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名前を聞けた!

 夏なのに玄助に店番をお願いしたのだけれど、それほどやることがない。
現世と隔世の境界が閉じてしまっているのか、店に入ってくる客はめっきり減った。

「みゆみゆ~。外に売りに行くことないの~?」

妖狐は動くことも好きで、お届け物くらいならきちんと出来る。

「猪笹王さんが歯ブラシを買いに来る時期でした」

木村さんにお願いして、先に馬毛の歯ブラシを入荷してもらっている。
猪笹王の家に売りにいってもらうことを思いつく。

「異世界通り? しかも夜?」

玄助は怖がるけれど、深雪は知っている。この妖狐はそんなに弱くない。
 出発は宵のぎりぎりにする。深夜になると強い悪鬼には玄助は勝てない。

濡女(ぬれおんな)さんが出てきたら敵対しないでくださいね。貴方の腕の剣……水には効きませんから」

玄助はなんで自分の技を知っているのだろうという顔をする。
 その時刻になったので、玄助は歯ブラシを持って猪笹王の元に行く。

「みゆみゆと一緒じゃないと心細いや」

夕日がさしているのに天気雨が降り始め、物憂げな気分になる。案の定、濡女が出てくる。

「くーろーちゃん?」 

街娘に似た少女が歩いてきて猫なで声をあげた。
 名前はどこで聞かれたんだろう。玄助はどうして知っているのか聞いてみる。

「名前? みんなのパパが教えてくれたんだよ?」

この異世界通りの首領は白蝋王だ。
妖狐は食えると教えたんじゃないかとビクっと震える。

「怖い? わたしが?」

濡女の輪郭がぼやけ始める。不味い。
玄助はいつかの異世界通りを通った時に、塔季に否定するなと教えられた。
教えられた通りに当たり障りのない返事をする。

「怖くなんかないよ。夕方で冷えてきただけ」
「じゃ、一緒に家に行こ!」

解放してくれる期待は間違い。どんどん無理な方向に話は持っていかれる。
鍋に入れられるパターンかもしれない。
素敵な家を見た後に用事があるからと断る自信はないから、玄助が入れない理由を考える。

「見知らぬ男を家に入れたら不味いんじゃないの?」

相手はそうかなという顔をする。
濡女は納得したらしく、来た時と同じような速さで去ろうとする。

「名前聞いてなかった。今度会ったら名前で呼びたいから教えて?」
「睡……すい」
「いい名前。次も仲良くできるといいな」

玄助は濡女の瞳の色が最初と違っている気がした。
 翌週、深雪の店には銀髪混じりの若い男、搭季(とうき)が訪れている。
最初期の搭季はまだ深雪に馴染んでいない。違った見方が聞けるので面白くはある。

「暦表……カレンダーなんか置いても駄目だ」

明治時代は引き札暦と言って、商店チラシにその年の行事や六曜……大安から仏滅まで……を記載したものが配るのが流行った。
用事は手帳に書くから、あまり書くところのない暦表でも構わない。

「引き札は店ごとに違うんだ」

吉凶は占い感覚だし、万博みたいな出来事を書いてあるものもある。深雪の店のものより面白い。
ごもっとも様と思いながら、妖怪買いの用件を聞いて、心象を悪くしないようにしながらお断りする。

「そうか。いやなに、初対面でこんな丁寧な対応は初めてだ」

どこでも厳しい態度で拒否されているらしく、この店なら、探す合間の拠点にしてもいいと思ったらしい。

「夏は涼しむだけでも来てくださいまし」

丁度のタイミングで、猪笹王の所から戻ってきた玄助が裏口に来る。
夜だけ配達だったのが、朝も良くなっていた。
いつもは記憶がリセットされるのだが、今回は塔季の記憶が微妙に残っているから親しげに話す。

「玄助って言うのか。今度……いや、深雪の印象が悪くなるからな。別の奴で」

搭季は好意的に店を離れる。2人は彼を笑顔で見送った。

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