【第八話】魔王、治癒魔術を使う。
教会に到着すると、リザリアは慣れた様子で付属する孤児院の裏口へとまわった。大人しくついていった俺は、彼女がノックをしたのを見ていた。すると少しして、先日ルゼラと一緒に笑っていた幼い少女が顔を出した。
「ルゼラの調子はどう?」
「リザリア様……今、すごく具合が悪いみたいなの」
「そう。案内してくれるかしら、ナータ」
リザリアは少女の髪を撫で、ナータと呼んだ。頷いたナータが中へ引き返していく。するとリザリアが中へと入ってから、俺に振り返った。
「こちらです」
「うん」
頷き俺もまた、孤児院の中へと入った。そして二人でナータのあとに続いて進んでいき、古めかしい軋んだ階段を上がる。案内されたのは二階の小さな部屋で、ナータが扉を開けると、咳き込む音が聞こえてきた。中を一瞥し、思わず俺は双眸を細くした。そこには、両手で口を押えて、吐血しているルゼラの姿があった。細く白い指の合間から、赤い血が零れ落ちている。魔力過剰症の症状の一つに、体の中にたまった強い魔力が内臓を傷つけるというものがあるから、すぐにそれだろうなと俺は判断した。
リザリアが走り寄り、ルゼラの体を支えて背中を撫でている。リザリアはそれから縋るように俺を見た。頷きつつ、俺は治癒魔術でルゼラの体の周囲の魔力膜の状態を確認する。ところどこに穴が開いていて、そこから外に魔力が流れ出している。かなり強い魔力があるせいで、体の内外にきちんととめおいておく事が出来ない状態だ。勇者パーティにいた魔術師と同じ状態である。
歩み寄った俺は、ルゼラへと右手をかざした。脳裏で魔法陣を描くと、淡い白の光が、俺の掌の前に浮かび上がる。それらがルゼラの体に入るように念じると、少しして破れていた魔力膜が形を正確に取り戻し、彼女の周囲で人のような形に変化した。するとその膜と体の間に、身体内部で内臓を傷つけていた魔力がきちんと流れ出したのが見えた。あとは、内臓の治癒だが、こちらは医療魔術でも可能だ。けれど折角だからと、俺は治癒魔術の魔法陣を新たに脳裏に思い浮かべて、体を癒す治癒魔術を放つ。するとルゼラが目を大きく開き、驚いたように掌を見た。そこはまだ血で濡れてはいたが、既に吐血が停まっているのが分かる。恐らく先程まで全身を痛みが苛んでいたせいなのか、ルゼラの瞳はまだ生理的な涙で潤んでいた。
「痛みはどう? 体は辛くない?」
リザリアの隣に俺もしゃがんで、改めてルゼラを見る。すると驚いたように俺を見たルゼラが、大きく何度も頷いた。ただ――辛くても我慢しそうだなという印象があったので、俺は一応ステータスで体力を確認してみる事にした。
……HP(体力)は、無事に全回復している。MP(魔力)の値も、振り切れていたのが、正常値の範囲に戻っている。これならば問題はなさそうだ。と、見ていき、ふと好感度を見て、俺は何とも言えない気持ちになった。好感度が、50%になっている。大親友一歩手前だ。いや、そりゃあ体を楽にしてくれた相手を信頼するのは分かるが、ちょっと上がりすぎでは無いだろうか。それとも、誰でもこうなのだろうかと考えて、俺は比較するべく、そっとリザリアのステータスを見てみた。
――32%。
こちらも友情ラインを超えている。これは俺にとっては嬉しくもある。親睦が深まったという事だ。それもかなり大幅に深まった。婚約の円満解消を言いだせる中に、また一歩近づく事が出来たという証だ。俺はこちらの方に嬉しくなってしまったが、表情にはそれを出さなかった。
リザリアの好感度があがったのは、やはり一緒に頼みを叶えるかたちでここへと来て、治癒魔術を披露したからだと思う。
「ありがとう、グレイル」
目が合うと、リザリアにそう言われたので、俺は頷いておいた。するとルゼラが俺を見た。
「体が辛くなくなりました……! 痛みも全然なくなって、え? 嘘……体が軽い!」
ルゼラの表情が、明るいものへと変わった。俺は水属性の魔術で、その場の血などを消失させてから、静かに伝える。
「また苦しくなったりしたら、声をかけて。今度は、ここまで悪化する前に。俺、大体の場合は暇だから」
あくまで大体の場合であり、たとえば睡眠に忙しかったりと、色々多忙ではあるが、社交辞令としてそう告げておいた。するとルゼラの瞳がキラキラしたものへと変化し、リザリアの表情にも柔らかい笑顔が浮かんだ。
「ルゼラ、今日はまだ、ゆっくり休んでいた方がいいと思うの。無理はしないでね」
「ありがとうございます、リザリア様」
二人のそんなやり取りを見てから、この日は用件も済んだので、俺とリザリアは帰路についた。孤児院を出て細い路を歩きながら、リザリアが俺を横から見上げる。
「何?」
視線に気づいて俺が問うと、リザリアが微笑した。
「技巧を賞賛したい気持ちもあるのですが――それよりも、ルゼラが助かった事と、貴方が助けてくれた事が嬉しくて、本当に……よかったと言えばいいのか、嬉しいと言えばいいのか……ありがとうございます、グレイル」
「別に。君が俺に言わなければ、治癒魔術を使う機会も無かったし、リザリアがルゼラを心配した結果、たまたま俺が治す手段を持っていたってだけじゃないかな」
「謙虚なのですね。紛れも無く治してくれたのは、グレイルです。いつかお礼を致します」
お礼は、婚約の円満解消がいい! と、俺は言いたかったが黙っておいた。
こうして王都の大通りまで歩いてから、一度貴族街の俺の家まで戻り、そこに停まっていた馬車に乗り込むと、リザリアは帰っていった。