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シュラインが一度全員の顔を見回した。
「彼だけ母親が違うんだ。彼の母親はバローナ王国の王女だった。といっても母親はメイドだったそうだから、まあ傍流だね。辺境伯の正妻が亡くなった後、同じ母親から生まれた兄と一緒に嫁いできた」
レモンが質問した。
「その兄という方は何をしておられますの?」
シュラインがニヤッと口角を上げた。
「君も良く知っている人だ。ヌベール辺境伯騎士団の団長『黒狼エドワード』だ」
レモンが息を吞んだ。
「黒狼の……それはまた……」
シェリーがレモンに聞く。
「それほど凄い方なの?」
「彼一人で一個小隊など瞬殺でしょうね。彼はいつも真っ黒な騎士服を纏っています。烏の濡羽のような髪と漆黒の闇のような瞳、そして真っ黒な刀身が美しい大剣を舞うように振るうのですわ。もしかしたら全騎士の憧れかもしれません」
「へぇぇぇ。なんか凄そうね。顔は?」
シェリーの声にアルバートが顔を上げた。
「そこ?」
「だって気になりますわ」
「なぜ?」
「なんとなく?」
レモンが笑い出した。
「そうですねぇ、サミュエル殿下とアルバート殿下が総合90点とすると……70点?」
サミュエルが小声で『90点……』と呟いている。
「お気遣いに感謝するよ、レモン嬢。まあ、点数はともかく見た目はとても良い男だね。ある一点を除けばかなりの好物件だろう」
アルバートがサミュエルをチラ見しながら言った。
シェリーが聞く。
「ある一点って何ですの?」
「壊滅的にコミュニケーション能力が低い。低いというより皆無だね。性別も年齢も階級も爵位も問わず、全く言葉を発しない。皇太子である僕に対してもペコっと頭を下げるだけなんだもの」
「よく無事で生きてきましたわね」
「本当にね。まあ、それを補っても余りあるほどの剣技ということなのだろう」
シュラインが声を出す。
「ここまでは理解できたかな?」
「ええ、大体の関係性はわかりました」
「では、君にとってとても大切な話をするね」
シェリーが小首を傾げた。
アルバートが何気なく横に座っていたシェリーの方に身を寄せる。
「君のかつての婚約者であるイーサン・シルバー伯爵令息のことだ」
シェリーの肩がビクッと揺れ、アルバートの手がギュッとその肩を抱いた。
「イーサンはロナードの命令でバローナ王国との連絡役をやっていた。まあ連絡というより運び屋兼工作員だ。彼は王妃の策に嵌って無理やり戦場に行ったと思われているけれど、少し違うんだよ」
「どういうことですの?」
アルバートの指先に少しだけ力がこもる。
「王妃はロナードがバローナ王家を瓦解させようとしていることを知って、それをなんとか潰そうとしたんだ。心は病んでいたけれど、王妃としての矜持はすべて消えたわけでは無いのだろうね。絶対に戦争を回避しようと考えた彼女が選んだのは本当に君の弟だったんだ。ロナードがバローナ王家に流していたオピュウムは君の実家でしか栽培されていない。だからこそロナードが目をつけたのだけれど、ブルーノならその危険性を十分理解しているし、その囲う方法も熟知している。そうだろう?」
「ええ、私には教えてもらえませんでしたが、弟なら次期当主として理解していたはずですわね」
「王妃はブルーノを行かせることで、その危険性を伝えつつ、すでに依存症状のある王族に対する治療も施せると考えた。しかしロナードがそれを阻止したんだ」
「イーサン?」
「ああ、そうだ。君を心から愛していたイーサンに対して、君の命を握っているのだと示したのさ。彼は君を守るためにその役を引き受けた」
シェリーが両手で顔を覆った。
アルバートが強く抱きしめる。
「ごめんね。酷な話だよね。でも全ての陰謀に使われたのがオピュウムなんだ」
「あれは医薬品ですわ!」
シェリーが声を荒げた。
「そうだ。麻酔薬としてとても有益な薬草だ。それをそのように使う方が間違っている。君や君の実家を攻めているわけでは無いんだよ。理解して欲しい」
シェリーが小さく頷いた。
「もっと言えば、アルバートの妃だって近隣国から連れてくるという手もあったし、爵位を下げれば国内でもすぐに見つかるさ、なのに君が選ばれた。その理由は……」
シュラインが言い終わるより先にシェリーが言う。
「オピュウム……ですわね」
「その通りだ」
サミュエルが声を出した。
「シェリーには申し訳ないが、オピュウムはある意味最終兵器にも成り得るほどのものだ。あれの依存性を利用し、国王を傀儡に仕立て上げれば、その国を乗っ取ることなど容易い。だからこそ君の実家であるブラッド家が門外不出の薬草として管理してきたのだし、君の父上もそのことをよく理解し、次期当主であるブルーノを教育しておられる」
「でも……父も国王の計画に加担しているのでしょう? 情けないですわ」
アルバートが慌てて言う。
「違うよ。義父殿は協力している振りをしているだけだ。シルバー伯爵もそれに協力しているよ。実はミスティ侯爵もね。僕が元婚約者を優先して君を蔑ろにするから、中立派を止めて日和見の貴族や貴族派の中でも穏健派といわれる貴族たちに近づいたという風を装っている。代々中立派の中心だった彼らが動くためには、それなりの理由が必要だった」
「でも父も弟も、私にはそんなこと一言も……」
「君を傷つけないためさ。僕も含めて君が僕に情を抱いているとは思ってなかったからね。僕がやらかすことが一番の理由になるし、そのことで君が傷つくことも無いって考えたんだけど、違ってた。僕にとっては心から嬉しい誤算だけどね」
「私を信じていなかったってことね? 酷い人」
「信じてなかったというより、信じるのが怖かった。君の覚悟を見誤っていたんだ。本当にごめんね」
「全てが終わってからきっちりと話し合いましょう。それよりローズ様のことですわ」
アルバートが目を伏せた。
キースが代わりに口を開く。
「彼女はグリーナ国を出た時には、すでに廃人でしたよ。だから私の弟が付き添ったのです。彼はグリーナ国の宰相という立場ですが、王妃の傀儡でしかありません。まあ、わざとそのように振る舞っているのですが、彼と私は王妃を廃してグリーナ国を取り戻したいと考えています。そのためにグルックは二重スパイをしています。王妃に気に入られるように立ちまわっているのですよ」
「二重スパイ? その言葉……ブルーノのことも同じように仰ってましたわね?」
シェリーがアルバートの顔を見た。
「うん、怒りに任せて父親が中立派から距離を取り始めたが、次期当主である自分が中立派のままいる方が良いと考えているというシナリオさ。彼が中立派の動向を探り、父親と対立しているかのようなアクションを起こしているんだ」
「命の危険は?」
「皆無ではないね」
シェリーは黙り込んだ。