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義兄と新辺境伯、そしてオースティンとレモン兄妹が同席する中でとった夕食は、シェリーにとってもそれなりに落ち着く時間だった。
オースティンがおろおろしていることなど気にも留めず、エドワードはレモンを口説き続けていた。
エドワード以外の男性陣は心から当惑しているような態度だったが、困った顔をしながらもレモンはまんざらでもないのだろうとシェリーは感じていた。
「妃殿下は賛成していただけますよね?」
エドワードがシェリーを味方につけようと微笑みかける。
「私はノーコメントでお願いしますわ。私を攫ったことは置いておいても、レモンを傷つけたことは許しませんから。後は本人の意志でしょう?」
「本人の意志ということは、妃殿下はご自身の意志でイーサンと別れて嫁がれたということでしょうか?」
エドワードとシェリー以外が一斉に立ち上がった。
空気を読めないのか、読まないのか……エドワードは平気な顔だ。
シェリーは数秒黙った後、微笑みながら返事をした。
「きっかけは違いますけど、そうすることを最終的に決めたのは自分です。ですから自分の意志でそうしたと言えますね」
「イーサンは納得していましたか?」
シュラインがエドワードに殺気を発するが、百戦錬磨の黒狼には通じない。
「納得する? それはどういう意味でしょうか?」
「ですから、あなたが自分を捨てて嫁ぐということをですよ」
「捨てた覚えはありませんが……そうですね。納得していたと思いますよ? 本人は違うと言っていましたか?」
「違うとは言っていませんね。しかし未練たらたらな様子でした」
「未練…… そうね。未練なら私もありました。当たり前でしょう? 結婚するってずっと信じていたのですから」
「なぜ逃げなかった?」
エドワードが口調を変えた。
「逃げる? 何からですか? アルバートとの結婚からですか? 存外黒狼殿は卑怯者なのですね」
シェリーがエドワードの挑発に乗った。
「卑怯? 愛を貫くのが卑怯だと?」
「そうです。自分たちの気持ちだけを貫くことでどういう状況を生んでしまうのかを想像できない訳は無いでしょう? それなのに我儘を通すとなると……それはただの卑怯者だと思います」
「自分さえよければ良いと?」
「そうね。そういうこと」
シェリーも口調を変えた。
二人の会話はケンカ腰のようでそうでもない。
エドワードはシェリーの心の澱を吐き出させようとしているのだ。
シェリーもそれは分かっていた。
シュラインがたまりかねて口を挟んだ。
「エドワード、いい加減にしないか! 彼女だって辛い選択だったんだ。貴族子女としての責務を全うしたんだ。立派な事じゃないか」
エドワードが片方の口角だけを上げた。
「そうですね。貴族としての責任を全うするためですものね。ご立派だ。私にはできそうもない」
シェリーが顔を上げた。
「ではどうすると? 逃げる?」
「いや、逃げはしないな。それでは解決しない」
シェリーが顔を傾げて先を促す。
エドワードがレモンの顔を見てニヤッと笑った。
「愛は貫くさ。その上で降りかかる火の粉は全てうち払うよ。実力でね」
「好戦的ね。あなたらしい考えだわ。それもひとつの方法ね」
シェリーはエドワードの意見を否定しなかった。
エドワードが不思議そうな顔をする。
「ではそうしなかったイーサンは?」
エドワードの声にシェリーが答えた。
「耐えるのも戦いよ? 直接的な争いよりもっと過酷なものかもしれないわ」
「イーサンはそれを選んだ? 君も?」
「そうね。でもそれでよかったのだと思うわ。私たちは納得して選択したの」
「そうか……それならもう何も言うまい」
「そうしてくれるとありがたいわ」
「イーサンが大事にしているものを知っているか?」
「……何かしら?」
「古めかしいベールだよ。彼は何かあるごとにそれを眺めていた」
古めかしいベール……シェリーには覚えがあった。
「そう、心のよりどころがあったのなら良かったわ」
結婚式で使う予定だった祖母が用意したベール。
自分が嫁いだ後、それが欲しいとイーサンが言ったことはブルーノから聞いていた。
そしてシェリーのクローゼットの奥にある箱の中には、母が用意した煌びやかなベールが一度も使われることなく眠っている。
「案外ドライなんだな」
エドワードがそう言い終わる前に、パーンという音が響き渡った。
レモンが真っ赤な顔をして仁王立ちしている。
エドワードが驚いた顔で叩かれた頬に指先を当てた。
「レモン?」
レモンがエドワードの顔を真顔で見詰めた。
「謝ってください。あなたは言い過ぎました」
オースティンが辺境伯の頬を叩いた妹の前に立った。
「我が妹の行いについて、兄として謝罪します。しかしそれは身分が違うから謝るだけです。あなたを叩いた妹を誇りに思います」
シュラインも立ち上がった。
「そうだな、君は少し言い過ぎた」
エドワードがニヤッと笑う。
「さすが私が惚れた女だ。ますます欲しくなった」
レモンが冷めた目でエドワードを見た後、シェリーに向かって言った。
「妃殿下、お部屋に戻りましょう。お疲れになったでしょう?」
シェリーがぷっと吹き出す。
「そうね、疲れたわ。ねえ、ヌベール辺境伯」
「はい、何でしょう皇太子妃殿下」
「身分のことでオースティンはあなたに頭を下げたわね。あなたは?」
エドワードが肩を竦めた。
「皇太子妃殿下に対して言葉が過ぎましたこと、心よりお詫び申し上げます」
「いいわ、今回は許しましょう。あなたも部下を思っての発言だったのでしょうからね」
「お心遣いに感謝いたします」
「ついでにもう一つだけ良いかしら?」
「はい、何なりと」
「ふふふ、レモンを怒らせてしまったおバカさん。せいぜいがんばりなさいな」
エドワードの肩がビクッと揺れた。
「肝に銘じます……なあ、レモン嬢」
レモンに話しかけようとするエドワードなど、サクッと無視してレモンがシェリーの手を取った。
「参りましょう妃殿下」
「ええ、レモン」
二人の女性が去った後、まるで木枯らしが吹いているような空気が漂う。
シュラインが口を開いた。
「エドワード、イーサンのことは私が責任をもって治療させるよ。一旦帰った方が良さそうだ。君は荒療治をしたつもりなのだろうけれど、最後の一言が台無しにしてしまったね」
「ああ、言い過ぎましたね。失敗した」
オースティンが椅子の背もたれに寄りかかりながらため息混じりに言った。
「僕は手を引かせてもらいます。レモンは優しくて強くて……強情ですよ」
エドワードが困った顔でオースティンを見た。
「明日帰ります。また来ますが進捗だけは知らせてください」
シュラインとオースティンが一緒に頷いた。