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三十話 生への抵抗

 


 その日メニーは、初めてのショッピングを楽しんだ。
 ぬいぐるみ故か、女にも男にも、少年にも少女にもなれるパティと着せ替えごっこをするのは楽しいものだった。
 道中街の人達に捕まり、その人たちから貰ったたくさんのお菓子や食べ物を、夜一緒にベッドに入ったパティと話しながら片していくのは面白かった。見たことの無い面白い食べ物の話は、きっと忘れないことだろう。「老婆のゲロ食べた後の舌キャンディ」というカラフルな長い飴が、名前の割に美味だったことはちょっと悔しいが……。

 あと、そう、クレープ。あれは本当に美味しかった。パティはバターシュガーを、アルベルトはいちごクリームを、メニーはぶどうのクレープを食べたが、酸味だったり、甘さだったり、はじめての味に正直感動してしまったのが本音である。顔には出さなかったものの、しかし、パティやアルベルトには気づかれていたようだ。自分のも食べるといいと、異なるクレープを味見させてくれた彼らには心の底から感謝したい。

「……楽しかった」

 目覚めて、一言。
 隣でぐうすかぴー、と眠るパティに笑い、メニーはクローゼットへ。衣服を着替えてベッドに戻り、いまだ眠るパティに手を伸ばして、それを止める。

「……ふふっ」

 笑いがこぼれた。と同時に、涙が溢れた。
 この幸せな時が、もうすぐ終わる。彼はそれを知っているのだ。

 知っているからこそ、悲しかった。
 知っているからこそ、辛かった。
 どうせ終わってしまうのなら
 こんな幸せ、知りたくなかった。
 でも、知れてよかった。

「……羨ましい」

 メニーは告げる。

「君が、君のことが、羨ましくてたまりませんよ、パティ」

 オカーサンに愛され、オカーサンに名を呼ばれ、オカーサンの元にまだ居れる君が羨ましい。

 微笑んだメニーは涙を拭うと、何事も無かったように部屋を出た。そして、この屋敷の主人の元へと迷わず進む。

 コンコンッ

 軽いノックを二回。

「入れ」

 聞こえた声に、笑みを深めて扉を開ける。

 扉の奥には珍しく、リレイヌ以外の者は見当たらなかった。まるで事前にそう準備していたかのような静けさに、メニーは一度、ゆっくりと瞬きをしたあと、静かに顔を執務机の奥にいるリレイヌの方へ。にこりと笑い、彼女に近づく。

「おはようございます、オカーサン」

「はい、おはよう」

 ゆったりと歩いて、執務机の方へ。どこかぼんやりと書類を見つめる彼女に益々笑みを深め、メニーは机の前まで来て停止する。

「オカーサン、ひとつ聞いてもいいですか?」

「どうぞ」

 こちらを見向きもせずに告げるリレイヌに、メニーはその目を細め、こう問うた。

「龍神の血肉を食べれば不老不死になれるのは本当か」、と。

 シン、と静まる屋内。手にしていた書類を膝に置いたリレイヌは、少しの間を置き、「本当だ」と口にする。

「龍神の血肉は、それを一口食べるだけで不老不死となり得る代物。その味は甘美でありながら、また蕩けるような舌触りなんだとか……」

「……まるで食べたことがあるように言うんですね」

「私はないよ。さすがに同族は食わない」

 そういう言い方をするということは、誰か食べた者が身近にいるということだろう。個人的にはぜひその人物に話を聞いてみたいが、きっと目の前の神はそれを許してはくれないだろう。
 ならば、自分が今やることは、ひとつだけ……。

 メニーは片手で隠し持っていたハサミを持つと、それをリレイヌ目掛けて振り上げた。

 驚くことも、逃げることもしない彼女にハサミが突き刺さるか突き刺さらないかのところで、闇が、影が、彼の凶器を握る手を捕獲した。驚き目を見開くメニーを、いつの間にそこに居たのか、アルベルトが容赦なく蹴り飛ばし、部屋の壁に叩きつける。

「いっ!!!」

 痛い。素直な感想を抱いた瞬間、影の子供がメニーの首をわし掴んだ。そのままギリギリと力を込めていくその子は、到底、今まで傍でにこやかに笑っていたものとは思えない。
 母と同じ瞳を見開き、ギラギラと輝かせながら無言で敵を排除しようとする彼に、メニーは笑う。笑って、そうして、「なんでかなぁ……」と、疑問の声を口にする。

「ぼく、べつに、しにたいわけじゃないんですよ……っ、いきたくていきたくて、しかたがないんですっ……だから、かちくごやにしのびこんだり……っ、ひとをたべたり、……してきました……っけど、どれもうまくいかなくてっ……いっつもみつかって、おいはらわれたり、なぐられたり、けられたり……っ」

「……」

「ぼく、ぼくっ……いきたい、だけなんですよっ……いきて、ただ、ふつうになりたいっ、だけなんですよっ……だから、あなたを、おかーさんを、もとめてっ……あなたなら、あなたのちにくをたべれば、ぼくはだって、えいえん、にっ……」

 ああ、目の前が霞んできた。

 容赦なく絞めあげられる首に、唇をかみ締め、訴えるように言葉を紡ぐ。いきたい。いきたい。生きたい。紡ぎ続ければ、彼女はようやっと、こちらを向いた。まるで苦しそうなそれに目を見開いたメニーは、やがて、安堵したように笑みをこぼす。

「──アルベルト」

「……」

 パッと、影の子が手を引いた。それにより、解放されたメニーはその場で咳き込み蹲る。ゲホゴホと、噎せ込む彼を容赦なく見下す赤毛の子供は、「如何なさいますか?」と主人を振り返ることなく問うた。リレイヌはそれに、考えあぐねるように、額に手を当て下を向く。

「理由はどうあれ、主様に手を出した。それは許されるべきことではありませんし、裁かれるべき対象となります」

「……わかってる」

「主様がどうお考えかは分かりかねますが、僕を止めたということは、コレを生かすということでしょう。しかし、この件をレヴェイユに報告すれば良くて処刑、悪くて終身刑が決まる。もはやコレに、救いを与えることは難しいかと」

「わかってる」

「主様がしなくとも僕が皆さんにこの件を報告します。ということは、遅かれ早かれ結論が出るということ。コレの処刑はきっと、大々的に行われることになるので、主様もレヴェイユの方に呼ばれて──」

「わかってると言っているだろうッ!!!!!」

 劈くような、悲鳴にも似た怒声に、話していたアルベルトは口を閉ざした。眉間に皺を寄せて咳き込むメニーを視界の端で睨む彼に深く息を吐き出し、リレイヌは抱えるように額に当てた手をそのまま、深く俯き肩を落とす。

「……メニー」

 呼ばれる名。顔を上げたメニーが、彼女を見る。

「……どうして、一言だけでいい、『血を分けてくれ』と、そう頼んでくれなかったんだ……」

「……」

 メニーは笑う。苦しそうに、寂しそうに。
 笑って、そうして彼は、ポツリと零すようにこう言った。

「ごめんなさい、オカーサン」

 あなたが、あまりにも優しすぎるから……。

「僕は、こうすることしか、出来ませんでした……」

 ドタバタと激しい音をたて、廊下を駆けてきた者らにより部屋の扉が開け放たれる。「主様ッ!!!」の声と共に入室してきた彼らを見て、メニーは沈黙。笑顔で両手を上げ、降参の意を表した。

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