルートがある。一つは川沿いを大和町近くまで歩き、海岸線を南下するルート。比較的平坦で見通しが利くため多くの者はこちらを利用するが、三角形の二辺を通ることになるので距離が長い。もう一つは南の山を抜けるルート。距離は三角形の一辺分だが、起伏が激しく荷物の運搬には不向きといわれている。しかも過去には獣の目撃情報もあり、利用する人は非常に少ない。煉の話では才吉が倒れていたのはこちら側の道、分岐してすぐの林道だったという。
 煉は一人の時は距離の短い山道の方をよく使うが、今回は三人が一緒ということで平坦な道を選んだ。そのため、州都に着くのは日暮れ近くになると予想された。
 それほどの距離を行くのに、なぜ馬を利用しないのか? それにはこの世界特有の訳があることを才吉は知っていた。実はここでは、馬は希少な生物とされている。そもそも地球とは全く別の生態系を持ち、空想上の生き物が実在する世界である。そんな環境の中で、馬はある種の巨大で獰猛な生物から捕食対象とされてきたのだ。
 ゆえに異世界人の主な移動手段は徒歩。水上では船を使うが、それ以外はひたすら歩く。家畜として飼われている動物の中には荷車を引いたり人を乗せたりすることができる生き物もいるが、歩みが遅いため急ぎの用には向かない。
 強い日差しの中、一行は昼食以外ほとんど休憩も取らずに乾いた道を進んでいく。才吉の想像以上に、煉たちの足は速かった。見慣れない虫や草花に感動し、途中までは口数の多かった才吉も、徐々に言葉を減らしていく。体力には自信のある彼だが、ここではさほど特別でないことを思い知る。マナによる身体強化を使えば、もっと上手くやれるはず。だが不慣れな才吉には、そういった微妙な加減がまだできなかった。
 やがて辺りが夕闇に染まり始める頃、一行は第二州都の門前に到着した。州都というだけあって、その大きさは圧巻の一言。近くの丘を下る直前、遠巻きに見たその佇まいは、まるで中世ヨーロッパの城塞都市のようであった。狩野村がいくつ入るか知れないほど大きな街並みを、高い壁がぐるりと囲んでいる。海に突き出た半島の上という要害の地にあり、その一部は海食崖によって守られているのだと煉が説明してくれた。
 門番に身分証を提示し、滞在期間と目的を告げる。今の時間帯はそれほどでもないが、日中は順番待ちの長い列ができるという。才吉は仮の身分証であることに若干の不安を覚えていたが、それ以上に安室のことが気掛かりだった。身分証を見せれば、彼女が狩野村の守備隊長であることは確実にばれる。目の前の守備兵たちも同じ軍の所属なのだから、待機命令が出ていることは当然知っているはず。
 だが、そんな心配は杞憂に過ぎなかった。安室が私的な旅行と告げると、門番はあっさりとそれを信用したのである。才吉の方も荷物が盗まれたというだけの理由で問題はなく、四人は少しも怪しまれず街に足を踏み入れた。

「すごい! これ全部、魔光石の明かりですか?」

 感嘆の声を漏らす才吉の視線の先には、狩野村とは比べ物にならないほどの魔光石の輝きがあった。門から続く大通りの両端には街灯が並び、店や建物の窓からも光が溢れている。狩野村の自然の夜景、すなわち内包するマナによってほんのりと輝く草木を初めて見たときはいたく感激したものだが、ここはここでまた違った趣を感じる。

「初めて見るような言い草に聞こえるわよ、那須野くん」

「え、いや、その、田舎育ちなので……」

 安室の指摘に、才吉は慌てて言い訳をした。

「ふうん。旅をしてきたという割には、ずいぶんと世間知らずね」

 彼女のじっとりとした視線を感じ、才吉は汗ばむほどの気温の中で寒気を覚えた。そんな彼に、煉が助け舟を出す。

「さあ、宿に向かいましょう。議会場の近くに領主御用達の宿泊施設があります。そこなら割引きが利くので」

 そう言って先導する煉の背中を追うように、才吉たちは人混みの中を進んだ。

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