人の口に戸は立てられない
「そう言えば、カスティリーニ侯爵が代替わりしたと聞いたのはアリッサさんが我が家に来た頃と同じ時期だったな」
ケヴィンと合流し、街はどうだったかと尋ねられ、カスティリーニ侯爵の関係者と間違われたことを話した。
もちろん赤髪の少女の万引きを防いだことは言わなかった。
「何でも侯爵夫妻が幼い子どもを残して事故で亡くなり、侯爵の弟さんが後を継いだとか」
「そうなんですね」
その子はいくつだったんだろう。あまりに幼いと両親の死を理解することもできないだろうし、もしそれなりの年齢なら突然いなくなった両親を恋しく思って悲嘆に暮れているだろう。それとも、ブリジッタの両親のように、必ずしもいい親とは言えなかった場合もある。
毒親なら、その子にとってその方がいいかも知れないが、その子の次の保護者がいい人とも限らない。
何しろ子供に親は選べないのだから。
「新しく侯爵になった方はまだ独身だと言うし、突然爵位を継ぐことになって、その上兄夫婦のお子を後見することになって大変らしい。確か王都で騎士団に所属されていたんじゃなかったかな」
「騎士団」
騎士団と聞いてアリッサは顔が引きつった。
もちろんジルフリードのように爵位を継ぐ人間でも、武門の出なら騎士団に所属するが、爵位を兄が継ぐなら、家を継がない次男は自分で身を立てるため、騎士団に入る人もいる。
恐らく新しくカスティリーニ侯爵になった人は後者だろう。
兄の死により突然転がり込んできた爵位。喜びも束の間、コブ付きにもなったと嘆いているかも知れない。
国境の砦に勤務する者も含めれば、何千人と所属する騎士団なのだから、その人がジルフリードのことを知っているとは限らない。
ブリジッタの方は、ジルフリードの仕事仲間とは殆ど顔を合わせたことがないので、当然新しいカスティリーニ侯爵にも会ったことは無い。
そもそも、ジルフリードはブリジッタに仕事仲間を紹介してくれたことはない。向こうが勝手にブリジッタのことを知っているなら別だが、騎士団の本部に彼女が行くことも彼はいい顔をしなかった。
（ほんと、私って彼に取っては何だったんだろう）
祖父同士の約束がなければ、最初から関わることの無かった相手だ。
政略結婚の多い貴族社会でも、あれほど淡白な婚約期間もなかっただろう。
「その亡くなった侯爵と弟さんのご両親はいらっしゃらないんですか？」
「確かお二方とも早くにお亡くなりになられたと聞いています」
「え、じゃあ、身内は閣下とその子どもさんだけ？」
「そうらしいです。そこのお屋敷に勤めている知り合いがいるので、聞いたところによると、今の侯爵はお子様が生まれた時に会ったきりで、先代が亡くなるまで顔を会わせたこともなかったとか。それでお子様はなかなか叔父である侯爵に懐かないそうです」
男性を怖がる子供は多い。昔から良く知っている相手ならまだしも、生まれてから一度もあったことの無かった相手、しかも男性に、簡単には懐かないだろう。
「そのお子さん、おいくつなんですか？」
「えっと、八歳だったかな？」
「八歳」
彼女はアリッサとブリジッタ両方の八歳の頃を思い出す。
有紗なら小学二年生だ。ランドセルを背負っていた頃。悩みと言えば成績のこととか友達関係のこと。運動が嫌いで苦手だったから、マラソンの日など雨が降らないかと逆さテルテル坊主を吊っていた。
ブリジッタなら、もう婚約をしていた。
ブリジッタの人生を思うと、苦い思い出に胸が痛む。
それでも八歳の頃はもう少し明るい未来を思い描き、それなりに幸せだった。
けれど、カスティリーニ侯爵家のその子は、両親を亡くして、良く知らない叔父と暮らさなくてはならないのだ。
会ったこともない、名前も知らないその子に同情を抱く。
「でも、どうして私、そこの家の人に間違われたんでしょう」
「最近、そのカスティリーニ侯爵家に、王都からお客が来たと噂になっていましたから、それで間違われたのでは？」
「お客？ 侯爵家に？」
「そう。何でもそのドロシー様、前侯爵の忘れ形見のお嬢様の家庭教師だか世話係だかを新しい侯爵様が雇ったそうです。アリッサさんは都会的で仕草も洗練されているから、店主もそう思ったんじゃないでしょうか」
さっきは容姿を褒められ、今度は仕草を褒められた。
どうやらブリジッタとして受けた作法教育が無意識に出てしまったらしい。
「それより良く知っているわね。そんな他人の家の事情」
「カスティリーニ家は、この辺りの領主様だし、皆気にしているんです。使用人も多いし」
つまりは使用人たちが雇い主の噂話を言い触らしているらしい。
人の口に戸は立てられないと言うことだ。
