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第一話 プロローグ

 靴底からは枯れ枝の折れる乾いた感触が伝わってくる。周囲の木々は陽の光を浴びて伸び伸びと枝葉を広げ、見上げればサワサワと風に揺れる新緑の間から真っ青な空が見えていた。時折、遠くから木霊する何かの動物の鳴き声。絶えず聞こえるのは、草木のざわめきと自分たちの足音だけであった。
 三人は森の中の集落を目指していた。一番後ろを歩く才吉(さいきち)の顔は、まだほんの少し幼さを残す。その服は何かに引き裂かれたようにあちこち破れ、隙間から覗く肌には赤く引っ掻いたような跡が目立っていた。顔も傷と痣だらけで、腕や額に巻かれた包帯には血が滲んでいる。その体は、歩を進める度にズキズキと痛みを発した。
 そんな満身創痍の彼の前には、二人の若い男女が歩いていた。ウェーブがかった豪奢な金髪をなびかせながら先頭を行く青年は、時々後ろを気遣い歩調を合わせている。服に破れはないが、一部に焦げたような跡が見られた。腰のベルトには細身の刀剣を下げ、それが時おり木漏れ日を反射して輝きを放つ。
 もう一人の女性は、肩の辺りで切り揃えたストレートの金髪を揺らしながら、やや緊張した面持ちで歩いている。彼女が亜人種の血を引いていることを象徴するかのように、髪の間からやや尖った特徴的な耳が顔を出す。肩から革製の矢筒を袈裟懸けにし、左手には大きな弓を握りしめている。その服はやはりあちこちが焼け焦げていた。
 黙々と歩き続ける三人は、やがて明るく開けた場所に出る。そこは広大な森の中にポツンと穴が開いたような、何者かによって作られた広い空間。整地されているわけではなく、ただ木々を乱雑に切り倒しただけのその場所に彼らはゆっくりと足を踏み入れた。
 だがそこは目指すべき集落ではない。目的地はもう少し先なのだ。周囲を警戒しながら進む彼らの足が、突然ピタリと止まった。
 前方から歩いてくる人影。その赤毛の人物は道端の切り株に腰を下ろすと、身の丈よりも大きな剣の切っ先を地面に向け、柄を肩口に立てかける。遠目にもわかる剣の大きさが、男の腕っぷしの強さを物語っていた。
 先頭の青年は何事もなかったかのように再び歩き出すと、男との距離を詰めていく。才吉たちは戸惑いつつ後に続いた。互いの表情が読み取れそうな位置まで近づいた時、才吉はふと目の前の女性の手が小刻みに震えているのに気付く。
 突如、彼女は弓に矢をつがえ切り株の男に狙いをつける。だが次の瞬間、空気を切り裂く音と共に彼女の足元に一本の矢が突き刺さった。もちろんそれは彼女が放ったものではない。飛んできた方角は、三人の斜め後方。とっさに才吉は囲まれていることを理解した。

「まあ、そう死に急ぐな。時間はたっぷりある」

 そう言って切り株の男が立ち上がると、周囲の森の中から次々に仲間が姿を現した。ぐるりと三人を取り囲むその集団は、ざっと二十名ほど。全体的にガッシリとした体格の者が多い。驚いたことに、中には二メートルを超す巨躯の者が二人も含まれていた。しかも一方は女性。彼らが手にする武器や身に着けている防具に統一感はなく、共通点と言えば何かの毛皮を装いのどこかに施していることぐらいである。
 こんなにあっさりと敵の包囲を許してしまったことに、才吉は悔しさと焦りを覚えた。少し考えれば、奴らが手前で待ち伏せている事くらい見破れたはず。相手の申し出を馬鹿正直に受け取っていた自分の甘さに腹が立った。
 だが苛立っている場合ではない。才吉は気持ちを落ち着かせ、冷静に状況を把握しようと努める。雰囲気と身のこなしから判断する限り、おそらくは手練れ揃い。切り株に座っていた赤毛の男がリーダーであることは容易に察しが付く。こちらの戦力は三人、しかも全員が消耗している。この絶望的な状況に、彼は背筋に冷たいものが流れるのを感じた。
 そのとき、赤毛の男の後方から近づく細身の人物に才吉は気付く。漆黒の髪と肌の色は自分と同じ日本人のように見える。鋭い切れ長の目は冷たい印象を与え、同時にその眼光は野心的でもあった。
 才吉はふと隣の金髪の青年に目をやった。不思議なことに黒髪の男は、彼に似た印象を感じさせ、それでいて対極に位置する存在のようにも思える。顔つきはどちらも知的で美形、だが与える印象は真逆。それぞれにどこか人を惹きつける魅力を持つ。
 黒髪の男は赤毛の男の隣で立ち止まると、突き刺すような視線を才吉たちに向けた。

「ウチの参謀が話をしたいそうだ。少し付き合えよ」

 赤毛の男はそう言うと、再び切り株に腰を下ろす。だが手下どもに気を緩める気配はない。逃げ出す隙など皆無と言える。そんな中、才吉の傍らに立つ青年は少しも動揺することなく、金色に輝く髪をなびかせながらじっと遠くを見つめていた。それが余裕と諦めのどちらを意味するものなのか、才吉には判断ができなかった。

 ほんの一週間ほど前までは、普通の高校生として日常を営んでいた才吉。まさかわずかな間にこんな状況に追い込まれるとは、そのときは考えもしなかった。長い年月をかけて覚悟を積み上げてきたつもりだったが、やはりどこかに甘さがあったのかもしれない。そんな思いと共に、彼の脳裏にこの一週間の記憶が走馬灯のように甦った。

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