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それからの毎日は王太子妃業務など比ではないほど忙しかった。
母親は寝込んでいるという設定なので、社交界における情報収集はブルーノに任された。
ブルーノがイーサンの妹であるリリアナと婚約していると聞いたシェリーは、手を叩いて喜んだ。
「いい子でしょう? 学園時代から本当に素直で優しい子だったの」
「うん、イーサンのことは別にして、僕はリリアナと婚約できてとても満足しているんだ。姉さんと同級生だから僕より二つ年上だけど、とても聡明で可愛らしい人なんだよ」
「あら、ごちそうさま。あの子ならブラッド侯爵家も安泰だわ」
そのリリアナを連れて夜会に出席しているブルーノは、次期ブラッド侯爵として確固たる地位を固めていた。
シェリーは自分が王宮でジメジメと暮らしている間に、いろいろなことが変わったことに驚きもしたが、後顧の憂いが払拭された思いも抱いていた。
(これで、心置きなく行動できるわ)
シルバー伯爵家を招いて、今夜は王宮に戻る前の最後の晩餐だ。
10日という里帰りの間、アルバートからは一度手紙が届いたが、内容は仕事のことが主で、早く帰ってきて欲しいと結んであった。
最後の方に数行、申し訳程度のお見舞いの言葉を見つけたシェリーは、ふと考えた。
これほど気遣いができない人だっただろうか。
「もともとそういう人だったの? それとも恋に狂ったから?」
皇太子妃が不在では、思うように逢瀬の時間が取れないのだろう。
行間から苛つきが読み取れる。
「そりゃそうかぁ、あれほど好きだったんだものね。それが今は手を伸ばせば触れられるのだもの。そりゃ狂うわな」
情はあっても愛は無い夫婦だ。
やっと思いを遂げることができた夫に、シェリーはそれほどの怒りは感じていない。
抱いているのは『失望』という思いだけ。
「まあ賢王になるなら良いけれど、今のまま愚王まっしぐらなら飛ばしてしまいましょう」
シェリーのターゲットはあくまでも王妃だ。
アルバートに思うところはあれど、それはそれというところか。
「あの日の涙はなんだったのかしら」
そう口に出して自分に問いかけてみたが、答えなど出るはずもない。
明日の夜空は王宮の自室から眺めるのだと思いながら、シェリーはそっとカーテンを引いてベッドにもぐりこんだ。
「では行ってきます。ブラックをよろしくお願いします」
ブラックとは黒髪のイーサンを示す隠語だ。
復讐計画は徹底して秘匿する必要がある。
ブラッド侯爵一家の最終目標は、王妃の幽閉であり、状況によっては皇太子の交代だ。
毅然とした態度で王家の紋章が入った馬車に乗り込む娘を、見送った父と弟は顔を見合わせて言った。
「昔のシェリーが戻ってきたな」
「ええ、怒ると怖い姉さんの顔になってましたね」
「我々も気合を入れねばな」
「はい、必ず成功させましょう」
遠ざかる馬車を見ながら、父息子は心の中で握手をした。
侯爵夫人は自室の窓から馬車を見送った。
重篤設定というのも厄介なものだ。
また離れていく娘を見送ることもできない。
溜息を吐きながらソファーに座ると、見送りに出ていた責任者(夫)と参謀長(息子)が入ってきた。
「行ってしまったわね」
「ああ、気合の入った顔をしていたよ」
「いよいよね」
「そうだね、シェリーの手腕に期待しよう」
侯爵はメイドを呼び、お茶の用意を頼んだ。
「僕は出掛けてきます。お茶はお二人でお楽しみください」
二人は座ったままブルーノを見送り、メイドが運んできたクッキーに手を伸ばした。
ブルーノは一旦自室に戻り、着替えてから出掛けて行った。
行く先はシルバー伯爵家。
婚約者に会いに行くという名目なら、頻繫に出入りしても怪しまれることは無い。
ブラッド侯爵家とシルバー伯爵家は、代々中立派として王家に忠誠を誓っていたが、今は違う。
王家への忠誠に変わりは無いが、王家なら誰でもよいというわけでは無いという覚悟を決めたのだ。
守るべきは国であり、国民だ。
現在の王は頭もよく人当たりも穏やかだ。
しかし壊滅的に女を見る目も女運も無かった。
そんな下らないことが引き起こした今回の問題は、彼自身にも責任を問う必要がある。
その考えに賛同した貴族たちの会合の場所こそが、シルバー伯爵家なのだ。