――あの日から、どれぐらいの歳月を経ただろうか。
街の風景はよりアンドロイドと人間の境目が曖昧になり、“彼ら”は一層社会に溶け込んでいるように見える。
科学技術は相変わらず著しく日進月歩で進化していく日々で、アンドロイドを取り巻く環境も随分と様変わりしている。
その一端に、あのかつて幼かった昴がいた。
昴はあの冬の日の突然の別れで受けた大きな衝撃を機に、アンドロイドを開発する仕事に就きたいと思うようになっていた。
それから昴は、あんなに嫌がっていた宿題はじめ様々な勉強に積極的に取り組むようになり、ただひたすらにアンドロイド関係の仕事に就けるように猛勉強をし始めたのだ。
昴がアンドロイド関係の仕事に就きたかった理由は大きく二つある。
ひとつは、耐久年数をより長くした、高性能――感情表現の豊かな――なアンドロイドを作ること。
もうひとつは――RS0412型のアンドロイドの、つまり、リクの復元だった。
あの日から片時も昴はリクの存在を忘れたことはない。どうしても知りたいことがあったから、昴はなにがなんでもリクを復元させたかったのだ。
両親に無理を頼み込んで、自室にリクを保管カプセルに入れて置いたほどに。
(――あの時、リクは僕に何を伝えようとしたんだろう……とても大切な、大事な言葉な気がするのは確かなんだけれど……)
昴はくぐもったガラス窓の向こうで“眠り”続けるリクを見つめながらいつもそう考えていた。
そして周囲から見れば執念とも取れる想いで、昴はアンドロイド関係の仕事に就くことを目指した。
結果から言うと、昴はアンドロイドの技術開発者になることは叶わなかった。アンドロイド関係の開発に直接関われるようになるためには、並大抵の努力と知識と運が必要となることを、彼は身をもって知ることとなる。
だからと言って昴はそう簡単に諦めることはしなかった。
昴は、技術者になることこそできなかったが、アンドロイド事業を展開する会社に就職することができ、その中でも多少なりともアンドロイドの開発や研究に携われる職種に就くことができたのだ。
そしてその伝手を利用して、ひとつのプロジェクトを立ち上げるまでに至れた昴は、いま、そのプロジェクトの成果を目の当たりにすべく、会社の研究室のひとつの部屋に佇んでいる。
「いよいよだねぇ、
緊張した面持ちで、畳の一畳半ほどの大きさのある細長いカプセル型の箱型のベッドのようなものの前で佇む昴に、ひとりの女性がポンと昴の肩を軽く叩いて声をかけてきた。
驚いたように昴が振り返ると、女性は鼻先に下げていたメガネを指であげてにこりと笑いかけた。
「
浅生は昴がこの会社に入社した時から面倒を看てくれているベテラン職員だ。
彼女は昴のリクへの想いを汲んでくれ、今回のプロジェクトを実現させるために大いに協力してくれた。昴にとって恩人とも言える存在だ。
「なぁに、そんな情けない声と顔はぁ。長年の夢だったんでしょ? 嬉しくないの?」
「嬉しいですよ……でも、なんか……本当なのかなって……」
消え入りそうな声で弱音とも取れる言葉を吐く昴に、浅生は目を吊り上げるように見開いて、そして破顔して彼の肩をバシバシと叩く。
「い、痛いです、浅生さん……」
「痛いならいま目の前のことは現実なんだよ、井筒君! うちの優秀な技術者たちが肝いりで取り組んだプロジェクトなんだから! 大丈夫だよ!」
浅生の言葉に、昴は苦く笑いながら頷き、そして、目の前のカプセルを見つめた。その瞳は、醒めることない魔法の眠りにつく愛しい人を想う眼差しをしている。
愁いすら帯びたその眼差しを、浅生は隣で見つめながら溜息をちいさく吐いた。
昴にああは言ったものの、プロジェクトはこの日を迎えるまでになかなか多難の日々だった。
プロジェクトそのものを立ち上げるだけでかかった歳月だけでも十年近くを要していることから考えると、いかに難関だったかがうかがえる。
名目上、このプロジェクトはアンドロイドの更なる機能充実のサンプルを取るために実行される運びとなったもので、プロジェクトの内容自体は旧式アンドロイドの復元、という、プロジェクト的にはそう珍しくもなく、寧ろ容易とも言える部類に入るもののはずだった。
しかしプロジェクトにメインで使われるアンドロイドは三十年近く前に製作された旧式も旧式のもので、その部品はもはや博物館保管レベルの物ばかりだったのがまずネックだった。復元参考にする部品の調達が容易ではなかったからだ。
加えて、そのアンドロイドは使い込まれていて消耗が激しく、そのままのボディでの復元はかなり難しいと技術者群から告げられた。
メモリーさえ取り出せれば、ボディを最新のものに切り替えて新たに復元することも可能なのだが、プロジェクトを立ち上げた張本人である昴のたっての願いで、ボディはできる限りそのままを使うことが優先された。
この点はアンドロイドの機能サンプルを取ることに多少影響が出かねないために、会社側と昴との折り合いをつけるのに時間を要したことが大きい。
更にアンドロイドからのメモリーの取り出しと、消耗されてしまった部位の復元と交換、完全に機能を失っている電源機能の復元などなど、部品の希少さからなどからその復元作業だけでもそれぞれ数年を要する大事業だった。
それだけのコストを要しても尚、必ずそのアンドロイドが復元されるとは限らない。電源機能はじめ諸々を復元しても、ボディそのものが古いため、稼働するかどうかが未知数だからだ。
最悪の場合、完全に復元できないところまで故障してしまう事態だって起こりえる。
その点を、昴は不安視しているのだろうと、浅生は察していた。それだけ、彼にとって思い入れのある大切なアンドロイドであることも。
緊張と不安のあまり青ざめてさえ見える青年の肩を、浅生はもう一度、しかし先程よりやさしく叩く。
「大丈夫だよ、井筒君。きっと、リクは目覚めてくれるよ」
「……はい。」
浅生の言葉に、昴は弱く笑ってうなずく。その笑みにはかつての幼さがにじんでいる。
幼い頃失った光が、いままた
回り道して辿り着いた夢の実現を前にして、昴は震えだしそうな自身を落ち着かせようと何度も深呼吸した。
呼吸を整えて気持ちが落ち着いたらしい昴が顔をあげて、隣に控えていた浅生に目配せで合図を送る。
浅生がそれを受けて、手許のパネルを操作した。部屋中に、無機質な声のアナウンスが響き渡る。
<――RS0412、リ・ボーン開始します……動作パネルが止まるまで触れずにお待ちください……>
アナウンスと共に、警笛音のようなアラーム音が鳴り、低い轟音と共に部屋に鎮座しているカプセル型の箱の蓋がゆっくりと開かれていった。
カプセル型の箱の中には、本プロジェクトで復元されたアンドロイド・RS0412、つまり、かつて昴のシッターロイドをしていたリクが眠っていて、“彼”が目覚めれば、プロジェクトは大成功と言える。
フタが完全に開ききって、数秒の間があった。研究室内は水を打ったかのように静まり返っていて、周辺機器が稼働する低い稼働音だけが響いている。
フタが開けられて、どれだけの沈黙が流れただろうか。永遠にすら思えたその空気を断ち切ったのは、ゆっくりとカプセルの中で起き上がったリクの一言だった。
『――……昴? 宿題は、終わったの?』
稼働中に強制終了がかかったアンドロイドのメモリーは、再稼働すれば動作を止めた瞬間からメモリーの読み込みが始まる。だから、いまリクが口にした言葉は、あの日の昴に向けての言葉だった。
リクの言葉が聞こえた瞬間、研究室内に控えていた昴と浅生以外の研究員、技術者達は歓声を上げた。プロジェクトは大成功だ。
目覚めたばかりのリクは傍らに立つ青年が、かつての幼い姿の昴と似ても似つかない姿になっていたにも関わらず、すぐにその姿を昴と認識して、まっすぐに彼を見つめてそう言ったのだ。
昴は、リクが無事に目覚めた事実以上に、リクが成長した自分を迷うことなく探し当てられたことを嬉しく思っていた。そしてその感情のままを、“彼”にぶつけるように抱き着く。
「――リク!!」
『……昴? どうしたの、そんなに泣いたりなんかして……』
自分を抱きすくめる昴の眼が濡れていることに目ざとく気付いたリクが、あの頃と変わらない笑みでそう呟くと、昴は潤んだ眼元を指先で拭いながらこう答えた。
「宿題、終わったよ、リク。さあ、あったかいココアとクッキーでおやつにしようよ」
大人の声色になった昴の声を認識しながら、リクは徐々にその高い学習能力で成長した姿の昴を新たにインプットしていく。
アップデートによりそのスピードはかつてより速く、即座にリクはいまがあの日から十数年の月日が流れていることを察知した。
随分と長い間“眠って”いたことに気付いたリクは、まるで痛みを受けたように歪んだ表情をして、自分を抱きしめている昴を抱きしめ返す。
『……ごめんね、昴。また、びっくりさせちゃったね……』
「逢いたかった……ずっと、逢いたかった……。だから僕、すごくすごく頑張ったんだよ……」
『うん、本当によく頑張ったね、昴……』
アンドロイドは涙を流さない――なのに、昴と抱き合う“彼”の頬には、確かに透明な雫が伝っているように、その研究室に居合わせた誰もが見えたという。
それは科学の常識を超えたなにものかが見せた奇跡というものなのか、それともただの見間違えなのか――真相は、ふたりだけが知る秘密だ。