第6話 知識チート
（神楽坂アカネ。魔力属性は火。使用ADは
１年Ｃ組――主人公と、ヒロインの神楽坂アカネが所属するクラス。
その教室の扉の前で、玄咲は神楽坂アカネと円滑なコミニュケーションを行うためにゲーム情報の反芻を行っていた。
（やはり、一番の特徴は無類のとんとことん饅頭好きであること。プレゼントすると好感度が必ず１上がり、とんとことん饅頭を１００個購入しプレゼントすればそれだけで好感度がＭＡＸ値の１００に達し攻略可能。そのあまりのチョロさから、プレイヤーから【豚マン】の愛称で呼ばれ歪んだ愛され方をされている。他にも神楽坂アカネには【１７位の女】を筆頭とする多種多様なあだ名があり――いかん、思考が逸れた。とにかく、神楽坂アカネはちょろい。とんとことん饅頭さえやっときゃなんとかなる。そういうヒロインだ。１個しか買えなかったのがちょっと不安要素だが……それでもプレゼントすれば好感度が上向くのは間違いない。足りなければあとで追加すればいいだけの話。よし、行くか）
玄咲は横開きの木製扉を開き１年Ｃ組の教室に入室した。瞬間、教室中から、どちらかというと非好意的な視線が玄咲に集まる。予想済みの事態。だから玄咲は特に気にすることなく教室の中央――神楽坂アカネが座す席へとまっすぐ向かった。
「な、なによ変態。私になにか用なの」
強気な口調。強気な瞳で発せられたらしい台詞に玄咲の口元に笑みが浮かぶ。
（想像通りの声。台詞。ハードの制約でＣＭＡにはボイスが収録されていなかったが、もし収録されていたらこんな声をしていただろうな。美しい声だ。まるで天使のように。いや、天使だったな。彼女は。一応）
「う……なんて邪悪な笑み。さてはまたセクハラしにきたのね。いーの？ またあんなことしたら今度こそお爺ちゃんに退学にしてもらうんだからね！」
「違う。えっと、俺は君に謝りにきたんだ」
「え……？」
玄咲は腰を９０度曲げて、アカネに頭を下げた。
「その、朝のことは、心の底から悪かったと思ってる。わざとじゃなかったんだ。信じてもらえないかもしれないが……えっと、これは、詫びの品だ」
「う、うん。ありがと……」
頭を下げた姿勢のまま、左手にぶら下げたレジ袋を神楽坂アカネに差し出す。神楽坂アカネは受け取った袋から小箱を取り出し、小さな歓声を上げた。
「とんとことん饅頭……！」
(よし、ゲーム通りの好意的な反応だ)
プレゼントした直後に神楽坂アカネが発するゲーム通りの台詞。玄咲はゲーム通りにやれば全てが上手くいくという確信を抱き、無事仲直りが出来そうだとほっとした。
（っと、このイベントはこれで終わりじゃない。ちゃんと、正しい主人公の台詞を言わなくてはな）
神楽坂アカネにとんとことん饅頭をプレゼントするイベントは無条件で好感度が上がるわけではなく、３つの選択肢から正しい選択肢を選んだ場合にのみ好感度が上がる。
３つの選択肢の幻覚が増減する好感度の数値とともに玄咲の瞼の裏に投影される。
んなゲテモノよく食えんな。 好感度－１
歯磨きは忘れるなよ？ 好感度－５
芳醇の甘さの中にジュワっと沁み込んだとんこつの臭みがたまらない……だろ？ 好感度＋１
（ちょっと恥ずかしいが……）
ゲームの主人公と全く同じ台詞を、ゲームの主人公と全く異なる立場で、玄咲は吐いた。
「芳醇の甘さの中にジュワっと沁み込んだとんこつの臭みがたまらない……だろ？」
神楽坂アカネの眉根がピクっと動く。反応あり。コミニュケーションの成功を確信する玄咲に、神楽坂アカネが声を震わして、言った。
「……なんで、知ってるの」
「え？」
「私がとんとことん饅頭が好きだって……味の感想まで……」
神楽坂アカネが席を立ち、とんとことん饅頭を抱きしめながら後ずさる。そして、怯えを視線に含ませながら、言った。
「なんで、初対面のあなたが知ってるのよ……」
――教室の空気が凍った。
「――あ」
玄咲は失策に気づいた。蒼褪めた顔に冷汗がブワッと引き出す。
(し、しまった！ フラグ立てを忘れていたッ！)
とんとことん饅頭のプレゼントは最初から可能な訳ではない。神楽坂アカネの友人の水野ユキと会話して好物を聞き出すことで初めてアンロックされる選択肢なのだ。動揺のあまりすっかり忘れていた。そして、ゲームと異なる行動を取ってしまった。
その結果が、教室中から突き刺さる、先程までの精々悪童を見るような視線とは一線を画するドン引きの視線だった。その視線を受けて、玄咲は現在の自分の状況を客観視して考えてみる。
（……痴漢した相手の好物をその感想に至るまで熟知している男……あれ？ これって客観的に見たらただのスト――）
「す、ストーカーだ！」
「違う！」
教室の誰かが発したその声に対して、玄咲は大声で断じた。自分でも薄々思っていたとしても、他人に指摘されると否定せずにはいられない気色の悪さをストーカーという言葉に感じ取ったからだ。
「なにが違うんだい。客観的に見たら君は誰がどう見てもストーカー以外の何物でもないよ。天之玄咲くん。彼女から離れなよ」
背後から、気品優しさ強さおおよそ美徳と呼ばれる全てのものを詰め込んだかのような美しいハイトーンボイス。イメージ通りの声。確信を抱いて、玄咲は振り向いた。
果たしてそこには予想通りの人物がいた。
（光ヶ崎、リュート……！）
光ヶ崎リュート――主人公のライバルキャラ。金色の髪に端正なルックスの貴族然とした容姿。名門貴族光ヶ崎家のの嫡男で、正義感は強いものの思い込みも激しく最初は少し嫌みなところもあるキャラだが、主人公との交流を経て心身ともに成長し、最期には唯一無二の親友となるキャラクターだ
その光ヶ崎リュートが冷たい瞳で玄咲を見ていた。
「世も末だな……このようなストーカーが栄誉あるラグナロク学園に紛れ込むとは。さしずめ新入生ならぬ珍入生と言った所か。君、すみやかに退学したまえ。君はこの学園に相応しくない。君はこの学園の異物なんだよ」
「ちょっと待て、光ヶ崎リュート。君は誤解している。俺は変態ストーカーなどではない」
「誤解の余地などなく君は変態ストーカーだろう。だいたい、なぜ自分からストーカーの前に変態とつけた。自覚している何よりの証拠じゃないか」
「そ、それは……」
なぜ自分から変態ストーカーなどと言い出してしまったのか。玄咲は数秒前の自分をぶち殺してやりたい衝動に駆られる。上手い言い訳が思いつかず二の句を言い淀む玄咲に、ふと光ヶ崎リュートが尋ねた。
「ん？ 君、どうして僕の名前を知っている。僕は君に名乗った覚えはないが――」
（っ！ これだ……！）
一閃の稲妻が玄咲の頭を走る。閃きに従い玄咲は口を動かした。
「俺はこの学園の主要な生徒の情報は全て頭の中に入れてある。ライバルの情報を調べるのは当然だからだ。だから彼女にだけ特別詳しいわけではない。だからストーカーじゃない」
「ふん。苦し紛れの言い訳だな。じゃあ僕の情報を言ってみろ。出来るものならな」
「光ヶ崎リュート。使用ADは星紡剣《スターソード》ステラ。魔力属性は光と火。符合魔法は星魔法。種族は人間。職業は学生兼ハンター。年齢は１５。性別は男。身長は１８０ｃｍ。体重は８５ｋｇ。血液型はＡＢ型。好きなものは正義。嫌いなものは悪。趣味は買い食い。特技は居合。嫌いな食べ物はらっきょう。コンプレックスは生まれが恵まれすぎており貧困を知らないこと。そして好きな食べ物はコンビニで２００マニーで買えるチーズバーガー。購入するときは必ず店員にフライヤー商品用のケチャップ＆マスタードを３つつけてもらう。好きになった切っ掛けは厳しい家庭の教育の息抜きに立ち寄ったコンビニで買った生まれて初めて食べるチーズバーガーの美味さに衝撃を受けたから。違うか？」
「なんでそこまで知ってるんだよ！？ 気持ち悪いなお前！？」
「き、きも……必要だからだ。この学園で上手くやっていくために」
生まれて初めて高校生活を送る玄咲にとって対人コミニュケーションはある意味一番の鬼門。円滑なコミニュケーションは相手を良く知ることから始まる。知ってる理由としては嘘だが必要だと思っているのは間違いない。だから玄咲は迷いなく言い切った。
「……どうやって、調べた。僕の、家族以外には誰にも話したことのない過去まで。答えろ！ 天之玄咲！」
「悪いが」
玄咲はふるふると首を振って、情報源を明かすわけにはいかないので適当な理由をでっち上げて光ヶ崎リュートに応答する。
「それは教えられない。敵に手の内を晒すわけにはいかない。光ヶ崎リュート。君はこの学園で生き残るということを甘く見過ぎている」
「っ！」
光ヶ崎リュートは悔しそうに口を引き結ぶ。狩人の瞳で玄咲を睨みつけながら、しかしふと眉根を寄せ、尋ねた。
「……いや、待て。手の内を晒すのを嫌うなら、なぜわざわざ情報の所持を暴露しにきた。君の言動は冷静に考えたら矛盾だらけで無茶苦茶だ。もしかして雰囲気とインパクトで問題を誤魔化そうとしてないか？」
「……」
おっしゃる通りだった。玄咲は心の中で冷汗を掻いた。光ヶ崎リュートの指摘は全て事実。しかしそれを認めたら憧れの学園生活の土台が１日目から崩壊してしまう。神楽坂アカネと、担任のクララ・サファリアにまで嫌われてしまう。一番好きなヒロインにまで。それだけは、嫌だ。ならば残された手段は一つ。さらなる雰囲気とインパクトで誤魔化すまで。玄咲は自分でも何を言っているんだろうと思いながらさらなる暴論を展開する。
「敵意を抱かせる。それが狙いだとしたら」
「な！？」
「これは個人的な意見だが」
前置きから、本音交じりの決め台詞。
「感情的な敵意を抱いた人間ほど、操りやすい存在はいない」
「っ！」
ギン！ と眼光を鋭くして玄咲はリュートを睨みつけた。そんな馬鹿な。そう言いたげなリュートの口を、視線の圧で黙らせる。リュートが唾を呑み込む音が、玄咲の耳にまで届いた。
（こ、こいつ、なんて死臭に満ちた眼をしているんだ……！ 視線から血の匂いが漂ってきやがる。どれだけの死線を超えたらこの年でこんな目が出来るんだ……ハッタリじゃない。本物だ。血塗れのリアリティがこいつの言葉には宿っている……！）
「……なる、ほどな。確かに、僕が甘かったらしい」
フッと笑って、玄咲の言葉を受け容れる光ヶ崎リュート。玄咲は表情を変えぬまま驚いた。
（……真に受けるのか。こんな暴論を。意外と抜けてるな）
「天之玄咲と言ったな」
「ああ」
「どうやら君は僕のライバルになるに相応しい男のようだ。認めてやろう。強者だと……」
「そうか」
（……なんとか上手い具合に話が纏まったな。これでいい）
安堵し、肩の力を緩める玄咲に、神楽坂アカネが尋ねる。
「ちょ、ちょっと待って！ 結局、あなたは私の情報も無断で、光ヶ崎リュートくんと同じ位調べあげてあるってこと？」
「そうだ」
「……それって、結局ストーカーしたってことよね？」
「……」
玄咲は何も言わなかった。否。何も言えなかった。メタ視点から異常な情報量を持っていることは光ヶ崎リュートとの会話で明らかにしてしまったし、その情報量が神楽坂アカネにも適用されることも他ならぬ自分の発言によってたった今肯定してしまった。もはや否定する材料も、言い訳する余地も残されていなかった。
無言で、玄咲は神楽坂アカネの隣の主人公の席に腰を下ろす。途端、ガタタっと、音を立てて神楽坂アカネが玄咲から大きく距離を取った。絶望的なまでのオーバーリアクション。玄咲の心がポキっと折れた。
（もうダメだ。神楽坂アカネとのフラグはベキベキにへし折れてしまった……）
「その、君」
「なんだよ……光ヶ崎リュート……」
「そこ、僕の席なんだけど」
「なんだとっ！」
玄咲が勢いよく聞き返す。丁度その時、教室の入り口から１年Ｃ組の担任のクララ・サファリアが入室した。
「おはようございまーす――って、あれ？ 玄咲くん、どうして１年Ｃ組に？」
「く、クララ先生。どうして、とはどういう意味でしょうか？」
「あ、そっか！ 急に配属クラスが変更になったからきっとクラス分け表に不備があったのね。こっちきて」
クララは玄咲につかつかと近寄り、全くの無造作にその手を握る。
ぎゅっと。
（！！！！！？）
至福の感触に硬直する玄咲をクララは急かす。
「ほら、立って」
「は、はい！」
そしてそのまま玄咲の手を引き、教室の外へと退出した。
「……なんなのあいつ。気味悪い」
玄咲からもらったとんとことん饅頭を鞄にしまいながら、神楽坂アカネはそう呟いた。
