「素直な気持ち」
「信じられない! あんたとは絶交よ!」
私は声を荒げて言った。
場所は小学校の廊下。六年一組の教室の前。
周囲の視線を集めていたが、気にならなかった。
向かい合っていたクラスメイト、柳は衝撃を受けた顔で言う。
「京華が喜ぶと思ったのに……もういい!」
お互いに背を向けると、そのまま歩き去った。振り返ることはなかった。
私と柳は小学校に入った時からずっと仲良しだった。
親友だった。
けれど、今はもうそうじゃない。
事の発端は、私に好きな人が出来たこと。
近くの中学校に通っている先輩。サッカー部で頑張ってる姿がカッコよかった。
そのことを柳に話した。別にただ聞いて欲しいだけだった。
だけど、偶然にも柳は先輩と知り合いだった。家が近所で親同士の仲が良いらしい。
すると、柳は勝手に先輩に私のことを話して、一緒に遊びに行く約束をしてしまったのだ。
そんなつもりじゃなかったのに。柳は私の気持ちを何も考えてない。
だから、怒った私は柳と絶交した。それからもう一週間が経つけど、一言も喋っていない。
「なに、まだ柳ちゃんと仲直りしてないの?」
土曜日、私がリビングのソファでだらだらしているのを見て、お母さんが言った。
休日は大抵、柳と一緒に遊んでいたので、やることが思いつかない。
「もう絶交したもん」
「まったく、あんたって子は……」
お母さんは呆れたように頭を振った。
何と言われようと仲直りなんてしない。
しかし、お母さんは思わぬ提案をしてきた。
「そうだ。暇だったらこれ行ってみない?」
スマホで見せられた画面の文字を、私はそのまま音読する。
「何これ……ナックルキックボクシングジム?」
「そうそう。車なら結構近い場所にあって、毎週日曜日に二時間、子供用の教室をやってるらしいんだよ。クラブとかも特にしてないんだし、こういうので運動でもしなよ。スッキリするよ」
「まあ、別にいいけど……」
「よーし、決まり」
翌日、私はお母さんに連れられて『ナックルキックボクシングジム』へとやってきた。
場所は同じ三田市内で、ジムという割にはこじんまりとした建物だった。
そこで先生に案内されて、早速トレーニングを開始する。
教えられたとおりにサンドバッグにパンチやキックを繰り出していく。
柳の馬鹿……! 勝手なことして……!
次第に私は思わず怒りを込めるようになっていた。
やがて、くたくたになったところで先生に休憩するように言われる。
少しして、隣に先生がやってきた。
「スッキリしたかい?」
「……まあ、それなりに」
私は先生の方を見ずに言う。まだ今日が初めてなので、警戒心があった。
「悩み事があるようだね」
「えっ」
驚いて思わず先生の顔を見た。
「ははは、見てれば意外と分かるものだよ。身体を動かす時ってどうしても心の状態が表れるからね。誰かへの怒りが見えたよ」
当たっていた。私は口をパクパクするだけで何も言えない。
その反応に先生は笑みを深める。
「別に京華ちゃんが話したくないなら聞かないよ。でも、先生から一つだけアドバイスだ。サンドバッグに向かうように、悩むくらいなら思い切りぶつかってみるのもいいものだよ。あ、もちろん人を殴るって意味じゃなくて、気持ちでね。ちゃんと素直な気持ちを伝えられてるかな? 気持ちの行き違いがあったりはしないかい?」
「素直な気持ち……」
その言葉はどうしてか心に刺さった。
カッとなって、絶交を言い渡して、それっきり。
少しは落ち着いている今なら分かる。
私はまだ、柳とちゃんと話せていないんだ。
「京華……?」
夕暮れ時、習い事からの帰り道を歩いていた柳は、私の姿を見て驚いていた。
柳が帰ってくる時間を知っているので、待ち伏せていたのだ。
「柳、ちょっと話があるんだけど、いい?」
「う、うん……」
私たちは近くの公園に移動し、ベンチに座って話をする。
「ごめん、柳が私の為にしてくれたのに、怒っちゃって、絶交なんて酷いこと言って」
まずは謝った。その上で伝える。
「でも、私は柳に勝手に決めて欲しくなかったよ。だって、そんないきなり先輩と遊びにいくことになってもどうすればいいかわかんないし、失敗しちゃうかもしれないし……ちゃんと相談して欲しかった」
まだ言えてなかった、素直な気持ち。
それを聞いた柳も頭を下げてきた。
「わたしも、ごめんなさい。京華の気持ちを確かめもせずに、喜んでくれるはずだって独りよがりになってて……」
柳は申し訳なさそうな顔をする。それだけで許すには十分だった。
私は彼女の手を握って言う。
「私、これからも柳と友達でいたいよ。それで、もっと分かり合えたらって思う」
「わたしだって、京華のことをもっと知りたい。だから、友達でいて欲しい」
同じ想いであることを確かめて、少し気恥ずかしさもありながら、笑い合った。
やがて、日も暮れてきたので、立ち上がる。
「私さ、こないだから新しいこと始めたんだ」
「え、どんなこと?」
「ひ、み、つ」
「そんな、教えてくれてもいいじゃない」
「代わりに今度の日曜日、一緒に行かない? 習い事だけど、体験ならお金もいらないから」
「行く!」
私たちは家までの道を歩きながら、約一週間の空白を埋めるように話をしていく。
お互いの手はぎゅっと繋がれていた。