12
「そもそもは側妃の我儘から始まった。自分の子供を皇太子にしないのなら、どこかの王配にしたかったんだ。どうしても王族でいさせたかったようだね。密命を受けて動いたのがミスティ侯爵だが、彼は第一王子より我が娘の後処理に追われていたから、跡継ぎである養子に第一王子の結婚相手探しを任せたんだ」
「ん? ローズがグリーナの皇太子に嫁ぐことが決まった後のこと?」
「そうだ。そもそもそれも側妃がけしかけたという話だ。長年の婚約者にあっさり振られた第二王子は、問題があるのだろうという筋書だな。そんな男に皇太子は無理だと言い張るつもりだったのだろう。ミスティ侯爵家が第一王子に探してきた婚約者は、当時24歳の彼に対しわずか8歳という無茶苦茶なものだった。それこそ付け焼刃だが、それでもいるといないとでは大違いだからね」
「酷い話ね」
「ああ、とにかくあの側妃殿は異常なほど王位に執着していたよ。そこで動いたのが王妃殿下だ。お前に白羽の矢を立てたんだ。王命では逆らえないということを知ったうえで無理難題をゴリ押ししてきた」
「付け焼刃合戦ね」
「王妃殿下は義母として優しくしてくれたかい?」
「いいえ、無関心だったわ。王太子教育の進捗以外で話すことはあまりなかったし」
「予想通りだな。でも無理やり嫁がせたという認識はあったのだろう。お前の未練を断ち切るために……ブルーノを囮にしてイーサンを戦場へ行かせたんだ。お前を心から愛していたイーサンがどういう行動をとるのかも読んでいたんだろう」
「最低……」
「ああ、権力争いなんて実に下らないな」
ブルーノが当時を思い出したのか、ギュッと拳を握って目を閉じた。
「ごめん姉さん。僕が行けばよかったんだ。でもイーサンが勝手に手続きしてしまって、知った時には決まった後だった」
「いいのよ、あなたは悪くない。聞いたときにイーサンらしいなって思ったの。彼は……そういう人よ。それに悪いのは王妃殿下と側妃様でしょ?」
「その通りだ。イーサンへの償いといっては申し訳ないが、我が家としてシルバー伯爵家にはできうる限りの便宜と援助を約束しているし、きちんと実行しているから安心しなさい」
「はい、お父様。感謝いたします」
「それで、今後のことなんだが」
シェリーの顔に三人の視線が集中した。
「お前はどうしたい?」
シェリーは迷わず答えた。
「離婚一択。それ以外は無いわね」
「わかった。後悔はないね?」
「無いわ。仕事は楽しかったけど、私は誰かと夫を共有する趣味は無いの」
三人が一斉にフッと息を吐いた。
ブルーノが父親に言う。
「父上、決まりですね」
「ああ、私も覚悟を決めよう。君も良いね?」
「もちろんよ」
三人は既にシェリーの回答を予測していたのだろう。
「では、お前に話すことがある。落ち着いて聞いてほしい」
父親のあまりにも真剣な顔に、シェリーはゴクッと喉を鳴らした。
「イーサンは生きているが少々問題を抱えている」
シェリーがガタンと音を立てて立ち上がった。
ブルーノがシェリーの肩に手を当てて優しく座らせた。
「記憶を失って全くの別人として生きているんだ」
「どこにいるの!」
「落ち着きなさい……ああ、可哀そうなシェリー」
母親が駆け寄ってシェリーの手を握る。
「彼は行方不明になった近くの村の教会で、神に仕える仕事をしているよ。右手の自由を失い、右目も失明している状態だが、今は元気に暮らしているよ」
シェリーがひゅっと息をして全身を強張らせた。
「でも記憶がない? 私を覚えていないってこと?」
「ああ、そういうことだ」
「治療はできないの?」
「調べた限りでは……無理だ」
「戻ることは無いの?」
「それはわからないが、希望は薄いだろうね。それに彼は今とても平穏に過ごしている。そんな体になったんだ。それはもう筆舌に尽くしがたいほどの苦難を味わったはずだ。それでも生きて……今は穏やかに暮らしているんだよ」
「イーサン……」
シェリーは声にならない悲鳴を上げて両手で顔を覆った。
暫しの間、部屋に重苦しい沈黙が流れた。
聞こえるのはシェリーの嗚咽だけだ。
やっと泣き止んだシェリーが顔を上げた。
父親が優しい声で問いかけた。
「もう一度聞くよ、シェリー。お前はどうしたい?」
シェリーの目に力が戻った。
「前言を撤回します。離婚はしますが、復讐もしたいです。時間をかけてでも絶対に」
三人の口角が上がる。
「さすが我が娘だ。さあ、食事にしよう。あと10日もあるが、10日しかないともいえる。作戦会議は明日からにして、今日は再会を喜び合おうじゃないか」
四人は立ち上がって頷きあった。