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ゴッドモード、入りました……。


「タクト……なんで……」

 彼の問いかけに、俺は無言を貫く。

 やってしまった……ついに。
 身体が、勝手に動いてしまった。
 あの屈託のない笑顔を見た瞬間、身体中に電撃が走り、俺を突き動かした。

 誕生日を祝ったことで、浮かれていたのだと思う。
 一時的な感情で、彼を抱きしめてしまった……。それならば、すぐに離れたら良い。
 だが、頭からそう指示を出しても、俺の身体は微動だにしない。
 むしろ、ミハイルの身体を、もっと強く抱きしめてしまう。

「悪い。ちょっと、このままで……」
 情けない声だと思った。
 正直、殴られると思ったが、ミハイルは控えめに俺の袖を掴む。
「べ、別に、謝らなくてもいいけど……」
 顔は見えないが、きっと彼のことだ。赤くなっているのだろう。

 
 ミハイルの頭を、撫でてみる。
 小さくて、片手におさまりそうだ。
 ビッタリと密着しているから、自然と彼の長い髪が数本、鼻の前で舞っていた。

 甘い香りがする。
 なんだろう。こいつが普段、使っているシャンプーだろうか。
 癒される。


 俺がミハイルを抱きしめて、どれだけの時間が経ったのだろう。
 10分ぐらい? わからない。
 でも、今は時計なんて、確認する余裕はない。
 このあと、どうやったらいいのか、分からない。

 夜だし、静かな商店街だから、人通りは少ない。
 だが駅が近いから、何人かのサラリーマンやOLがすれ違っていく。
 それでも、俺がミハイルから、離れることはなかった。

  ※

 目の前にある街灯に、小さな埃が降りかかる。
 最初は埃だと思ったが、それは夜空から降ってきた白い雪だと気がつく。
 “反対側”を見ているミハイルも、雪だと気がついたようだ。

「あ、雪……」

 時間切れ。だと感じた。
 こんなにたくさん雪が降っている中、彼をここに縛りつけてはならない。
 でも……俺の身体は、言うことを聞かない。
 まだ離れたくない、とわがままばかり、言いやがる。

「ミハイル。本当にすまん……身体が動かなくて」
「え……その、いいけど。寒くないの?」
「寒くない。むしろ、暖かくて心地が良い」
 今の俺はどうかしている。
 思っていることを、ペラペラと話しやがって。
「そっか……でも、今日のタクト。なんかおかしいよ」
「ああ。そうだな……こうやっているの、嫌じゃないか?」
「嫌じゃないよ。けど、どうして……男のオレなの?」
「!?」

 痛いところを突かれた。
 そうだ、彼の言う通り……なぜ男のミハイルを抱きしめたんだ?
 別に女役のアンナでも、良かっただろう。
 どうしてだ?
 俺にも分からない。


「その……ミハイルでしか、俺を救ってくれないと思ったから……だと思う」
「オレしか、出来ないことなの?」
「ああ、そうだ」

 俺はようやくミハイルから、身体を離した。
 だが、両手は彼の肩を、がっちり掴んでいる。
 逃げないように、捉まえているわけじゃない。
 彼の綺麗なエメラルドグリーンを、この目に焼きつけるためだ。

「タクトはオレが必要なの?」
 潤んだ瞳で訴える。
 普段の俺ならば、怯むところだが、今なら大丈夫。
「必要だ」
 言い切ってしまった。
「そ、そうなんだ……」
 逆にミハイルの方が怯んでしまう。
 頬を赤くし、視線を逸らす。

 ここで1つ気になるところがある。
 それは、彼の小さな唇だ。
 女装した際につけた口紅が、まだ落とせていない。

 卑怯だと思ったが、彼を誘うには、良い口実だと思った。

「なあ、ミハイル。お前、口元が汚れているぞ?」
 そう言うと、彼の細い顎を掴む。
 所謂、“顎クイ”ってやつを、やったつもりだったのだが……。
 顎をガッツリ掴んで上にあげると、ミハイルの下唇がひん曲がってしまう。
「うゔ……タクト。なにするんだよぉ……」
「あ、すまん」
 こういうところは格好つけられないのだと、童貞の自分を呪う。
 仕切り直して、人差し指だけで、再度、彼の顎を上げてみる。

「は、ほわわ! た、タクト!?」
 案の定、ミハイルの目は泳ぎ回る。
 かなり動揺しているよう。
 だが、俺も引くに引けない状態だ。
 このまま、行かせてもらう。

「目をつぶってくれ……」
「え、えぇ!?」
「汚れを落とすために必要なことだ」
「そ、そっか。分かった」

 そっと瞼を閉じるミハイル。
 なんて、愛らしい顔なんだろう。
 人形みたいに小さい。
 散々、汚れだとか抜かしておいて。この唇は誰よりも美しいと感じる。
 だからこそ、今。俺は奪おうとしているんだ。

「すぐに終わるから」

 なんてキザなセリフを吐き、彼の唇に自身を重ねようと試みる。
 この一線を越えたら、きっともう二度と……。
 それでも、ミハイルとなら。

 本当なら、彼の可愛い瞼を見つめながら、キッスしたいところだが。
 やはり、ここは俺も平等に。瞼をゆっくりと閉じてみる。

 ミハイルの鼻息を感じる。
 でも、それは彼も同様だろう。

「タクト……」
「ミハイル」

 俺の名前を呼んでくれたことで、同意とみなした。
 あとはお互いの唇を重ねるだけ……。
 しかし、悲劇は突然訪れる。

「こらぁあ! ミーシャ! どこだぁ!」

 その叫び声を聞いた瞬間。俺は、即座にジーパンのポケットから、ハンカチを取り出す。
 俺が普段から、愛用しているタケノブルーの白いハンカチだ。
 まだ瞼を閉じて、目の前で待ち続けるミハイル目掛けて、ハンカチを擦りつける。
 かなり強めに。

「痛いっ! いたた! タクト、痛いよ!」
「すまんな、ミハイル。かなり汚れがついていて……」

 俺が彼にキスをしようとしたことも、隠さないといけないが。
 女装していたことを、姉のヴィクトリアに、バレることを阻止しないといけない。
 だから、ゴシゴシと力強く拭き上げる。

 ピンク色に染まったハンカチを、ジーパンのポケットになおし、何事もなかったかのように振舞う。

「痛いよ……タクト。一体、なにがしたかったの?」
「いや……その……」
 急に歯切れが悪くなってしまう。
 きっとヴィクトリアが、登場してしまったことで、ビビったのだと思う。
「急にオレを、は、ハグしたり……意味がわかんないよ!」
 そう言うミハイルの顔は、ムスっとしていた。
「すまん……」

 結局、この日も俺はなにも出来ず、終わりを迎えてしまった。


 後からヴィクトリアが現れて、俺たち2人に声をかけてきた。
 ピンクのガウンを羽織っていたが、多分中は下着だろう。
 その証拠に襟元から、胸の谷間が見えている。
 動く度にボインボインいわせるから、吐きそう。
 
 
「おお~ こんなところにいたのか? ミーシャ! お前の誕生日を祝おうとしたのに、急に出て行きやがって。心配するだろが!」
 ちくしょーーー!
 もうちょっと、タイミングをずらせよ、お姉ちゃんっ!
「ご、ごめん……姉ちゃん。タクトが誕生日プレゼントを持って来てくれて」
 ようやく俺の存在に気がつく、ヴィクトリア。
「へ? ああ、坊主じゃないか。なるほど、わざわざミーシャにプレゼントを届けてくれたんだな。お前もパーティーに参加したらどうだ?」
 そう言って、2階の窓を指差す。
 嬉しい誘いだったが、正直、今はそんな気分じゃなかった。
 散々、自分からやっておいて、何も出来なかった。
 それが恥ずかしくて、彼の顔をちゃんと見ることが出来ない。

「いや……今日は帰ります」
「遠慮するなよぉ~ もつ鍋を作ってるからさ。食ってけよ♪」
 誕生日でさえ、もつ鍋かよ……。
「いえ。今日は本当に」

 そう言って、ヴィクトリアに頭を下げる。
 色々と、ミハイルをいじったし……。
 罪悪感もあったのだと思う。

「そっか♪ じゃあ、また来年な!」
「はい……」

 背中を向けて、駅に向かおうとした瞬間だった。
 ミハイルが大きな声で、俺を呼び止める。

「タクト!」
「え?」

 振り返ると、心臓の辺りを両手で抑えたミハイルが、苦しそうな顔でこちらを見つめていた。

「タクト……なんか、今日のタクト。本当におかしかったよ。悩みとかあるなら、言ってよね?」
「ああ。その時はちゃんと言うよ」

 俺は……最低だ。

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