8 Caseアーリア⑧
その日の夕方近くになって、急に城内が慌ただしくなった。
こうなることは予定通りであるアンとサンクは、台所から持ってきていたビスケットとカヌレをのんびりと食べていた。
「どのくらいで始まる?」
「そろそろかな」
サンクはティーセットを片づけ、アンはベッドに戻った。
口の周りに血糊をつけて吐血を装う。
「来るぞ」
サンクは濡らしたタオルでアンの口元を拭っているポーズをした。
バンッとドアが開き、顔中に発疹を出した皇太子が駆け込んできた。
しかも腰にシーツを巻きつけただけの恥ずかしい姿だ。
少し遅れて護衛達も駆け込んでくる。
「出せ! 薬を出せ! ここに数本在庫があると医者が言っていたぞ!」
そう言うとアーリアの枕元にドカドカと歩み寄り、布団を乱暴に捲った。
全身に赤黒い発疹が出て、枕には吐血したのであろう惨状が目に飛び込む。
「ひっっっ!」
皇太子は慌てて後ずさり、自分が巻いていたシーツに足を取られて尻もちをついた。
その拍子に皇太子の大切なモノがそこにいた全員の目に晒される。
その先っぽまで出ている発疹を見たとき、全員が息を吞んだ。
「殿下! 近寄ってはいけません! 殿下!」
まだ症状が出ていない騎士が皇太子を助け起こす。
その手を振り払い、皇太子は唾を飛ばして怒鳴った。
「早く出せ! もう在庫が無いと抜かしやがった! そこにあるだけだ!」
皇太子はアーリアの枕元に置かれていた薬瓶に手を伸ばすが、カラだとわかるとその瓶をアーリアの頭にめがけて投げた。
アーリアの側頭部に当たったそれは、ベッドの脇に転がり落ちた。
アーリアは微動だにしない。
皇太子は侍女の方を振り返った。
「どこにある? 薬があると聞いたぞ」
侍女は震えながらベッドサイドの引き出しを指さした。
皇太子は乱暴に引き出しを開けて薬瓶を取り出した。
その場で一本を飲み干し、残りもすべて奪って引き上げていく。
ドアを出たところで振り向いて言った。
「そいつが死んだらゴミ焼き場で焼いておけ」
侍女は震えながら頷いて見せた。
皇太子を追って騎士達も退出し、部屋には再び静寂が戻った。
「そろそろ死ぬ?」
「そうね、早い方が良いでしょう。準備は?」
「完了してる」
「行くわよ」
サンクは部屋を出て車輪付きの荷台を持ってきた。
その中に蹲ったアンにシーツを掛ける。
化粧台の引き出しを開けて、指輪を一つ選びポケットに入れた。
城内の混乱ぶりは凄まじく、現時点で症状が出ている者は廊下の端に集められている。
まだ症状が出ていない者は口を布で覆い、症状が出ている者は泣き叫んでいた。
(どっちかって言うと逆なんだけどね……)
患者の飛沫を最小限に押さえるべきなのに、飛ばすだけ飛ばさせている状態にサンクは心の中で笑った。
(まあすぐにお薬が届きますからね~ 安心してくださいね~ ただの蕁麻疹だしね~)
心の中で言うだけに留め、黙々と台車を動かしていると、それを見とがめた騎士に声を掛けられた。
「おい! 何処に行く! それは何だ」
「これは……皇太子妃殿下の遺体です。お亡くなりになったらゴミ焼き場で焼却するよう皇太子殿下の命令です」
「そ……それは本当か?」
「はい、ご一緒におられた騎士様にご確認下さい。ここで控えておりますので」
「わかった。ちょっと待っていろ」
その騎士は近くにいた者を呼び、皇太子付きの護衛騎士に確認に走らせた。
待つ間に侍女に話しかける。
「皇太子妃殿下はいつ?」
「つい先ほどです。最後のお薬は皇太子殿下が持っていかれて、カラ瓶を妃殿下の頭に投げつけられました。恐らくその時に……」
「うっ……なんとも酷い」
騎士は侍女に掛けられているシーツを捲るように指示をした。
頭には血糊がべっとりと付き、体中を赤黒い発疹が覆っている。
遺体の表情は苦悶に満ちていた。
「もういい! 早く隠せ!」
侍女は黙ってシーツを元に戻した。
確認に行っていた騎士が、駆け寄って頷く。
「確認が取れた。行っていい。灰にしろとの事だ」
「承知しました」
侍女は再び荷車を押し始めた。
階段を降りるとき、近くにいた使用人に手を貸してほしいと頼んだが、誰一人近寄ろうとしない。
うつることを恐れているのだろう。
荷台を押す侍女の顔にも発疹が浮かんでいるのが遠目でもわかる。
「早く行け!」
恐怖に慄いた顔のメイドが乱暴な声で叫びながら、持っていた雑巾を投げつけた。
侍女は何も言わず、ゴトンゴトンと一段ずつ荷台を降ろした。
(絶対殺す!)
サンクは心の中で誓った。