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(4)何気ない会話


「現時点ではここだけの話にして欲しいのだが、カディス峠経由で紛争が発生した場合の、兵站を考えておいてくれ」
 それを聞いたロベルトが唸るように、シーラは冷え冷えとした口調で応じる。

「…………ダレン。そこまで状況が逼迫しているのか?」
「因みに動員騎士数と運用規模、想定紛争期間はどの程度でしょうか
?」
「兵站を構築してくれ、とは言っていない。考慮しておいてくれと言っただけだ」
「ディロスの奴、何かヤバいネタでも掴んだんですかね?」
 思わずロベルトは、つい先程エンバスタ国内に出向いていると聞いたばかりの名前を口にした。するとそれは寝耳に水の話だったらしく、シーラが本気で驚いた顔を向ける。

「え? ディロス? そう言えば最近城内で見かけないから、また遺跡巡りでもしているのかと思ていたのに、まさかエンバスタに潜入してたの!?」
「取り敢えず、そういうことだ」
 ここであっさりとダレンが話を締めくくった。それでこれ以上の問答は無理と悟った二人は、詳細については知らされなくとも文句を言わずに引き下がる。

「いつでも必要数を動員できるように、サーディン様やアスランが不在のうちに内々に準備をしていきます」
「余剰資金はありますし、当座の糧食も確保できます。規模と期間にもよりますが」
「了解した。二人とも、下がってくれて構わない」
 ダレンの指示に二人は揃って一礼し、執務室から退出した。そして廊下を並んで歩き出すと、シーラが苦々しげに口を開く。

「驚いた……。でもやっと領内が安定して、目に見えて豊かになってきたところなのに……」
「そう見えてきたから、エンバスタもちょっかいを出したくなってきたのかもな」
「それは一理あるわね」
 ロベルトの指摘に素直に頷いてから、シーラは話題を変えた。

「ところで、さっきカイル様と廊下ですれ違ったけど、挨拶する間もなくもの凄い形相と勢いで部屋に駆け込んで行ったの。でもあそこは衣裳部屋の筈だけど……、なにかあそこで緊急の用件ができたとか、カイル様があそこまで血相を変える理由を知っている?」
 本気で困惑しているらしいシーラに、ロベルトは真顔で事情を説明する。

「ああ、今日はメリアはそこで作業をしていたんだな。俺がちょっと意見をしたら、伯爵がメリアを説得しようと飛び出していった」
「ええ? ロベルトったら、カイル様に向かって一体何を言ったのよ?」
「大した事を言ったつもりではなかったんだがな……。メリアは妊娠判明後も伯爵の毒見をしているが、メリア自身は毒を無効化できるけど胎児は危険じゃないのかって言ってみたんだ。てっきりそこら辺は伯爵もダレンさんも考慮しているのかと思っていたら、そうじゃなかったらしい」
 若干咎めるような視線を向けたシーラだったが、彼の話を聞くと呆気に取られた表情になった。

「うわ…………、私も、その危険性には思い至らなかったわ。ロベルトって、意外に頭が良かったのね」
「意外ってなんだよ」
「からかっているわけじゃなくて、誰も気がつかなかった事を指摘してくれてありがとう。もしかしたら取り返しがつかない事態になる可能性だってあったのよね」
 真摯に礼を言われてしまったロベルトは、照れくささを誤魔化しながら別件について尋ねてみた。

「いや、そこまで深刻になる事でもないって。あと、アスランと夫婦揃って未だに城内に間借りしている件についても、言ってみたんだよな。ちゃんと結婚したのに、それってどうなんだよ」
 その問いかけに、シーラが溜め息まじりに応じる。

「本当にそうよね……。傍から見ていると弟離れできない兄姉というより、子離れできない両親って感じだもの」
「そうだよなぁ……。この機会に、色々言い含めた方が良いんじゃないか?」
「それについては、全面的に賛成。だけど、そういう自分はどうなのよ?」
「は? 俺がなにか?」
 急に矛先が自分に向いたことで、ロベルトは面食らった。そんな彼に向かって、シーラが淡々と言葉を重ねる。

「だから、仮にも大隊長を務めている人間が平気で城内に間借りして、当直も平の騎士と同様にこなしているのが、傍から見てどうなのかなって言っているの」
「何か問題でも? 俺は独身だし、全く問題ないよな?」
「今は良くても、付き合っている人とかいないわけ?」
 呆れ気味にシーラが問いかけた。するとロベルトは、苦笑しながら断言する。

「まあ、そりゃあ……、全くいないと言えば嘘になるが、今更誰かと所帯を持とうとかは思わないなぁ……。風来坊生活が染みついているし、こんなおやじと好き好んで結婚したがる女なんていないだろ」
「……そうかもね」
 軽い口調のロベルトに対し、シーラはどこか憮然としながら応じた。するとロベルトが思い出したように口にする。

「そういえば、以前からシーラに聞きたいことがあったんだが」
「何?」
「どうしてこっちに来てからは男装しているんだ?」
「…………………」
「シーラ?」
 質問された直後、シーラは「何を言っているんだ、こいつ」と言わんばかりの表情になった。そのまま無言で睨みつけられ、なぜ気分を害したのか分からなかったロベルトが、不思議に思いながら再度尋ねてみる。するとシーラは、小さく溜め息を吐いてから言葉を返した。

「元々、侍女の制服はピラピラして嫌いだったのよ。だけど王城内ではカイル様に迷惑をかけられなかったから、悪目立ちしないように仕方なく着ていたの。こっちに来てからは侍女の仕事は皆無で財務の専従になっているし、動きやすい服装で構わないでしょう?」
「それはそうだな」
「もう一年近く勤務中はこの姿で通しているのに、今更聞かれるとは思ってもいなかったわ」
「因みに、城下に出る時はどうしているんだ?」
 服装について説明したので話は終わりかと思いきや、質問が続いてシーラは少し困惑した。

「え? それはまあ、仕事中でなければ男装はしていないけど……。それが何か?」
「いや、そう言えば外で見かけたことがなかったなと思って、聞いてみただけだ。それじゃあな」
 言うだけ言ってあっさり踵を返したロベルトを、シーラは引き留めたりせずにそのまま見送った。そしてその姿が見えなくなってから、ボソッと愚痴っぽく呟く。

「変な所で鋭いのに、変な所で鈍すぎなんだから……」
 自分でもらしくない事を口にしたと思ったシーラは、すぐに何事もなかったかのように自分の仕事部屋に戻って行った。











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