【三十六】涙の理由
山縣は今日も既に、外に出ている。
事件の捜査に向かったのだろう。
それでも明日は、夏休み明けテストだからと、僕はノートを開いた。
しかし眠気がやってきて、僕はそのままテーブルに両手を預けて微睡んだ。
「ん……」
ふと、なにか温かい感触がしたから、僕は瞼を開けた。見れば僕の肩に毛布を掛けようとしている山縣の顔が、至近距離にあった。まっすぐに目が合うと、山縣が僅かに頬を染めて、顔を背けた。僕はその反応の意味がよく分からなかった。
「風邪をひくだろ。こんなところで寝てんじゃねぇよ」
ぶっきらぼうにそういうと、山縣が立ち上がって、二階へと消えた。
僕は毛布を片手で握りながら、山縣は照れていたのかもしれないと気が付く。
山縣は、なんだかんだで、とても優しい。見えにくい優しさだし、不器用な優しさだけれど、僕はそんなところも、とても好きだ。
けれど――あんまりにも置いて行かれてばかりだから、時々苦しくなる。
本日も、俯きながら、僕は肉じゃがを作っていた。初日よりは、上達したと思っている。その時、山縣が帰ってきた。僕は鍋から顔を上げて振り返る。
「おかえり」
「おう」
「すぐに珈琲を淹れるね」
「ああ」
ソファに座ってネクタイを緩めている山縣に、僕は珈琲を淹れて差し出した。
受け取って山縣が飲み始める。
「腹が減った」
「あ……肉じゃがを作っておいたんだけど」
「――へぇ」
「すぐに用意するね」
僕はキッチンへと戻り、テーブルに食事を並べた。すると山縣がやってきて、椅子に座った。対面する席に僕も座り、「いただきます」と手を合わせる。
こうして夕食が始まった。
すると山縣が、僕をちらりと見た。
「おい」
「ん?」
「その……この前、お前キャンプに行きたそうだったけど、行きたいのか?」
「っ……うん。でも、山縣は忙しいんでしょう? 無理に行かなくていいよ」
僕が微苦笑すると、肉じゃがを食べながら、山縣が呆れたような眼をしていた。
「はぁ。しかし美味いな」
「――え?」
「ほっとする味だな」
「!」
僕はその声に、耳を疑った。
山縣の口から、「美味しい」という言葉が出たのは初めてだった。
驚愕した僕は、それから胸に歓喜が満ち溢れたことに気づいた。
気づいた理由は、それが涙となって、目から零れ落ちたからだ。嬉し泣きだ。
「朝倉?」
「っ、あ、ごめん」
「なんで泣いてるんだ?」
僕は慌てて涙をぬぐう。山縣が僕を怪訝そうに見ている。
僕は必死で笑おうとしたのだけれど、嬉しくて涙が止まらない。
すると珍しく山縣が、おろおろするような顔をした。
「そんなにキャンプに行きたいのか?」
「そ、そういうわけじゃ――」
誤解されたことすら、嬉しさに変わる。
山縣が、僕を気遣ってくれているのが嬉しい。
「仕方ねぇな。行ってやるよ」
「!」
こうして僕達は、探偵機構主催のキャンプへと行く事になった。