【二十】
そういえば、俺は最近気がついたのだが、葉月君には噂があった。葉月君は、何でも大変有能な情報屋なのだという。情報屋とは何だ? というのが最初の感想だった。俺はそれを、廊下で、響いてきた囁き声から知ったので、当人に聞くわけにも行かないし、しばらくの間悩んだ。情報屋とは、情報の売り買いをすると言うことなのか? なるほど、考えてみるとこれまでの間、葉月君はたいてい何でも知っていたな……。情報屋だったのか、きみは。確か葉月君の家は、地方の新聞社の筆頭株主をしているとかで、本人も新聞部だ
ったな。だから情報が入ってくるのだろうか? では、侑君はと思っていたら、ある日侑君に言われた。
「誉様、写真を撮らせてくれ」
「? なんの?」
「できれば笑顔の写真が良い」
「なんで?」
「三十万円でほしいって頼まれてるんだ」
俺は無言になるしかなかった。何故俺の写真が、三十万円もするのだ。それとも『侑?君のとった人物写真』に高額がついているのだろうか。その可能性が高いな。しかし侑?君はそれを売る気なのか? そもそも写っているのは俺だぞ。誰がそんなものをほしがっているというのだ。顔に落書きでもして鬱憤でも晴らす気なのか? 別に俺の顔じゃなくたって良いだろう!
「お願いだ、誉様!」
「……分かったよ」
しかしたっての侑?君のお願いなので、俺は断れず、モナリザを召還した。菩薩よりも意味深に笑ったのである。すると何枚か俺の写真を正面から撮った後、侑君が満足そうに笑った。それから分かったのだが、彼は初等部時代は卒アル委員会、現在は写真部に所属しているのだという。大変優秀な写真家、なおいえば、写真売買屋になっているらしい。ちなみに侑君の家は、大手のセキュリティ会社で、監視カメラや警備システムが素晴らしいと評判で、高屋敷家でも使われている(ブランシェの首輪のGPSもそうだ)。砂川院家や存沼家の監視カメラも、侑君の家の会社のものだと聞いたことがある。
俺の周りのまっとうだと思っていた二人は、そんなことはなかったのだ。
なんてことだ。
そしてその二人と仲が良い(と、俺は思っている)せいなのか、次第に学内中のありとあらゆる情報が、俺のもとに集まるようになってきた。主に悩み事や相談事、もめ事だ。そんなもの俺に言われても困るのである。
今日なんて、数学教師の梁田先生を巡る三角関係の話題が入ってきた。勿論梁田先生は、「生徒とはつきあえない」と断言しているそうだが、周囲では二人の生徒がもめていて、梁田先生は休み時間中二人の生徒からストーカーされているらしい。このままではいつか、刺されるのではないかとまで噂されているそうだ。
いや、それは警察のお仕事だろう。まず少なくとも、俺よりは、風紀委員会の仕事だ。
そう判断して俺は、この話を西園寺の耳に入れるべく、風紀委員室へと向かった。事の子細を西園寺に伝える。すると。
「そうか。処理をしておいてくれ」
「え?」
「お前ならできるだろう、高屋敷」
俺は思わず目を伏せ、口元の笑みだけは崩さないように頑張った。
なんだって? 何で俺が処理をしなければならないというのだ……。
しかし一度聞いてしまった以上、そして西園寺に頼まれ(?)てしまった以上、放っておくのも気が引けた。俺は平穏に暮らしたいのにな。我関せずでいたいのにな……。
仕方がないので俺はその日の昼休み、それとなく職員室前に待機した。梁田先生は、二人の生徒をおそれて、学食では食事をとらず、職員室で昼食をとると聞いていたからだ(勿論葉月君からだ)。先に梁田先生が職員室に戻っていたらどうしようかとも思ったが、先生は丁度良く現れた。そして二人の生徒が、言い争いをしている。
「先生は僕のものなんだからね!」
「何言ってるんだ! 俺のに決まってる!」
梁田先生は疲れきったような顔で、足早に歩いていた。かつて担任をしてもらった身としても、さすがに哀れになった。
「二人とも、梁田先生が困っているよ」
俺は菩薩を召還した。思わず指で印相を作りそうになったが、こらえる。すると二人が同時に動きを止めて顔を見合わせてから、ゆっくりと俺を見た。そして目を見開き、息をのんだ。顔色が目に見えて悪くなっていく。何故だ。そんなに俺の菩薩顔は気持ちが悪いとでも言うのか。
「恋をするのは自由だけどね、その想い人に迷惑をかけてはいけないと僕は思うよ。これ以上稑生内で騒ぐとしたら、見過ごせないな。ローズ・クォーツの一員として」
勿論学園外でも騒いじゃ駄目なんだけどな。そんなことを考えながら俺は、俺の言葉だけではどうにもならないだろうと判断して、わざとローズ・クォーツの名前を出した。俺には威厳がないが、このソサエティの名前には流石に歴史と威厳がある。効果を発してくれ。
というか、気づけば俺、ローズ・クォーツのメンバーなんだよ、本当。みんなにひれ伏されていても不思議ではない。まぁそうならなくて良いんだけどな。目立ってしまうし。
「誉様……誠に申し訳ございません」
「誉様……お、俺は、二度と先生にご迷惑は……」
よし、ローズ・クォーツ効果が聞いたようだった。二人が真っ青になっている。流石はローズ・クォーツの名前! もっともそれを発したのが俺だから、そんなに怖くないとは思うのだ。もしこれが在沼だったら、二人の心臓は止まっていたかもしれないな。
「そう。それなら良かった。そろそろ昼食だから、二人とも戻ったらどうかな?」
俺の言葉に二人は息もぴったりに「「はい」」と言い、走り去っていった。その後、俺も帰ろうとしたら、感涙した様子の梁田先生に「ありがとう」とお礼を言われた。
そんな俺の日常での変化はと言えば、習い事だ。終日、定期試験前状態の勉強生活に変化したのだ。高等部からは授業速度が激化するため、今からみっちりと予習復習をさせられているのである。家庭教師の先生が来ない日はない。ただ、これまでよりも、来てくれる時間が一時間ずつ遅くなった(その分遅くまでいるのだが)。だから、放課後に少しだけ時間がとれる日が増えた。
しかしせっかくのその時間も、中学最後の文化祭のために、大幅に削られた。幸いだったのは、今年の全体劇に出なくて良いと言うことだった。俺にも二次性徴が来たため、東北弁白雪姫の白雪姫役には、有栖川君が選出されたのだ。相手役は勿論存沼だが。有栖川君よ、あの鬼の指導に引いて別れたりしないでくれよ……! いや、存沼も恋人には優しいのかもしれない。そう祈ろう。なお相手役の発表の際も、葉月君に言われた。
「残念ですね……」
「ううん。有栖川君なら見事に演じきってくれるよ」
全く残念ではないので、穏やかな気持ちになって笑うと、何故なのかしょんぼりされた。だから何故悲しそうな顔をするのだ。いい加減やめろ。鬼子母神を召還するぞ。
ともかくそういった経緯で、俺はクラスの模擬店にのみ参加すれば良くなった。準備に追われるうちに当日はすぐにやってきた。俺は三葉くんとクッキーを売った。普通に売った。ひたすら売った。在沼は有栖川君にべったりだし(鬼の指導の他、一緒に見ても回るのだろう)、生徒会の雑事があるらしく和泉もいないし、行事と言えばその度に見回りがあるから、西園寺の姿もない。客足はじょうじょうで、無表情の三葉君をおそれずに、一度で良いから三葉君にクッキーを手渡されたいという生徒や父兄であふれかえっていた。すごい人気だった。俺は、三葉君に群がることができない人々の対応に追われた。中にはお世辞で、「誉様からどうしても、いただきたかったんです」なんて言ってくれる生徒もいた。だが俺は、そんなお世辞を男に言われても嬉しくなど無いので、菩薩に頑張ってもらい、笑いながら「ありがとう」と言っておいた。
なお、この文化祭を最後に、生徒会長は引退し、生徒会選挙がある。
風紀委員長の選出もこの時期だ。委員長も入れ替わる季節なのだ。
そのせいだろう、文化祭以後、和泉と西園寺への告白が目に見えて増加した。西園寺は一蹴しそうだから、別に良い。問題は、以前変態に絡まれていると言って、真剣に恋人を探していた和泉だ。変態効果で和泉が同性に転ばないように、俺は珍しく慰める気になった。
「和泉、大丈夫?」
「ああ、誉。まぁ、な。断るのは、なんか悪くて、気疲れはするけど」
「――エドさんとの事なんだけど」
俺がそういうと、和泉が硬直した。そして次第に頬が赤くなり始めた。完全に真っ赤になるまでにそう時間はかからなかった。何かあったな。何があった。俺も硬直しそうになったが、その前に今度は和泉が、真っ青になった。一気に表情が変わった。この反応は何なんだ? どう判断すればいいのだ?
「俺はただ、香水が好きなだけなんだ……」
ようやく返ってきた和泉の言葉は、意味不明だった。そんなことは俺だって知っている。何せ今でも、和泉の周囲には良い香りが漂っているのだからな。じっとそれを見守っていると、次第に和泉の瞳が輝きだした。それから先ほどとは違った意味で、頬が紅潮し始めた。これは、まずい。三葉くんが株の世界に行くときと同じ表情だ……!
「じゃあね、和泉」
俺は心がけて大きな声を放ち、和泉を現実世界に引き戻した。
「あ、ああ」
何とか和泉が我に返ってくれたので、俺はこれ以上悪化して香水談義に巻き込まれないうちにと、その場を後にしたのだった。
他には一つ気になることもある。存沼と有栖川君が一緒にいる頻度が減った気がするのだ。もう付き合いになれてきて余裕が出てきたからなのか、それとも鬼の指導が予想通り行われていて、有栖川君が嫌気を指してしまったのだろうか。存沼に聞いてみたら、「気になるか?」と言われたので、それ以上聞くのはやめた。少しは気になるが、そんな風に言われるほど気になっているわけではない。はっきりいえば、どうでもいい。勝手にやってくれと言うのが素直な心情だ。俺が巻き込まれなければ何だった良いのだ。
そして卒業式が訪れた。
ローズ・クォーツの後輩や、図書委員会の後輩、後は有栖川君などから花束をもらった。なんだか幸せだな。そう感じていたら、話があると永原君に呼び出された。なので人混みを縫って、桜の木の下に行くと、真っ赤な顔をした永原君がいた。
「誉様」
「どうかしたの?」
「好きです」
直球な告白だった。目が潤み、俺のことを見上げている。なんと言うことだ。全く気がつかなかったよ。考えてみれば、やはりお土産を渡したときの涙は、うれし泣きだったのだろう。なんと言うことだ。ここで気まずくなって、折角の仲の良い後輩を俺は失いたくなかったが、こればかりはどうしようもない。俺は菩薩もモナリザもマリア様も全てを召還して、頬を持ち上げた。頑張れ頑張れ頑張れ俺の表情筋よ!
「僕も永原君のことを、後輩として好きだよ」
「後輩として……それ以上には見てもらえませんか?」
「ごめんね」
可哀想になってしまうくらい、永原君は泣きそうだった。しかし永原君はそれをこらえるように、微笑した。
「じゃあこれからも、後輩として好きでいてもらえますか?」
なんて良い子なんだ。俺だったら、ふられたら二度と会いたくないけどな。
「もちろんだよ」
そういって僕が微笑すると、永原君が小さく頷いたので、俺はその場を後にした。
そして歩いていたら、存沼が立っていた。
「OKしたのか?」
「何の話?」
何事かと思っていると、存沼が何故なのか真剣な顔で俺を見た。最近の存沼は色気がましていて(だから男相手に俺はなんて事を考えているんだ)、こういった表情の時に視線が合うと、思わずドキリとしてしまう。本当にいろいろな意味で心臓に悪いやつだ。ハラハラさせる言動は最近影を潜めているが、それだっていつまで持つか分からない。
「告白されたんだろう?」
「うん……勿論断ったよ」
「当然だな」
その言葉に、俺は、存沼もようやく俺が異性愛者だと気づいたのだなと嬉しくなった。だから思わず、心から笑ってしまった。ようやく存沼の目が正常になったようだ!
そんなこんなで幸せが増した卒業式だった。だがまだ俺は、戦々恐々としていた。高等部に入るまでは油断できない。そう考え直して顔を引き締めた。
――そして。
やったー!! 共学化しなかった!! 名簿を見てもヒロインのデフォルト設定の名前は無い!!
俺は歓喜のあまり、クラス分けの紙の前で、踊り出しそうになった。
全校生徒の名前をくまなく見たが、どこにもその名前はなかった。
男子校だから当然と言えば当然なのだが。設定ヒロインは女の子らしい名前をしていたからな。名前が乗っていたら目だっただろう。
しかし良かった! いや……名前は変換自由だったし、まだわからないが……。そう考えると憂鬱だった。
ちなみに高等部初のクラスでは、俺は西園寺と一緒になった。西園寺は風紀委員の仕事であまり来ないだろうし、俺が単独でなったようなものだ。きっと非常に居心地が良い一年になることだろう。他の誰かと一緒だと、手紙を渡してくれだの何だのと忙しないからな。
そして中等部と高等部は同じ敷地内にあるので、さして変化は感じない。変化など外部入学生くらいのものだが、俺は念のため全員の顔を見に行ったが、設定ヒロインに似た顔つきの人は誰もいなかった。心底安堵した。
そんなことをしているうちにすぐ、(俺の体感で言う)二学期が訪れた。高等部では、一年後期から二年前期が、生徒会と風紀委員の任期なので、再び和泉が生徒会長になり、西園寺が風紀委員長になった。ほぼ中等部から持ち上がりなのが、毎年の慣例らしい。当然か。仕事内容も熟知しているだろうしな。二年後期からは何をするのかと言えば、当然受験勉強だ。俺もそろそろ進路を考えなければならない。今後まかり間違って、設定ヒロインと関わることになった場合(もうここまで来たらフラグはへし折れているのだと祈るしかないが)、高屋敷家は没落する可能性が高い。
お年玉貯金で五年は暮らせるだろうが、弟の朱雀のことなどを考えると……俺が家族全員を養わなければならない未来も思い浮かび始めた。なにせ両親には、生活能力など無い。お手伝い様、様々なのである。だとすれば、安定した仕事が良いだろうな。もしこのままの成績を維持できれば、俺はそこそこの大学には入ることができると思う。設定ヒロインが来なければ、付属の大学にも難なく進学できるだろう。
これから三年間乗り切れば、俺の内申点はそれほど悪いものにはならないだろうしな。よし、上級公務員を目指そう。俺は官公庁に入ってやる! だとすると、自ずと学部も決まって……こなかった。どうしたものか。漠然とした目標だけでは、どうにもならない。俺は前世知識があるから、これまでの間、フラグをへし折ることに必死で、将来の夢など抱いては来なかった。しかしこの一年を乗り切れば、文理でクラス分けもあるし、高屋敷誉としての将来像も考えていかなければならないだろう。前世での俺は、ゲームに関わる仕事に就ければ何でも良いと思っていた。では、今は?
順当に行けば、高屋敷家の跡取りだ。俺に何かあれば、朱雀が跡取りになるだろう。何か無いことを願うしかないが。だが、夢、か。暫く考えてみよう。それに誰かに聞いてみようか。と言うわけで、同じクラスだから珍しく顔を出した西園寺に聞いてみた。
「西園寺って将来の夢はある?」
「夢? まぁ、つっこむ事だな」
何につっこみを入れるのだろうか? 西園寺はまさかお笑い芸人になりたいのだろうか? やめておけ、君の将来は、自分で設立した会社の経営だと設定されているのだぞ! 確か設定では、すでに会社を設立していたはずだ。学校の傍ら、仕事上の盟友(名前も姿も出てこなかった)と、中学時代から企画し、高等部一年になるのとほぼ同時に会社を設立している設定だった。そんな話をしていたら、高崎君がやってきた。
「あ、西園寺様、誉様、ちょっと良いですか?」
「どうかしたの?」
「なんだ?」
「前に廊下でドイツ語の話をしてましたよね? ドイツ語で、『14時に待っている』ってどう書くんですか?」
そういえばそんなこともあったな。見ていたのか、高崎君。俺は、西園寺が書いてあげているそばで(だって俺はかけないし)、葉月君と高崎君はうまくいっているのだろうかなんて考えていた。しかし何故ドイツ語なんだ? 西園寺の身元がばれたか、あるいはドイツ語講座の時に一緒にいた三葉君に告白するつもりか……? だけど葉月君から別れたという話は聞かないな。
ちなみに高等部になっても、西園寺と存沼のおいかけっこは続いている。最近は頻度が減ったが、西園寺が怒鳴っている姿は今でも良く目にする。
ただ有栖川君といる頻度が減ったから、俺と存沼が付き合っているという噂が激化しているらしい。有栖川君本人にもまた呼び出されて、ただ今度は悲しそうな顔ではなくごく普通に「雅樹様のことが好きなんですよね?」と言われた。当然そうなのだろうなと暗に言われていた。やめてくれ。葉月君と侑?君も相変わらずで「今こそが絶好のチャンスです」などと言ってくる。何のチャンスだよ。そのほか俺の知らない生徒にまで、「存沼様との仲はどうですか?」などと聞かれ、高崎君にも昼崎君にも沖沼君にも尋ねられた。俺は今年に入って、何度菩薩を召還したことだろうか。俺の表情筋もそろそろ疲弊しきっているぞ。笑顔が引きつりそうだ。
そしてとうの存沼はと言えば、最近『真実の愛』について考え始めたようだった。
何してるんだよ、今更。安心しろ、今のお前でも重すぎるくらいだろうからな。
「やっぱり一緒にいて安心して、心配になって、ドキドキする相手だよな」
俺に同意を求めるな。知らん。そんなことよりも、お前も噂を払拭するためにどうにかしろ!
その内に、定期試験が三日前に迫った。これからは上位三十位まで張り出される形になる。本当、三十位で良いから、名前がのりますように……! 体感で言う一学期には何とか名前がのったのだ。祈りながら、今回ばかりは学校でもそれとなく、休み時間に教科書を眺めていた。すると眠そうな顔で西園寺が学校へとやってきた。やはり今回は、いくら西園寺でも勉強をしているのだろうか?
大事件が起こったのは、その定期試験あけのある日だった。