ハンカチーフの正しい使い方。
俺はなぜ、あんなことをしてしまったのだろう……。
この手でミハイルを抱きしめたのか?
ミハイルと別れてから、もう半日近く経っているが、身体が燃えるように熱い。
風邪でも引いたかと、体温計で確認したが、特に症状はない。
じゃあ、なぜ。俺の頬はこんなにも熱いんだ。
何度も何度も……脳内で繰り返し流れる映像。
雪が降る寒空の中、抱きしめ合う2人。
人目も気にせず、力いっぱい抱きしめて、キッスする……はずだった。
思い出すだけでも、恥ずかしさがこみ上げてくる。
それと同時に、後悔も残っているが。
なんで、あの時もっと早くミハイルの唇に、自身の唇を重ねなかったのかと……。
俺は家に帰ってから、そのことばかりで頭がいっぱい。
飯も喉を通らず、ベッドの上で一人、放心状態だ。
瞼を閉じているわけではないが、視界が悪い。
それは俺の顔面に、とある布切れをかぶせているからだ。
「すぅ~」
深く息を吸い込み、一気に吐き出す。
「ぶっはぁーーー!」
そうすることにより、布切れは空中に舞い上がる。
だが、あくまでも一瞬だ。
重力には勝てない。
ふわっと、俺の顔目掛けて、戻って来る。
「ちゅっ!」
どこからか、可愛いらしい音が聞こえてくるのは、気のせいだろうか?
「すぅ~ はぁ~!」
落ちて来た、布切れに残る甘い香りを、楽しむ。
いや、正確には、脳内で相手の唇を味わっているのだ。
この布切れは、俺が一番気に入っているブランド。タケノブルーの白いハンカチだ。
そして、昨晩ミハイルの唇を、拭いたものでもある。
女装していた時の口紅が、べったりとハンカチについている。
洗ってはいない。
アンナの……いや、ミハイルの唇が味わえるから。
間接キッス。
違うか。重力によるエアーキッスといえるな。
ヤベッ……またすごいものを、開発してしまったぞ。
天才すぎる自分が怖いぜ。
自分の息を使い、何度も意中の相手と、キッスを繰り返し出来るなんて、めちゃくちゃエコじゃん。
そんなことを昨晩から、10時間近くやっている。
頭の中では、常にアンナとミハイルが頬を赤くして、唇を俺へと捧げる。
アンナの方が可愛く感じるのに……。どうしても、ミハイルに目が行ってしまう。
放っておけないからだ。
「俺は一体、どうしちまったんだ……なんでアンナじゃなく、男のミハイルを」
ベッドの上で、一人そう呟くと、誰かが顔に被せていたハンカチを取り上げた。
「おにーさま! なにやっているんですか? 昨日から、ずっと『すぅ~ はぁ~』言って過呼吸なんですの!?」
瞼を擦り、声の主をよく見てみると、妹のかなでだ。
「ああ……悪い」
「元気ありませんねぇ。今日はクリスマス・イブですよ? アンナちゃんと、デートとかしないんですか?」
「そうだったな……イブか……」
正直、クリスマス・イブという存在すら、忘れていた。
昨晩起きた出来事が、余りにも衝撃的で……。
とりあえず、かなでにハンカチを返してもらい、学習デスクの引き出しに保管しておく。
もちろん、チャック付きのポリ袋を使用し、鮮度を保つ。
次のお楽しみに。
マリアと取材か。なんか気が乗らないなぁ……。
昨日の今日で、別の女とデートって。
机の上に放置していたスマホの画面が、白く光っていた。
どうやら、メールが入ったらしい。
スマホを手に取り、画面を確認すると、数十件も通知が入っていた。
電話やら、メールなど。
相手は、本日クリスマス・イブを一緒に過ごす女の子、冷泉 マリア。
一番最初のメールまで遡るのは、時間が掛かるから、とりあえず最新のメールに目をやる。
『タクト。今日の約束、忘れてないわよね? イブなんだから、2人きりで仲良くイルミネーションを楽しみましょうよ♪ でも、夜まで長いから夕方に、いつもの場所で会わない?』
というと、やはり定番である、黒田節の像か?
俺は即座に彼女へ返信メールを送信した。
『了解』とだけ。
すると、すぐにまたマリアからメールが送られてきて。
『やっと起きたのね♪ まさかと思うけど、ブリブリアンナとキッスしたり、してないわよね? 取材と称して』
ギクッ! 昨晩、素のミハイルにしようとしたんだけどなぁ……。
まあ、アンナとはしてないから、セーフ!
『してない。俺は嘘が嫌いだ』
と返信。
うむ、嘘は言ってないもの。
『そう。なら、夕方に会いましょう♪ 今日が楽しみで仕事を頑張っていたの。タクト、大好きよ』
「……」
最後の一言には、俺は何故か罪悪感を感じていた。
好きか……。
そんな簡単に相手へ想いを伝えられたら、どれだけ気持ちが楽になるんだろうな。