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朝日南・春奈参上

第六話「朝日南・春奈参上」



「それで、話って何ですか?」



「もう少しだけ、待ってください。たぶん、そろそろ来られるでしょうから。」





 ――今朝、帳からの連絡があった。短く、たった一文のメール。



『I市の某カフェに集合してください。』と。





 それで、俺は朝早くから外出の支度をして、自宅からそれなりの距離があるこのカフェへと足を運んだわけだが……。





「遅い!!もう一時間は待ってるぞ!!」



「まあまあ、落ち着いてください。」





このやり取りをするのも、もう3回目だ。





 何も起こらない店内にあくびをしていると、不意に玄関のベルが鳴った。





「あら、健斗。久しぶりじゃない」



ベルの音に続いて、女性特有の透き通った声が俺に話しかける。





「よお、春奈」





 やっぱり、こいつか……。


 
挿絵




声の主は、流行りのスーツを身にまとい、さながら丸の内のOLのようだった。顔につけている狐の仮面を除けばだが。



彼女の名前は朝日南 春奈。とてもクールな俺の幼馴染だ。





「なんだ、春奈さん。お知り合いだったんですね。」



「ええ、昔からの知り合いなんです」



「へ~そうなんですか?!世界って狭いもんですねえ。」





 ……名前は知らないが、俺とよく組んでいるこの帳の男は、時たま、わけの分からない嘘をつく。



実は、今のもそうだ。こいつは、俺と春奈の関係を知っていながら、あたかも初めて知ったかのような反応をとった。





 そういえば、誰かが、嘘つきには「意味のある嘘しかつかない」タイプと「意味のない嘘もつく」タイプがいると言っていたっけ。こいつは確実に後者のタイプだ。





「二人ともそろいましたので、それでは、任務についてご説明させていただきます。実はお二方を今日お呼びしたのは他でもございません。お二方、二人で解決してほしい事件があるんです。」





「「え!!」」





俺と春奈は驚愕を隠し切れなかった。





というのも、俺と春奈の間にはとてもぬぐい切れないような因縁が一つや二つではないほどあるのだ。



帳がそれを知らないはずはない。まさか俺らを組ませるとは、俺も春奈も想定外だった。







「帰らせていただきます。」



春奈はキッパリと答える。



「しかし、これはお二方じゃないと解決できない事案んですよ」



「ですがなんで、俺なんですか?天馬だっているでしょう」



「天馬さんは具合が悪いと言って今日は依頼をパスしました。」



「はあ~」





 嘘だな。そうに決まっている。



あいつはきっと、何か悪い予感を感じ取って休んだに違いない。というか、俺らにしか解決できない事件じゃなかったのかよ。先に天馬に声かけてんじゃん。





「海外から帰ってきたばかりなのに、どうしてこいつと組まなきゃいけないのよ!!」



いきなり春奈が大声を出して、店内の視線が一気にこちらへと集まった。



さっき、こいつのことをクールといったが、それは間違いだったかもしれない。





「いや、お前が嫌なら俺は別の奴とやってもいいが・・・」



「本当にそうしてもらいたいわ・・・だけど、他に組む相手はいるの?私と天馬以外に。」



俺はギクリとした。



「はあ~、友達が少ないのは相変わらずね」



「し、仕方ないだろ!!スペーリの世話で忙しくてそっちの方に回す余裕がなかったんだよ」



「たいていの霊媒師はみんな喰犬を持ってるよ。」春奈は呆れた様子で言う。



「ははは…。」





 友達、ねえ……。小学生だったころは沢山いた気がするんだけどなあ…。





 俺は苦笑いして、その場をごまかした。心の中で、声を上げて泣いた。必死に涙を我慢していると、何かを待っていたかのように春奈が腕時計を見た。



「そろそろね」春奈はカバンを持って、席から立ちあがる。



「何が?」すると、車がこちらにやって来て、中から、帳の女が出てくた。





「春奈さん、お車を回しておきました。それとこれが今回の依頼の資料です。」そして、こちらに資料を渡す。



「ありがと。」



「コンちゃんも連れてきましたよ」



帳の女が後部座席のドアを開けると、奥のほうから小さな狐が顔を見せた。狐は車から飛び出して、春奈に抱きつく。



「お~、コンちゃんはかわいいなぁ」春奈は優しく狐をなでた。



「なに、その狐?」



「喰狐だけど……もしかして知らないの?」俺はまたギクリとした。



「し、知ってるさ…。だけど一応聞いておこうかなって……」



春奈はため息をついて、やれやれと説明し始めた。



「いい?怨霊の魂を喰べる動物は犬だけじゃないの。霊媒師によっていろんな動物が飼われているのよ。日本人は昔から除霊に犬を使ってきたから、魂を喰べる動物の総称を喰犬と呼んでいるけど。」



「へ~」





知らなかった……。霊媒師の友達なんてほとんどいないからほかの人の喰犬を見る機会なんてないし、天馬や春奈は今まで俺に喰犬を見せてくれなかったしな…。





「そして、この子――コンちゃんが私のパートナー。」



春奈になでられたコンちゃんは、とても気持ちよさそうに溶けた表情をしている。



「それで・・・これからどこに行くんだ?」俺は春奈に聞く。春奈は資料をめくり、



「きっと帳が説明してくれる。3行以上の文章は読みたくないの。とにかく車に乗って。」



「ああ」



言われるがまま、俺と春奈は車に乗った。車が発進し、座席が揺れ始めた。





 しばらくして、運転手の帳の女が口を開いた。





「今日の依頼はある大可ドラマの舞台に行ってもらいます」





「・・・え?」



俺は耳を疑った。



「大可ってあの、歴史ドラマの?」



それは春奈も同じだったようだ。帳の女が、もう一度説明する。



「今日の依頼の舞台は大可ドラマの撮影所です。」



「なんでまたそんな所に?」



「京都のとある有名なスタジオがあるのですが、そこで役者の変死が多発しているんです。もう5人以上の被害者が出ているにも関わらず、原因は不明。帳はそれを霊の仕業だと考え、調査のため京都のスタジオまで向かいます。」



「京都か…。」





霊媒師は万年の人手不足だ。そもそも存在が知られていないのだから、霊媒師には家業でやってる奴か、スカウトや既存の霊媒師の紹介で入るやつしかいない。



そのため、北は北海道、南は沖縄。日本全国津々浦々、住所に関係なく、ありとあらゆる霊事件を担当しなくてはならない。時には、外国からも応援要請が来ることもあるのだ。





だから、京都程度なら事前の準備なしに行くこともざらだ。





「それと、監督の方が『調査をするのは構わないが撮影の邪魔をしないでくれ』と。」



「分かりました」









 数時間ほど車に揺られ、俺たちはK市の撮影の舞台にやって来た。辺り一面、江戸の町を彷彿とさせる木製の建物が並んでいる。



「では、私はこれで。幸運を願っています。」



「ええ」そういうと、帳の女は車に乗って帰ってしまった。





 ――帳は霊媒師以上の人材不足状態だ。



「それでは、いきましょ」



春奈は資料に記されていた撮影所の中に入っていった。俺もその後をついていく。





渡された資料によると、そのスタジオでのみ変死が起こるという。





「おい、いいのか?勝手に入って」



「帳は『撮影の邪魔さえしなければいい』って言ってたわ。だから大丈夫よ。」





建物の中は想像していたより広く、時代劇の撮影に使うであろうセットがたくさん設置されていて、その隙間を役者やスタッフたちが忙しく動き回っていた。



「さてと・・・まずは監督に挨拶でもしに行きましょ。」



俺は頷き、監督の居場所をスタッフに聞いた。



「少々お待ちください…。」





「監督、中岡監督」



スタッフが監督に声をかける。



「ん?どうした?」



「監督にお会いしたいという方々が来られました。許可証は持っています。」



「ああ。あいつらか。」



監督はこちらを向くと、春奈が一礼した。





 …上着の袖を首に巻いて、片手には黄色いメガホン。ハンチングまで被っていやがる。こんなステレオタイプな映画監督がいたとは……。





「初めまして中岡監督、私は朝日南・春奈と申します。」



春奈に倣って、俺も頭を下げる。



俺に対してはこんな態度だが、基本、こいつはクールな社会人だ。



「どうも、俺は佐藤健斗です。」



「ああ~君があの有名な霊媒師さんか……」





監督には帳から話が通っているらしい。監督が俺のことを『有名な霊媒師』を思っているのは、帳との交渉の時にそう言われたからだろう。我々の中でも最高の霊媒師を寄こしますので、ぜひ我々にお任せを…とか。





「あんたたちを心待ちにしてたよ。実はな、最近、この撮影所のスタッフが、『何か』を『見た』って言うんだよ。みんな怖がって、作業効率も落ちた。ウチはホラードラマの撮影はしてないんだけどもねえ。」



「…………何かとは?」



「『それ』を『見た』っていうスタッフが言うには、『そいつ』は甲冑を身にまとっているらしい。日本の、戦国時代の。」



「恐縮ですが、俳優が着ていただけでは?」



春奈が言うと、監督が首を横に振った。



「いや、今、うちの撮影所に甲冑なんて小道具は用意していない。それに、『そいつ』は馬に乗っていたという。」



「なるほど。」





 …それにしても変な話し方の監督だ。妙に会話に意味を含ませようとする。いわゆる、意味深だ。





「中岡監督、もうすぐで撮影が始まります。」



忙しく動き回るスタッフの一人が、監督を呼び出した。



「分かった。すぐに行く」監督はスタッフに答えると、椅子から立ち上がり



「すまないが、私は撮影の準備をしてくるから『何か』わかったら教えてくれないか?」と聞いた。春奈は頷く。



「分かりました」



監督もうんと頷き、スタッフと共に撮影場所に向かった。





監督から引き出せるだけの情報は引き出したので、俺と春奈は撮影場所の周りを見て回ることにした。



「なあ、どう思う?その甲冑を着たものって怨霊か?」



「どうかしら……今のところはなんとも言えない。」



「だよなあ…」





俺たちがいろんな機材を見て回ったり、勾玉を頭上で回してみたりしている間にも、撮影は順調に進んでいた。



「はい、OK!よし、一時休憩だ!」



監督の一声で、それまで切り詰めていたスタジオの雰囲気が、ふっと軽くなった。スタッフや俳優は銘銘、お茶を飲んだり汗を拭いたり、談笑したりして時間をつぶす。





「まったく、凄い集中力だよな。」





撮影現場のプロフェッショナルに感心していると、急に霧が出てきて、一気に視界が真っ白になった。



「すごい霧だな」



「ここら辺は霧が出やすいらしいのよ……。」





「ふーん……って、あれっ?」



何かがおかしい。撮影の舞台に目をやると、その違和感の正体が分かった。



「どうしたの?」



「あの女優さん、なんか顔色悪くないか?」俺は舞台に立っている女優に指をさした。その女優さんはスタッフから渡されたペットボトルの水を飲んでいるのだが、どうも顔が真っ青で、死人のようだった。



「確かに…。」すると、同じくそのことに気付いた監督が、その女優に駆け寄る。



「おい!大丈夫か!」



監督が肩をたたくと、女優はバタッと、その場に倒れてしまった。



「…え?おいおい大丈夫か?」



俺と春奈もすかさず舞台へと上がる。



「大丈夫ですか!?」



監督の後ろから、女優に向かって大声で言ったが、反応がない。意識がないみたいだ。



「熱中症か?」



 …いいや、これはそんなんじゃない。



「一体、なんだっていうの?」監督につられて、春奈も焦り始めた。



「おい!誰か救急車を呼べ!」



スタジオは大パニックだ。



「は、はい、そうなんです。女優さんが倒れて意識がなくて……ん?」



突如、救急に連絡を取っていたスタッフは、受話器を手放し、顔をどんどん青くしていく。



「か、監督…」



「ん?どうした?」



「あ、あれ」



スタッフが、震える指を向ける。その先に、何やら黒い影が見えた。



「なんだ、あれ…」



俺も目を凝らして震える指の先を見た…。



「な!」



その場にいた全員が硬直した。止まった時の中で、その陰だけが唯一、こちらに向かってきている。



影は少しずつその輪郭を露わにしていった。



「あれは・・・怨霊?」



春奈がほつりとつぶやく。





黒い甲冑に黒いお面…。馬に乗っている大男。目撃情報と一致するな。





江戸時代の景色も相まって、その姿はさながら、戦国時代の合戦を、先陣を切って率いる将軍のようだ。





俺は直感で理解した。どうしてわかったのかは…わからない。それはいわゆる、アハ体験にも似た現象であった。



『スタッフの方々が亡くなるのもこの女優さんの体がおかしいのもこの怨霊が魂を抜き取ってるせいだ』



それに『はい、そうです』と答えんばかりに、倒れている女優の体から白く透き通った丸いものが抜け出た。



「拙いぞ!」





咄嗟に魂を掴もうとした瞬間、怨霊は馬に鞭打って、一目散にこちらへ走ってきた。



「春奈、この人の魂を頼む」



「分かったわ」





俺はナイフを抜いて、いつでも反応できるように構えた。体中が力んで、ゾワッと、毛が逆立つ感覚が走る。こいつ、強いッ!!



「…こいよ!!」



俺の声に答えるように、怨霊はこちらに向かって長槍を突き出した。



「くっ!」



俺は、間一髪のところで何とか躱すことができた。





「いてっ!」





 …いいや、躱せていなかったみたいだ。頬からドロッと血滴が垂れる。





怨霊の攻撃は止まらない。今度は長槍を横に振るう。



俺はもう一度、後ろへ下がって刃を避ける。耳元で、槍の穂先が空を切る音がした。





 クソッ、このままじゃジリ貧だ!どうすれば…。





考えている間に、また怨霊の槍がこちらへ向かってきた。





どうする…?また避けるか? …だから、それじゃダメなんだって。



やるか?一か八か……。…考えちゃだめだ。やれ。そう。ただ、やれ。





「何とかなれえええぇぇぇぇぇええぇぇッッッ!!!」





俺は意を決し、俺の喉元を狙う槍の柄を掴んだ。…掴んだッ!!死ぬかと思った!!





槍の弱点は『掴める』ところだ。



刀やナイフに比べ、比較的軽量でリーチも長い槍だが、掴まれてしまえばそれまで。





 …こんな話を聞いたことはないだろうか



中世のヨーロッパのとある国に、名高い槍使いの騎士がいた。馬を持ち上げたり、切り株を引き抜いたりと、相当の剛力だったらしい。



その騎士が、ある別の騎士との決闘で亡くなってしまった。それはなぜか。



決闘の最中、槍使いの騎士が相手の腹に槍を突き刺した。



槍は腹を貫通し、背中から穂が見えていたという。



決闘の決着がついた、と、誰もがそう思った。



しかし、相手の騎士はあきらめなかった。腹に突き刺さった柄をつかみ、少しずつ、少しずつ歩いて、剣を振った。



槍が動かず、防ぐこともできなかった騎士は、ことごとく切り刻まれてしまったのだ。





俺は、怨霊のお面部分を思いっきり蹴った「どうだ!」渾身の蹴りを喰らった怨霊は、馬から落ちる。



ドスッ



「よし!今だ」俺はすぐにナイフを抜き取り霊魂を切ろうとするが ……その時だった。





「…え?……どうなってんだこりゃ。」





俺は、突如背後に気配を感じ、咄嗟にしゃがんで攻撃を躱した。槍が俺の頭頂部の髪を切る。



確かに、怨霊は倒したはずだ。現にこうやって俺の足元でうずくまっている。なのにどうして…!!?





振り返ると、先ほどの怨霊にそっくりな――馬にまたがった黒い甲冑に黒い仮面をつけた男――がいた。



それも、一体だけではない。今見えているだけでも四体はいるぞ…!





「健斗!左!」



辺りを見渡す。さらに左にもう一体…。全部で五体の怨霊が、俺を囲むようにして並んでいた。



「何なんだよこれ!?」すると、地面に倒れている怨霊が起き上がり腰に差している刀を抜いた。



「おいおい、冗談キツいぜ…。」





うろたえる俺にかまわず、怨霊達はこちらへ飛び出してきた!





「うわああっぁあぁぁああ!」



一つの刀と四本の槍が目の前に現れる。上に向かって飛び上がって、何とか攻撃を避けるが…



拙い!本当に拙いぞ!!



身動きの取れない空中の敵に対して、槍は最大の効果を発揮する。リーチが長く狙いやすいからだ。



案の定、怨霊共は槍を突き上げ、俺が落ちてくるのを待っている。





「グワッ!」



突然、体に走った強烈な衝撃で、意識が飛びそうになった。



「健斗~!感謝しなよッ!!!」



どうやら、春奈が手近にあった撮影道具であろうレンガを投げたようだ。それをもろに食らった俺は、落下の軌道を変え、数十メートルほど吹き飛ばされる。





畜生いてえ……。しかし、春奈には感謝しなくてはな。「春奈!助かったよ…!!」串刺し――串カツT中――――いいや、串カツ佐藤にならなくてよかった。





「やってくれたじゃねえか!!」



俺は態勢を整え、再び怨霊へ向かって走り出した。





ナイフを抜き、怨霊にとびかかる……って、あれ?



「ナイフがない?!」





たしかに、たしかに俺は左手にナイフを持っていたはずだ…。





あっけにとられていると、怨霊に強烈な蹴りを一発入れられた。



「ぐはぁ!」





地面に倒れ、縦長の視界から、四体の怨霊が馬に乗り、刀を上に振り上げ、こちらに向かってくる様子が見えた。





今度こそ死ぬのか?俺。





俺は目を瞑って、サンズの川の向こうにいる父さんになんて挨拶しようか考えていた。





 …………あれ?死んでない。





目を開けると、さっきのナイフと同じように四体の怨霊が消えていた。



「一体、どうなっているんだ」





俺は春奈のほうを見る。



春奈は、辺りを見渡して、何かに気づいた様子を見せた。そして、俺に向かって大きく叫ぶ。



「健斗!分かったわ。これ、ブロッケン現象よ!」



「ブロッケン現象?」



俺は首をかしげた。



「ブロッケン現象っていうのはね、太陽などの光が背後から差し込み、影の側にある雲粒や霧粒によって光が散乱され、見る人の影の周りに、虹と似た光の輪となって現れる大気光学現象のことよ。これはその現象を応用した霊能力ね。」



「ん?…つまりどういうことだって?」



「つまりはその怨霊、霊力で霧を使って私たちに幻覚を見せてるの!」



「え?幻覚?」





信じられなかった。さっきの怨霊は俺の頬を切ったし、幻覚なら、見えはしても傷つけはできないはずだ。



――しかし幻覚だとすれば怨霊が増えたことや、手に持っていたナイフが消えたのも説明がつく。俺はただ、錯覚されていただけなのだ。怨霊は刀を構えてこちらに走ってくる。



「くっそ!まだだ!」俺は再びナイフを構える。しかし、また左手に持っているはずのナイフが突如消えた。



「幻覚だろ?騙されねえよ!」



 …しかし、ナイフが見えないと戦いづらいな…。





「おっと!」健斗は後ろに回って避ける。もう一度怨霊のほうを見ると、なんと数十体に増えていた。



「これも、幻覚か……どれが本物だ?」



怨霊はいっせいに健斗に斬りかかった。



「くそ!」





偽物と本物の違いが分からないから、結局すべて避けなくてはいけないじゃないか!





「健斗後ろ!」





後ろを見ると、そこには刀を振りかぶっている怨霊がいた。健斗はとっさにしゃがむ。



「あぶねえ。」



すると、今度は前から別の怨霊が斬りかかってくる。



グサッ、と俺の腹に刀が突き刺さった!かと思えば、痛みはなく、スーッと霧の中に怨霊が消えた。





くそ!どれが本物だ。どれもこれも偽物に見えてしまう。





その時だった。足元の地面が波打って、揺れている。





「ん?」すると、地面から土で出来た手が何本も出てきて、襲い掛かってきた。



「な!」今度は、地面の中から怨霊が出てくる。ぎょっとして、俺はバックステップで後ろに下がる。



「これも幻覚か……。妙にリアルで、気持ち悪い。」



すると、地面から次々と怨霊が出てくる。それに紛れて、ムカデや毛虫といった害虫が、俺の体を這っている。





「まじかよ・・・」



ヒヤッとした、冷たい汗が流れた。土から生えた数百体の怨霊たちは、一斉に刀を構えてこちらに走ってくる。





「くそ!幻覚だらけだ、体が思うように動かねえ。」



やけになった俺は、両手を伸ばして、ブンブン振り始めた。



「こい!」大量の怨霊が、俺のこぶしに触れると同時に霧に戻る。





「前方の怨霊は全員偽物か…あとは後方の奴ら消すだけだ。」





俺は後ろを振り向く…が、残っているのは一体だけだった。



「お前が本体か、さあ来い!」



俺がナイフを構えると、信じられないことが起きた。なんと目の前の怨霊が消えたのだ。



「う、嘘、だろ…。」





 ――怨霊が、自らの周りに背景の幻覚を見せたのだ。



「何でもありかよ」



すると、怨霊は健斗の後ろに現れ、刀を振り上げる。



「くそ!」俺は前に転がり避けた。そして、すぐに体勢を立て直しナイフを構えるが…



「え?」



すぐ後ろにいたはずの怨霊は、またしても姿を消していた。



「またかよ…」



そう思ったのもつかの間、次の瞬間、今度は目の前に怨霊は現れた。反芻するように、刀を振り上げる。



「…もうだめだ」諦めかけたその時、視界の右方向から、何かが飛んできたと思えば、そのオレンジ色の玉は怨霊に当たり爆発した。



「え?」健斗は何が起きたのかも分からず玉の飛んできたほうを見る。



そこには春奈が傘の先端を構え、こちらに向けていた。傘の先端からは硝煙が出ていた。



「サンキュー、春奈。今度こそ、死ぬかと思ったぜ」



「武器を取りに行くのに時間がかかったの…。助けてあげただけでも感謝しなさい。」





そうこうしているうちに、怨霊が立ち上がった。



見ると、先ほどの爆発のせいなのか分からないが、仮面が割れ、その素顔が露わになった。





「マジかよ…」



仮面の下の顔は、紛れもない人間の顔だったのだ。同じく、その顔を見た監督が、大きく口を開けた。



「嘘だろ、なぜあなたが……!!?」



監督は、初めて音を聞いた赤ちゃんみたいな表情をして、シワだらけの顔で精一杯驚きを表現していた。





怨霊は分が悪いと感じたのか指笛を吹く。すると、どこからともなく馬がこちらに走ってきて、怨霊はその馬にまたがりその場をあとにした。



「健斗、大丈夫?」春奈がこちらに声をかける。



「ああ…。それより中岡監督。」俺は監督の方を向く。監督もびくついた表情でこちらを見る。



「先ほどの怨霊の顔を見た時、監督の顔が一瞬驚いた顔をしましたよね。あの怨霊と監督は一体どんな関係なんですか?」



「・・・」



監督は黙り込む。



しばらく、沈黙がその場を埋め尽くした。霧が晴れてきて、やっと、監督が口を開いた。



「分かりました、真実を教えましょう。」



・・・つづく・・・

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