第3話 微妙な空気、俺と彼女の時間
「はぁ、なんとか買えてよかった。燈矢には感謝だよ。」
やや高めのテンションで、彩はそう言うと嬉しそうに笑う。
「無難っちゃあ、無難な選択だけどな。」
彩の笑顔に微妙な居心地の悪さを感じて、燈矢はそっぽを向く。
なんなんだよこいつ、なんかいつもと違うんだよな。なんか落ち着かねぇ
心のなかで不満を漏らす。
見た目は、いつもどおりの無邪気な彩の笑顔。だが幼なじみだからこそ気づいてしまう微妙な違和感。だが感じることは出来てもその意味が分からずに、無性に苛立つ自分。なんなんだよと何度目かの不平を心のなかで呟く。
燈矢が案外真剣にアドバイスをして、彩がそれを推敲して、結果的に選ばれたのは、革製の落ち着いたデザインだが、さりげない装飾の施されたキーケースだった。
車通勤が当たり前の地方の町、常に車を使用している彩の父にはぴったりな贈り物だろう。財布やネクタイなんかより趣味が出づらいものでも有る。
二人はそう結論付けた。そして彩は自分の小遣いから比較すれば、高額と言えるそれを迷いなく購入し、追加料金をはらい綺麗にラッピングしてもらっていた。
「~~~♪」
鼻裏混じりに嬉しそうに歩く彩。
「おじさんのお前への溺愛ぶりも、正直引くけど、お前のファザコンも大概だよな。」
微妙に引きつった顔で、燈矢。
「ん?何が、どこか変かな。」
キョトンとした顔で足を止め、燈矢を振り返ると、小首をかしげる。
こいつ、分かっててやってんのかよ。今のその行動だけで、クラスの男子の何人が胸をときめかせるか分かってんのかよ。
妙なザワツキが胸の中に湧き上がる。何となく不快だなと燈矢は思った。
理由は分からないが、自分の心に訳の分からない感情が湧き上がったことが嫌だ。
「彩くらいの年齢だと、父親鬱陶しいとかなるんじゃねぇの?知らないけどさ。椿とか絢音とか、沙也加とか、よく言ってるじゃないか。父親がウザいとか干渉してくんなとか。一緒に洗濯物されたくないとか。」
教室で大声で話している女子三人組の姿を思い出す。父親への不満を共有しあって、最後にはわかるーとか、だよねーという3人組。
「ん。他の人はわからないけど、私はお父さん好きだよ。私達のために毎日、頑張ってくれているし、優しいし、常に家族のこと考えてくれているし。」
「そうだったな、彩は小さい時、パパと結婚する!って言って、おばさんに宣戦布告してたもんな。親とは結婚できないって知って、3日くらい泣いてたもんな。」
当時を思い出したのか、可笑しくてたまらないと大声で笑う燈矢。
「とても悲しいことだけどね、パパと彩は親子だから結婚で来ないんだよ。」
そう言って泣きそうなぐらい、悲しそうな顔をした彩の父の姿をおもいだして、子煩悩の一言で片付けて良いのかな、あのおじさんはと、思ってしまっていた。
「そ、そんな事思い出さなくていいの!」
可愛らしく頬を膨らませて、燈矢をにらみつける彩。
こいつ、高3なのに、こういうところ子供っぽいんだよな。まぁそこが可愛いといえば可愛いところだけども。ほんとガキの頃のまんまだよな。
普段は真面目で大人しくて、年相応に振る舞う彩だが、燈矢の前では時折、子供の頃と変わらないようなわがままを言ったり、表情を見せたりする。
長く一緒に居て、心を許してくれているからだと分かっているし、その事が燈矢にしても、とても嬉しいことであった。気取らず、飾らず素の自分を見せ合えるぬるま湯が心地良いと思っていた。
「だ、大体、私、好きな人くらい居るし。」
囁く様な小さな声で彩が言う。
「ほぉう、パパ以外だろうな。その好きな人って。」
良いことを聞いたとばかりに切り返す燈矢。その言葉は多分にからかいの色を帯びていた。またムキになった彩が反論してくるのを待ち構える。
軽口叩いて、からかって、それにムキになって頬を膨らまし、更にからかい続けると収集がつかなくなって、最後は行き場の亡くなった感情を燈矢の胸か背中に、手加減した握りこぶしをぶつけることで解消し、その後どちらからともなく笑って。
そういういつもの光景を予想していた燈矢は、しかし思いっきり肩透かしを食らった。
「お父さんじゃ…ないし。」
顔をうつむかせて、暗い声で彩は言った。
「私、私の好きな人は…。」
そこまでしか言葉にすることは出来ず、彩は燈矢に背中を向けると突然走り出した。
予想外の反応に面食らってしまった燈矢は、何も言えずその背中を見送るしか無かった。