第十話 アデー
会議室に入ってきた、ミトナルの肩に座っていたマヤがいきなり、アデレード=ベルティーニ・フォン・トリーアを愛称で呼んだ。
呼ばれたアデレード=ベルティーニ・フォン・トリーアも、目を”パチパチ”して、マヤを確認している。
そして、不思議な物を見たような表情で、マヤと名前を呼んだ。
知り合いのようだ。
そして、俺がアデレード=ベルティーニ・フォン・トリーアを知っている事が前提にあるようだ。
アデレード殿下を見ると、俺を見て少しだけ困った表情をしている。
何に、困ることがあるのだろうか?
「マヤ」
「何?」
マヤが、空中を飛んで俺の所まで来る。
皆の視線が、マヤに集中する。
「マヤ。アデレード殿下を知っているのか?」
「え?リン?え?リンは、覚えていないの?」
マヤは、驚いた表情をするだけではなく、俺の前でバク転のように回転する。
驚いた表現なのはわかるが、スカートでする事ではないぞ?
「ん?」
「リン?アデーだよ?ほら、あの・・・」「マヤ様!」
マヤが何かヒントを出そうとしたのを、アデレード殿下が遮った。
それも、顔を真っ赤にして、耳まで赤くしている。
ん?
あの表情は、見覚えがある。
”神崎凛”の記憶が蘇る前だ。子供の頃。そうだ。マヤが家に来て・・・。マヤが、俺を兄と認識して、付いて回るようになった頃・・・。
一人の少女を思い出した。
面影が、目の前に居るアデレード殿下に重なる。
「あ!」
全ての記憶がつながった。
あの時は、ニノサが少女を連れてきた。
”2-3週間。家に居てもらう”サビニも承諾していた。サビニの”遠縁の子”だと紹介された。いい服を着て・・・。
そうだ、アゾレム領に行く途中で、ニノサが攫ってきたと説明された。
貴族の子だと認識していた。
『話が立ち消えになるまで、”家で匿う”』と説明をされた記憶がある。
マヤの後ろに隠れて泣いた。
俺の服の袖を握りながら泣いた。
枕に顔を押し付けて泣いた。
夜に空を見ながら泣いていた。
「泣き虫アデー?」
俺の呟きは、アデレード殿下にしっかりと聞こえていた。俺が思い出したことを嬉しそうにしたが、そのあとで、いろいろ俺が思い出したのを感じて、顔を伏せた。
「その呼び名は・・・」
絞りだした声は、恥ずかしさに耐えているようにも思えた。
「確か、寂しいからって、森に逃げて・・・」「あぁぁぁ!!ダメ!」
なぜか、サビニに、俺が怒られた。理不尽に思った・・・。記憶が蘇る。
お兄さんや家族の事を思い出して、夜中に泣き出して、森に入ろうとして、止めた俺が怒られた。
本当に、いろいろ思い出した。
マヤとアデーが森に行きたいと言い出して、辞めておいた方がいいと言ったのに、俺を付き合わせて・・・。あの時は、角ウサギだったからなんとかなったけど・・・。
「・・・。ん。思い出した。そうか、あの女の子は、アデレード殿下だったのですね」
真っ赤な表情で、アデレード殿下が頷く。
プルプル震えている。羞恥を感じているのだろう。
いろいろ恥ずかしい事をしたと自覚しているのだろう。
「そうそう!皆で森に出かけて」「ダメ!マヤ!ダメ!」「マヤ!」
その話は俺も思い出したけど、話してはダメだ。
アデレード殿下の尊厳が・・・。子供の頃の話だとしても、軽々話すのはダメだと思う。
マヤが可愛く首を傾ける。
「そうだ。なんで、アデーが居るの?そもそも、アデーだよね?」
本当に、空気を読まない。
でも、今は、そんなマヤの態度に救われた気持ちになっている。
アデレード殿下の事はお願いされたが、詳しい話は聞いていない。ルアリーナは、何か知っている可能性があるが、全員に知らされている可能性はないと思っている。サリーカは、完全に聞くつもりで挑んでいるのが解る。タシアナも同じだ。
でも、”今”聞かなくてもいい。まずは、神殿の話を進めた方が良い。
「マヤ。アデレード殿下は」「リン様。私から、マヤ様に、そして、皆さんに説明をします」
「いいのか?」
「はい」
部屋を見ると、俺とマヤとタシアナとイリメリとルアリーナとサリーカとフェナサリムだけになっている。
このメンバーだけが残されている理由は、解らない。
そもそも・・・。オイゲンは?
ミトナルが、扉の前で気配を消している。
俺に視線を送っているのはわかる。
そうか、ミトナルが、ごく少数だけの状況にしたのだな。
このメンバーが選ばれた理由は、同級生たちだけ残した?
だれの依頼なのか?
アデレード殿下を指さしている。
この状況は、アデレード殿下の・・・。違うな。
声に出さないようにして、思い当たる人物の名前を口ずさんだ。
ミトナルが頷いた所から、間違っていなかったようだ。
”なぜ?”と、いう思いはあるが、俺たちの状況や明確に敵になりそうな者たちを知るには都合がいい。
俺が、ミトナルとアイコンタクトで会話をしている最中に、アデレード殿下は、現在の王国の状況を説明している。
ルアリーナやサリーカが補足をしていることから、まだアデレード殿下の事情には踏み込まれていないのだろう。
イリメリやフェナサリムの質問を挟みながらだが、事情は理解ができた。
明確な敵ではないが、宰相派閥と教会の一部が、王家を乗っ取ることを考えて暗躍していると考えていいだろう。
「ねぇねぇそれで?アデーは、アデーだよね?」
さすがは、マヤ。
「えぇ。マヤ。私は、子供の時に、サビナーニ様に助けられて、ニノサ・フリークスを頼って、ポルタ村の端にあった家で過ごした『アデレード=ベルティーニ・フォン・トリーア』です。当時は、アデーと呼ばれていました。マヤ。久しぶり」
さすがは、王女殿下だ。にっこりを笑う顔が可愛い。所作が綺麗だ。感心してしまう。
「よかった!アデー!久しぶり。そういえば、ねぇねぇアデー」
「なんでしょう?」
「いまでも、リンのこと」「あぁ!!!!マヤ。マヤ!何を言って、そうだ。マヤの事を教えてください。なんで、そんな姿に?何があったのですか!」
アデレード殿下は、いきなり王女殿下の佇まいが崩壊してしまった。
マヤの前では、取り繕ってもしょうがないと思わなければダメだ。
「ん?あぁ・・・。長くなるから、先にアデーの話を聞かせて!」
マヤは、自分の話は、面倒に思って、俺に丸投げするつもりなのだろう。
「わかりました。あとで、しっかりと聞かせてください」
「うん!ミル!リン!お願い!」
やっぱり。俺の予想通りの言葉だけど、ミトナルにも声を掛けるのは、マヤとしても何か考えているのだろう。
「わかった」「うん」
急に、扉の方から声が聞こえて、皆が振り返る。
そして、部屋に居るのが自分たちだけになっている状況に気が付いたようだ。
アデレード殿下の事情を知るのは少ない人数の方がいいのだろう。
「お兄様の指示で、私は王都から逃れて、
俺が考えていた以上に緊迫した状態だったようだ。
「王女殿下の命を狙っているのは?」
サリーカだ。アデレード殿下は、取り繕ってもしょうがないと考えたのだろう。アデーと呼んで欲しいと言い始めている。
「教会ですね。証拠はないので、お兄様とハーコムレイ様の推測ですが・・・」
「他国に逃げるのは?」
「王女が、気楽に他国に行けるとしたら幸せですね。私が国境を越える時は、婚姻の時だけです。それは、私が・・・」
拒否をしたのだろう。
そんな雰囲気をまとうが、明言はさけた。
それに、王家として、王女の命を助ける為に、他国との婚姻では足下を見られる可能性がある。相手が、教会だと表立って抗議をするのだって難しい。
宗教国家ではないが、
「でも、アデーが逃げ出しても、解決はしないよね?何か理由があったのだよね?」
マヤの容赦のない発言は、俺も思った。
逃げ出すという選択をした本当の理由は、別にあるのだろう。
今までの話を考えれば、宰相派閥との関係だとは思うが、今までの話では、逃げ出して、時間を稼いでも”解決”はしない。ローザスやハーコムレイが、敵勢力を殲滅できればいいが、難しいだろう。国を割るような状況になってしまう。
それなら、アデレード殿下は王宮に居るか、それこそ・・・。ミヤナック家の邸宅に居るほうが安全だ。
「それは・・・」
皆の視線が、アデレード殿下に集中する。