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ある冬の日に

 ──魔王アシュテル。



 数多の魔物を従わせる彼の魔王が現れてから幾星霜。
 人々は、いつもその脅威に怯えながら生きてきた。
 魔王アシュテルが率いる魔物の軍勢を討伐するために多くの冒険者達が立ち上がったが、圧倒的な力を持つ魔王の前にことごとく敗れ去っていった。
『この世界の人間では魔王アシュテルには敵わない』
 誰もがそう諦めかけた時、とある国の王はいにしえより伝わる秘術を用いて、異世界から勇者を呼び寄せることに成功する。
 異世界から召喚された勇者には神々の加護が宿る、という言い伝えがあった。その勇者が持つ力こそ、人々に残された最後の希望であった。



 召喚されし勇者の名は、シオン──。



 勇者シオンは言い伝えの通りに神々の加護を宿し、類まれなる剣技と魔法を駆使して数々の強敵を屠り、ついに魔王アシュテルを討ち果たすことに成功した。
 かくして勇者シオンの活躍によって、人々は長きにわたる魔王の脅威から解放され、世界に平穏がもたらされたのだった。




 そして、時は流れて──




 ★★★★★★






 しんしんと降り注ぐ真っ白な雪。
 それは、目の前に倒れ伏しているさっきまで母親だった存在から温もりを奪い去り、瞬く間に冷たいカタマリへと換えてしまう。
 みずみずしくで緑が豊かな大地を、母の亡骸諸共全て白く塗り替えるまで決して止むことはないのでは、と思わせるほどただひたすらに降り続けている。
「くぅん……」
 血に塗れ、冷たい雪に覆われて動かなくなった母犬の亡骸を前にして、俺は途方に暮れていた。
 まだ生まれて間もない仔犬にとって、この寒さはとてもではないが耐えられるものではない。このまま何もせずにいれば、俺自身も遠からず凍えて死んでしまうだろう。
 だけど、そうだと分かっていてもどうすることも出来ない。母犬を失ったばかりの小さな身体には、あまりにも過酷な現実が容赦なくのしかかっていく。
 せめて少しでも暖を取ろうと母犬の傍らに身を寄せて、小さく蹲ってみるものの、とうに熱を喪ってしまった躯から伝わる温もりなどこれっぽっちもありはしなくて……。
「……ぴゃん」
 誰か、助けて。
 縋るように空を見上げても、灰色に染まった曇天からは、ただ静かに雪が舞い落ちるばかり。
 その光景を見て、言いしれぬ孤独感が胸の奥底から湧き上がってくる。
 寂しい。……『寂しい』って、何だっけ?
 それは、まだ生まれて間もない仔犬が知らないはずの感情だった。
 けれども、俺は知っている。
 冷たくて、辛くて、苦しくて。
 心が押し潰されてしまいそうになるほどの深い深い孤独感を。
 本来ただの仔犬ならば知る由もないソレを何故知っているのか……。その理由を今の俺には理解することは出来ない。
 いや、理解する前に俺の意識が闇の中に溶けていったんだ。もう、動くことはおろか、思考を巡らせるための力すらほとんど残っていない。母犬を喪い、独りぼっちになってしまった俺に残された道は、このまま凍える雪の中でか弱い命が尽きるのを待つことだけ。
 ああ、また(・・)……独りぼっちだ……。
 何故──何のために生まれて来たのだろうか。
 どうしてまた(・・)こんな孤独感を感じなければならないのだろうか。
 そんなことを考えることすら億劫で……。
 もう……いいや……。
 疲れ果てた俺は、ゆっくりと瞳を閉じる。ついこの前、ようやくちゃんと開けられるようになったばかりの、幼い双眸を。
 そうして、そのまま二度と覚めない眠りに落ちようとした瞬間のことだった。

「──……っ、やっと……見つけた……っ」

 どこからともなく声が聞こえてきた気がした。かと思えば、次の瞬間ふわりとした優しい感触に包まれる。
 なん、だろう……?
 それが、自分のことを抱き上げた誰かの手のひらの温もりだと気付く前に、俺の意識は再び深い眠りの中へと誘われていった。





 ★★★★★★





 ──夢を、見た。




 仔犬でも夢を見るのか、と不思議な感覚を覚えてやまないけれど、夢の中の俺は何故かヒトの姿をしていて、けれどやっぱりいつも……独りぼっちだった。
 父も、母も、兄弟すらもいない。否、生みの両親は何処かに存在しているのかもしれないが、俺はそれを知らない。誰かの温もりを感じた記憶など、とうの昔に色褪せて遠く彼方へと消え失せてしまった。
 だから気がついた時には薄汚れた部屋の中でずっと独りきり。部屋の外に出ることは出来るけれど、外には鬱蒼とした森が広がるばかりで自分以外のヒトの気配は微塵もない。
 俺以外に誰もいない部屋を訪れてくる存在があるとすれば、魔物や魔獣と呼ばれている人ならざるモノたち。森に棲む小さな動物達も時々やって来ていたが、森の中を闊歩する魔物が増えるに連れて来なくなった。
 いつの間にか俺の周りには魔物達の群れが住み着くようになっていた。
 彼らはヒトである俺のことを喰らおうとするどころか、逆に俺を護るように側にいた。さらにいえば、俺の命令には非常に忠実で、その様は仲間や友人というよりもまるで下僕のようだった。
 見る者をあまねく魅力するような美しいモノ、身の毛もよだつような恐ろしい姿をしたモノ、多種多様な異形の姿をした魔物達は人間にとってもれなく恐怖の対象だ。
 だから、そんな彼らが俺に付き従う様を見て、いつしか俺はこう呼ばれるようになっていた。



 ──『魔王』、と。


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